21世紀書院「新春読者の集い」に参加

  1月27日、横浜中華街の大珍楼にて21世紀書院主催「新春 読者の集い」が開催され参加しました。

少人数ごとの丸テーブルに別れ会食を楽しんだが、話題は能登半島地震の対応と前日に所在が判明した桐島聡手配犯に集中した。

 政治犯ということで立場こそ違えど、体制変革を唱えて私利私欲を越えて行動する姿勢には考えさせられるところがある。

 彼の罪状は1975年に発生した東京銀座にある韓国産業経済研究所に対する爆破事件に絡む爆発物取締罰則違反罪。

同研究所が主催して日本企業の韓国視察ツアーを行ったことに対し、「韓国への進出をやめろ」と主張して爆破した。

 我国固有の領土竹島を奪い、慰安婦/徴用工問題で日本から金を巻き上げるような国に進出するな、との主張でれば我々と同じではないのか。

まあ、当時とは時代背景が違うのだが。

 歓談と共に旨い本場の中華料理に舌鼓を打ち、美酒を堪能しているとあっという間に2時間が経過した。

このような時間と空間を演出してくださった蜷川正大代表と21世紀書院の皆様に感謝致します。


一期会に参加

 令和6年1月15日、博友会から名称を変えた一期会の第一回目の研修会が都内会議室で開催された。

犬塚博英八千矛社代表が主宰し毎月15日に開催している。

 今回は防大を卒業し陸上自衛隊の元陸将である福山隆氏を講師に迎え、前半を国際情勢や現況の社会問題に関して、後半をご自身の歩まれた生涯の軌跡を絡めた人生観/死生観について語られた。

福山先生は現在75歳。9年前に自衛隊を退官し現在は軍事評論家・大学教授として活躍されている。

1997年の地下鉄サリン事件においては現場の除去・復旧作業の指揮を執った経験もあり危機管理のエキスパートである。

 

 現在の日本は地政学上、非常に危険な状況にあり「日米中露の谷間に咲いたひ弱な山桜花」であると表現した。

台湾有事と言われているが、いま中国が金門島を攻撃しても何も得るものはない。有事はあり得ないだろうと分析。

米国は二度と日本が米国の脅威とならないようにコントロールしている。

自民党政権は米国の手のひらの上で転がされているにすぎない。

 

 パレスティナ情勢に絡め日本人とユダヤ人の一部類似性についても言及。

ユダヤ人は金銀財宝を持たない。

ユダヤ人は自らの頭の中に蓄積した知恵こそが財産であると。

外務省に出向し駐在武官として韓国滞在経験の中なら諜報活動に関与。

内情は言えないが国際的謀略活動の渦中を経験されてきた。

いま、韓国人は米国内で民族意識・国威の高揚を図っている。

また米国内ではモスレム勢力が台頭してきている。

同時に黒人勢力が数の上でも台頭。

ブラックとモスレムが一緒になった時に大きな力を持つこととなる。

 

 ウクライナ情勢についても言及。

現在のウクライナ/ロシアは朝鮮戦争時の構図に似ている。

1950年南は釜山に追い込まれたがマッカーサーが仁川に上陸し、翌年38度線で膠着状態。

1953年に休戦協定が結ばれた。

 

 現在の日本は外国勢力によるテロの脅威に晒されている。

コンピューター操作で新幹線は止まってしまう。電力の供給もストップし、日本中が混乱する。

 

 日本ではあらゆる危機に対応が迫られている。

死者32万人を予想する南海トラフ地震

台風・大洪水

コロナウィルスに代表されるパンデミック

国民の高齢化・要介護

などなど。

 

 戦争においては民間人の犠牲者の方が軍人犠牲者より圧倒的に多い。

自衛隊以外の民間防衛力が必要となる。

いま、救国・救命隊を創設する必要がある。

 

 今回の講演については犬塚先生の主宰ということもあり熱の入れようが凄い。

開始時間を一時間半早め前後半に分け、プリジェクターを使用し大きなスクリーンに用意した自前の資料を次々に繰り出し説明してくれる。

 ノートに書き取るのは追いつかない。最前列の参加者はその都度、カメラで撮影している。

上記の記述は小生の拙いメモによるものなので、間違えがあった際はご容赦願います。

これでは3時間半ではとても足りない。各項目ごとの集中講義と質疑応答、そして闊達な議論を交えれば、

三日間(午前/午後)を費やし丁度良いくらいの分量となるのではないか。

 

