憂国忌

今年の野分祭は森田必勝烈士の実家がある三重県四日市市で開催されるということなので、欠席。

11月25日(金曜日)

新宿から地下鉄丸ノ内線に乗車。

戦後すぐにできた地下鉄なので深度が浅く、階段をチョット下りれば乗車ホームに辿りつけるので好きだ。

赤坂見附駅で下車。駅周辺を眺めて目についた「てんや」で500円の天丼を注文。100円追加で大盛り。

味噌汁もついていて、身体も心も暖かく幸せな気分。

 

永田町の星陵会館で開催される憂国忌に参加する。去年は薫さんと隣同士の席だったが、今年はいないみたい。

鈴木さんの姿も見えなかった。

佐藤守元空将等四方による憲法改正に関するシンポジウムの後に、

最近「三島由紀夫が愛した美女たち」を上梓された岡山典弘氏が登壇。

著作の中でも取り上げられていた村松英子女史の三島由紀夫葬儀における弔辞を読み上げた。

本人を前にして著者が読み上げる弔辞もなかなか圧巻。

 

続いて村松英子女史本人が挨拶に立つ。

生前の三島と深いかかわりを持つ人物ならではのエピソードを語る。

「鏡子の家」の本当のモデルは誰か。湯浅あつ子が如何に邪な人間であったかなど、今までの誤解についての裏事情。

決起の後に現役の自衛隊中隊長が、実際の決起行動計画を打ち明けたとか。

彼女もすでに78歳であるから、元気なうちに真相を打ち明けておきたいとの思いがあるのか。

例年の挨拶程度かと思っていたが、かなりの時間を費やして話し出した。

おそらく主催者は時間を気にしてヤキモキしていたのではないかと思うが、興味深い内容だった。

 

毎年、憂国忌を開催される主催者のご苦労は大変なものであろう。

事務局の方,関東晴龍会の方には会場等において多々ご配慮を頂き、ありがとうございました。

出口では最近復帰した早川英男氏に出会い挨拶。

 

帰りは直近の国会議事堂前駅の入り口から入るが、地下深くへ進行し千代田線のホームを端から端まで延々と歩いて丸ノ内線ホームに辿り着く。もと来た赤坂見附駅を経て新宿へ。

星陵会館内では缶やペットボトルの自販機が無く、ノドがカラカラ。西口地下小田急エース内にある喫茶店で一息。

水を立て続けに二杯お替りしてから、スムージーを注文。美味しかったですよ。

このお店ではスパゲティーやサンドイッチなんかも注文できるんですね。

素人っぽい女の子が甲斐甲斐しく接客したりしていて昔風の喫茶店的で、なんか癒されますね。

 


講演会に参加

7月21日(木曜日)新宿のスコールにて朱光出版の阿形会長が主催する講演会が開催されたので出席させていただく。

外交評論家の加瀬英明氏による講演。外務省北米課長として戦艦ミズーリー甲板上で行われた停戦文書調印式に臨んだ父の回想などを交え、1945年8月15日前後の日本の状況を語られた。

岸信介こそが戦後日本の卓越した首相であり、没後120年ということで出版された回想録などを紹介した。

小雨模様の中参集した、大勢の参加者は熱心に聞き入り会場からも活発な質問が発せられた。

参加者全員に夕食が提供され、散会となった。

有意義な講演会を催して頂き感謝申しあげます。


楠公祭

5月25日、下記にご案内を頂いた楠公祭に出席させて頂く予定です
今週の弊会主催による街頭行動はありません。【政経調査会 槇泰智】

【時】平成28年5月 25日(水)
第一部
「太平記勉強会」
講師  犬塚博英
午後5時30分〜午後6時20分(受付開始・午後5時)

第二部
「楠公祭」
祭典  午後7時〜
(受付・午後6時30分)

玉串料  2千円

【所】乃木神社・尚武館(神社社務所2階)

※祭典終了後、北青山に移動し、直会を行います(午後8時30分〜)
費用別途4千円(女性・下戸3千円)

