いつ来ても良いという心構えを

1月28日(日曜日)の8時59分に東京湾を震源とした地震が発生。

東京では最大震度4を観測。

津波警報は出なかった。顕著なる被害も無かった。

この地震で特段なる危機感を持った人はいないようだ。

しかし、震度4と言う数字で安心するなかれ。

問題は東京湾を震源としていること。

いよいよだと言う心づもりはできているのか。

ソッチの方面に造旨が深い読者の方から以下のようなメッセージを頂きました。

一部を紹介します。

 

槇さんが抱く地震への予感は、占星術師でも言う人がいます。

なんでも4月の日蝕が影響するとかで、もし起きるなら2024年10月以降2025年にかけてだそうで、

とりわけ10月11月は危ない様です。

占星術は古代ペルシャやバビロニアで尊重されていたものなので、私は結構当たると思っています。

地震が来たら来た時ですが、世界中も荒廃してますからもう世紀末ですね。


過去の教訓を忘れたか<大震災への備え>

令和6年1月20日、毎第三土曜日恒例となっている

「社会の不条理を糾す会」の街頭演説会に参加。

https://tadasukaicom.wordpress.com/

 

 世の中の大多数が当たり前と思って看過していること。

 大衆が無批判に迎合している事象に対し、真理を訴えていく。

 極楽島のアホウドリよろしく権力者やマスコミ報道に迎合し快楽と享楽にうつつを抜かす国民に一歩も二歩も先んでて、その先にある危機を察知して警鐘を乱打する。

 民族の触覚としての役割が我々、右翼民族派に課せられていると思っている。

 

 昨日(1月19日)の報道では2021年東京オリンピック選手村跡地に整備された晴海フラッグへの入居が開始されたとある。

「五輪のレガシー」「これから始まる街」広い道路で電柱も無い。洗練された綺麗な街並みと、良い事づくめで賞賛されている。

 三井不動産レジデンシャルなどの大手デベロッパー10社によって整備されたもので敷地面積は13ヘクタール。

14〜18階建ての21棟からなり、更に2025年までには50階建てのタワマン2棟が完成する予定で全て入居すると人口は12,000人となる。

平均価格は7500万円と近辺の相場より安い。

それもそのはず、元々は都有地だったところを安価で払い下げられたことによる。

 

 おいおい大丈夫なんですか。能登半島地震では海岸沿いの内灘町で街全体が液状化現象の被害を受けている。

建物に被害は無くても生活できる状況にはない。

 13年前の東日大震災を忘れたのか。アメリカのビバリーヒルズを文字ってチバリーヒルズと称された千葉県の新浦安で発生した液状化現象でどれ程までの生活困難が生じたのか。

新築の家は傾き、泥水が噴出してマンホールが浮き上がり道路は波打った状態となった。

何も知らずに土地を購入したと言う居住者の困惑と戸惑いが連日テレビで報道されていたではないか。

 

 この地震列島で東京だけが巨大地震の被害から免れると天上界と現政権との間で約束でも交わされているというのか?

 東京湾直下型地震が発生すれば20メートルの津波が晴海地域を真っ先に飲み込む。

そして日本橋の株式/金融街や銀座の商業施設も水浸しとなる。

この現実をひたすらに隠蔽してまで不動産開発で金儲けをしたいのか。

人口減少が続くわが国で12,000人は何処からやって来るのか。

都心とその周辺、首都圏・都市近郊から転居して来るだろう。

空いた住居にはドミノ式に疲弊した地方から移住できる余力のある若年層が移って来る。

結局は地方において高齢者だけが取り残され地方は益々、寂れていく。

 

  南海トラフ地震が発生すれば36万人の死者が想定されている。

家屋倒壊・火災に加え巨大津波の発生を勘定にいれるならば都内だけでも10万人の死者が出る。

火葬/埋葬が追い付かなかった事例は阪神淡路や東日本で経験している。今回の能登半島でも現実となっている。

 にも拘わらず、為政者や行政はこの火葬場不足という喫緊に解決すべき問題を放置している。

夏場であれば遺体は一日で腐敗が始まる。

火葬できない遺体からの腐臭と大量のハエの発生と伝染病の蔓延が懸念される。

「ひとりも犠牲者が出ないような対策を、街づくりを」、と言うのは理想であるが現実は甘くない。

 