 

 一期会の参加者は右翼民族派関係者は少数で、むしろ学者や企業経営者、マスコミ関係者など社会問題に精通した一般人が多い。

毎回、参加希望者が増えているようであるが、一期会は一般に開かれた講演会ではない。

 犬塚代表が「知らない人が来ても排除します」と、公言しているくらいで見識と問題意識を有した賢人を対象とした研修会の趣を有する。

賢人でなくとも小生のような初期段階からの参加者なら既得特権で継続参加が可能かもしれない。

「金ならナンボでも出すから一期会に参加できないか」「ぜひ、紹介してくれないだろうか」、という人々が少なくないと聞く。

今後の動向に目が離せないのは公安関係者だけではないだろう。

 

 


三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼「憂国忌」

 三島由紀夫・森田必勝両烈士の自決から53年目の命日となる11月25日、東京都港区の星陵会館で行われた憂国忌に今年も参加した。

  前参院議員(自民党)の中西哲氏が「改憲はいつになるか。防衛力整備を急げ」と題し講演を行った。

 中央大学時代は日学同を経て国防会議を立ち上げるなど民族派学生運動に力を注いできた。

 故郷の高知県宿毛市議から同県議を経て参院比例区で議員を1期務めた。

  その間、国防問題に傾注し現役自衛官との強固なパイプを持つ中で、憲法改正を目指し自衛隊の明記を希求して活動した経緯などを語った。

  国会議員の三分の二、そして国民投票で二分の一を確保できなければ憲法改正は不可能。与党である以上、成立不可能な法案を提出することはできないと体制側に身を置く苦しい胸の内などを語った。

  主催者より自身に与えられた50分という講演時間を寸分の狂いもなくピッタリと消化して終了。これには感服した。

 

 終了後は地方から上京した同志と共に赤坂の街へくだり、安居酒屋・赤札屋で日本酒を傾けて両烈士の御霊に献杯。

名物の爆盛りポテトサラダと海鮮サラダを完食し、野分吹き荒ぶネオン街を家路に着いた。


犬塚博英議長が最期の講師

12月3日(土曜日)憂国青年同盟(山口申会長)の勉強会に出席した。

同団体が加盟する民族革新会議の犬塚博英議長が今年末で退任するので

犬塚議長が講師としては最後となる勉強会となる。

 

長崎大学を卒業し上京して活動家としての生活を送り50年になる。

その間、一度も就職することなく一水会の立上げに参画し、その後は中村武彦先生に師事し八千矛社の代表となり、平成4年の参院選挙では風の会で幹事長を務めるなどした人生の軌跡を話された。

学生時代から街頭に立って創世記の民族派の学生運動を領導してきた中で体得した心得等を教示された。

何のために学内・街頭で演説をするか。学内では同志獲得、街頭においては支援者(資金)獲得。

この目的意識を持って不特定多数に対しての演説・訴え掛けを行ってきた。

 

右翼民族派として喫緊の課題は憲法改正または自主憲法制定。

帝国憲法(明治憲法)の復元改定を唱える人もいるが現実的ではない。

現行憲法が施行されて既に75年が経過する。

帝国憲法が施行されてきた55年間よりはるかに長い期間生きてきた訳で

今更、帝国憲法を持ち出すというのは現実的ではない。社会に通用しない。

自民党が憲法改正に向けて四つの提言をしているが言える人はいるだろうか、と参加者に問い掛けた。

「憲法九条における自衛隊の明記」くらいは言えるのだが、小生を含め残りの3項目を即座に応えららる者はいない。

右翼民族派と称される陣営の質的向上が急がれる、と痛感する。

犬塚議長がスラスラと解説する。

参院の合区解消・教育改革・緊急事態対応である。

自民党案では9条における1項、2項を残したままで3項に追記する形で自衛隊を明文化しようとしている点に関し焦点をむけられた。

 