中年市議の「トルコ放浪譚」を聞く

 平成28年5月19日(水曜日)午後6時から新宿歌舞伎町の喫茶店「ルノアール」会議室において
博友会主催で武蔵村山市議である天目石要一郎氏によるトルコ帰朝報告会が開催されたので出席した。
昨年の市議選で市議に返り咲いた勢いで、政務調査費を使っての豪勢な出張扱いかと思ったが、
議会閉会中の連休を使い往復4万円の格安チケットを購入しての貧乏旅行であったと聞き
改めて真摯な天目石氏の人柄が滲み出ていると興味を注がれた。
 48歳にして学生のようなバックパッカー的井手達で一泊2000円程度の安宿を渡り歩いた10日間であった。
今、シリア難民の流入で注目を浴びるトルコ、そして次代においては世界経済を圧巻する大国になる可能性を秘めるトルコ。
この際だから見られるところをトコトン見てやろうという青年の意気込みと好奇心で訪問したものであった。
空路イスタンブールに降り立ち、バスで観光地であるカッパドキア、首都アンカラなどを渡り歩き現地の人々と接触し、
肌で「トルコの今」を感じてきたという貴重な報告会であった。
 アンカラの街では無料のロープーウィイが公共の交通機関として市民の足になっていることに感銘するなど、
日本で唯一鉄道が存在しない「市」の市議として関心を持ったようだ。
日本で言えばsuicaのようなプリペイドカードを持たないとバスにも乗れないということで困っていると
見知らぬ乗客が自分のカードから支払ってくれたとか、長距離バスで予約日を間違えてチケットを購入、
気づかずに座っていると正規の乗客が来てしまい席がなくなってしまったが、バス会社の配慮で
正規の乗客を端っこの席に移動させてそのまま乗車できたなどのエピソードを交え
如何にトルコの人々が日本人に親切に接してくれたかを語ってくれた。
 旅の記念にとアンカラからイスタンブールまで新幹線に乗ってみたが、目玉の時速250キロ走行とは
ほんの束の間であり、大方は在来線と変わりがなかった。
中国の技術を導入した故の劣化性が顕著であったと体感したそうだ。
あらゆるところで中国の影響を受け、街中でも中国人と間違われるほどに中国人の進出が著しい。
日本企業はこれから大いに進出する余地があると実感した、とのこと。
 当日はアラブ問題の専門家である佐々木良昭先生がアドバイザーとして同席し、専門家の立場からコメントして頂いた。
当初、天目石氏のイラク訪問に関しては危険性も指摘していた。
IS志願者と勘違いされて身柄を拘束されるのではないか、と。
トルコがロシアの戦闘機を撃墜したことで、ロシアとの関係が微妙である。
嘗ては国民から絶大な人気を得ていたエルドアン大統領自身が今は精神的にも怪しい状態であり、いつまで持つかわからない、など
シリア情勢、そしてクルド人問題を含めて大変な状況にあると解説して頂いた。
終了後は、昭和の残照漂う「三平茶寮」に移動して、酒食と共に参加者一同が更なる情勢分析に研鑽を積んだのでした。

歌舞伎町区役所通りで講演会

平成28年3月17日(木曜日)
新宿で後援会&食事会
6時の開始時間の直前に到着すると会場はすでに一杯でテーブル席は満員。
所謂右翼・民族派の重鎮と言うか指導者的立場の人々が勢ぞろい。
そんなところに私が後から入っていったのでは様にならない。

産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が「韓国と如何に付き合うか」と題して一時間程の講演を行い、
質疑応答となる。
参加者からは、「日本人が歩み寄っても韓国が今のような態度では、付き合う必要はない」、との意見もでる。
韓国を叩いて中国や北朝鮮の側に行っては困るので、いまはとりあえずこちら(日本やアメリカ)の側に付けておくことが重要、との見解などを示してくださった。

会場のレストランはいつも不条理の会で街宣後の会議&食事会で使用している所であるが、最近では神戸山口組が会合に使用し、六代目側との乱闘騒ぎの舞台になったことで有名になってしまったようだ。
 一部のネット上ではレストラン名が晒されているようだが、当日の参加者の顔ぶれや風体をみると、相変わらずソチラの本職をも圧倒するような人達ばかり。
 一般のお客さんが違和感を持って敬遠するかと言えば、お客さんも出勤前のキャバ譲やホスト風のアンチャンばかりなので、全く空気のような存在となって溶け込んでいるから不思議。
裏手は巨大なラブホ街ときており、まさに不夜城・新宿歌舞伎町を象徴するような異空間なのだ。
 

