小池百合子氏の人間性には疑問

 昨年の都知事選に際し石原慎太郎氏が「大年増の厚化粧」と揶揄した小池百合子都知事であるが、一年が経過してその厚化粧もポロポロと剥がれ落ちてきたかのうに、勢いが失速しだした。

党運営・新代表決定の過程に不満を持つ身内の都議二名が都民ファーストの会からの離党を表明した。

 その新代表である荒木千陽氏の父親を長妻昭氏が地盤とする東京第7区に刺客候補として送り込むといった暴挙に出た。

周囲が信用できないで全てを身内でガッチリと固めてブラックボックスで運営しようということなのか。

 

 そもそも長妻氏が希望の党に対して反旗を翻した訳ではない。

2005年の郵政選挙であれば郵政民営化という自民党・小泉政権の決定に反対票を投じたという事で、造反者の選挙区に刺客を送り込むと言う大義名分も存在する。

しかし、長妻氏は前原代表の民進党からは一切公認候補を出ないという決定に従い、希望の党から立候補するつもりでいたが排除リストに入れられてしまった。言わば被害者的立場であろうから刺客を送りこんで駆除するというのも理解しがたい。

 

 所謂保守やネットウヨクからすれば民進党からリベラル派と称される左翼勢力が駆逐された事で万々歳という事であろうが、道理に背いた形で叩き出すような小池氏の手法は評価できるものではない。人の道を踏み外せばしっぺ返しを食らうことになる。

 枝野氏は一人で会見に臨み立憲民主党の旗揚げを表明したが、心意気は良し。

勿論、思想信条は異なる訳で応援はしないが評価したい。

 所謂保守・ネットウヨクはステレオタイプに「枝野は革マル派なんです」と盛んに吹聴しているが、その実態は何処にあるのか。

枝野を支援するJR労組の中に革マル派の息のかかった者・勢力が存在するということではないのか。枝野自身が革マル派の看板を掲げて活動に従事していた訳ではあるまい。

東日本大震災発生以降、官房長官として毎日のように記者会見に臨んでいたが、必ず壇上の国旗に一礼してから登壇していたではないか。我々の立場からすれば政治的には敵対勢力ではあろうが、人間的には頑張ってほしい。

 

 小生とて政治的な思想信条や政策としては小池の方が近いが、人間的な器としては信用はならない。

この世界ではそういった人物が余りにも多すぎる。石原慎太郎・橋下徹をはじめ保守の論壇に立つ著名人物でも品性下劣な人間が多すぎる。我々在野の活動の場でもそういう人々と接してきた。

小池氏が9月29日に民進党候補全員を受け入れる気はサラサラございませんと言ったが、なぜ故に「サラサラ」という文言を用いたのかを考えれば人間の器が見えてくる。

「希望の党からの立候補はご遠慮頂く」でも意味は通じるところ、「排除する」との文言を用いたことでも分かる。

 

 小池氏は25年前・平成4年の参院選挙において初めて政界に出た訳であるが、選挙戦初日に渋谷駅前の街宣活動で野村秋介氏卒いる我々「風の会」とバッティングした。

 日本青年社の大型バスを用いた街宣車が止まり、移動用にもう一台の街宣車がハイエースを用いた日本新党の宣伝カーの脇を横切った際に40歳だったアナウンサー上がりの小池氏は演説の途中で「あ〜ら、大きな車がもう一台あるんですねぇ」と感嘆したかの様に話していた。

 ただそれだけのことなのだが、その言い方がどうにも嫌味を含んだニアンスで聞こえたのは小生の単なる僻みだろうか。

これが今回の「サラサラございません」に似た響きをもっているのだ。

街宣車乗り回すだけのヤクザ右翼が、と安保法制に反対してきた左翼が、と全く相反する相手ではあるがエスタブリッシュメントの側から見た驕りが感じられるのだ。

 

 政治的立ち位置・政策は支持する部分もあるのだが、社会の底辺に暮し歯を食いしばって子育てに邁進する庶民の立場に思いを至らせるタイプの人間ではないように思う。

 