二・二六事件墓前祭

青年将校と民間人が共に決起し天皇親政の革新国家を目指した二・二六の決起から86年目となる2月26日、正午より港区元麻布の賢崇寺にある「二十二士の墓」にて墓前祭を斎行した。

 

  決意文 (原文は縦書き)

 本日二月二十六日は、昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十六年となる。

 アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。

そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。

年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。

にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。

この状況を座視し続けることは

 天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのである。

その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。

せめて自分たちの決起の趣旨が公の場で開陳できるならばと、武装解除に応じ決起から三日後に投降した。

しかし、裁判は非公開、弁護士は付かない、上告はできないといった暗黒裁判であった。その裁判記録は時代が平成の終焉を迎えるまで八十年の長きに渡り封印され関係者さえも目にすることはできなかったのである。

 

 軽薄なるマスメディアは二・二六事件を語る際、単純に軍部の暴走を許したことが、あの侵略戦争に繋がったと我田引水的に論じるが歴史は全くの逆である。

  当時の陸軍内部における皇道派と統制派の対立軸に着眼するならば容易に判断できることである。

歴史にIF(イフ)は無いと言われるが、この決起が成就し皇道派が陸軍で実権を握っていれば対米融和の流れの中においてあの無謀とも言える戦争は回避されていた可能性が高い。

陛下の宸襟を煩わせしむる重臣を成敗することで、歴史の流れは大きく変わっていたと思われる。

統制派主導の下で勝算無き大東亜戦争に突入し、米国による総力戦の前に我が国土は焦土と化した。

敗戦は避けられぬ事態に陥りながらも国家の指導部は停戦交渉へ向けてソビエトへの仲介を模索していた。世界情勢を顧みない何という愚策であろうか。

 

  米国による総攻撃の下で、米国主導による終戦を阻止したいソビエトは、漁夫の利を狙い我国に近づいていたのである。

 敗戦直前でボロボロとなった我国が身にまとう最後の着衣さえも引きちぎる意図で日ロ不可侵条約というおためごかしの空手形で騙していたのである。

昭和20年8月9日、参戦と言う名の侵略・略奪を許したのは無能なる指導者の読みの浅さもあろう。

領土の奪取に留まらない民間人に対する暴行・殺害・略奪、そして我が同胞婦女子に対する凌辱を忘れることはできない。

例え国名がソビエトからロシアに変更されようとも奴らの性根は変わっていない。

鬼畜にも等しい強欲なる野心を滾らせて、他国の領土を略奪して当然という国民性・残忍性はスターリン以降も国家の指導者に対し脈々と受け継がれているのである。

 

  今般、ウクライナ東部に対し軍隊を進駐させ武力で他国の領土を略奪する暴挙に出てきた。

日本の歴代政権はこのような国家を相手にして話し合いで北方領土を返還させようと考えていたのであるから、白痴状態とさえ言えよう。

 ロシアは一ミリたりとも現行、奴らが規定する境界線を譲る事はあり得ない。

むしろ、北方領土返還を訴える我国に対しては「理不尽な領土割譲要求」と捉え、「不当な侵略的野心からの国土防衛活動」、と称し北海道東部への上陸を開始することさえあり得るのだ。

 

  ウクライナにおけるロシアの侵略に対し国際社会が毅然たる態度で臨む姿勢を欠くならば、この手法が国際社会で認知されたとの誤解を与える事となる。

ロシア支持派、またはロシア系住民が分離独立を叫べばその地域はロシア領土となる。

これを支那が隣接する東シナ海に浮かぶ沖縄県の小島に置き換えれば、どうなるのか。

従来からの人口が少ない小規模自治体を狙い意図的に支那人が大挙して移住しくれば支那人が自治権を要求する。敵わないとなれば武装蜂起を試み、警察力か自衛隊治安出動により鎮圧される。