「二・二六事件墓前祭」を祭行しました。

平成28年2月26日、決起から80年を迎えた当日は朝から抜けるような青空の下で、二・二六事件墓前祭を祭行致しました。
昨年は土砂降りの雨の中での祭行とは対照的な日和でした。
決起の当日は帝都が大雪に見舞われたととの印象をお持ちの方は多いと思いますが、決起部隊と共に写真に映っている雪は前日に降り積もっていた雪の塊であり、当日は晴れていたということのようです。
賢崇寺の墓所に設置されています「二十二士の墓」を訪れる方は多いのですが、墓石の裏側まで確認する方は少ないかと思います。
裏側まで覗き込むのは失礼と思っているかもしれませんが、二十二士の氏名と死亡年月日が記されています。
これを見ますと決起から処刑までの流れの一端も改めて垣間見ることになります。

午後1時からは本堂で行われた仏心会主催の法要に参加しました。
仏心会は一応は「決起将校の遺族の集まり」となっています。
小生も遺族の一人ではありますが、あまり歓迎されていないようです。
法要後、近隣の蕎麦屋において直会を行いました。

祭行に際し、多くの方々から浄財をお送り頂きました。
ありがたく使わせて頂き、無事に祭行し80年目の新たなる決意を示してまいりました。
此処に改めて御礼を申し上げます。
     
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                                                    決意文

本日は昭和維新運動の中核を成すに二・二六事件の決起から八十年目となる。

昭和四年、ウォール街での株価暴落に端を発した世界大恐慌の波は我国にも押し寄せた。
アメリカへの輸出に依存していた生糸の輸出が急激に落込み経済は一気に冷え込んだ。
都市部では企業倒産が相次ぎ「「大学は出たけれど」、との言葉が示すように街には失業者が溢れた。

追い打ちをかけるように三陸津波、そして東北地方を襲った冷害によって農業は大打撃を受け、東北地方では一家の生計を立てるために娘を遊郭などに身売りする事態となった。

時の政府は無為無策のまま経済は疲弊の一途。
そして、財閥・資本家は
社稷を顧みることなく政治家と結託し己の利益を収奪することに奔走し、民は安価なる労働力として酷使される状況にあった。

斯くの如き状況にあって、国民を救済すべく民間人と陸軍青年将校が立ち上がったのが八十年前の本日未明であった。

天皇親政の下で国家の革新を図る事を希求したものである。

天皇の宸襟を悩ませ奉る君側の奸を成敗することを目的とした決起であった。

蹶起に参加した末松太平大尉は後に「軍服を着た百姓一揆であった」、と表現している。圧政に苦しめられる庶民の側に立ち、逆賊となる事も恐れずに現状打開を目指したものであった。

現在の世情もまた、形を変えて庶民を苦境に陥れて憚らない政府・財界のありかたが問われてしかるべきである。

自由主義経済の下で規制緩和が進むことで格差社会という歪が生じている。
いくら努力しても決して現状の貧困から抜け出すことができない層が存在する。
下流老人なる言葉が横行し、弱者が徹底的に虐げられる社会は、農村の娘が身売りに出される当時の様と何ら変らないではないか。

企業は生産の拠点を海外に移し産業は空洞化の一途。

食糧自給率は四十%を切り、海外で生産した物でほとんど全てが賄われているのが現状。

人手不足の外食産業では海外で加工・輸入した食品を電子レンジで温めて皿に盛って提供するだけ。
これでは十年間継続勤務したとて労働者には何ら技術が身に付くはずもなかろう。