 私の地元である中野区には中野駅近くに旧陸軍中野学校があり、戦後は警察大学校となった。

移転してしばらくは広大な空き地となっていた。中野区には火葬場が無い。

 私はここに公営の斎場・火葬場を建設する事を主張したが、結局は商業施設と3つの大学校舎が建設された。

区民が憩えるチョットだけ広めの公園が残った。

 火葬場は忌み嫌われる負の存在という人々の思考を変えていかなければいけない。

自分たちの身内/親兄弟、そして自身もがお世話になる身近な施設。

街の中心の駅前に堂々と火葬場を建設する時代が来る。

人々の意識改革が必要なのだ。

 

 

 


救援物資の搬入ご苦労様です

元日に発生したと能登半島地震。日を追うごとに犠牲者の数が増えていく。

倒壊した家屋の中から発見された人がいるためであろう。

昭和56年以前の建築基準法改定以前に建築された家屋が被害にあっているとのこと。

そればかりではないだろうと想像する。

東京と違い地方では重厚な見栄えの良い瓦屋根の家屋が一般的。

我が家のような安普請の鋼板屋根ならば軽量化されているので

躯体に対する負担が少ない。

伝統的美観を有する瓦屋根のであるが地震列島においては一考の余地がある。

 

元日に被災地に救援物資を届けるとのラインメールを頂いていたが、

14日に出発したとの報告を頂いた。

被災者の方々からは感謝されたことであろう。

私財を投入しての貢献など誰でもできるものではない。

感謝致します。直接の献身的支援ができないならば

募金と言う形ででも救援の輪を広げ拡大していきたい。

 


被災地では何が必要なのか

被災地にボランティアとして支援物資を届けた人の事を批難するわけではない。

「何もしないで家にいる人間に言われたくない」、と言われるのが落ちであろうし、その通りなのです。

ただ、闇雲に被災地に行って物資をばら撒いて来ることに対し賛同しないという事です。

被災した人がいま何を必要としているのか。実情を確かめた上で、必要な物を届けるべきでしょう。

 地震発生直後に、これから被災地に物資を届けに行くのだが物資が揃わない、とラインメッセージを頂きました。

 しかし震災当日では避難所も開設準備中で体制も整っていない。

震災当日に必要なのは下敷きになった人を救出するプロのレスキュー隊員や消火消防隊員でしょう。

被災地では空き巣・盗難が頻発しているとか。

救援・復興支援のつもりであっても、被災地において見知らぬ人が徘徊していることで住民に要らぬ警戒感・不安感を抱かせることになるでしょう。

被災地に入るか否かでは国会議員を含め巷でも論争が起きているようです。

被災地を訪問し支援物資を届けることで感謝される、自身も充実感・満足感を得ることは可能でしょうが、

いまの私としては被災地向けの募金箱に協力をするしかできません。

 

「避難所なんだと思ってる」賞味期限切れ食品にシェフ怒り 一方的に置いていかれた支援物資…“民間物資”の受け入れ一時中止に(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 


年頭のご挨拶を申し上げます

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 今年一年が皆皆様にとりまして、また全世界の全ての民にとって平和で安定した年となることを祈念するものです。

 しかしながら、元日より石川県・能登地方で震度7の大地震が発生し多くの犠牲者がでている状況を目の当たりにして、日本列島が置かれた特殊な状況を憂慮致しております。

 温暖な気候のもと緑に囲まれた国土で戦争の災禍もなく経済的に恵まれ医職住に事欠くことなく文化的な生活を送ることができています。

 飢餓と貧困、戦乱と殺戮、専制と隷従に苦しむ世界中の人々と比べ、我々は何と不自由ない豊かな生活を送っているのか。

申し訳ない気持ちになってしまいます。

 

 その反面、山野に覆われた日本列島という地形と、そこに到来する激しい気候状況によっておこる自然災害。

こう言う特殊性を鑑みた時に、世界はある程度は負の面で平等性を維持しているのかと感じ、多少は罪悪感を払拭して自己正当化に奔っている感があります。

 日本列島全体で見れば毎年・各地で発生する災害によって少なからぬ人命が犠牲となっています。

ウクライナやパレスティナ・ガザ地区における犠牲とは比較にならぬ数字ではありますが、日本の人々も辛酸を舐めざるを得ない状況にあります。

 