そこで居留民保護の名目で人民解放軍が進駐してくることは火を見るより明らか。

今はこの事態が国際社会において認知・合法化されるか否かの分岐点にある。

軍隊を持たなければ侵略されない、といった憲法九条崇拝主義者による幻想はものの見事に打ち砕かれた。

三十一年前、湾岸戦争という名の米国によるイラク侵略に際し、米国民の60パーセントはイラクに対する核兵器使用に賛成していた。

 しかし、米国同様に核を保有するロシアに対し制裁とは言え核攻撃を主張する米国民は皆無であろう。

相手国と同等かそれ以上に軍備を持たないことが、どれ程惨めな事か日本人も理解できたであろう。

戦前の軍事力がモノを言ったあの時代がいまでも一部では通用しているのが国際社会である。

形を変えても軍事大国が群雄割拠している弱肉強食の世は今も同じである。

この時代だからこそ、決起将校の至純な魂をから学ぶことがあるはず。

国民の生命・財産を守るのは国の役目である。声高に正義を訴えても力がなければ無力である。

天皇親政の国家を打ち立て、国民が一丸となり挙国体制の下で外敵に立ち向かう時を見据えて本日の墓前祭に臨むものである。

 

令和四年二月二十六日

        二・二六事件墓前祭

        青年将校遺族代表 槇泰智

 

 

 

 

国民儀礼 国歌斉唱・皇居遥拝・黙祷

供物奉納

献花

焼香

決意文朗読

「昭和維新の歌」唱和

一 汨羅の淵に波騒ぎ
  巫山の雲は乱れとぶ
  混濁の世に我立てば
  義憤に燃えて血潮沸く

二 権門上に傲れども
  国を憂うる誠なし
  財閥富を誇れども
  社稷を思う心なし

 

三 ああ人栄え国亡ぶ
  盲たる民世に踊る
  治乱興亡夢に似て
  世は一局の碁なりけり

四 昭和維新の春の空
  正義に結ぶ丈夫ますらお)
  胸裡百万兵足りて
  散るや万朶の桜花

散るや万朶の桜花

 

主催者謝辞

来賓式辞


沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ

 5月11日に靖国神社前の路上で割腹自決された靖国会事務局長の「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」が6月23日に靖国会館で開催され参列した。

http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=2318

 生前の幅広い交友関係から大勢の人々が集まり沼山さんの生前の功績に思いをいたし、その人柄を偲んだ。

 以前は高校の制服を着用した娘さん・息子さんを活動の場に連れてきて手伝いなどを積極的にこなしていたことが思い出される。

そのお子さん方も立派に成人した姿で参列者の前で挨拶していらした。

高齢となった沼山さんのお母さんを助け、社会人としての生活ができるようになったとの安堵の思いが

あったからこそ、令和への御世代わりの時期に合わせてこの挙に及ぶ決心がついたのであろうか。

小生の勝手な推測である。

 

 参列者全員が順次正面の遺影に向かって拝礼し散会した。

 我々一向は靖国神社前の台湾料理屋へ赴きビールで献杯。

活動の場における生前の沼山さんとの思い出などを語りあった。

遠くは種子島の支持者の方からご送金頂いた有難きご厚情を以って

直会を実行させて頂きました。ありがとうございました。


『憂国忌』の意義とは

三島由紀夫・森田必勝両烈士の自決から48年。

東京・星稜会館で開催された憂国忌に参加。

昨年に引き続き主催者のご好意により受付横にて「憂国シャツ」の頒布をさせて頂く。

三島由紀夫研究会の玉川博己代表幹事による開会挨拶。

故人を偲び想い出に浸るのではなく、国家社会の改革のために邁進するための集いである、旨で憂国忌の意義を説く。全く同感である。

 村松英子氏による『春の雪』最期の部分の朗読。高級貴族による恋愛小説を崇高な文学作品としてと聞かせる。繊細な語り口調が心地よい。

「『春の雪』をめぐって」三人のパネラーによるシンポジウム。

元日学同の中西参院議員による追悼講演「憲法改正の時が来た」

 

閉会後に、参院議員氏が憂国シャツを見て若い秘書氏に対し「おまえコレを着てみろ」といって一枚頒布に協力をしてくれた。ありがとうございます。

当方女性スタッフが「議員自身も着てくださいな」

「俺がこんなの着て歩けるわけないじゃないか」、と。

「はぁ?」「そんなことじゃぁ、世の中変えられませんよ」

 

国民の負託を受け命がけで憲法改正を訴えるのであれば、自らが率先して憂国烈士による義挙の精神を世間にアピールして歩くのは当たり前ではないのか。

 

 開会前に冷やかし的に憂国シャツを見ていた市井の年配男性がいた。頒布に協力するつもりはなかったようだが、「ゲバラのシャツを着ている若者は世間に大勢いる。だったら皆が当たり前のように憂国シャツを着て街中を歩いて欲しいんですよ」と頒布の趣旨を説明すると、さほど厚みのあるではない財布の中から3500円を出してくれた。

 世の中には一回言えば分かってくれる人もいるし、百万回言っても分からない人もいる。

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野村秋介追悼二十五年祭「群青忌」に参加

 10月20日(土曜日)午後5時より新宿区の箪笥町区民ホールにて群青忌が開催される。

今年は「野村秋介追悼二十五年祭」となる。

会場の入口でパンフレットのデザインを担当ししたはが里枝さんにお目にかかる。

久しぶりにお会いするがいつまでも若々しく聡明な方。

私の事を覚えていてくれただけでも嬉しいくらいだ。

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 生前の野村さんや当時のニュース報道などを編集したドキュメント映画が上映され25年前の自決当日の事などが映し出される。

全日空ホテルで開催されていた民族派の使命というシンポジウムの最中に「朝日新聞本社で自決」の報が流され、急遽駿河台の日大病院に駆けつけた事が鮮明に思い出される。

 当日はシンポジウムの始まる前に「皇后陛下がお倒れになる」という一報がもたらされていた。お誕生日であるにも拘わらず、ご心痛からかお言葉を失った日である。

当日夜11時からのテレビニュースで野村さんと親交のある筑紫哲也氏が冒頭で「今日は大きな出来事が立て続けに起こりました」と言っていたのが記憶に残る。

 

 終了して表に出ると本降りの雨。直会に参加。蜷川さんの奥様の取り仕切りで旨い酒肴と共に有意義なひと時を過ごさせて頂く。

多くの方々と名刺交換をさせて頂き新たな知己を結ばせていただいた。

その後は犬塚ファミリーの皆様に混じって懇親会。

行き当たりで10人ほどの入れる店を探す。空いている居酒屋を見つけ交渉しているところに面々が顔を出すので二軒とも即座にお断り。

もう閉店ですとか、予約だとか。そりゃぁそうだろう。

あんなジェラシックパークの実写版のような集団を入店させたのでは、どんなイチャモン付けられるか分からないと危惧するのも無理はない。賢明な店主なら断るのが普通だろう。

 チェーン店の串カツ屋で他の客がいない二階席を確保。

 で、飲み始めるとイレギュラーな無理難題が散発。女の子は困惑した顔を見せるも作り笑顔で堪えている。

まあ、店の人も「最初に断っておけばよかった」と思ったでしょうが後の祭り。

犬塚先生を始めファミリーの皆様には大変お世話になりました。楽しい酒でした。

終電のあるうちに中座させていただく。

先ほどのお断りされた店の前を通ると灯りが点いて普通に営業してましたね。

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自裁と自殺の違いや野村さんとの思い出・当日までの軌跡を語る犬塚博英民族革新会議議長

 


日大アメフト部問題の深層

日大アメフト部問題に焦点あて、6月22日(金曜日)に博友会(犬塚博英世話人)開催された。

講師はジャーナリストの伊藤博敏氏。

その模様をレポートした記事が犬塚博英世話人のブログに掲載されましたので以下、転載します。

http://inuzukahirohide.cocolog-nifty.com/blog/

 

 

 6月22日(金曜日)都内において犬塚博英世話人が主催する博友会が開催された。

ジャーナリストの伊藤博敏氏を講師に迎え「日大アメフト部問題で見えてきたもの」と題し講演いただいた。
 今回、世間を騒がせている日大問題はアメフト部に限らずに日大の経営体質からレスリング部、そして神社本庁の内紛にまで及ぶものであり、内情に精通する参加者の意見も聞けるとあって、マスコミ関係者も大勢参加した。
 
 なかなか表に出てこない田中英寿理事長だが、闇社会との関係がクローズアップされている。山口組六代目や住吉会会長とのツーショット写真が出回っている。
この写真がマスコミ各社に流されたが各社は取り上げなかった。敬天新聞社が取り上げたところ記者が何者かに襲われた。
 田中理事長がもっとも懇意にしているのは服役中の高山若頭であり、その付き合いは六代目就任以前の弘道会当時に逆上ると言われている。
 学園紛争が盛んだった時代には全共闘に対抗して体育会を大学防衛やスト破りに使った。
 田中は卒業後日大職員になった。四期続いた瀬在学長の時代に重用され体育局長に出世。
小嶋理事長の後を受けて2008年理事長に就任し4期目。ピラミッド社会を築いた。田中の女房が経営する阿佐ヶ谷の「チャンコたなか」での会合こそが理事会以上の権限を持っているのが現状だという。
 
 伊藤氏の講義を受けて、会場にいた参加者の敬天新聞社白倉康夫社主が犬塚世話人の指名により壇上に登場する。敬天新聞では日大問題に関しては遥か昔より問題提起して、ネット上でも発信し続けていることはその世界ではあまりにも有名。
 しかしテレビ・新聞が表立って接触したり取り上げることができないという稀有な人物。故に変装のつもりか帽子にサングラスで素顔を覆いお忍び風にしての参加であった。
 
 嘗て読売新聞が日大の醜聞を取り上げたが、日大側が圧力を掛けて取り下げさせた。日大が讀賣巨人軍の公式スポンサーとなり事実上の手打ちとなった。
日大の体質は問題が起きれば金で取り込むか、暴力で脅す。それか訴訟の乱発で黙らせるか。こういう大学を許してはいけない。
 
 ここで神社本庁の内紛問題に話が及ぶ。
一見なんの脈略もないように思うが、ここでも日大レスリング部が絡んでくる。
OBであり日本レスリング協会の福田富昭会長は、今般の伊調馨選手へのパワハラ問題という内紛で謝罪したが、根っこはもっと深いところにある。
 福田氏は1996年に日本メディアミックスという会社を設立。『皇室』という季刊雑誌を全国の神社へ直販する事業を展開している。
 神社本庁では昨年、神奈川県川崎市にある職員用宿舎を1億8400万円で売却したが同日に別の不動産会社に2億円で転売され、翌年には大手ハウスメーカーに3億円で転売された問題が顕在化した。
 神社本庁では最初から3億円の価値があることを知った上で1億8400万円で売却していた。その最初の不動産会社こそが日本メディアミックスと同じ建物に入るディンプルインターナショナルであり、社長の高橋恒雄は日大レスリング部における福田氏の後輩ときているのだ。
 この背任的不正を指摘したのが神社本庁内で実質的ナンバー2の総合研究部長・稲貴夫氏であった。これが神社本庁首脳部の逆鱗に触れて解雇された。
 稲氏は現在は解雇無効を求めて民事訴訟を進めており昨年10月に博友会に講師として登壇し、当日も参加していた。
 
 日大アメフト部内田前監督の前任者は17回の優勝に導いた篠竹幹夫監督。
10年間に渡り篠竹監督の秘書を務めてきた白倉社主故、様々なエピソードが紹介され、場内からは苦笑や抱腹絶倒が渦巻いた。
 篠竹氏がアメフト部内に父兄会を作り、OB会にはモノを言わせなかった。
その親が言うことを効かないと部員であるその子供を怒るなど支配体制を確立したが、内田はそれを横から見ていた。
 日大事業部という会社が学内の福利厚生事業を担っていたが、自動販売機の利権を獲得し、値下げするどころか1本10円値上げして暴利を貪るなど、福利厚生とは真逆のことをしている。
 
 田中理事長は乗り気ではなかったが亀井静香(前代議士)が危機管理学部を作らせ、セットで念願であったスポーツ学科も開設した。
防衛省担当だった讀賣新聞記者を危機管理学部教授に招いたり癒着は甚だしい。もう、日大の裏話になると次から次えと止め処なく出てくる。
 
この日大アメフト部問題に絡み内田常務理事の件が明るみにでてきて小生が真っ先に思ったのは母校である東洋大学とソックリなことだ。
 相撲部OBで監督でもあった常務理事(故人)が大学のナンバー2として財務を握り、自分の会社への利益誘導をやりたい放題。
 小生が反常務理事派の急先鋒で校友会総務部長であった部活OBの先輩に呼ばれて、学内の不正を説明された際に真っ先に取り上げたのが、やはり飲料自動販売機利権であった。
従来はない総長という役職を作り塩川正十郎(元官房長官)をそこに据えて、利権漁りのやりたい放題。
 次々と建てられる新校舎建設の業者を指定し、子飼いのOBが経営する設計事務所を通じて裏金の取り放題。元国家公安委員長の権限で犯罪の隠蔽もありと不正の限りを尽くしていたのだ。
小泉内閣で財務大臣に就任したのも東洋大学で蓄えた裏金の力と言われているくらいだ。
 
 日大の田中理事長にしても東洋の相撲部OB常務理事にしても、世間一般からみれば単なる「スポーツ馬鹿」、巨大組織運営に辣腕を振るう程に頭が回転するようには思えないだろう。
ところがそうでもない。相撲協会を見ても分かるが中学卒で角界以外知らない理事長が、協会組織をまとめ外部との交渉を担っている。
 母校における常務理事を見て分かるのだが、脅し透かしはあろうが周囲の人々を手懐ずけたり人心掌握など、自分にとって有益な、言うことを効きそうな人間を見極め旨く取り込むなど人心操縦に長けている。
 人事や財務においても巨大組織を旨く円滑に動かしつつも批判を交わしながら私腹を肥やす術を知っているのだ。
企業が体育会出身者を重用するには理由があるのだ。槇泰智
 
 博友会
正面に右から伊藤博敏講師、白倉康夫社主、犬塚博英世話人

 


憂国忌で鈴木さんに会った

 平成29年11月25日(土曜日)、憂国忌に参加しました。

三島・森田両烈士の自決から47年。

いま、総選挙での勝利を背景に自民党安倍政権は憲法改正を政治プログラムに組込もうとしています。

 しかし安倍氏の目論む改憲とは、三島・森田両烈士が命を投げ打って訴えた憲法改正とは、別な方向での改憲ありましょう。

 アメリカからの真の独立を適えるための改憲ではなく、アメリカの世界戦力に追随するための改憲。

米軍の下請け的立場をより鮮明にするための自衛隊の認知でしかないのです。

 

 当日は主催者からのご配慮により一階エントランスの奥にブースを確保して頂き、憂国シャツの頒布をさせて頂きました。

 憂国シャツの存在をご存じない人も多く、珍しそうに手に取って頒布活動に協力してくださいました。

 義挙から47年の歳月が流れ、若い人の中には三島由紀夫という人物の存在する知らない人もいる事でしょう。

知っていても文学作品からの文学者としての側面しか認知していない人もいるでしょう。

多くの人が当たり前のようにして憂国シャツを着用して街中を歩くことで、描かれたメッセージをより多くの一般人の眼に触れさせ、両烈士による義挙という史実を認識させたいのです。

 中には手に取ってみて「これを着て歩くのは勇気がいるなぁ」と言っていた人もいましたが、何のために憂国忌に足をお運びになったのでしょうか。

 両烈士による義挙の精神を継承する、真の姿の日本を取り戻すという重厚なる使命を背負い、覚悟を以って本日此処に参加したのではないでしょうか。。。などと言ってしまうと一般人の感覚と乖離してしまうので言いません。

 立場や思いは人それぞれでしょう。お部屋に掲げておくだけでもいいんですよ。

憂国忌.jpg

 当日は一水会の鈴木邦男さんが参加すると聞いてました。毎年、参加しておられますが当日はカメラマンを同行しての取材だそうです。

前夜には一水会独自の顕彰祭を開催したとのことですが憂国忌の会場で取材を受けるそうです。

 最近では憲法9条を護る左翼の人たちと行動を共にしているようで鈴木さんのスタンスが理解しがたいところです。

 開始前と終了後にチョット立ち話。取り巻きの人々には私の事を、以前一水会でイラクに行ったんだよ、などと紹介してくれていました。君もまだこうして頑張っているんだねぇ

 

 私は今だって何処に行っても「鈴木邦男の門下生です」と恥を忍んで、、、いや胸を張って言っていますよ。

 一水会自体ががおかしな方向に逝ってしまったんで、私が独自に本来の一水会の運動を継承しているんですよ、

と説明。今の鈴木さんには理解不能かも。

 

 


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