正社員と同等に勤務しても年収200万円台の非正規雇用若年・壮年層が巷には多数存在している現状を財界は如何に見ているのか。

貧困を原因とした子供の学力低下。それに起因する非行と犯罪。

その子供から産まれてくる子供の更なる無教養の連鎖。

多様なるライフスタイルと称する中での離婚件数の増加。
そして片親世帯による生活保護申請の急増。

母親の再婚相手・内縁の夫による子供への虐待・殺人の横行。

現体制・財界が望んだか否かは別にして、結果的に過度な自由経済・規制緩和と海外移転、そして多様な価値観の許容が社会を狂わせているのである。

二・二六事件の決起においては君側の奸たる重臣を斃す事が目的であり、その後の具体的国家改造の計画が示されていなかったと言われている。実際はいかばかりであったのか。

一部では蹶起に関わっていたと目されていた皇道派の重鎮たる荒木貞夫大将、そして真崎仁三郎大将は司直の手にかかることはなかった。

原隊復帰・武装解除の命に従ったのは公の場において自らの信条を開陳する機会が与えられると信じたからである。

しかし、此処「二十二士の墓」に眠る烈士に対する審判は非公開の暗黒裁判にて行われた。

裁判記録は未だに東京地検の地下倉庫に保管されたまま一般には非公開となっている。

我々は過去の敗北から学習する能力を身に付けて、来るべき平成の国家革新運動を成就に導かなければならないのである。

現体制の為政者・財界指導者に対する処断の手法、その後の国家統治等課題は山積しているが、これらを一つ一つ乗り越えて平成の維新を現実のものとすることを此処に改めて決意するものである。

平成二十八年二月二十六日

二・二六事件墓前祭実行委員会
               決起将校遺族 代表


憂国忌と野分祭

 毎週水曜日に実施している街頭行動であるが、11月は4日(第一水曜)の六本木・シナ大使館、11日(第二水曜)の南朝鮮大使館・二の橋以降、休止している。
その替わりというのではないが18日(第三水曜)は17:30から板橋区内で開催された博友会に出席、25日(第四水曜)日は18:00から永田町の星陵会館で開催された憂国忌へ参加させて頂いた。
 
日々生活の糧を得るための業務に従事している都合上、一日の全てを活動に費やすことが困難な状況をご理解頂ければ幸いです。
本来ならばこの国家革新運動を発展・成就させるためには、粉骨砕身・全身全霊を賭して活動に従事すべきところでありますが、未だその状況にはありません。
今現在の最低限の食い扶持を確保した上で地固めを行い、時が熟した時に一気に大勝負へ突入するものです。
憂国忌.jpg憂国忌にて三島由紀夫との交流を語る楯の会1期生の武井宗行氏
 
水曜日以外には定例の第三土曜日である21日は13:00から新宿駅東口で実施されている「社会の不条理を糾す会」の街頭演説会に参加、24日(火曜日)は14:00から多磨霊園の平岡家墓前にて催行された野分祭(のわきさい)に参加させて頂きました。
野分祭.jpg多磨霊園にたたずむ平岡家の墓所を前にして野分祭が営まれている

  蹶起当日の11月25日に三島由紀夫追悼の「憂国忌」が開催されているのは有名ですが、
決起前夜の心境を共有するということで行われているのが三島由紀夫・森田必勝両烈士を追悼する野分祭です。
私も過去数年に渡りこの式典の齋行を司ってきましたので思い入れとしては野分祭に対し親近感があります。
楯の会一期生であった伊藤好雄さんが実行委員長を務め、新右翼団体であった一水会の人々が主体となり会を運営してきましたが、
あくまでも野分祭実行委員会による主催でありました。
が、昨年より一水会からは完全に離れ、伊藤実行委員長の下で「三島森田事務所」が主催する野分祭となりました。
都内を離れ府中市の多磨霊園にある平岡家の墓前にて神式の追悼際を行っています

  一水会は昨年から単独で都内で「三島由紀夫・森田必勝顕彰祭」を開催しているようです。
形式を考えれば実質的にはこちらが従来の野分祭が名称を変えて継続しているようなもの、と見ることができるかもしれません。
近年における一水会の二枚看板である鈴木邦男・木村三浩両氏による右翼民族派としては看過せざる所業・発言が、命を懸けて決起した三島・森田精神に反するということで
運営主体から外れてもらったということのようす。
   ただでさえ憂国忌と野分祭という別開催であったものが更に分裂したと見られないこともない状況となりました。
ただ、憂国忌と野分祭は開催の趣旨が異なる訳ですから、分裂状態というのとは違います。
憂国忌は純然たる三島由紀夫追悼であり、著名なる文壇の文士・財界人も発起人に名を連ねるなど保守的色彩があります。
一方の野分祭は三島と共に若干25歳で命を絶った森田必勝に対する思いを強く抱き、当時一緒に活動した楯の会メンバーなど民族派学生運動に従事していた人々が主体となっています。
  両烈士の義挙から7年後の昭和52年伊藤好雄氏が隊長となり野村秋介氏等四名で営利至上主義の総本山である経団連を攻撃・占拠したことは有名です。
よって、野分祭には武闘派新右翼のイメージが付き纏います。

