急遽、臨時の尊攘義軍祭が斎行される

平成29年3月15日(水曜日)午前11時、港区の愛宕神社において尊攘義軍祭が執り行われた。 

 

 大東亜戦争の終戦に際し、降伏に反対し徹底抗戦を主張していた尊攘同志会が、昭和20年8月16、17日に木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城した。

 特高が解散の説得を試みるも、篭城した尊攘同志会の10名は、22日の午後6時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決した。

そして、五日後の27日、尊攘同志会自決現場で夫人二名が夫のあとを追ひい拳銃自決。この12名が「尊攘義軍十二烈士女」であり、境内に弔魂碑を建立して毎年、8月22日に尊攘義軍祭が執り行われている。

 

 今般、愛宕山山頂の再開発により弔魂碑が移設されることとなり、御霊抜きを兼ねて、臨時の義軍祭が執り行われた。

 ゼネコンによる急な開発計画に合わせ、犬塚博英代表の下で急遽計画されたものであり、呼びかけに呼応した少人数による関係者によって執り行われた。

 僭越であるが小生が進行を務め、国歌斉唱に始まり一同が弔魂碑の前で厳粛なる神事に臨んだ。

横山孝平氏によって天津祝詞(あまつのりと)を唱えられ、全員で「尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅」の四誓願奏上(よんせいがんそうじょう)を唱え、海ゆかばを唱和した。

 民族革新会議・山口申代表と共に一同が参拝。聖壽万歳を唱えた。

犬塚代表が謝辞を述べられ、若島和美氏の献杯で幕を閉じた。

 

 十二烈士女による壮絶なる最期を次代に伝える弔魂碑の存在は事件から72年の歳月を経た今も色あせることはない。

早朝から時々氷雨が降り注ぎ底冷えする山頂において、足許が安定しないぬかるみに立ち、参加者一同十二烈士女の功績に思いを馳せた。

その後、移設予定地である境内・拝殿横の敷地において施工業者である安藤ハザマの松永所長より丁重なる説明を受けた。

自決現場からは若干離れるが、事件の全容を書き記した銘盤などを設置して後世への継承を図ることを確認し合ったのである。

 

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終了後の一行はニュー新橋ビル地下にある、「橙」に移動して直会。

サラリーマンの聖地にて昼間から大量のアルコールを用いて日頃の穢れた魂の洗浄を行った。

 森友学園の騒動に話が及ぶが、犬塚代表、野村秋介門下代表の蜷川正大氏と言った右翼民族派の重鎮は声を揃えて

「自分の子供ならアノ塚本幼稚園に通わせたたいとは思わない」、ということで一致。

あの籠池氏に本当の愛国心が備わっているとは思えない、と。全く小生の想いと同感であった。

 

幸か不幸か小生は車を運転してきたため、トンカツ定食などを頂いて3時過ぎに中座させて頂く。

皆さんはその後もダラダラ〜グダグダと居座っていたと予想させる。

お世話になりました。

 


尊攘義軍顕彰会・弔魂祭

毎年8月22日には尊攘義軍祭が斎行される港区の愛宕神社周辺であるが、再開発が急ピッチで展開されている。

標高23メートルと都内にある自然山としては最高峰であり、山頂に愛宕神社がある愛宕山自体もその対象となっている。

弔魂碑と石碑を設置して十二烈士女を祀った自決現場も再開発の対象として、弔魂碑等の移設を余儀なくされている。

移設されるにあたり、弔魂祭を実施するということで、犬塚博英尊攘義軍顕彰会代表より案内状を頂きました。

一部を転載致します。小生も参加の予定です。

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二つの石碑を除いて周辺は木立も伐採され更地状態となっています。

国旗掲揚塔なども引き抜かれ瓦礫と化しています。

 

 

愛宕山近辺の大規模開発が着々と進み、愛宕山山頂も整地が進んでいます。
今月初めに境内工事の地鎮祭や弔魂碑の清払いが行われたようですが、境内拝殿隣に移設する前に「尊攘義軍顕彰会」として臨時の弔魂祭を執り行いたく存じます。
平日午前中ですが、義軍顕彰に格別のお力添えを戴いて参りました各位にご参列賜ればまことに有り難く存じます。
尊攘義軍臨時弔魂祭
【時】平成29年3月15日(水)午前11時〜
【所】愛宕山山頂「弔魂碑」前
尊攘義軍顕彰会 代表 犬塚博英