沖縄戦と青柳時香陸軍少将

 6月23日。沖縄戦において日本軍の組織的戦闘が終結して72年となる。
母方の祖父、青柳時香が戦死したのはその16日後となる7月9日。
場所は沖縄本島が中央部で細く括れた部分にある石川岳の中腹と聞いている。
 仙台幼年学校を卒業し陸士28期として任官した青柳の軍歴は波乱に満ちていた。
林家に嫁いだ姉の二男である林八郎少尉は二・二六事件において栗原安秀大尉と共に首相官邸を攻撃するにあたり
兵を卒いて裏門からの突入を指揮したことで、銃殺刑となった。
その際、青柳は進退伺を出したが、この件では一応不問とされた。
 支那事変においては支那戦線に派遣され部隊を指揮していたが、隣に駐屯する部隊が八路軍に攻め込まれて大砲を取られる失態をがあった。
これに対し陸軍上層部から「なんで青柳の部隊は助けに行ってやらなかった」、と非難され
攻め込まれた部隊長と共に連帯責任というかたちで、冷や飯喰いの扱いを受けた。
 広大な支那戦線において隣の部隊とは言え、攻められたからと言って瞬時に駆けつけられるものでもなく、
同期の部隊長だからと言って責任を取れとは無茶な話ではないか。
 また、パーローと言われる八路軍の強靭さは相対した者でなければ分からない精鋭さをもった軍隊であった。
満足な装備も無いままに広大な支那戦線に放り出されるように駐屯させられた我が軍が簡単に太刀打ちできる状態にはなかった。
 その後、大東亜戦争末期において、戦況最悪の沖縄に派遣され第十九航空地区指令として飛行場の建設に携わる事となる。
米軍の本島上陸を喰いとめる為、3月の上陸直前に東シナ海に向かう読谷村地区に赴任するが、
戦況は混乱し、まともな軍隊としての指揮系統も取れない状況であった。
支那戦線で鍛えたたたき上げの連隊長であるから、きちんとした部隊があれば指揮を執って兵站を構築できようが、
連隊はバラバラでそのうち牛島参謀長とも連絡が取れなくなるありさま。
 同期の人間はすでに中将あたりに昇官しているなか、特設第一連隊長・陸軍中佐として上陸した米軍との間で日々死闘を展開していた。
 陸軍上層部では、「青柳の連隊がもう少し頑張って敵の上陸を遅らせてくれると思っていいたが、意外にも簡単に上陸を許してしまった」、と
青柳に責任を転嫁するが如き見解を示していた。
 馬鹿を抜かすな、この戯け者が。現地の戦況も分からずに内地で呑気なことを抜かす馬鹿共が指揮を執っていたから日本は負けたのではないか。
満足な武器も装備も弾薬もない中で、東シナ海の沖合に山脈のようにして押し寄せる真っ黒なアメリカの大軍を如何にして喰いとめることができようか。
 特設第一連隊については沖縄戦史において一部記述されているが、
その中でも「特設第1連隊の行動には詳細な資料が無く、第1大隊は全滅したために資料がない。」
とあるように記録を留める余裕もないほどの鮮烈を極めた最期であった。
 6月23日に組織的な戦闘を終結させると牛島満司令官や長勇参謀長は部下を残してさっさと自決してしまう。
 青柳は家族のいるものは安全な北部に移動させ、数名の若い部下と共に石川岳周辺のジャングルに籠って
本島を制圧した米軍相手に遊撃戦を展開する。
主に夜襲をかけて敵の兵站を攪乱することとなる。
 そんな中、米軍からお菓子をもらった現地人が密告をする、「あそこに大物がかくれている」
7月9日、部下が食糧を調達に行き小屋に一人でいるところを米軍の奇襲部隊に発見され火炎放射器の猛攻に遭う。
 沖縄に限ったことではない。インパール作戦にも代表されるように戦場を知らない馬鹿な上層部が机上の空論で戦争を展開したために
若い尊い命が虫けらのように切り捨てられた。
 本来なら先頭を切って戦後日本の復興の為に尽力したであろう、有能なる人材こそが率先して命を落とした。
そして、無残な敗戦へ導いた無能な指導者がのうのうと生き延びて、この腐敗堕落した戦後ニッポンを作ったのだ。
 青柳が沖縄で激闘を繰り広げる最中、同期も多くいた陸軍上層部では「青柳はまだ中佐だったのか。はやく大佐に引き上げてやらなければいかんな」、ということで、
沖縄戦終結の間際に大佐への昇官を果たした。
従って戦死により一階級特進し陸軍少将の扱いを受けた。祖母は戦後しばらくして相応の恩給を受取ることができた。
その中から、孫である私たちにも小遣いを与えることができるようになった。
祖母は生きている間、決して日本軍を悪くいうことはなかった。

