上山田温泉の想い出

 今は第三セクターとなった「しなの鉄道線」戸倉駅の改札横にある待合室は昭和の時代から時が止まったみたいだ。

 一隅には立ち食い風蕎麦屋がありそばつゆの香りが漂い、モツ煮なんかも提供している。

当然酒も提供しており、横の扉からはカウンター形式のコーヒー&スナックに直結。

 今は取り外されているがテレビなど見ながら乗降客に混じり地元民なんかが時間を潰していたのだろう。

 法令順守も曖昧な時代だったから一杯ひっかけて車を運転して帰路に着くものもいた事だろう。

 

 駅舎を出て戸倉の市街地を抜けると千曲川に掛かる大正橋に出会う。

日本一の長さを誇る信濃川の上流部にあたる。

川向うの山懐にビッシリとへばり付くように大小の建物群が集落を形成している。

 明治時代に開湯した信州の名湯、戸倉上山田温泉だ。駅からのんびり歩くと25分位の距離だろうか。

 此処は湯治場的な温泉と違い、完全な歓楽街的な温泉地なのだ。

今でこそ十数人程度の芸妓が存在しているそうだが、昭和の時代には百数十人の芸妓を抱える巨大な歓楽街を兼ねていた。

 今でも温泉街の中央を走る新世界通りと周辺には多くのバーやスナックが軒を連ねている。

 

  そうだ、思い出した。私はこの上山田温泉に来たことがあったのだ。

えらい昔の事で温泉に入る為に来た訳ではなかった。

 その頃は芸妓の他にタレントと呼ばれる外国人ホステスが大挙して歓楽街で接客に従事していた。

 当時の私は外国と日本を行き来しながら仕事をしていた関係で、現地のプロダクションから頼まれごとを請けた。

 日本に送り出したタレントと音信不通となった。上山田温泉の某スナックにいるはずなので探して来てほしい、と。

 新幹線も無い時代、上野から国鉄信越本線の特急に乗車したんだと思うのだが記憶が曖昧だ。

戸倉駅からタクシーに乗車して目的地とするスナックへ向かった。

 結局、某スナックには既に尋ねたタレントはいなく、周辺を聞き歩くうちに知己を得た地元のヤクザ事務所で腰を落ち着けることとなる。

 若かったからその辺の筋目も分からず聞き込みをしていたが、手ぶらで帰って来た。

 

 後日、上山田温泉の状況を知るその道の関係者から「上山田っていうのはスジモンの巣なんだ。気を付けないと生きて還れない」と聞いて背筋が凍ったものだ。

 なんせその人の知人は上山田温泉で商売をしているが利権がらみで地元ヤクザから執拗な嫌がらせを受け、ギリギリのところで踏ん張って凌いでいるとか。

 これだけの歓楽街を形成しているのだから暴対法施行後の今でも、そんな状況は続いているのだろうか。

ふと思い出した青春時代の一頁だ。

 

 温泉目的でのんびりするのには絶好の場所だ。泉質は良く身体が暖まる。千曲川を眼下に据えた屋上露天風呂からの眺めも最高だ。

 


新幹線開業で切り捨てられる在来線

 信越本線と言えば嘗ては東日本における鉄道の大動脈。

 上野を発車する国鉄の特急列車は高崎から長野を経由して新潟県・直江津まで走り、そこから北陸本線に乗り入れ北陸の大都会・金沢までを疾走した。

 大勢のビジネスマンや帰省する人、そして観光客などを運ぶために夜行列車も含め特急・鈍行など多くの列車が行き交った。

 松本清張の小説「ゼロの焦点」では金沢で行方不明となった単身赴任中の夫の消息を尋ね、上野・金沢間を往復する主人公の様が描写されている。

 そんな信越本線も1997年の長野新幹線開通に伴い、急勾配の碓氷峠を超える群馬県・横川と長野県・軽井沢間は廃線となりバス輸送に変わった。

 軽井沢から長野県・篠ノ井までの区間は第三セクターによる「しなの鉄道」と名称が変わり、2両または4両編成のワンマン列車にとって替わられた。

 地元住民はこんな地方でも目の前を走る一本のレールが首都東京の上野まで繋がっているという安堵感を抱きつつ日々の生活を送っていたのではないか。

 賑わっていたであろう一昔前の駅舎や列車内、沿線の光景を思い描きながら乗車してみると感慨深いものがある。

 

