英国民の思い上がりを許すのか

会ったことはないが、私だってトランプという人間は好きになれない。

今般、トランプ米大統領が英国を訪問するにあたって英国民はトランプ大統領を国賓扱いするなとか、

議会で演説させるなと、騒いで署名活動などを展開している。

 

トランプ氏は米国民によって民主主義選挙によって選出された大統領である。

これについて英国民が国賓扱いするな、などと言う権利はない。

まさに米国に対する内政干渉であり、米国民の行った民主主義選挙制度を否定している事になる。

 

米国民はトランプ支持派、反対派を問わず英国民に対し抗議すべきなのである。

自分たちの国の大統領が辱めをうけるというのは自分たちが辱めれていると自覚するできである。

 

例え、村山であれ管であれ、日本の首相として外国を訪問した際に、礼儀を失した扱いを受ければ我々は抗議するのである。

 

 


ロシアに身を売ることが極右台頭の術なのか

 欧州で極右と言われる政党が勢力を伸ばしている。

フランスの国民戦線。オーストリアの自由党。

これらに共通するのは反EU,反グローバリズムであると同時に

ロシアに接近していることであろう。

 

 アメリカや欧州連合の台頭に危機感を持つロシアが欧州諸国の内部において

親ロシア勢力を育成して、政権奪取を後押しすることで、

親ロシア国家に転換させる戦略とみる事もできる。

 

 当然の事であるが、日本でもこの流れに乗って台頭しようと目論む自称右翼、極右が現れてもおかしくない。

中にはロシア国旗を掲げて「プーチン来日歓迎」などとデモ行進をやらかす右翼があるかもしれない。

政治的政策を掲げる中であれば如何なる国・政府を支持しようが自由であるが、

政治活動を行う中で外国政府や外国機関から資金的支援を受けるようなことがあってはいけない。

 ロシアが日本国内で親ロシアの立場を鮮明にする勢力を育てていこうとするならば、

そこには明確なる政治的意図があるはずだ。

 北方領土返還要求、四島一括返還、我国固有の領土と言った、従来からの国民的要求を否定するような

活動を広めてくれるならば、ロシアの国策にかなうことになる。

 

 ロシアとの連携を以って、反グローバリズムの観点から欧州の極右が勢力を広げていくのは勝手であろうが、

日本の場合は歴史的にみても立場が異なる。

71年前の行為は国際法を無視した侵略行為である。

一方的にソ満国境を越えて日本人を殺戮し、略奪・凌辱を行ったこと。

北方の島々を奪った上に、60万人をシベリヤに抑留し6万人を死に至らしめた行為。

 日本における右翼勢力としては、歴史的観点からみても欧州極右とは状況が違い過ぎる。

単に反米・反グローバリズムを大義として、更なる巨大で凶悪な敵に媚びいることによって自らの台頭を図ろうとするならば、

それは銭で身を売る淫売婦と同等にしか見られないのである。

 

欧州右翼政党、ロシア与党と提携 反EUアピール狙う

朝日新聞デジタル 12/20(火) 18:07配信

 オーストリアの大統領選で敗北した同国の右翼政党・自由党のシュトラッヘ党首が19日、モスクワを訪問し、ロシアのプーチン大統領の与党「統一ロシア」と2党間の協力合意書に署名した。ウクライナ問題で欧州連合(EU)と対立するロシアとは仏右翼・国民戦線(FN)も友好関係を強調。各国で政権を目指す欧州の右翼政党が連携してロシアとの協力を打ち出し、EUへの対抗姿勢をアピールする狙いと見られる。

 自由党によると、合意書にはシュトラッヘ氏と「統一ロシア」幹部のピョートル・トルストイ下院副議長が署名した。自由党からは大統領選決選投票で46%の得票を集めたホファー・オーストリア下院第3議長も同席。合意の詳細は明らかにされていないが、オーストリア通信などによると、議会活動や若者への愛国教育をめぐって情報交換、人的交流を行う内容という。

 オーストリアの自由党は大統領選で一貫してロシアとの関係の改善を訴えた。EUは今月15日の首脳会議でウクライナのクリミア半島併合や東部の紛争をめぐる対ロシア制裁を来年7月末まで延長することを決めたが、自由党は制裁解除を強く主張している。