有山氏と再会

6月14日(水曜日)、夜中にあずさの女将から電話。

「有山さんが来ているけど、槇さんに会いたがっているよ」、とのこと。

有山氏とは一水会の友好団体として「平和の会」を立ち上げ多摩地域で活動していた有山安男氏のこと。

突然、名前をあげられて実感が湧かなかったが、一緒に活動していた平成3〜5年当時の記憶が蘇ってきた。

 

店に行くと昔と変わらぬふくよかなで笑みを讃えた有山氏と再会。

最後に顔を会わせたのが阿部勉さんの葬儀の時だから十数年ぶりであろうか。

今は台湾に居住し、一時帰国中とのこと。

その前はニュージーランドに住んで、飛行機操縦士のライセンスを取得していたそうだ。

英語に堪能でなければライセンスを取得できない厳しい環境のニュージーランドで商業飛行の会社を経営。

その後は、フィリッピンでも日本人向けのライセンス取得事業を行っていたとか。

「天皇尊重」なんて大きく看板を掲げた街宣車を乗り回していた当時からは想像もできない出世ぶりだ。

 

 フェイスブックとやらを駆使して昔、一水会で活動していた当時のメンバーとも交流を持っているそうで、

皆さん活動を離れ、それぞれの道で堅実に歩んでいるみたいです。

29.6.14有山.jpg

 


通夜式の後で一献お世話になりました

 民族革新会議の議長であり博友会を主宰する犬塚博英氏とのご縁で酒席などをご一緒する機会の多かった佐藤裕史氏がお亡くなりになった。以前より癌との闘い臨んでいたが65歳と言う若さにして幽冥境を異にされる事となった。

拓大の柔道部OBという事で口数は少ないが実直で硬骨漢という印象の方であった。

七日の通夜式場は拙宅から歩いても10分程度。

 

 帰りがけに犬塚議長から声を掛けて頂いたので、民革の方々と共に沼袋駅近くのモツヤキ屋にて一献お世話になる。

焼酎を水割りと炭酸割りで頂く。

牧田氏も合流したが、不安定な丸椅子では尻が疲れるというので、電車に乗って高田馬場へ移動。

犬塚議長がお気に入りの磯丸水産にて更に一献のお世話になる。

 磯小屋風の作りで卓上のガスコンロで魚介類を焼いて食べる店。アッチコッチにチューン店を展開しているようだ。

新宿なんかでも朝まで夜通し若い女の子が入っている。ここ高田馬場でも若い女があふれ、我々のようなオッサン連中は

極めて少数派という不思議な空間。

店員の若い女の子は花柄の甚平みたいなうユニフォームを着て動き回っている。

そういえば佐藤さんと最期にお会いしたのも新宿3丁目の磯丸水産だった。7月30日の靖国神社懇談会の後だったっけ。

 

 日本酒を注文。メニューの中から松竹梅「豪快」をチョイス。ここの日本酒は全て辛口だとか。

小生は高い酒を飲まない。よく女子供が好むようなフルーティーなワインのようなテイストの日本酒、大吟醸とかが巷ではもてはやされている。が、こんなのは邪道だ。

 旨いと感じる口当たりの良い酒はついつい飲み過ぎてしまう。節度を失ってしまうからいけない。

酒を飲むと言うのは一種の修行であるから、旨い酒を飲んではいけない。

安い酒を注文してその苦さを味わいつつ、堪える様にして喉の奥に流し込む。

小生は飲食店で日本酒を注文する時には銘柄を指定しない、その店のメニューに「日本酒」とだけ明記されている酒、

つまりは一番安い酒を注文する。

ただ単に懐具合の問題だけではない。その店のポリシーが分かる。

アテ(肴)もそれに呼応したレベルのものが出てくるはずだ。一人で日本酒を流し込むなら「舟歌」の歌詞にあるような店で飲みたいものだ。

 