 「単に烈士を追悼し懐かしむものではなく、彼らが檄文の中で訴えたが成し遂げられなかった憲法の改正・自衛隊の国軍化を現実のものとして実現する。そのための原動力としてわ我々はこの野分祭を行っています」
私が司会進行を務めていた20年程前には式典の冒頭で参加者に対し開催の趣旨を説明してきたものです。
今はどうだかわかりませんが、そのような趣旨で野分祭が発足したことは間違いないでしょう。

 森田必勝辞世の
「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」
から命名されたのが野分祭です。
 今日、私は蹶起します。国の為に命を捨てる覚悟です、
  自分の想いをわかってくれるのは野分だけだろうか。
 私なりの解釈ですが、三島由紀夫・楯の会隊員と共に体験入隊した自衛隊において全速力で駆け抜けたあの富士演習場。
富士の裾野を疾風の如く駆け抜けたあの日に思いを馳せていたのではないでしょうか。
 自分の今の心境を分かってくれるのは、冬の訪れを告げて荒涼たる原野を吹き抜けていく冷たい野分だけなのか。
そう考えると悲しい句に思えるのですが、実際は違います。
 最後の「野分のみかは」というのは、野分だけだろうか。いや違う。
自分の思いは皆が分かっているはずだ。この思い・決意を現実のものとする為に後に続く人々がいるに違いない、という希望に満ちた辞世であります。
 そういった森田必勝の思いを踏みにじる訳にはいかないのです。
両烈士、とりわけ森田必勝の精神を継承するということは、この戦後体制打破という社会変革を成し遂げることでしか実現しないのです。

博友会報告@7月17日

平成27年7月17日(金曜日)午後6時からなかのゼロ・学習室で開催された博友会に出席しました。
民族革新会議議長であり、元・一水会副代表である犬塚博英氏が代表世話人を務めるする勉強会です。
マスコミ関係者の出席が多い中、右翼・民族派の活動家も多数参加して研鑽を積んでいます。
今回の講師はカメラマンの宮嶋茂樹氏

以下は、会の案内文です。
「戦後70年を考える」シリーズ第3弾!
 不肖・宮嶋でおなじみ カメラマン・ジャーナリスト宮嶋茂樹先生が登壇!
今回、ご登壇いただく宮嶋茂樹先生は、世界中を駆け巡り、戦闘・紛争地帯の取材や大災害の記録、また自衛隊の活動などを広く報じてこられました。これらを通じて見えてきた「戦後70年」とはいかなるものなのでしょうか。
『産経新聞』ほかのコラムでは、靖国神社への篤い崇敬の念や英霊に対する思いなどを多く書かれ、『正論』6月号には、連載の「不肖・宮嶋の現場」のなかで、先ごろ硫黄島で行われた「戦後70年・日米合同慰霊祭」への参列、以前にはその硫黄島の壕内で一夜を過ごされたことなども記されています。
 安保法制は、前時代的な「平和論」のまえに混沌としています。このような時に、私たちはまず、机上の空論ではない、現場で感じた生の声から学ぶことが大切なのではないでしょうか。皆様のご参加をお待ちしております。
 博友会事務局
 