都会中心の効率と経済繁栄を中心に据えた戦後体制下の政策では致し方ないのであろうか。

 


貧困層もGO TOトラベルを体験する

 新型コロナウィルスの蔓延により苦境に陥った観光業界を救済しようと政府の主導で始められたGO TO トラベル。

 客足が減って減収を強いられているホテル・旅館等の業績回復に本当に寄与しているのか。

 最大の恩恵を受けているのは利用して旅行に行く消費者、一般国民なのではないのか。

宿泊者はGO TOトラベルにより宿泊代金が最大35%割引となる。

それを負担するのは政府予算、つまりは国民の支払った税金である。

 

 宿泊施設としては通常の宿泊料金のみが収入となる。

 それも宿泊者からは通常の65%しか受け取ることができず、残金の35%は申請してから後日の入金となるために仕入れや従業員への給与支払いなど資金繰りでは窮地に陥ることもあり得る。

 まあ、35%割引を受けられると言うことで普段は旅行になど行かない人々が宿泊を伴う旅行に出かけることで全体の宿泊者数が増えるという事はあろう。

 

 しかし消費者なんて言うのは身勝手なもので、より多くの恩恵を受けようとする。

同じ35%割引なら分母の大きい、つまり高級な宿泊施設を利用しようとする。

通常一泊二食付きで3万円の高級ホテルなら10,500円分の割引を受けられる。

一泊二食で7,000円と言った安さを売りにする家族経営の民宿・ペンション利用なら2,450円分の割引しか受けられない。

より多くの割引を受けようと乞食根性丸出しの利用者は格安民宿・ペンションなど見向きもしない。

 結果的に大きな資本力を持つ高級ホテル・旅館が潤う事となる。

格安民宿・ペンションはコロナ禍における外出自粛期間中と同じか、それ以下の集客しか望めない事態とななる。

 

 また利用者も一泊で2万円程度の宿泊料金を支払うことのできる富裕層が得をすることとなる。

月末で住宅ローンや家賃の支払いをどうしようと、苦境に立ち金集めに翻弄されている貧困層においてはどれ程の割引があろうと旅行など行けるはずもない。

 結局はコロナ禍において何ら打撃を受けず収入が減少することも無かった人々がコロナ特需でこの世の春を謳歌する事態となったのである。

 

 政府の失策を批判するばかりでは仕方がない。まずは自らもGO TOトラベルなるものを体験してみたのである。

 

 

20201027_130746.jpg

外国人観光客もなくゆったりと名勝地をめぐることができた。

 

コロナ禍を考慮して所謂バイキングと言うビュッフェ形式をとりやめ、和食膳が用意されていた。

乞食根性の消費者は喰いきれない程持ってきて平気で食い散らかして去っていく傾向があるので

バイキングなど廃止したらよい。

通常でも1万円のリゾートホテルが更に割引で幸せな気分に浸れた一泊二日。

20201027_181324.jpg

 


宮城県に行ってました

仙台まではあっという間ですね。
大宮からは、新幹線で僅か1時間15分。
そこからバスで1時間ほどの山間の町に行ってました。
留守にしていましたが、先ほど帰ってきました。
帰りのバスを待つ間に、JAグリーンセンターのスーパーマーケットで、オキアミの塩辛と地元産の梅干、イカキムチ、ブルーベリーゼリーを買ってきた。
駅の売店にあるような、お土産用の牛タンとか笹カマボコなんて有名な商品とは違うけど、庶民の味もまた良しなのダ。
東京と同様に兎に角、暖かかった。