 磯丸水産で燗酒を頼むと小さな薬缶に入って運ばれてくる、犬塚議長も小生もこれがお気に入りとなっている。

小さな杯にチビチビ注いで喉に流し込むのが庶民的で良い。

銘柄の「豪快」とは裏腹なのも良い。

佐藤裕史さんの御霊に対し献杯。ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

 

 


日本の政治家なら日本人と分かる表記をすべき

民進党の代表選挙に立候補している蓮舫氏の国籍疑惑が一部で報道されている。

民進党が政権奪還を目指すのであれば将来的には日本国の総理大臣になる可能性もあり得る訳で、

日本以外の国籍を有した状態で日本国の首相になることはあり得ない。

 

台湾人である謝哲信氏と日本人である斉藤桂子女史との間に産まれた台湾系日本人であると言われている。

その後、日本人の村田信行しと結婚し、村田蓮舫という本名を持っている訳であるから、そのまま名乗れば良いわけである。

きわどい水着姿を晒して悪戯に青少年の性的好奇心を掻き立てる事を目的とした、芸能界活動に従事しているのとは訳が違うのであるから、ハッキリと自らの素性・本名を明確にすべきではないのか。

 

 彼女は産まれた時から日本人であったとされてきるが、日本に在住する外国人が日本国籍を取得する、いわゆる帰化において、

この先も日本人として日本国に忠誠を誓う証として日本名に改名するといった制度が廃れて久しい。

反日活動を生業とする辛淑玉(シン・スゴ)という朝鮮人女性は以前、ラジオ番組に出演し、日本国籍を取得することの難しさを力説していた。

日本名を決める際に、辛淑玉を変更することなしに、読み方だけを「しん しゅくぎょく」にします、と言ったらば、

法務省の担当者から「貴女からは善良な日本人になろうとする決意が感じられない」、と言って帰化を認めてもらえなかった

と、日本の行政の閉鎖性を訴えていた。

 彼女のいう事だから嘘か本当か、または誇張があるのか不明であるが、以前は日本名を用いるのが常であった。

金(キム)なら金田などに改名するという具合だったが、いまは漢字を用いる朝鮮・支那出身者はそのままで日本語読みをすることが珍しくない。

白眞勲などという国会議員が出てくることも普通となってしまった。

一方、所謂保守陣営においてもペマ・ギャルポ氏や石平氏など、昔で言えば「善良な日本人になる気」が疑わしいと言われても仕方がないような日本名が一般化している現実がある。

 

蓮舫氏のwikipediaをみると

  • 2016年9月現在、台湾国籍もあるので2重国籍状態である。

、あるが真実は如何であろうか

 

 

民進党代表選】蓮舫代表代行「18歳で日本人を選んだ」二重国籍疑惑を否定

 

民進党の蓮舫代表代行は3日午前の読売テレビ番組で、司会者から台湾と日本との「二重国籍」を疑う指摘があることを問われ、「台湾籍を抜いている」と述べ否定した。

 蓮舫氏は「私は生まれたときから日本人だ」と説明。「高校3年で、18歳で日本人を選んだ」と述べた。また、「今、そういううさわが流布されるのは正直悲しい」とも語った。

 

 

 