 しかし、それが何故に東京・首都圏を除いた周辺の地方に限定されているのか。

阪神淡路・新潟・東北地方・熊本・大阪、北海道そして能登と。

東京・首都圏だけが自然災害による災禍に遭遇しないことに不可解な思いがします。

 日本中の富と栄華と欲望を集約した華々しい大都会で快楽に酔いしれる愚民に対しては絶大なる災禍が訪れることはない。

 一方で過酷な自然環境下で経済も疲弊し若者は大都市に流出し、都会の栄華とは無縁の寒村で必死に働く老人等に対しては情け容赦なく災害が降りかかる。

この不条理は誰か何かの意図によって引き起こされているのかとさえ考えてしまいます。

 

 先の大戦では東京や京都に対しては原子爆弾が投下されなかった。

これは戦後処理を見据えたアメリカの思惑があったからでしょう。

似た様に、何らかの見えぬ意思が働いて災害発生場所が決めれれているのではないか、とさえ勘ぐってしまうのです。

 13年前の東日本大震災では震度5でも東京はパニック状態でした。東京に震度7の巨大地震が到来すればどうなるのか。

 東京湾直下型大地震が発生すれば、湾岸エリアに20メートルの津波が到来し、甚大な被害をもたらすはず。

 いま、我々がテレビニュースの画像を見て被災者の困窮状況に胸を痛め、「大変だね、早く復旧を」と願っていますが、所詮はテレビ画像の向こうの他人事なのでありましょう。

いま、この瞬間にもアノ人々と同じ、それ以上の悲惨な状況下に陥る覚悟ができていると言えましょうか。

 

 日本の為政者たちは闇雲なまでに東京に巨大建造物・タワーマンションを乱立させて人口の密集を図っています。

日本全体では人口が減少しているのですから、新たに建造された住居に移り住むのは地方を離れ都会へと転入して来た人々の流れとなります。

 贅沢に馴らされた都会の人間は今までの文化的生活が寸断されれば途端にパニック状態に陥るでしょう。

居住するタワーマンションでエレベーターが動かない、水道が止まった、と皆が避難所に殺到しても受入れは不可能です。

 人口密集地域に居住する人々の中から、何人を如何なる基準で受け入れるのか、シミレーションも無いのです。

 この国の為政者は絶対に東京では大地震が発生しないという確信を持っているのか。

それならば、私の取り越し苦労で済むのですが

 

 


京アニ事件で裁かれるべきは誰だ?

京アニ証人尋問詳報 社員(下)「うわ、うわ、うわ」次々と炎にのまれる同僚たち (msn.com)

 青葉被告のような人間が出て来てガソリンをまいて火を付けなければ、このような悲惨な事件は起こらない。多くの人命が失われる事はなかった。

 青葉被告の裁判では現場にいて生き延びた京都アニメの社員が証人として当時の様子を語った。

 建物が吹き抜け構造であったが故に火の回りが早かったのだ。

 建物一階の玄関を入ると事務スペースがあり、中央に螺旋階段があり、二階・三階へと続ている。

 普通の作りであれば部屋と階段室の間は扉で仕切られているから、一階事務スペースで火災が発生しても二階三階へ燃え広がるまでには時間的有余がある。

コンクリート造りの建造物であるから吹き抜け構造が違法な訳ではない。

違法ではないから安全性を無視して良いのかという問題がある。

 

 2015年前には川崎市日進町の簡易宿泊所で火災が発生し11人の居住者が犠牲となった。

原因は解明されていないが放火の可能性が高い。

木造二階建て吹き抜け構造であった為に火の回りが早かった。

実質的には三階構造に改築されていたのだが、木造三階建てを違法とする条例施行前の改築であったのだ。

火災後、周辺のドヤ街では吹き抜けの三階部分使用が制限された経緯がある。

ひとたび火災が発生すれば、吹き抜け構造が危険であることは誰もが知っていた。

 