明日、26日は麻布の賢祟寺で2.26事件の全殉難者慰霊祭か。
午後1時から。
誰でも参加可能。


大阪に行って来ました。

 もう、大阪行く言うたら、ごっつうプレッシャーでんがな。
3日前から唇の下がむずむずしてきた思うとったら、活火山状態で噴煙あげてまんがな。盛り上がって溶岩、流れまんがな。
 やはり、単身敵地に乗り込む言うんは、難儀なことやなぁ。

 で、16日は新幹線から在来線乗り継いで大阪駅へ到着や。
まあ、どうでもええことやけど、たった一駅やのに駅の間隔が長いわぁ。東京とはえらい違いやなぁ。
 まあ、それはええとして、電車下りてホームからエスカレーターで下るんや。
 はよ行かな、ならんのに前の奴は立ち止まったままや。
「おお、こらボケ、右側空けんかい。立ち止まるなら左に寄っとかんかい」「ホンマ、後ろから蹴りあげたろかい」
って、思うたんやけど、どうもチャウみたいやなぁ。
ここは大阪やよって、東京とは逆なんや。
善が悪になり、悪が善になる。
それが、価値観の転換、革命の第一歩なんやなぁ

 もう、此処から文化戦争が始まってまんのや。
わての周りは100%敵国人や。心して行かなあかんで。
で、敵の包囲網をかいくぐり、大阪駅前第2ビルに到着や。
どこが駅前やねん。駅からは、ようけ歩かされたわ。

 で、まあ「主権回復を目指す会 関西支部」の発足式に参加。
ゲリラは目立たんように会場の一番後ろに潜伏しとったわ。

懇親会は近くの居酒屋や。なんや東京にもようけあるチューン店系やないか。
 関西の活動家ネーちゃんはお色気ムンムンやわ。
ばっちり化粧決めて、太腿ムチムチで、胸元から乳、はみだしてまんがな。東京にはこないなネーちゃんいまへんがな。
 わてのブログ見てくれてまんのやな。
「なんでショーちゃんの悪口書いたんや」「あんなん書いて、ただで済む思うてんか」
もう、えらい剣幕でまともにお話しなんかでけしませんがな。
「わしの書いたどこが悪口やねん。どこがどうして侮辱といえるンや」「死者に鞭打つ?なに言うてまんのや」
もう、言うても無駄や。狂信的な中川ファンやな。このままやったら刺されるしかないわ。
 結局、ここでわしのこと非難しているのはこう言うオネーチャンと、そのお仲間やと判明したわ。
 ほんに魅力的な愛国女性なんやけど、頭で考えるのとは別に、ハートはショウチャンに引っ張られてんのや。56歳の中年オヤジ、恐るべしや。

 で、此処まで書いたら、ようけしんどいわ。原住民の言葉は漢字で変換でけへんのや。
続きは明日にしたろ。
 短期語学留学の成果や。どないや?

 


モンゴル買春ツアーか?

 20日からモンゴルへ旅行してきた訳ですが、ある業界を形成する「協同組合」の視察団に参加したものです。
 30名程の参加者の大半は中小企業のオーナー社長であり、その業界の中でも結構な収益を上げている所謂、「勝ち組」と言われる人たちです。
 つまり、この格差社会において小生とは対極にある人達です。
 小生の海外旅行歴は24歳の時に単身でイラクへ赴任したのを皮切りに、全ての渡航を単独で行ってきました。
 1991年の湾岸戦争以降、イラクを訪問するにあたって訪問団を組織してから団体(数名から30名位)でツアーを組んで渡航する機会が増えました。