新鮮野菜をありがとう

21日・日曜日に群馬の栗原さんから電話があって、「これから東京の方にいくので野菜を持って行くから、どうか」、と言ってくれたんです。

15日に靖国神社で頂いた事を当ブログで報告してあったので、悪い気はしなかったみたいです。

ただ、わざわざ来ていただくのも気が引けるのですが

栗原さんは埼玉県で開催されるデモ行進に参加するのでそのついでということです。

中野駅前で待ち合わせると地元で採れた「ナスだけではナンだから」と、途中で他の野菜まで買い足してバッグに一杯持ってきてくれたんです。

こんなにしてもらって感謝感謝なんですが、私としては何もお返しできないので恐縮してしまうんです。

栗原さんは「槇さんには世話になっているから」、と言ってくれますが昔の事です。

17年も前になります。保守系活動家5人が神奈川県警に逮捕された件で、救対本部を立ち上げ、弁護士対応や保釈・公判に向けた準備をしたことを未だに恩義に思ってくれているのです。

ただ、私一人の力ではなく柚原さんなど台湾関係の方が親身になってカンパを集めてくれたので、救対が成立したんです。

松井やよりが女性国際戦犯法廷の報告会を行う会場に行って討論を吹きかける目的で行ったことが威力業務妨害罪として、

その集会から4か月後に突然逮捕されたんです。

十数人で抗議に行ったのですが、その中から修平氏・カトテツなど5人が逮捕されました。

私にも声が掛っていたとは思いますが、その日(7月7日、盧溝橋事件の日)はたまたま所要の為に参加できなかったのだと思います。行っていれば当然に私も的に掛けられていましたでしょう。

 

 栗原さんは普通に会社員をやっていて当日は障害者でくるある正田さんの車椅子を押していた訳で、多少抗議の声は発したでしょうが威業が適用するような犯罪は犯してなかったんです。

選任された高池弁護士を通じて保釈申請をだしても何度も却下されて長期間の拘留が続いたんです。

栗原さんは胃に穴があいて吐血して入院したのですが、それでも保釈させないんです。

 後に公判で見たけど30代位と比較的若く見るからに底意地の悪そうな不細工な作りの左翼感丸出し女検事でした。

 

 伝手を頼った結果、西村真悟衆院議員が国会の予算委員会で森山真弓法務大臣に直接質問をしてくれたんです。

逮捕された5人の名前を出して一人一人の生い立ちや素性を説明して、これ以上の拘留は必要ない。

在宅の取り調べで充分だ、すぐに保釈すべきではないか、と質問してくれたんです。

栗原さんは障害を負った妹さんの面倒を看ながら暮らしていて、兄がいなくなったことでパニックを起こしていることなどを

懇々と説明してくれたんですが、それでも保釈は実現しなかったんです。

 

 だから西村真悟氏には恩義があるんです。

原発推進とか訳の分からん事を言っているし、韓国人に売春婦と言ってやれとか学習能力もない舌禍を繰り返し、

もう議員に返り咲く見込みはないでしょうが、平成9年に拉致問題を国会で取り上げてくれた事が、救出運動の先駆けでもありましたので、日本にとって必要なひとではあるんです。

だから私は7月の参院選では西村氏の名前を書いたんです。

 

 そんなんで、栗原さんをデモ行進の会場である西川口まで車で送っていたんです。

山手通りから中山道に入り戸田橋を渡ります。途中通過する戸田市には一年弱ですが住んでいたことがあります。

懐かしい長谷工のスカイハイツ前を通過して西川口駅南側の陸橋を渡って東口にでました。

その陸橋脇にある、フドウ西川口ハイツ前も通過しました。

海外赴任から一時帰国している2〜3週間の間、住む所もないのでここで寝泊まりていたんです。

会社が施工販売したマンションで、売れ残りの部屋を一時的に社員寮としていたのです。

周囲には怪しげな風俗店がたくさんあったので、若い私は連日そこらでお金を散財していたのです。

 

 

 会場となる並木町北公園に通じる路上、というか駅の東口一帯には所轄の警察官や私服・

埼玉県県警等の公安、そして機動隊がわんさか待機していました。

行動保守と言われる人々の集会とデモ行進だそうです、

シナ人が日本人を殺害して、逮捕されたのですが不起訴になり釈放されたことに抗議し、地元住民に注意を喚起するデモ行進のようです。

西川口は都心に直結しており、商店や飲食店が多く密集し便利な街です。

その反面、シナ人など外国人がが多く居住し、治安が悪くなっています。

栗原さんが参加したデモ行進が無事に敢行されたことを祈念しています。

なすチーズ焼き.jpg

頂いたナスをロースハムのように厚切りにして、とろけるチーズを乗せてオーブンで焼きました。

コッチは背中が痛くて身動きできずに救急車呼ぼうか、って言っているのに

女房は「なす半分だけ使ったから」、と平然とノタマウ、、、我が家。

 