 開会の冒頭、犬塚世話人から宮嶋氏に対する紹介があり、赤尾敏写真集・野村秋介写真集を出版したことに触れ、この両者を呼び捨てにできるのは日本広しと言えども宮嶋氏くらいしかいないだろうと、絶賛。
 大日本愛国党の赤尾総裁については亡くなるまでの10年間に密着して被写体として撮り続け写真集を出したが、2000部のうちの1000部は自身で買取り、車に積んで全国の右翼団体に売り歩いた。
今ではプレミアがついて古本屋で何万円もしている。
 人物の写真集を出したのは野村氏と二人だけ。
野村氏は自身の最期を見据えて宮嶋氏に撮影を依頼した。
その意図が分からないまま撮り続けたが、後味の悪いものとなってしまった。
もう二度と人物の写真集は撮らないと決めた。
 今では制服姿を撮らせたら右に出る者はいないと言われる宮嶋氏。最近では現職自衛官を被写体とした「国防男子」「国防女子」が巷に出回っている。

 講演では主に硫黄島における遺骨収集・慰霊について写真を映しながら語って頂いた。
20年前の初上陸から今回の上陸まで硫黄島とそれを取り巻く社会情勢の変化のなどを語って頂いた。
 講演そのものよりも質疑応答に対してもたっぷりと時間をとってあったので、会場との会話形式で興味深い話などを聞くことができた。
 兵庫県出身の宮嶋氏故、いつもの関西弁で話が聞けると思っていた人もいたのだが、
アノ女性国会議員(具体的に「辻元」とは言わない)による品のない関西弁を聞いていると関西人であることが恥ずかしくなる。
だから今は関西弁は使わないようにしている、と。
 宮嶋氏関連で検索すると、最近の女性国会議員のスキャンダル・体たらくには辟易しているご様子。
女性は政治に向いていない、と言われる状況を女性自身が作っているとも。
 家庭が裕福ではなかったので日大芸術学部写真学科への入学は大変だったそうで、父親は「頼むから地元の大学へ進学してくれ」と懇願したそうだ。
そうしていれば今の不肖宮嶋は世に出なかったことになる。
 バイトしながら学費を稼いで大学に通うよう、なんてこはできないようにシステム化されているのが、日芸の特徴。裕福な家庭の子息子女の集まりなのだ。
 写真家として独り立ちするには、まず女の紐になる。飯が食えるようになったらその女を女房にする、というのが鉄則のようです。
が、宮嶋氏は離婚再婚してますね。

 終了後は「あづさ」にて直会。何故か目の前のカウンターには「丸真正宗」の一升瓶が。
そうです、こういう底辺の酒が良いんですよ。
昌子女将は「飲んだ後に口の中に苦味が残る」とあまり高評価ではない。
なんたって北区は岩淵で作っている酒ですから。23区内に蔵元がある唯一の酒だ。
水の旨い所で良い酒が作られる、となれば荒川の下流域で旨い酒ができる訳がない。
こういう後味がすっきりしない酒を、堪えながら飲むからいいんです。
まず、飲みすぎることがない。適度に節制ができる。
二十一世紀書院の蜷川正大先輩も参加して
その後は清水橋の寿司屋にお世話になる。
慢性的な手元不如意により、いつも人様の世話になってばかりで恐縮です。
胸襟を開き本音で語らうことができ、旨い酒を頂きました。
店を出てからは記憶も確かで、タクシーを拾いしっかりと家路に着きました、
がその後の記憶がない。どうやってシャワーを浴びたんだろうか。
朝、気が付くと裸で寝ていました。

「沖縄県民は米軍駐留を望んでいる」、@博友会

 6月19日(金曜日)なかのゼロホールの会議室において博友会が開催された。
激しい雨が降る付ける日ではあったが、36名の参加者が熱心に話に耳を傾けた。
前回5月は主催者の犬塚博英氏が講師となり民族派活動家としての自らの半生を語った有意義な内容であったが、
今回は産経新聞編集委員であり、近年まで沖縄支局長を務めていた宮本雅史氏を講師に迎え、
沖縄支局長として現場で基地問題に対峙し、反対・賛成双方の県民と関わってきたというこれまた実体験に基づいた
自身の経験からくる貴重な話を聞くことができた。
 そこには産経新聞紙面における主張に直結する見方があり、朝日だけを読んでいる人間なら目から鱗と言う話が随所に盛り込まれていた。
 
 つまり、沖縄県民すべてが米軍駐留に反対しているかの如き報道は事実でないと。
8割は米軍駐留に賛成している。そして、普天間基地も移転してほしくない。
しかし、実名や写真がでてしまうと賛成とは言いづらくなる。
 米軍がいてくれれば沖縄には沖縄振興策というお金がはいってくる。
 地主には借地料がはいってくる。その土地代は自己申告である。
 土地を国が買い上げるという話が出たが地主は反対した。貸している方が毎年値上がりするから地主には有利である。
 駐留米軍が雇用の受け皿になっている、などなど。
自治体・企業・業界は国からお金をもらっても、もう使い道がない。
地主には30億円もの資産をもっている者もいる。
 
 従来、沖縄県知事が東京にやってくると関係閣僚が、その都度お詫びをする。
沖縄戦に対するお詫び。日本復帰が遅れたお詫び。多くの米軍基地があるお詫び。
大田実中将による最後の電文の末尾にある

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

の「御高配」とは今、ここで実現されていることになる。

これは他の都道府県知事と国との関係とは異なる。

沖縄はひとつの国家であり、国内でありながらまさに外交関係にある、ということになる。

 
 講演の中で近年のシナによる尖閣諸島接近の問題についても多少は触れたものの
私が聞きたかった沖縄における米軍基地集中の必要性に対する言及が乏しかったのは時間の関係上仕方なかったろう。
ただ、米軍駐留を求める沖縄県民の実態について多くを語られると、なんだ結局は金が目当てなのか、ということで安全保障への視点が遠のいてしまう。
米ソの冷戦構造化、ソビエトを仮想敵国と捉えた最中であればむしろ北海道に米軍基地が集中してしかるべきところ。
戦後一貫して沖縄が米軍の犠牲、といって言いのか集中する所となった明確なる位置づけを日本人は真剣に考えるべきであろう。

犬塚博英氏 3時間独演会@博英会

 5月26日(火曜日)、なかのゼロホールにて博友会(ばくゆうかい)が開催された。
民族革新会議の犬塚博英議長が中心となった勉強会。
 今回は外部から講師を呼ばず、犬塚議長自らが講師となり
【「我が半生を語る」〜恩師・中村武彦先生歿10年の楠公祭を終えて〜】、
と題し3時間に渡り、自らの民族派活動家としての経験や処世術を語ってくださった。
 昨年末に喉頭癌と診断されたと聞いた時は、これで日本の戦後民族派運動が終焉するのではないかとの危機感を持ったものだが、
何とか生還しされ、今も活動の第一線に立っておららることを安堵しながら講話に聴き入った。
 これほどまでに卓越した人格を備えた人物はいないといった恩師・中村武彦先生の人となりから話しは入り、
いままで培ってきた知己による幅広い交友関係について語られた。
 政治家・財界人・右翼関係者など、その世界の錚々たる人物との付き合いや、そのきっかけに渡るまで自らの処世術を惜しげもなく披瀝された。
 一般人においてはどのように感じたかわからないが、民族派運動において活動家の末端にぶらさがる小生にとっては勉強になると共に、心地よい智の吸収のひと時となった。

 当日の参加者も30人以上いたのではないか。
外部から招聘した講師の時以上に熱気に満ちた勉強会となった。

 終了後は、縣昌子女将の「あずさ」にて懇親会。
此処では4月に大吟醸だかの旨い酒を頂いて、その後の転戦を経て記憶が亡くなった経験がある。
最近はフルーティだとかワインみたいな口触りを売りにした高級な日本酒が流行っているが、
こんなものを飲んでいたひには、歯止めが効かなくなる。
「旨い酒を飲むな。苦い酒を堪えるようにして喉に流し込め」
これが小生の人生訓。
大衆酒場で1合250円位で提供しているような安い酒が今の小生には合っているようだ。


<6月度「博友会」>
【時】平成27年6月19日(金)午後6時〜9時
【所】「中野ゼロ」学習室 東京都中野区中野2-9-10 電話03(5340)5000 (JR又は東京メトロ東西線「中野駅」南口下車 徒歩8分 南口から線路沿いに新宿方面に向う、中野区役所等の公共施設群「西館」) 【講師】宮本雅史先生(産経新聞社・編集委員)
【演題】「戦後70年を考える〜沖縄そして特攻」
【会費】2千円(学生・女性・高齢者は1千円)〆

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