 今回のモンゴル訪問を組織した、某協同組合はその業界では経産省より認可を受けた唯一の組合であることを誇りにしています。小生の勤める会社も会員です。
 しかし、その参加者の行状に対しては寒々としたものを感じます。
 初日の夜の夕食後、15人が飲食店に繰り出しました。
気乗りはしないが親睦を図る立場から小生も同行しました。ウランバートルの大学で日本語を勉強しているという、女子大生等が隣に座って接待。
 ツマミはひたすらピーナッツのみ。ビール・ウィスキー・ウォッカ等を飲んで一人1万円。現地の一般労働者の月給が200ドル。公務員でも500ドル程度といいますから、日本の5分の一程度でしょうか。店としては相当にいい稼ぎになったでしょう。
 私は、店を出てから部屋に戻ったのですが、翌朝食の席で聞いたところによると、やはり何名かは、女性をホテルの自室に連れ込む行為に及んでいたそうです。
 一昔前の東南アジア買春ツアーと同じですね。
モンゴルへは観光ではなく商用できている訳で、現地の人々との友好関係の構築も一つの要素ではないでしょうか。
 まあ、現地の女性を通じてモンゴル人との友好関係を構築、といった方便を垂れることもできるでしょうが、小生としては全くそういった気持ちにはなれませんね。
 また、禁煙のレストランにおいては、組合理事長自らがクレームをつけて、ツアー添乗員・現地ガイドに文句を言って、無理やり灰皿を運ばせていたのにはあきれ返りました。
「経済大国」として援助大国の国民だからできる事でしょうか。「エコノミックアニマル」という言葉が記憶の奥から引き出されてきました。

 8年前に台湾認証団として台湾を訪問した際、4人で台北市の歓楽街・林森北路に飲みにいった時などは、店の入り口で「飲むだけだよ。それでもいいかい」と断わって飲食のみを楽しんでいました。台湾との友好関係構築のために訪台しておいて、現地の女性を金で辱めるなどという感覚は持っていませんでした。

 こういった事例は商人と政治活動家の端的な相違点でありましょう。
小生はあくまでも後者であります。
 こういった無益なこだわりがあるがために商売で成功しないのかもしれませんが、それはそれで仕方がないのかもしれません。
「武士は喰わねど高楊枝」、でしょうか。


 小生も聖人君子ではありませんから、男子の欲望と言うか、世俗的煩悩の一切を否定するものではありません。そういうことをするなら、一人で来た時にこっそりすればよかろうに、と思うのです。 

帰国しました

 昨日、モンゴルから帰国しました。初めてのモンゴル。日本人からすると相撲のイメージが先行するくらいであまり馴染みのない国かもしれません。他にはジンギスカン・大草原・ゲルと呼ばれる遊牧民用のテント位しか思い浮かばないのではないでしょうか。
人々は素朴で暖かくもてなしてくれるいい国ですね。
 人口260万人の約半分は首都ウランバートルに集中。交通渋滞が凄いです。加えて道路の整備が追いついていない。首都中心部の幹線道路でもアッチコッチに大きな穴が開いています。

行きは大荷物→帰国はスッキリ
============================
 4泊5日の駆け足旅行でしたが。海外旅行をする際の私流、極意を伝授します。
日常生活で着ている衣類って結構、生地はしっかりしているけどゴムの部分がゆるゆるになったりとか、買ってみたけど気に入らなくて着なくなった物とかってありますよね。
捨てるのはチョットもったいない。
 そういう物を取っておいて、海外旅行のときにスーツケースに詰め込んでいきます。
一日着たら、そのままゴミ箱へ。そうすると帰国するときにはスーツケースの中の衣類は空っぽになります。
 発展途上国ならばルームクリーニングに来たオバチャンが喜んで家に持ってかえり、大事に活用する事でしょう。

蒙古放浪歌

暫く旅に出ます。帰ってからブログの更新を行います。
台風一過のいい青空ですね。
子供の頃は「台風一家」だと思っていました。
台風という家族がが通り過ぎて行った、と。

そんなお馬鹿サンは案外多いのでは。

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM