青年将校と民間人が共に決起し天皇親政の革新国家を目指した二・二六の決起から86年目となる2月26日、正午より港区元麻布の賢崇寺にある「二十二士の墓」にて墓前祭を斎行した。
決意文 (原文は縦書き)
本日二月二十六日は、昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十六年となる。
アメリカを発端とした世界恐慌の波は我国にも押し寄せ、経済は疲弊し「大学は出たけれど」と言った流行語が示すように、インテリ階層ですら職にありつくことは困難な社会状況を作り出した。
そこに東北地方を冷害が襲い、米・野菜と言った農作物の収穫は壊滅状態となり農家は収入の途を絶たれた。
年端もいかない娘を身売りせねばならぬ程に農民等庶民階層の生活は危機的状況に陥っていたのである。
にも拘わらず巨大資本家は政治家と結託し、営利至上主義の下で私腹を肥やしていた。
この状況を座視し続けることは
天皇陛下の大御心にも反する愚挙である。天皇親政の革新国家を打ち立てるべく、陸軍皇道派の青年将校が中心となり民間人と協力し決起したのである。
その至純なる精神に裏付けられた決起ではあったが、成就することはなかった。
せめて自分たちの決起の趣旨が公の場で開陳できるならばと、武装解除に応じ決起から三日後に投降した。
しかし、裁判は非公開、弁護士は付かない、上告はできないといった暗黒裁判であった。その裁判記録は時代が平成の終焉を迎えるまで八十年の長きに渡り封印され関係者さえも目にすることはできなかったのである。
軽薄なるマスメディアは二・二六事件を語る際、単純に軍部の暴走を許したことが、あの侵略戦争に繋がったと我田引水的に論じるが歴史は全くの逆である。
当時の陸軍内部における皇道派と統制派の対立軸に着眼するならば容易に判断できることである。
歴史にIF(イフ)は無いと言われるが、この決起が成就し皇道派が陸軍で実権を握っていれば対米融和の流れの中においてあの無謀とも言える戦争は回避されていた可能性が高い。
陛下の宸襟を煩わせしむる重臣を成敗することで、歴史の流れは大きく変わっていたと思われる。
統制派主導の下で勝算無き大東亜戦争に突入し、米国による総力戦の前に我が国土は焦土と化した。
敗戦は避けられぬ事態に陥りながらも国家の指導部は停戦交渉へ向けてソビエトへの仲介を模索していた。世界情勢を顧みない何という愚策であろうか。
米国による総攻撃の下で、米国主導による終戦を阻止したいソビエトは、漁夫の利を狙い我国に近づいていたのである。
敗戦直前でボロボロとなった我国が身にまとう最後の着衣さえも引きちぎる意図で日ロ不可侵条約というおためごかしの空手形で騙していたのである。
昭和20年8月9日、参戦と言う名の侵略・略奪を許したのは無能なる指導者の読みの浅さもあろう。
領土の奪取に留まらない民間人に対する暴行・殺害・略奪、そして我が同胞婦女子に対する凌辱を忘れることはできない。
例え国名がソビエトからロシアに変更されようとも奴らの性根は変わっていない。
鬼畜にも等しい強欲なる野心を滾らせて、他国の領土を略奪して当然という国民性・残忍性はスターリン以降も国家の指導者に対し脈々と受け継がれているのである。
今般、ウクライナ東部に対し軍隊を進駐させ武力で他国の領土を略奪する暴挙に出てきた。
日本の歴代政権はこのような国家を相手にして話し合いで北方領土を返還させようと考えていたのであるから、白痴状態とさえ言えよう。
ロシアは一ミリたりとも現行、奴らが規定する境界線を譲る事はあり得ない。
むしろ、北方領土返還を訴える我国に対しては「理不尽な領土割譲要求」と捉え、「不当な侵略的野心からの国土防衛活動」、と称し北海道東部への上陸を開始することさえあり得るのだ。
ウクライナにおけるロシアの侵略に対し国際社会が毅然たる態度で臨む姿勢を欠くならば、この手法が国際社会で認知されたとの誤解を与える事となる。
ロシア支持派、またはロシア系住民が分離独立を叫べばその地域はロシア領土となる。
これを支那が隣接する東シナ海に浮かぶ沖縄県の小島に置き換えれば、どうなるのか。
従来からの人口が少ない小規模自治体を狙い意図的に支那人が大挙して移住しくれば支那人が自治権を要求する。敵わないとなれば武装蜂起を試み、警察力か自衛隊治安出動により鎮圧される。
そこで居留民保護の名目で人民解放軍が進駐してくることは火を見るより明らか。
今はこの事態が国際社会において認知・合法化されるか否かの分岐点にある。
軍隊を持たなければ侵略されない、といった憲法九条崇拝主義者による幻想はものの見事に打ち砕かれた。
三十一年前、湾岸戦争という名の米国によるイラク侵略に際し、米国民の60パーセントはイラクに対する核兵器使用に賛成していた。
しかし、米国同様に核を保有するロシアに対し制裁とは言え核攻撃を主張する米国民は皆無であろう。
相手国と同等かそれ以上に軍備を持たないことが、どれ程惨めな事か日本人も理解できたであろう。
戦前の軍事力がモノを言ったあの時代がいまでも一部では通用しているのが国際社会である。
形を変えても軍事大国が群雄割拠している弱肉強食の世は今も同じである。
この時代だからこそ、決起将校の至純な魂をから学ぶことがあるはず。
国民の生命・財産を守るのは国の役目である。声高に正義を訴えても力がなければ無力である。
天皇親政の国家を打ち立て、国民が一丸となり挙国体制の下で外敵に立ち向かう時を見据えて本日の墓前祭に臨むものである。
令和四年二月二十六日
二・二六事件墓前祭
青年将校遺族代表 槇泰智
国民儀礼 国歌斉唱・皇居遥拝・黙祷
供物奉納
献花
焼香
決意文朗読
「昭和維新の歌」唱和
一 汨羅の淵に波騒ぎ
巫山の雲は乱れとぶ
混濁の世に我立てば
義憤に燃えて血潮沸く
二 権門上に傲れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思う心なし
三 ああ人栄え国亡ぶ
盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四 昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡百万兵足りて
散るや万朶の桜花
散るや万朶の桜花
主催者謝辞
来賓式辞