 京アニは文化・芸術の発信地という自負もあるのだろうか。

ファッション性を重要視し、オシャレなデザインの職場で有能なスタッフに集まってもらいたいというので、一階から三階まで吹き抜け構造という奇抜な造りにしたのだろうか。

 勿論、火を放った青葉被告が悪い。彼があんなことをしなければ死者は出なかった。

だから青葉による狂気の悪行として片づければ済むというのか。

 経営者の側が何らかの安全策を講じていればあれ程の人々が命を失わずに済んだのも事実なのだ。

吹き抜け構造における延焼の食い止め方、避難の仕方に眼が向けられたという痕跡はない。

普段からこの特殊構造に対応した避難訓練を行っていたという話も聞かない。

 京アニ事件をきっかけとして吹き抜け構造の危険性が論じられてしかるべきではないのか。

 

 ホテルニュージャパンの火災もそうだ。寝たばこをしたスイス人宿泊客がいなければ火災は発生しなかった。

しかし、社長である横井秀樹が安全策を講じなかったためにあれ程の大惨事になった。

 そこは違法であったか合法であったかの違いであり、お客様や社員をお守りするという経営姿勢やモラル・人道意識においては共通するところがなかったと言えるのか。


「築地市場に包丁男」で思い出す

本日夜8時過ぎに、野村秋介先生の継承者である蜷川正大先輩より電話を頂いた。

「おう、今4チャンネルで根上が市場で包丁振り回したって事件のことやってるぞ」

家に入り急いで日本テレビを付けてみる。

「突破ファイル」とかいう番組でお笑い芸人が出演し、過去にあった事件の顛末を予想して回答を出し合いという他愛のない番組。

魚市場で刀のようなマグロ包丁を振り回して逃走する犯人を、市場で働く人々がどの様にして捕まえたか、という設問のようだ。

魚運搬用の小型三輪車両であるターレを駆使して取り囲んだというのが正解だった。

この事件は当時大々的に報道され、その後もインターネット等で語り継がれている。

「魚市場の男を舐めんじゃねえぞ」的に悪者に対し果敢に立ち向かう荒くれ男の美談のように捉えられている。

ちょうど、和歌山の漁港を視察に来た岸田総理にモノを投げた男にヘッドロックを掛けて取り押さえたワークマンのベスト着用オヤジみたいなもんだろうか。

 

根上隆氏は主権在民党党首として過去何回も参院選や中野区長選・区議選に出馬し落選している。

所謂、右翼民族派陣営においては伝説的な人物であった。

9年前、国家権力によって不当にも脅迫罪をでっち上げられ、癌であるにも拘わらず治療も受けられぬまま東京拘置所で事実上の獄中死をさせられた。

中野区出身ということで、何かにつけて親交を持っていたこともあり、この界隈では私が根上さんの盟友であるかのように思っておられる人もいるようだ。

根上隆さん ご逝去 | まき やすとも 政経調査会 (jugem.jp)

 

事の真相としては、根上さんが都知事選出馬に当って当時移転案が出ていた築地市場を見学に行ったというのが発端。

市場内を見学していたが「不審者がいる」という事で通報されオマワリが来た。

このままでは逮捕されると思い、手直にあったマグロ解体用の包丁を刀の様に振り回しオマワリに対抗。

これが殺人未遂罪ということにされてしまう。

その後、市場で働く魚屋連中がターレで取り囲みゆく手を塞いだというもの。

本人は何も反社会的意図は持っていないにも拘わらず逮捕され、この事件が面白おかしく脚色されテレビのバラエティーネタにされているというのが現状なのだ。

存命であれば、もっとやりたいことがあったろうし、我々にも活力と苦渋の笑いを提供してくれたであろうに。

 


さすがに死亡事件に絡んだ奴は初めてだね

  闇バイトによる押し込み強盗などではレンタカーを使用しての犯行が見受けられる。

  中古車輸出と平行しサイドビジネスとは言えレンタカー業を営む私としても、犯罪に使用されるのは避けなければならない。

 以前は、弊社のレンタカーを使用して泥棒行脚していた奴がして、当該車両を一カ月以上も捜査の為に差し押されたた事がある。

 

  一昨年6月にホテルで覚醒剤を打って意識のない女性を秋田県の山林に遺棄して死なせたとして、最近になり元暴力団員が逮捕された。

 この元暴力団員氏はその直前位に弊社から車を借りている。

 期限までに還ってこないで延長しながら、「また今晩から借りるので、その時に金を持ってきますから」とか、調子良い事ブッコンで急ぐようにして帰って行ったっけ。

 その後姿を現さず、何回電話しても電話に出ない。全く音信不通の状態が続いていたが、覚醒剤注入や秋田県まで遠征して保護責任者遺棄致死を実行する為に多忙を極めていたという事か。

 

 色々と怪しい人間は来るけれど、死亡事件に絡んだ奴は初めてだろう。

弊社の車で遺体を運んだとか言うことではなくて、まだ助かったというか。

 兎に角、身元の確認は重要だ。

 運転免許証なんていうのは自動車を運転する技能を有している事の証であり、身元を確認するモノにはならない。

 転居していても届けを出さなければ最長で5年前の住所のままってこともある。

 未払い金や修理代金を取りに行っても、そこに本人が住んでいる保障はないのだから。


万引き女を確保したが、、

 朝6時に家を出てオークション会場へ。

 出品した車に値段が付かず売れ残れば乗って帰るつもりだったが、安かったが一応は売れたので電車で帰社。 

昼12時に駅に着いて駅前商店街を歩き地元で昔から続く煎餅屋の前に差し掛かる。

前を行く中年女が店頭のトレイから煎餅を一袋摘まみ上げると、手提げカバンの中へ滑り込ませる。

 一瞬の神業。店の人が見ていなかったことは確認しただろうが後ろを未確認だったのは迂闊だった。

しかも私はその道のプロなんだから一瞬の動きで分かるんですよ。(なんのプロなんだか?)

 

しばらく歩いて角を曲がった所で「お金払っていませんよね」、とテレビの密着〇〇のように優しく声掛けする。

女は慣れた風で何のことですか、と無視して先を急ごうとする。

馬鹿な女だ。ここで与えられたチャンスを活かしていれば良かったものを。

 はにかむように笑い顔を浮かべて肩をすぼめ「あれ〜え、私忘れちゃったかなぁ」「ごめんなさ〜い」ってな感じでぶりっ子しながら店に戻る素振りをしていれば私の態度も多少は軟化していたかも。

 

 私も声を掛けた手前、足早に立ち去ろうとする女に対し徹底的に付き纏う。

傍から見れば変質的ジジイが女にストーカー嚙ましているようにしか見えないだろう。

女もそれを狙っているのか。「カバンに入れたものを出しなさい。私はプロなんだからごまかしは効かないんですよ」と。

商店街を一周しながら説得する。根負けしたのか「お金払って買いますから」「あなたは関係ないでしょう」「向こうに行ってください」と反省の態度は皆無だ。

 一緒に煎餅屋の前に到着。ここでも素直に罪を認めればと、最後のチャンスを与えたつもりだが、全く通じていない。

 万引きした煎餅が並んでいるのと同じトレイにあった二袋を取り上げると、カバンから出した件の一袋をひとまとめにしてレジの前に置いて「これ買いますから」と言うと同時に千円札を差し出した。

これなら200円の煎餅を三袋購入しているように装えるのだ。慣れたもんだ、感心する。

 

 家族経営のこじんまりとした老舗の煎餅屋だが先代とは自治会などで旧知の仲。

 野方を取り上げたテレビ番組、地井散歩やアドマティック天国などで取材が入る地元では有名店なのだ。

 店番をしていた若旦那に事情を話し万引きである旨を説明。若女将が駅前交番に奔りオマワリ三名を連れてきた。

オマワリが来ると女のさっきまでの高飛車な態度は急変。

店内の床に正座して両手をついてオマワリに「すみません」と泣いて謝っている。

謝る相手が違うんだよね。煎餅屋は勿論だが、人を小馬鹿にした態度をとった私に対しても謝るべきなんだよ。

オマワリは交番で暇していたところ燃料投下してもらって喜んでいる。謝罪される筋合いではない。

 

 女の身元確認したところで、今度は私の方に矛先が向いてきた。

身元確認と運転免許証の提示を求められた。

単なる目撃者ではなく、被疑者の身柄を確保した当事者と言うことで調書を作成したい、

ついては警察署へ出頭して欲しいとか言い出した。

 狙いは私の身柄を確保した上で、女に対する暴行とかなんとか理由を付けて逮捕することにある。

腕を掴んだとか衣服の端を触ったとか、一般人なら到底あり得ない理由づけで事件化するのが警察なのだから。

勿論、それが分かっているから女には一切触れていないが、私自身が「触れていないこと」を証明できなければ

「触れた=暴行した」ということで事件化してしまうのが警察のヤリクチだ。。

 気の毒に思ったのか煎餅屋の若旦那は警察に対し「事件化しない。女を訴えない」と言って私の釈放に協力してくれた。

 

 教訓としては万引きを見たら見ぬ振りをする、っていうことだろうか。

これだって考えようによっては、初めから公安が仕組んだ絵図であった可能性もある。

商店街を歩いて来る私の前に万引きする女を用意しておく。

私が声を掛けたら逃げるか暴れるかして取り押さえた私に対し暴行・傷害の現行犯を適用するとか。

公安警察なんてい言うのは犯罪を創造し無実の人間を葬り去ることになんの躊躇いもないから厄介なのだ。

 

 思ったのだがこの女は相当知っているね、刑事事件での逮捕後の流れとか。

保釈中かベントー持ち(執行猶予中)なんだろうか。ここで逮捕されたら逆戻りって事を分かっているからオマワリに対し必死に許しを請うた。

ムショでの過酷な暮らしはもう勘弁て事なんだろう。


ノーマークである市井の市民こそが維新の原動力に

  4月15日、岸田首相が選挙遊説先の和歌山県で演説を行う直前に鉄パイプ状の物が投げ込まれ爆発音が鳴り響き白煙があがった。

群衆の中にいた木村隆二24歳が取り押さえられ威力業務妨害罪で逮捕された。

  目的は何であったのか不明であるが、岸田首相の殺害を狙ったものである可能性もある。

  だとすれば何の目的で岸田首相殺害を企てたのか、気になるところである。

為政者を斃すことで国の政治を糾すことができるのであれば、本望ではあろうが

岸田首相を抹殺することで何を変えるのか、如何なる政策を転換さることが可能となるのか不明瞭である。

  例えば防衛予算増額反対とか具体的な訴えがあるのかなど注目すところではある。

 

   民主主義国家である以上、選挙において国家の方向性を決定する権限を有する政治家を選出すべきというのが原理原則でる。

  しかし現実にはそのような綺麗ごとで民意を反映した政策が遂行されるものではない。

利権収奪や言論弾圧など国家権力の圧政により多くの国民・市民が苦しめられている現実がある。

  私が一昨年、警察のデッチアゲによって不当逮捕され有罪判決がくだされ、控訴・上告がいとも簡単に棄却された事実が端的に示している。

  故に、国家改革の手段としては民衆による武力蜂起を完全に放棄すべきものではないと考える。

  肉体言語とも言える最終的手法が担保されている事実を権力者は思い知るべきなのである。

  腐敗堕落した戦後体制政治、現行で言えば自民公明党政権の為政者共に対する戒めとして存在感を示しておく必要がある。

 

  昨年安倍元首相が銃弾に倒れた際に、世間一般はSNSなどを通じ多くの弔意が示された。

「ご冥福を祈る」「哀悼の意を捧げる」などの一般的言辞が飛び交っていたが、現体制を打ち倒すべき右翼民族派と称される立場にいれば全く異なる方向から検証する事となる。

 

  金城鉄壁なる現体制を如何にして打ち砕くか。元首相であっても現政権に影響力を有する政治家であれば粛清の対象にはなり得る。

  単に旧統一教会との癒着という私的観点ではなく、国家百年の大計を鑑みた上で挙にでる事を考える必要がある。

  巨大化した警察権力の間断を突いて挙を成就させるためには如何にして実行すべきか考えさせられる。

  今回の木村隆二も安倍氏に対する山上徹也にしても政治活動家ではない、いわば当局からはノーマークであった市井の市民である。

重度の監視社会となった現在、一旦当局からマークされた人間としては動きずらい状況にある。

  むしろそういう人物は陽動作戦要員として警備をひきつけておいて、潜在能力を有する市井の市民が実行にあたるといった図式が用いられるべきではなかろうか。

 

  いや、別に直接行動を推奨するものではない。

ロシアのプーチン大統領を抹殺すればウクライナの国民は戦火から解放される。

金正恩という独裁者を抹殺すれば飢えた2000万国民が救われる。

 こういった究極的状況を目の前にした時に「暴力は良くない」「テロリズムを許すな」と言った綺麗ごとを言っていられるのかと言いたいのだ。

 


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