朝日新聞社

 


こんな大統領で恥ずかしくないのかね

シナを訪問して習近平と会った際のオドオドした態度と言い、会談中にはガムを噛んでいるのか口をモゴモゴ。背広もまともに着こなせていない。

発言内容については、もう支離滅裂。シナ政府の手前威勢よくアメリカとの決別を宣言して、帰国後に撤回。

こんな人物が自国の大統領ならフィリッピン国民としては恥ずかしい、という感情を持って当然だと思う、

しかし91%の国民が支持して誕生した大統領であり以前、根強い人気を得ている。

日本でいえば森喜朗を総理大臣としているようなもんだろうか。

 

東シナ海問題で日本が巡視艇を供与してシナの脅威を排除しようと応援しても、本人に戦う気概が無ければどうしようもない。

栃木県の警官がシナ人を打ち殺した件で保守活動の人たちが盛んに裁判で警官を応援していたが、本人に戦う気概もなく、

発砲の必要性を訴えないならば、応援してもしかたないのと同じではないか。

 

欧米列強の抑圧を排除して独立しよう。西欧列強白人の支配から解放するぞと、勢い込んで日本軍は頼まれもしないのにフィリッピンに乗り込んでいった。

結果、米軍の応援を受ける抗日ゲリラによって、悲惨な戦闘を強いられ敗戦へと突き進んでいく。

困難な道を歩んでも名誉ある独立を選ぶのか。

それとも奴隷としての安定した平和を享受し続けるのか、その国の国民に決定権がある。

 

しかし、南シナ海という地政学上の防衛においては、フィリッピン一国の意思で物事が決定されるべきではないのである。

 

【「新報道2001」抄録】「まさか陛下の前でガムは…」ドゥテルテ大統領に懸念「いかに南シナ海問題重要か、首相がしっかり伝える」

小野寺五典防衛相(当時、中央)が陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地を視察に訪れ、自衛隊が購入を検討している水陸両用車AAV7に試乗した=茨城県の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地(鴨川一也撮影)

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 自民党の小野寺五典政調会長代理が、25日に来日するフィリピンのドゥテルテ大統領や南シナ海問題について語った。

 −−ドゥテルテ大統領が中国を訪問した際に「米国と決別する」と宣言した

 「あの場の雰囲気で発言したのではないか。すぐに本国に戻って訂正している。まだ外交にあまり慣れていない。ダバオ市長の時はいろんなことを言っても許されたが、国のトップになると発言一つ一つが大きな波紋を及ぼす。そこは理解して来日するだろう」

 −−中国の習近平国家主席と会ったときにガムをかむしぐさをしていた

 「(来日の際に)天皇陛下との謁見もある。その時のしぐさで大きな影響も出る。まさか、そういうことはしないと思うが、しっかりフィリピン側も伝えてほしい。皇室に対しての畏敬の念は持っていると思う。親日家だ。そのような振る舞いは決してないと思う」

 −−フィリピンが親中国になれば南シナ海の法の支配の足並みが崩される。安倍晋三首相はどのように接すべきか

 「政策的には冷静に話せばいい。日本は巡視船を10隻供与している。さらに2隻の大型巡視船も供与する。冷静に自国をしっかり守ってほしい。日本も後押しをする。いかにフィリピンにとって南シナ海問題が重要か、安倍首相からしっかりと伝える」

 −−米国で新大統領が就任したら、中国は南シナ海で挑発に出るとの見方も

 「南シナ海だけではなく、東シナ海での中国の動きに米国がどのようなメッセージを出すかも試してくる。米大統領選で最も影響を受けるのは日本の安全保障だ。日本も対応するが、(新大統領には)しっかり日本への政策を打ち出してもらわなければ、東アジアのバランスが崩れる」


安田純平氏の生還を願うシンポジウム

シリアでヌスラ戦線に拘束されているとみられる安田純平氏の救出を願うシンポジウムに出席する。
去年の後藤健二氏人質の際には定員オーバーになる超満員だったそうだが、今回は関心が低いのか450人の定員に半分以下。
マスコミの多くは熊本地震に注目し、人員が割かれていることも原因かも。