 


処刑から80年、献花と焼香

 7月12日は二・二六事件で決起した青年将校15名が代々木練兵場で銃殺刑に処せらてから80年となります。

先月93歳で他界した母の従兄である林八郎少尉もその一人です。

栗原安秀大尉と共に首相官邸に岡田啓介首相征伐の任を負う中で、50名の兵を卒いて裏口から突入したのでした。

 21歳と言うことで処刑者の中では最年少でありました。

林少尉に限らず多くの処刑者は未婚でありましたから、遺族と言っても直系の子孫は少なく、私のような縁戚のものが遺族として、彼らの意思を継いで行くことになりましょう。

 2月26日のような墓前祭は行いませんが、当日は慰霊塔に対する献花・焼香を行い、彼らの意思を継承する国家革新運動の成就に向けた新たな誓いを胸に刻みたいと思います。

 

 母が中学に入学した頃、任官したばかりの林少尉が母の実家である青柳家を訪れた際に、久しぶりに母を見て成長した姿がわからずに「あの子、誰?」、と聞いていたそうです。

 それが林少尉を目にした最後だそうです。

 処刑の日に、息子の遺体を引き取りに刑場に向かう林の叔母さんに、妹である私の祖母(母の母)が付き添って、出掛けて行くのを母は見ていたと言いますから、まさに歴史のひとコマでありましょう。

 遺体は全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、顔を識別する事さえできなかった言います。

事件そのもの全てを闇に葬りたい軍部の意向が現れています。

 

 


植民統治・侵略に対するお詫び

  我国による朝鮮半島統治や大東亜戦争が侵略行為か、と問われた時に
この21世紀という現代の価値観や世相をもってすれば「侵略」「侵略戦争」と言われても致し方ない面があることは否定できない。
現代のような民主主義の下で国策が決定されたわけでもない。
東南アジアに対する軍隊の進駐とて、「大東亜の解放」を謳ってはいても相手国の民意に則っての進駐ではない。
尤も、独立していない国の人々が国家の決定として日本の軍隊を受け入れると言った決定をくだせるわけもない。

「欧米列強のる力による支配から解放する」、とは日本の身勝手な論理であり、国土が戦場となり無辜なる市民が犠牲になって、結果的に独立を果たした国が多数存在した訳であるが、「奴隷としての平和」を享受するという選択肢もあったはずである。
「日本が独立させてやった」とは、侵略戦争との誹りを払拭したいがための方便ではないのか。

しかし、世界を取り巻く価値観や情勢は現在とは比較にならない前時代的な様相を呈していた。
植民地支配という侵略することが悪ではなかった、という史実がある。
17世紀以降、欧米列強が勝手に敷いたルールに則って力のある国が無い国を屈服させて、国威を発揚させることが当たり前だった。
いま、この平和な世の中においてその価値観において、日本だけが支那・朝鮮に謝罪をし続けることは妥当ではない。
反省を言うのであれば、「何故日本が植民地支配を行ったのか」「何故、日本が軍隊を進駐させたのか」
アフリカや中南米における欧米列強の例をひも解いて近世・近代の世界史を検証して説明しなければならない。
敗戦国だから許されない。ならば戦勝国となれば何をやっても許されるのか。
良い例が支那による軍拡路線がそれである。
フィリッピン・ベトナムし対する現在進行形の侵略行為を野放しにできるのは、軍事力の背景があるからに他ならない。
また、米ソ冷戦以降における米国による世界一国支配、湾岸戦争・イラク戦争をどのように評価するのか。

安倍首相が談話の中で、日本の植民地支配・侵略を反省したいのであれば、堂々と当時の時代背景にまで踏み込んで言及すべきなのである。






 

ひざまずく鳩山元首相

時事通信 8月12日(水)19時58分配信

12日、ソウルの西大門刑務所の跡地にある歴史館で、独立運動家らを追悼するモニュメントの前でひざまずく鳩山由紀夫元首相。


二・二六事件

7月12日。二・二六事件決で決起した青年将校が代々木練兵場で処刑されてから79年目の命日。
今年の慰霊祭は内輪の関係者で行いますので、この場で予定を公表するものではありません。

ドイツと日本ではやったことが違うでしょう。

過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目である」、と言葉を残したヴァインゼッカーが大統領を務めたドイツから、メルケル首相が来日し、講演を行った。
同じ第二次大戦の敗戦国である立場からか、ドイツが過去と向き合ったことで国際社会から受け入れられたこと。
隣国・フランスとの和解を引き合いに出して、日本がシナ・南朝鮮と対話を持つことの重要性を訴えた。

 なにか勘違いをしているのだろうか。
ドイツが行ったのはユダヤと言う一民族を抹殺するという文字通りのホロコーストを実践した結果、戦争犯罪として裁かれ断罪され過去と向き合って謝罪したのです。
日本が同様の、またはそれに近い戦争犯罪を行いましたか。
 西欧列強が引いた弱肉強食社会の荒波に揉まれるなかで、人権や民主主義の概念も乏しい国際社会において生き残ろうとした結果、現在的価値観においては「侵略」と捉えられても仕方のない愚行があったということでしょう。
 また、日本の隣国にはフランスのような近代国家は存在しないのです。
華夷思想に塗れたシナと、事大主義の下で恨(ハン)の思想を文化する南朝鮮が存在しているのです。
謙譲の精神で寛容さを以て接することが、良い結果をもたらすものでなはない。
日本が頭を下げれば下げるだけ、「自らの悪辣非道を認めている」と、理解され延々と賠償と謝罪を要求されるだけなのです。
欧州の人から見れば日本人もシナ人・朝鮮人も一緒なのでしょう。
大国・ドイツの首相として民族性の違いを見極めて頂きたい。

昭和7年シナの提訴により国際連盟調査団の団長として来日したリットン卿は、日本で各要人と会見を持った。
その中で犬養毅首相についてはあまり強い印象がないものの、荒木貞夫陸軍大臣の話しを聞いて日本人というものが理解できた、と語っていた。
「あなた方ヨーロッパの人々は日本人とシナ人を同じように見ているでしょうが、両者は根本的に違うのです。何か問題が発生した時に日本人はお互いに話し合って解決しようとする。しかし、シナ人は大声を上げて誰でも良い、通りがかりの人を呼び止めて仲介をしてもらおうとする」



「和解には過去直視を」=対話の重要性強調―独首相

時事通信 3月9日(月)15時36分配信

 来日したドイツのメルケル首相は9日、東京都内で講演し、第2次大戦中に関係が悪化した周辺国との和解には「過去と向き合うことが重要」との認識を示した。
 首相はナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)にもかかわらず、ドイツは国際社会に受け入れてもらう幸運に恵まれたと指摘。「ドイツがきちんと過去と向き合った一方、連合国が過去を克服するドイツを見守ったからだ」と強調した。
 また、不倶戴天の敵だったドイツとフランスの関係が和解から友情に発展したのは「両国民が歩み寄ろうとしたところから始まった」と語り、隣国との対話の重要性を訴えた。ただ、日本と中国や韓国との関係については「アドバイスする立場にはない」と述べるにとどまった。
 首相は講演で、過激派組織「イスラム国」による日本人人質殺害やフランスの連続テロに言及。これらの事件は「自由や寛容に対する信念を妨げない」と力を込め、日本と手を携え、テロに立ち向かう考えを表明した。 


「後に続く」、の精神

 

 決起した青年将校に対する銃殺刑が執行されて78年目の7月12日、

渋谷のNHK放送センター前にある「二・二六事件慰霊像」の前で慰霊式典を催行した。

一般道路の歩道上に面した慰霊像。特に広場のようなスペースが設けられている訳ではない。

一般通行人からすれば、この像がなんなのか興味を持つ事もないだろう。

その歩道上で国民儀礼・献花・焼香・決意文朗読・昭和維新の歌を唱和する一団に対し興味を示す人もいない。

当然である。此処が刑場となった代々木練兵場跡地であり、7月12日が処刑された日であると認識する人は皆無に等しいのだから。

いま、人々が当然のように平和を享受する時代にあって、78年前の日本を想起して声を発する人間が二人や三人いなくしてどうするのか。

本来なら将来の日本を背負って立つべき優秀なる人間が、その命を投げ打って維新断行を試みたのである。

たとえ少数でも彼等の遺志を継承する人間が存在しなくてはならないのだ。そのDNAを次代に継承する使命がある。

そうでなければ「後に続く」を信じて行動する人間はいなくなるだろう。

小生の母は刑場に我が子の遺体を引き取りに行く林の伯母さん後姿を見ていたという。

22歳で刑場の露と消えた林八郎少尉の遺族としても、改めて遺志の継承を心に誓った慰霊式であった。

以下、「決意文」の原文は縦書き。

 

 

 

 

           決意文

 

昭和維新運動の中核をなす二・二六事件の決起から七十八年が経過する。

本日、七月十二日は首謀者として検挙された青年将校十六名がここ代々木練兵場において処刑されてから七十八年目の命日となる、

第一次世界大戦が終結した大正七年に京都と名古屋から始まった米騒動は一気に全国へと広がった。同年のシベリア出兵を機に米価は更に高騰し社会不安は頂点へと上りつめていく。

大正十二年の関東大震災の復興の為の物資の大量輸入により円為替は下落。

そして昭和二年の昭和金融恐慌、昭和四年の世界大恐慌と日本経済は疲弊し、中でも東北の農村部では冷害も重なり、食物は不足する中で庶民の貧困状態は極限に達していた。

一家の生計を立てるために娘を身売りして借金の返済にあてるなど、尋常ならざる自体が起きていたのである。

にも拘らず、巨大資本を有する財閥は自らの利益を上げることのみに奔走し、政治家と結託し、労働者・農民を牛馬の如く使役して何ら恥じることもない守銭奴と化していたのである。

この事態を看過しえない憂国の思いを有する陸軍の皇道派青年将校等は北一輝の著した「日本改造法案大綱」に接し、民間人との協力の下で、国家の改革を断行するに至ったのである。

天皇陛下を頂点に頂く、農民・労働者の為の革命であった。

天皇の宸襟を煩わしめる重臣を排し、真摯日本を取り戻すための決起であった。

しかしながら、皮肉にも天皇陛下の命により鎮圧され首謀者とされた青年将校等の主導者はここで刑場の露と消えたのだった。

決起から三日後の二月二十九日、武装解除に応じたのは、裁判においてその真意を開陳できると信じたからであった。

しかしながら裁判とは名ばかり弁護人も付けない非公開の暗黒裁判で、判決から一週間後の七月十二日に刑が執行されたのであった。

歴史に「IF」はないというものの、もしもこの決起が成功し、皇道派が陸軍の主導権を掌握する事態となっていれば、将来的には対米融和の交渉を継続することで、あのような悲惨な形での敗戦を迎えなかったことも考えられる。

 

安倍内閣では集団的自衛権を承認し、アメリカを同盟国としてアメリカにとって都合の良い戦争に対して軍隊を派遣できる日本となった。

アメリカが決定する敵とは日本にとっても敵でなければならない。

またその逆もあり得るのである。

これが主権を有する独立国家の姿であろうか。

日本の友好国であってもアメリカが敵と認定すれば日本は嫌でも弓を引かねば許されないと言う。十一年前のイラク戦争が正にその前例であろう。

日本をそして天皇を最も慕い尊敬する長年の友人への殺戮を手助けしたのである。

これを以ってアラブにおける親日神話は崩壊した。

如何なるテロ・内乱においても日本人だけは守るという不文律が消滅したのである。

これ以降、イラクでアフガンで日本人がテロの犠牲となった。

アフリカ・マリでは日本企業社員等が標的になったことは記憶に新しい。

まさに七十八年前の構図に酷似しているのではないか。

ここで刑場の露と散った青年将校ほど、天皇を敬愛し、日本を安じた人々はいなかった。それが天皇の名の下に逆賊として抹殺されたのである。

これ程までに日本を思い我が身を犠牲にして決起した人々であっても靖国神社に神として祀られることはないのである。

 

これが現行、日本の真姿である。我々はあくまでも戦後体制を打ち倒すことを目標に掲げる国家改革派である。

所謂ところの保守とは根本から異なる立場にある。

現行の政治体制において保守すべきものは何も無いと断言する。

「保守」対「革新」、と言うならば我々は明確に革新派である。

天皇を頂点に頂いた労働者・農民による国家改造を目指す。

大企業の利潤追求を目指す、戦後体制保守とは一線を画すものである。

先達が成し遂げることが出来なかった昭和維新を平成の御世において形を変えて断行することを此処に誓うものである。

これは単なる慰霊の儀式ではない。この思いを更に強く自らに言い聞かせる腸の腐り止めでもあるのだ。

 

平成二十六年七月十二日

 


二・二六事件慰霊祭 青年将校遺族代表 槇泰智


78年目の「二・二六事件」墓前祭 【動画あり】

 
 2月26日というと激しく降りしきる雪のイメージが付き纏うが、今年の当日はコートを着ていると汗ばむくらいの春の陽気に見舞われた。
もっとも二・二六事件のあった昭和11年もさほどの雪は降っていなかった。
当時の写真では戒厳令下雪の中に立つ兵士の姿が映し出されているので、降雪の中を目標に向って切り込んでいったように思われているかもしれない。
実際には2月23日に降った雪がそのまま溶けずに残っていた映像だそうだ。
決起部隊が目標に攻撃を仕掛けたのは午前5時過ぎ。
その後午前8時過ぎから多少の降雪があり、三日前の残雪の上に多少の新雪が積もった、ということのようだ。
 
 12時から「二十二士の墓」がある麻布の賢崇寺において決起将校遺族有志による墓前祭を開催しました。
国民儀礼に始まって、献花・焼香、決意文朗読。そして「昭和維新の歌」を唱和して、決意を新たにしました。
我々の墓前祭は単に犠牲者を慰霊するためのものではなく、刑場の露と消えた青年将校・民間人の遺志を継承し
平成の御世において真なる国家革新を実現する。その礎たらんと誓うための墓前祭です。
 
 終了後は1時から本堂で営まれている仏心会の全殉難者慰霊法要に参列しました。
ここに集う決起将校の遺族達は、時の重臣や警備の警官を殺害した親族の罪を償うために法要を営んでいるようです。
 ですから、同じ決起将校遺族であっても私のようなものが参加するのを好んでいないということが、参加を重ねる中で分かってきました。
 そこで私は3年前から、法要とは別に独自の墓前祭を行うようになったのです。

 仏心会で長らく代表を務め2年前にその座を退いた安田優少尉の弟の善三郎氏は昭和41年、30年目の法要で渡辺和子女史と対面しました。
 9歳の時に眼の前で父・渡辺錠太郎教育総監を射殺された渡辺女史は友人の強い勧めもあって初めて法要に参列しました。
 善三郎氏は兄が殺害した錠太郎の娘を前にして、只々謝罪の言葉を述べ続け、犠牲者に対する贖罪に心血を注ぐこととなりました。
 ノートルダム清心女子大学長を務める事になる渡辺女史の勧めによりキリスト教の洗礼を受け、敬虔なクリスチャンとなる傍らで、贖罪の為に全殉難者慰霊法要を続けてきたそうですから、言葉や態度に出さずとも私のような思想信条を持つ者が遺族として参加することを快く思わないのは自然でありましょう。

 仏心会は2年前に一般社団法人としての登記を済ませ、今は香田清貞大尉の次男が代表となっています。
二十二士の墓の管理件を賢崇寺から譲り受けてるので、弊会としては許可を得て墓前祭を斉行しています。
社団法人となっているので、その活動内容や理念・方針については役員が決める権限を有しています。
唯、我国の近代史において誰もが忘れる事のできない昭和維新運動の中核を成す出来事であります。
 頭に「二・二六事件」の名称を使用する以上は、遺族等関った人々の総意に沿うことが求められるのは言うまでもない事です。
 
【参考】平成23年2月24日の弊会ブログ

【26年2月26日】二・二六事件墓前祭 
【youtube】
http://www.youtube.com/watch?v=Uo1SRLvJTD8
【ニコニコ動画】http://www.nicovideo.jp/watch/sm22973694


     決意文

混迷を続ける昭和初期の日本にあっては、米国に端を発した世界大恐慌の渦中、経済は疲弊し東北地方におけ

る冷害においては農作物の不作により、農民の貧困は究極を極めた。

幼い娘を身売りさせなければ一家が飢え死にしかねない状況下にありながらも、一部の財閥と手を組んだ政治家は庶民の窮状を省みる事なく、権勢を振るっていた。

この状況を見かねた青年将校等は北一輝により思想的影響を受け、民間人等と共に、国家の改革を目指し、

帝都を占拠すると共に、君側の奸とも言える国家指導者等を征伐し、天皇陛下を中心とした維新の断行を実現

しようとしたのである。

しかしながら、天皇陛下の承認を得られず、また陸軍上層部の寝返りによって維新変革は頓挫した。

決起の動機を裁判において開陳すべく投降に応じた青年将校等を待ち受けていたのは、非公開の軍事裁判であ

り、弁護人もなく上告も許されないという理不尽なものであった。判決から僅か一週間後には青年将校等に対

する銃殺刑が執行された。

これら犠牲となった二十二人の烈士を祀る墓石が戦後、麻布十番の賢崇寺境内に建立された。

本日を以って、あの歴史的決起から七十八年を経過したことになる。

我国を巡る諸情勢は根本的になんら変わることはなく、営利至上主義の下で、政治家や高級官僚が巨大資本家

と手を組んで私腹を肥やしているのが現状である。

誇り高き日本人の姿はあの大東亜戦争における敗戦、更に遡れば二二六事件での決起が頓挫した時点で消滅しているのである。財閥と手を組んで私腹を肥やす政治家・高級官僚を淘汰できなかった事により、陸軍内の所謂「統制派」が実

権を掌握し、勝算なきあの大戦へと我国を引きずり込んだといえる。

歪曲された歴史観に基づくならば、二二六の決起、つまりは昭和維新運動の展開があったからこそ、日本は軍

国主義に至ったとされている。

真実は逆である。決起が成就していれば、陸軍内「皇道派」の対米融和路線が構築され、あの悲惨な大戦への

突入は回避されていたとも考えられる。

若くして刑場の露と消えた青年将校等、特攻によって尊い命を投げ出した多くの英霊。

生きていれば戦後日本の真摯なる国柄を堅持するための重要な人材であったはずである。

本日此処に参集した我々は、先達が成しえなかった昭和維新を平成の世に置き換えて、歴史と伝統と誇りある

民族の歴史を復興させるために邁進するものである。

自民公明党を中心としたエセ政党政治の下で権謀術数を巡らせ、利権の分配に明け暮れる現下ニッポンの政治。

この体制翼賛型戦後体制を打破し、矜持ある日本の復興を期する事、此処に決意を新たにするものである。

平成二十六年二月二十六日

「二二六事件墓前祭」実行委員会 参加者一同
                                            (原文は縦書き)
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ナチスも慰安婦も徹底した議論こそが解決への糸口

 

 麻生太郎の失言?が止まらない。まあ、これを失言ととるかどうかは、政治的スタンスでかなりの乖離があるわけであるが、本人が撤回したわけであるから、失言なのでああろう。

 しかも、「ナチスを賛美した訳ではない」と、発言の趣旨そのものを捻じ曲げて火消しに躍起になる様は滑稽である。
 客観的にみても麻生発言は明らかにナチスによる憲法改定を評価しているのである。
 ただ、その手法を評価することがナチス全体を評価していることにならないのは明らかである。
我々とてよく使う言い回しである。
 「市民生活に入っていって地域に根付いた活動を行う左翼の手法は見習うべきだ」、と。
 右翼・民族派がこのように発言しても誰からも非難をうける事は皆無である。
 
 麻生発言を問題視したのは、ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)。
「ナチスによるガス室はなかった」、という論文で文藝春秋社の「マルコポーロ」を廃刊にし、社長の首を飛ばさせた団体である。
当事者の麻生も周囲もまともに議論などできる相手ではないと、震え上がったのではないか。
 ナチスによって虐殺されれた可哀想な可哀想なユダヤ人であるから、何をやっても文句を言ってはいけない。
加害者のナチスを評価してはいけない、と言った呪縛がある。
 
 こういったある種の言論統制が欧米では常識となっている。
ドイツでは専門家以外はナチスの歴史に関する書籍に触れることすら禁じている。
悪しき見本として研究することすら認めないという偏狭な制度が確立しており、その価値観が日本にも押し付けられつつある。
その好例が朝鮮人慰安婦問題である。
「可哀想な朝鮮人のお婆ちゃんを貶める発言を許さない。」
「今更、強制連行があったとかなかったとか、言い訳せずに謝って賠償せよ」
 これがロビー活動を展開し、米国議会に影響力を行使した在米朝鮮人によって醸成された欧米人の価値観となっている。
だからこそ、全米各地においてあのような醜悪なる慰安婦少女像がなんの躊躇もなく建立され続けているのだ。
 
 しかし、ここは日本である。
理性と見識をもって真っ当な議論がなされなければならない。そこにはタブーなど存在しない。
 それを許さない風潮が鬱積した結果、「朝鮮人を殺せ」、と言ったヘイトスピーチに繋がっていった。
 ヘイトスピーチがいけないと言って、新たな法律を作り禁止しても、人々の心の中にある差別意識が消える事はない。
 「殺せ」コールも一つの言論であると考えれば良い。
 公開の場で、反対意見と対峙しての言論戦を闘わせればよい。
スポーツの世界で言えば試合に出場するようなのだ。
我々のフィールドは衆愚政治に則った人気取りの選挙ではない。
 言論による対決である。どちらの主張が正しいのか事実と道理を以って対決してこそ真贋が明らかになるというものだ。
そう言った対決の場に出てくる覚悟と見識がなければ、誰からも相手にされなくなるだけである。
 
 ナチスにしても慰安婦にしても。徹底した議論こそが戦後の総決算に必用なのである。

 

「安倍右翼内閣」のイメージ回避狙う、麻生氏のナチス発言で火消し
                           ―中国メディア

XINHUA.JP 8月3日(土)7時35分配信

日本の麻生太郎副総理兼財務相は1日、憲法改正にからんでドイツのナチス政権を引き合いに、「あの手口を学んだらどうか」と講演で述べたことについて、「誤解を招く結果となった」として撤回した。菅義偉官房長官は同日、「安倍晋三内閣としてナチス政権を肯定的にとらえるようなことは断じてない」と表明しながらも、麻生氏が辞職する必要はないとの考えを示した。国内外の強烈な批判の中、安倍内閣は火消しを図り、国際社会に「安倍右翼内閣」の悪いイメージがつくことを回避しようとしている。中新網が2日伝えた。

麻生副総理は7月29日、ジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が開いたシンポジウムで、「ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうか」と発言。日本メディアが報じ、国内外で批判の声が上がった。

報道によると、安倍首相は参院選の大勝後、憲法改正への準備を積極的に進めている。ただ憲法改正には公明党や社民党、共産党が反対しており、国民の賛成の意見も40%にとどまる。麻生氏の発言は安倍内閣の憲法改正への戦略を示しているとの指摘があり、安倍内閣が憲法改正によってかつての軍国主義への道を再び歩むのではないかとの懸念がぬぐえない。

麻生氏の発言と菅官房長官の釈明からは安倍内閣の「ナチス発言」への誠意が見えない。「右翼内閣」の色を薄めることは難しく、より多くの人が「安倍政権は次第に右に向かっている」と感じることとなるだろう。

 

 

 米大使館への抗議行動の参加要請

  広島・長崎への原爆投下を謝罪せよ

「原爆投下=戦争犯罪」を忘れない!
 米国大統領は広島・長崎市民に直接謝罪せよ
  アメリカは侵略に次ぐ侵略の歴史を反省せよ

      アメリカの正義を疑え
   愛国的対米独立戦線の構築を!

日時:平成25年8月6日(火曜日) 正午から午後1時

場所:アメリカ大使館(港区赤坂1−10−5

  • 銀座線・南北線 = 溜池山王駅(9、12、13番出口 徒歩約5分)
  • 丸の内線・千代田線 = 国会議事堂前駅(3、7番出口 徒歩約10分)
  • 日比谷線 = 神谷町駅(3、4番出口 徒歩約10分)
    http://japanese.japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-map.html
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二・二六事件墓前祭

   2月26日(水曜日)東京・麻布の賢崇寺において二・二六事件の墓前際を斎行。
境内墓所の奥まった一角にある「二十二士の墓」の前において正午より執り行う。
国民儀礼に引き続いて主催者である私から一言ご挨拶を申し上げる。
昭和維新に代わる平成の維新を断行するために決意を新たにするという、この墓前祭の意義を説明させていただく。
献花に引き続け、国士舘大学の松田晃平君が決意文を朗読。
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参加者全員で、三上卓作詞・作曲の「昭和維新の歌」を唱和して終了した。
ご参加・ご協力くださいました、各団体・個人の方々、誠にありがとうございました。
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 午後1時からは本堂にて「仏心会」が主催する法要に参加する。
昨年の七十五回忌より、外部の人間を呼ばずに内輪だけの少人数で行うこととなったそうだ。
参列者は決起将校の遺族を中心に三十名程。
僧侶読経に続き全員が焼香。
 昨年より代表となった香田氏が挨拶。
 その中で二・二六事件を「昭和史の中の悲劇」であったと明言。
 この点については後日ゆっくりとその真意をお尋ねしてみたいところである。
 一昨年まで代表を努めてきた安田善三郎氏においては、「私心がなかったことは認める。しかし、人の命を奪った事は決して許されることではありません」
と、決起した青年将校等を批判するともとれる発言を度々発してこられたし、朝日新聞のインタビューにおいても述べておられた。
 実兄も含め先達の行為を「認める」とか「認めない」とか、相当に崇高な立場におられるものと感心するところである。
 これは私の知るところでは、この決起将校の遺族で作る「仏心会」の性格によるものであると感じている。
 事件から30年目の法要に際して渡辺錠太郎教育総監の長女である渡辺和子女史が参列した。
 「是非行ってみるべきよ」と、友人の誘いに応じて初の参列であった。
そこで、30年前のその日、9歳であった自分の目の前1メートルで父を射殺した、安田優少尉の実弟と向き合ったのだ。
安田氏は兄が行った凶行の非を謝罪したが、許してもらえるものでもなかった。
 18歳で洗礼を受け、現在はノートルダム清心女子大の名誉学長を務める、敬虔なカソリック信者である渡辺女史の勧めによって安田氏はカソリックに改宗。 敬虔なカソリック信者としての生活を送るようになったと聞く。
 その安田氏が仏心会の代表として長年、全殉難者慰霊法要を司ってきたのだ。
 
 つまり、決起した青年将校の親戚の一人としてここ数年に渡って私が見たり経験しているところでは、この仏心会による法要というのは、事件において命を落とした重臣や警備の警官に対する贖罪と反省の為の法要ということになる。
 自分達の親族が人殺しをやったので、申し訳ございません、と詫びるための法要になっているのである。
 この場は別段に、国家の革新を祈念するとか、維新の成就を目指すといった政治的な主張を発する場ではない。
 その半面では反省や謝罪を行う場でもないはずなのである。
 一昨年、仏心会は社団法人としての登録を果たし、「二十二士の墓」の所有権を取得した。
 管理運営も思いのままである。よって、私が主催する墓前祭においても、墓前を「使わせない」権利さえも持っていることになる。
 
 「仏心会」というのは、任意の団体であるから、誰がどのように運営しようが、外部からとやかく言われるものではないだろう。
 しかしながら、日本の近代史において無視することのできない二・二六事件を惹起せしめた青年将校の遺族の集まりとして、
毎年「二・二六事件」の名称を冠して、その日に法要を営む以上は、関係者各位の総意を無視することは出来ないのである。
 
法要後は、賢崇寺に程近い高山亭にて内輪だけの直会を行う。
2年ほど前に開店した信州蕎麦の店。
昼食時を過ぎていたので貸切状態。
 
先付け・前菜・刺身・煮物・焼物・天婦羅・茶碗蒸し
そのほか、蕎麦とアイスクリームがついて2000円。
これは豪華でお得だ。
この日ばかりは法要の後なので、日本酒をチョット一杯。
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