小生も安田氏が2002年12月初めてイラクへ渡航するに際し、同行した立場もあり、無事な帰国を願うものだ。
パネラーの意見としては藤原亮司氏(ジャパンプレス)が最も良識に適っているだろう。

安田氏は覚悟を持ってシリアに入ったのだから、周りが騒ぐべきではない。
そっとしておいておげるべき。
安田氏が公開されたビデオメッセージの中でその決意を語っている。
仲介者が自分の価値を高めようとしてアッチコッチに売り込んで相手にされないで、ビデオを公開した。

新聞労連委員長(元・共同通信社)は、大手メディアが行かないからフリーランスが戦地に行って現状をルポしている、と。

自分たち大手メディアが行けば良いものを、上司が行くなと言うからいけない。
ならば、行くべきと思う社員が出世して決定権を握り、社員を派遣すればよいだけのことなのだ。
自分たちの所属する組織を改革するべきではないか。
と、二次会の席で

 会場では一緒にイラクへ渡航した当時の仲間やジャーナリストがチラホラと散見される。
終了後、近所の居酒屋で二次会。
 創出版の主催だし、イラク渡航関係な当たり前に左翼ばかり。右翼は私と鈴木邦男さんだけか。
いや、鈴木さんは今や完全にバリバリの左翼じゃないか。
一人ずつ自己紹介で鈴木さんの番になると歓声が上がるほどの人気者。

パネラーの一人志葉玲氏の奥さんが参加。社民党で東京選挙区から参院選に出馬予定。長々と宣伝をの辞を述べる。
 彼にとって私が命の恩人であることを一同の前で暴露する。
イラク戦争直後の2003年6月に私がイラクからの帰途ジョルダン国境で出国審査をしていると、私の名前を呼ぶ声がする。
こんな所で日本人?と、振り向くとホームレスのような出で立ちの青年が立っていた。
 米軍の立ち入り禁止エリアに入り8日間拘束された末に、無一文で国境付近に放り出されたそうで、
可愛そうだからタクシーに同乗させてアンマンまで連れてきたことがあった。

順番になり私も全員左翼を前にして一言。

 皆さんに言いたいのは安田氏解放運動を政府批判・反戦活動に利用するな、ということ。
2004年に高遠菜穂子さんらが人質になった際に、自己責任論で世論のバッシングを浴びたのは、
日本にいる人たちが自衛隊撤収を要求する反政府活動に利用したから。
安田氏の救出を願う気持ちは一緒である。
 雨宮処凛さんに言いたいのはパネラーである以上、「救出の方法を皆さんにお聞きしたい」などと、他のパネラーに回答を求めてはダメ。聴衆は金を払って貴女の意見を聞きに来ているのだから、自分なりの考え・回答を発信すべき。
 反米の立場でイラク戦争に反対してきた皆さんが「中東」という言葉を抵抗なく連発しているのはおかしい。
英国から見たインドを指す言葉が「イースト」。その中間にあるから「ミドル・イースト」(中東)ではないですか。
ハッキリ、「アラブ」と言いましょうよ。

結構、私も言いたいことを言ってきた。

このシンポジウムは文字通り「生還を願う、、」、ということで建設的な討論は期待できなかった。
生還を考える、または模索するというのではないからだ。
登壇者の意見などを集約すると具体的にどのように動くかという選択肢は大きく分けて三つ。
‘本政府が積極的に交渉にあたる
¬唄峙ヾ悗積極的に交渉にあたる
2燭發靴覆
となる。
生還を願う人たちが一緒になって、事に当たらなければならない訳で、仮にがベストだとしても、
そうは思わない人が勝手に政府に働きかけたり、民間で仲介者に働きかければ、意味がなくなる。
そういった議論は期待できなかった。
政府の反対を押し切って戦場取材にいくフリージャーナリストの主張が全面に出すぎてはいなかったか。

安田純平さんの生還を願い、戦場取材について考える」シンポジウム

日時:4月19日(火)18時15分開場、18時40分開会、21時半終了。
会場:文京シビック小ホール(2階)
入場料:1000円
主催:月刊「創」編集部

【発言】川上泰徳(中東ジャーナリスト/元朝日新聞記者)、藤原亮司(ジャパンプレス)、野中章弘(アジアプレス)、原田浩司(共同通信編集委員)、新崎盛吾(新聞労連委員長)、志葉玲(ジャーナリスト)、雨宮処凛(作家)、他

安田純平さんをめぐる問題について、ジャーナリズムに関わる人たちや市民の間で何かできることはないか、また戦場取材の意味といったことを含めて議論をするためにシンポジウムを開催します。ちょうど昨年、後藤健二さんの問題でシンポジウムを開催し、そこで安田さんも登壇して発言されていたのですが、戦場取材のあり方や、組織ジャーナリズムとフリーランスの問題など、改めて議論したいと思います。例えば安田さんの解放に政府が関わることを要求すべきかどうかについても、安田さん本人の意思を尊重したらそれはできないという人もいて意見はまちまちです。当日はそういうことも含めて、会場をまじえて議論したいと思います。
 


天皇皇后両陛下の体現くださった「マガンダン・ハポン」

 天皇皇后両陛下がフィリッピンご訪問から帰国された。
26日からフィリッピンを訪問され各地を回り慰霊された。
昨年の戦後70年にはパラオをご訪問され、今回のフィリッピンとご高齢にも拘らず、名代を出すこともなくご自身が先の大戦に向き合い慰霊に向かわれるお姿にはただただ頭が下がるばかりである
灼熱の地で降雨の中の慰霊式に臨まれるなど、疲労は如何ばかりであろう、ご健康を願わずにはいられない。
 
 激戦地であるフィリッピンにおいては52万人にの日本将兵が散華された訳であるが、同時に110万人にも上るフィリッピン人が命を落している。
自らが望んで起こした戦争ではない。
 日本が大東亜の解放を唱えて惹起した戦争に否応なく巻き込まれて命を失ったのだ。
 欧米列強からの独立とは日本が唱えた大東亜共栄圏の確立を目的とした政策であり、米国によって統治されていたフィリッピンを日本の手によって独立させてやったとの自負が付き纏う。
 その結果、のんびりと農耕によって暮していたフィリッピン人は、日本の戦争に協力させられることとなる。
 「物資は現地で調達せよ」、などというふざけた方針によって、供出という名のもとにフィリッピン人が蓄えた米や食料品は略奪紛いに放出されられたのだ。
 
 戦時中の軍政においてはジャワなどの南方諸地域と比べ日本軍の評判は極端に悪かった。
 結果、アメリカ軍に協力する抗日ゲリラが発生し、日本軍は見境なくフィリッピン人を殺戮したと言われている。
 欧米列強からの独立、というのは日本が掲げた理想であり、たとえ欧米列強の奴隷であっても「奴隷として生き延びる幸せ」、という選択もあったはずである。
 崇高な理想を掲げて日本軍が進駐してこなければ110万人のフィリッピン人は命を奪われることはなかった。
 
 日本のマスコミにおいては両陛下が日本人の犠牲者に対し慰霊を行った事や、在留邦人との触れ合いが大きく報道されているが、犠牲となったフィリッピン人に対する慰霊式に関する取り上げ方は薄い様にみえる。
 両陛下ご訪問の真なる目的・意図は迷惑をかけたフィリッピンの人々に対する慰霊にあったのではないか、とも思いたい。
 
 5〜6年前の靖国神社境内で毎日曜日に広報活動に従事していた当時、そこでは参拝に来る人を捉まえては、「戦前、アジアに独立国は二つしかなかった」「日本が世界の国々を独立させてあげたんだよ」、と日本の功績を滔滔と語る老人(元日本兵)がいた。
 それは独立を果たした国の人々が言うのなら分かるが、アジア諸国の人々に対し結果的に苦難を与えた立場の日本人が胸を張っていう事ではない。
 大東亜解放と言う理念は素晴らしいが、それを実行せしめるだけの力、すなわち戦略や軍事力・資源もないままに突っ走ってアジアの国々を戦場せしめたという事実から目をそらしてはいけない。
 
 30年前に読んだ「炎熱商人」(昭和和57年直木賞受賞)という本がある。
 深田祐介氏が現地で知り合った日比混血のチャーリー渡辺氏を題材にして軍政下のフィリッピンと、昭和40年代のフィリッピン貿易を並行して描いた小説だった。
 軍政下でフィリッピン人に対し、過酷な統治を迫る軍部の下で戦争を遂行する憲兵隊の馬場大尉。
現地人を見下した理不尽な命令に反発し、フィリッピン人の立場に理解を示し苦境に陥る。
 これに対し鴻田貿易マニラ支店長の小寺が重ね合わさり描かれている。
本社はフィリッピンを単なる輸入木材の供給地とみなし、安価に良質な木材を拠出するように迫る。
 戦中と戦後も日本とフィリッピンのはざ間で苦悩する日本人の姿が描かれている。
 
この小説のテーマは「日本人として如何に美しく生きるか」、という事ではないかと思っている。
 タガログ語で言えば「マガンダン(美しい)・ハポン(日本人)」という事になる。
 小説ではフランクとして描かれているチャーリー渡辺氏は戦時中は少年通訳として軍に動員され、戦後は日本商社のマニラ支店で現地社員として働いていた。
 その支店長が商売のもつれにより現地で殺害されるという実際に起こった事件を題材として、戦中と現在を彼の眼を通じて描いた作品なのだ。
 
『利』を捨てても『義』を貫く。
それこそが真の武人ではないか。
外国で暮す中、日本人の姿を現地の人々に示さねばならない時、如何に振舞うのか。
 現地の人々から見ても尊敬に値する日本人でなければならない。
その立ち居振る舞いが日本人の印象を左右する事になる。
「マガンダン・ハポン」
その姿を体現してくださったのが天皇皇后両陛下である。

イザト・イブラヒム氏のご冥福をお祈りいたします。

旧フセイン政権ナンバー2が死亡か イラク治安部隊の作戦で

イラクの旧フセイン政権ナンバー2のイザト・イブラヒム元革命指導評議会副議長=2002年、バグダッド(AP=共同)

 【カイロ共同】中東の衛星テレビ、アルアラビーヤは17日、イラク北部サラハディン州知事の話として、同国の旧フセイン政権ナンバー2だったイザト・イブラヒム元革命指導評議会副議長が、イラク治安部隊による軍事作戦で死亡したと報じた。AP通信などによると、イラク政府筋も同氏が死亡したとみられると述べた。遺体はDNA鑑定のため、首都バグダッドに運ばれた。

 同氏は、2003年のイラク戦争時の副大統領で、フセイン政権が崩壊すると逃亡。米国が指名手配し行方を追っていた。旧政権支持勢力を率いて米軍やイラク政府に対する武装闘争を指揮していたとみられる。

 軍事作戦は、今月上旬に同組織から奪還した北部の要衝ティクリート東部の山岳地帯で実施。約10人を殺害したところ、イブラヒム氏がその中にいたという。


旧フセイン政権でナンバー2の地位にいたとされるイザト・イブラヒム革命指導評議会(RCC)副議長死亡の報道があった。
当時のイラクは革命政権であるからRCCというのが国家の意思決定最高機関。国会よりも上位に位置している。
懐かしい人物の名前に接し、イブラヒム氏と会った時のことなどを思い出す。
1993年に一水会で訪問団を組織して9名でイラクを訪問した際に、大臣や州知事などと個別に会見をもったものだが、その中で一番の大物がイブラヒム氏であった。
(サッダーム・フセイン大統領の長男のウダイ氏と会ったのは、その3年後だった)
この件ではチョット思い出す事がある。
会見を終えて訪問団の団長を務めるK氏が単独でイブラヒム氏と二人の記念撮影を行った。
K氏はいつも大事にその写真を携え、次回もイラクに行くと「俺は副議長と懇意にしているんだ」的に人々に見せていた。
その後もK氏と共にイラクを訪問した1997年の時であったか、夜中にキャバレーに行ってみようという事になった。
アメリカによる経済制裁は過酷を極め庶民の生活は困窮の極みに達している時期であった。
そんな状況下であっても、風俗産業は成り立つのがこの世の常である。
生活の為に一般の主婦が街頭に立っているなんて噂もあったくらいだった。
勿論、そのような人々を相手に快楽を得るなんて思いは寸分もあるはずもない。
庶民の生活の一端をこの目で見ておく必要があると思い、タクシーに乗り込みキャバレーのあるという街はずれの一角へ向かった。
経済制裁下で国民生活は疲弊し、人心も荒廃してはいたが、強圧的とも言えるフセイン政権下にあっては驚くほどに治安は維持されていた。
私が滞在していた1983〜84年当時も対イラン戦争下ではあったが、日本大使館のあるマツバ地区には数件のキャバレーが存在し、ショーを魅せながらスリランカやフィリッピンからの出稼ぎホステスが客の相手をしていた。
その頃はビール1本が日本円で3万円もしていたので、日本から派遣された職人は会社から仮払いを受けてキャバレーに通い、本来は帰国後に受け取れるはずの70〜80万円という月額報酬が消えていたなんてことはざらだった。
今回は事前に現地の人から情報を得ていたので、そんなに高くはないと踏んで入場。
女性が隣に座りお互いにたどたどしい英語でコミュニケーションをとる。
K氏いわく「この女性たちはベドウィンだな」、と遊牧民であるとの見解。
が、一杯飲むと途端にソワソワしだした。
「槇君チョットやばいんじゃないか」「いくらするんだ」「やはり現地の人と一緒に来たほうがよかったんじゃないか」「これはぼられるよ」
「せっかく来ているんだから金の心配なんかしないで楽しくも飲みましょうよ」、と言うが落ち着きなく「もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか」
K氏普段は泰然自若、腹が座り大抵の事には動じない。暴力団相手でも「ふん、それがどうしたの」って感じでこの世に怖い者なし。事務所に街宣かけられても平然と声明文だして対応している大物右翼である。
が、一度金が絡むと豹変。途端にオロオロするからおもしろい。
「ああ、そうだコレコレ」、と懐からイブラヒム氏と二人で写った写真を取り出した。
槇君この写真見せてきて、ぼったくったら承知しないぞ、と言ってきてくれ。
「はぁ?」

結局、K氏の心配は杞憂に終わり何事もなくホテルに戻りました。


報道によれば旧フセイン政権の幹部がIS(イスラミック・ステート)に所属し残虐な戦闘行為を指導しているとのこと。イブラヒム氏もその中心的役割を果たしていたように言われている。
しかし、私の見解からすれば旧フセイン政権のバース党とISでは根本的に相いれないはずだ。
女性の社会進出を認めない、酒・煙草を禁止する厳格なイスラム原理主義を強制するISと
ヨーロピアンナイズされた世俗的な旧フセイン政権幹部とでは、政治的政策においても共闘関係は成り立たないだろうと観ている。
 現在のシーア派を主導とするイラクの政権下において、スンニ派を中心とする旧フセイン政権・バース党員が冷遇されているというだけでISと共闘できるものではない。
ましてや経済制裁下でも国民生活に支障がなきよう配給制度を維持し、治安を保ち犯罪の撲滅を計ってきたフセイン政権当時の幹部たちである。
犯罪者集団であるISと馬が合う訳がない。
イブラヒム氏もISに所属したのはほんの一時であり、昨年7月にはISと袂を分かっていたようだ。

イザト・イブラヒム元副議長のご冥福をお祈り致します。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B6%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%A0

ISILとの協力[編集]

フセイン政権崩壊後に台頭した過激派組織・ISILに協力しイラク制圧に従事し、2014年2月13日の軍事作戦でキルクーク県ディヤーラー県を支配下に置き、ハムリーン山を拠点とした[20]。6月10日に行われたモースル占領作戦に関与し、7月にはISILを称賛する声明を発表した[21]

しかし、汎アラブ主義を掲げるイブラーヒームは思想面でISILと対立したため、7月に離反[22]。11月にはISILに対し宣戦を布告、ハムリーン山・ティクリート・モースルで戦闘状態に入った[23]


 


「避難民のため」というならば、形で見せなければ

安倍首相が表明した2億ドルの支援というのが、イスラム国を攻撃するための米軍への支援であると曲解されている節がある。
イスラム国としては分かっていながら、金をむしり取るための口実としてわざと歪めて解釈していることも考えられるのだが、
日本政府としてはこれが純粋に避難民の為の人道支援であることを立証する必要がある。
それには具体的に避難民に対する人道支援を実施することである。
現実にその2億ドルを拠出して、実績とノウハウを持つ民間ボランティア団体等を通じて、避難民キャンプにおける支援活動を実施すればよい。
過去において実績を持つという点では弊会も当然にその範疇に入る。
1991年湾岸戦争後の経済制裁下のイラクへ頻繁に入り、米軍による一方的なイラク国民殺戮を食い止めるために尽力してきたし、2003年のイラク戦争後にはいち早くイラクへ入り、現地のボランティア団体と共に食料・生活物資の配給等を担ってきた。
日本政府は2億ドルのうちの1%でもよい。弊会に託すできである。我々はこれを原資として、シリア・イラクにおける避難民に対する救済活動を展開する用意がある。
その姿勢と実態を内外に示すことによってのみ、安倍首相のいう「避難民が命をつなぐための支援」という言葉に信用性が伴うのである。

日本人が人質の標的となった、殺害の危機にある。我々はその背景を真摯に考察しなければならない。
アラブには日本に対するレジェンド(神話)が存在していた。
第二次大戦において一国となった最後まで欧米列強と死闘を展開した。
広島・長崎に原子爆弾を投下され国土は荒廃したが、そこから立ち直った。
国民の勤勉性により、度重な技術革新の下経済大国として世界経済をリードしている。
今、アラブ民衆のもとにある車も電化製品もすべてが日本製であり、国家プロジェクトである巨大な建築群も日本企業が建ててくれた。自分たちの生活は日本によって支えられている。


これはアラブ社会においては誰もが口にすることである。
モサディ革命時における出光のタンカー日祥丸の入港神話に始まり、アラブの民衆においては日本人に対する限りない尊敬と憧れ感じていた。
これは現地に行って、実際に民衆と触れ合ってみなければ理解できない。触れ合えば嫌でも実感させられる事実である。
いや正確には「事実であった」。
これほどまでにアラブの民衆が日本人を歓迎し憧憬の念をもって接してくれることに驚嘆を覚えない訳にはいかない。
故に、人質事件が起こっても日本人だけは守らなければならない、との不文律が存在いしていた。
2004年に三名の日本人がイラク反政府勢力によって誘拐された際にも、イラクでは複数の人々が解放に向けて尽力してくれた。
まだ、その時までは「日本人を殺させてはアラブの恥だ」、といった土壌がイラク国民の中にあったのだ。

しかしながら湾岸戦争では米軍に130億ドルの支援を行うい、イラク民衆への殺戮に加担した。
その後もイラクに対する過酷な経済制裁を継続させ力のない乳幼児や病人・老人の多くを死に至らしめた。
米軍の宣伝に乗ってありもしない大量破壊兵器の存在を信じて、フセイン政権打倒のイラク戦争を全面的に支持してきた。
こういった一連の流れをもって彼らの日本神話は崩壊した。
その顕著な例が数年前にアフリカ・マリで起きた日揮の製油所における日本人殺害事件である。
アメリカのお先棒を担いでアラブ民衆を苦しめる金持ちの日本人が殺害の標的になったのだ。
もはや日本人だからということで優遇されることはなくなった。
湾岸戦争からイラク戦争までの12年間、残虐なる経済制裁下にあっても、じっと日本を信じて支援を待ち続けていたのに
日本政府は彼らを見捨てたのだから当然の帰結ともいえる、
日本は対米従属姿勢を貫いて、アメリカのご機嫌を取り繕い強固なる日米関係を構築した。
しかし、半面では「信頼」という目に見えない財産を失った。故に今、その代償を支払う時がきたのだ。



首相「2億ドルは避難民が命つなぐ支援」人質解放求める                      
2015年1月21日01時26分

 安倍晋三首相は20日のエルサレムでの記者会見で、「2人の日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求する」と述べた。首相は「今後も国際社会と連携し、地域の平和と安定のために一層貢献していく。この方針を変えることはない」とも強調した。

 「イスラム国」のメンバーとみられる男が身代金として、安倍首相が「イスラム国」対応で表明した無償資金協力と同額の2億ドルを挙げたが、首相は「避難民が命をつなぐための支援だ。必要な医療、食料、このサービスをしっかり提供していく。日本は今後とも非軍事分野において積極的な支援を行っていく」と述べ、支援をやめることはないとの考えを示した。ただ、首相は、会見で質問が出た身代金の支払いや「イスラム国」との交渉には直接言及しなかった。

 その後、安倍首相はパレスチナ・ラマラでアッバス自治政府議長と会談した。アッバス氏は「テロは断じて許せない。過激主義の横行で、アラブ諸国は苦しんでいる。テロに対抗していくことを宣言したい。日本人誘拐事案が、早く解決し、無事に2人が解放されることを強く願う」と発言。安倍首相は「人命を盾にとっての脅迫は、許しがたい。人命確保のために、情報収集をはじめ、パレスチナ側の支援をぜひお願いしたい」と応じた。

 安倍首相はヨルダンのアブドラ国王、トルコのエルドアン大統領、エジプトのシーシ大統領とも電話で協議し、「早期解放に向けて支援をいただきたい」などと協力を要請した。(エルサレム=久木良太)


イラク国民議会選挙

 3月7日、イラクでは国民議会選挙の投票日。
米軍が都市部から撤退したバグダッド近郊では爆弾テロが頻発したり、外出禁止令が発令されたりと悲惨な状態だ。
全ては、フセイン政権を崩壊せしめた米国とそれに追随した日本政府の責任だ。

 国民議会選挙は5年に一回だ。
私が監視員として立ち会ったのは10年前の2000年3月になる。
 世界中から来た監視員がバグダッドで一番大きなアル・ラシッドホテルの大広間に集まって出陣式。
 そこからバスで各地に散らばって監視活動に従事。日本からは私ともう一人の女性が選ばれた。
 私が担当した南部の港湾都市であるバスラ地域には私と日本人女性。他にパレスチナ人1人。スーダン人は4人。
 各地の投票所を廻った。
 日本の一部マスコミや親米保守が宣伝するような、フセイン政権に反対する票を入れる人を監視しているというのは嘘。
 誰が誰に投票したなんていうのは、わかるはずがない。

 最初にバスラ州知事を表敬訪問したのだが、アラビア語で何をいっているのか分かるはずもない。
で、途中から一人のジェントルマンがバスで私の横に乗り込んできた。
アラビア語の理解できない私一人の為に、バスラ大学から英語の先生を呼んできてくれたのだ。
 いろいろ話したが、経済制裁下の国民の暮らしは楽ではない。
私は持っていたドル紙幣を封筒に入れて渡そうとしたが、絶対に受け取らなかった。
 「貴方のガイドをすることは私の職務だから」っていうことだ。
長年、イラクを幾度となく訪問して色々な人に会ったけど、そのなかで悪い印象を持ったことは一度もない。
 それはイラクという国に愛情を持って接しているから、それに相応しい人々と巡り会えていられただけであろう。
 
 ある、在日朝鮮人の人材育成コンサルタントとかいう女性は、日本人から如何に嫌な思いをさせられてきたかを講演会などで得意になって話しているが、それはその女性に見合うだけの、品性下劣なる日本人が接点をもって集まってきただけのこと。分相応というやつだ。
 
 時の選挙ではフセイン大統領の長男でイラクオリンピック委員会委員長である、ウダイ氏が100%の票を得て初当選。
 これを西側メディアは不正選挙の象徴であるかのごとく宣伝した。
これは選挙制度の違いがあるから、充分に起こり得ることなのだ。
 国民議会選挙は日本で言う中選挙区制だ。一選挙区の定数は5人とか6人とかに決められている。
 定員5人の場合、有権者は必ず5人の名前を書かなければならない。4人とか6人の名前を書けば無効票になってしまう。
 そうなると、著名人でありオリンピック委員会委員長の役職にあるウダイ氏の名前が全ての投票用紙に書かれることもありうるのだ。
 もしかしたら、正確には99.999%だったのかもしれないが、それを「ほぼ」100%と報じても間違えではないだろう。
 そういった事実を日本のメディアは一切報道しなかった。
 これ一つをとってみても、あのイラク戦争それにさかのぼる、19年前の湾岸戦争が如何にデタラメであったのか、
日本人は如何にアメリカ側の情報操作に翻弄されていたかが分かるというものだ。

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