今は小康状態を保っていますが痛い事に変りはなく、近々に医者に行ったほうが良いみたいですね。

なんせ歳ですから。まあ、考えられる原因は金欠病からくるストレスでしょう。

 


山口敏夫元労働大臣が都知事選に参戦

自民党の小池百合子氏が記者会見を開き正式に都知事選出馬を表明。

自民党の推薦を必要としないことを明らかにした。

都議会自民党の不透明な体質にも批判を向けるなど、なかなかやるじゃないか、といった印象だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160706-00000109-mai-pol

 

都知事選に関して言えば、一方で山口敏夫元労働大臣が出馬を表明したの意外だった。

嘗ては「政界の牛若丸」または、「珍念」などと称された新進気鋭の政治家ももう75歳になるんですね。

勝算もなくこの年で都知事選に立候補する意図はなんなのか、謎の人物ではあります。

 

平成7年には日本を改革する為に新たな運動を起こそう、ということで事務所を開設したり精力的に活動を共にした時期もあり、その情熱は未だ衰えてないのだと感心させられます。

「槇君、事務所開きをするから急いで来てくれ」と、電話をもらい神田にある雑居ビルに到着すると、広いフロアに山口氏とその秘書、そして所謂大物右翼のK氏が待ち構えていた。まだ何もないガランとした事務所の隅々にお神酒を振る舞って、これからの運動の門出を祝ったのが懐かしく思い出される。

その後、広島でヤクザをしていたM氏が呼ばれ専属の運転手となり、マスコミによる人権侵害を徹底糾弾する活動を展開する事となった。

当時の山口氏は協和・安全という二信組問題で世間からの注目を浴び、マスコミからは親族企業への不正融資などで叩かれていた。

何を以って「親族企業」などというのか、偏向報道だ、けしからん、ということで、マスコミに対する抗議行動に精を出していた。

私も「マスコミによる人権侵害と法治主義破壊を告発する100万人オンブズマン会議」、という恐ろしく長ったらしい団体名の名刺を持ち、幹事という肩書を与えられ、新聞社を訪問するなどして親族企業を使うななどと直接的な抗議行動を展開していた。

 

新聞社やテレビ局に電話して「こちらはマスコミによる人権侵害と法治主義破壊を告発する100万人オンブズマン会議です」、と言うと相手は「はあ?」と聞き返すので、もう一回「マスコミによる、、、」と繰り返し、担当の者に伝えると言うので、メモを取る為にもう一回ゆっくりと団体名を繰り返す。これだけで5分はかかってしまう、疲労を伴う作業だったのだ。

 

 毎週、事務所に大勢のマスコミを呼んで勉強会を開催するなどしてたが、集まってくるメディアの関心はいつ逮捕されるのかにあり、勉強会の内容などどうでもよかったみたいだった。

逮捕直前には鎧甲冑の事務所の人から「山口さん自殺しなさい」と、自決用の拳銃を渡され、その仲介をしたのがM氏だったそうだ。

結局、逮捕前日に睡眠薬を飲んで寝過ごしてしまい、自決は適わぬまま逮捕されたことで、この運動は終わり事務所も撤収されたのだが、いまから思うと遠い世界の出来事のように思えるのだ。

人柄は良く頭も切れ弁も立つ人なので、首都東京の発展の為にも頑張って頂きたい。

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これだけは唯一、いまでも私の事務所で活躍している

 


小池百合子が都知事選に出馬表明

6月29日(水曜日)、夜のニュースで知ったが、小池百合子が都知事選への立候補を表明したそうだ。

意外だった。周りからは推す声があったが本人は乗り気ではないと思っていた。

このまま国政に専念し、近い将来は自民党で総裁の椅子を手に入れるつもりかと思っていた。

実際、過去には総裁選に出馬しているし。

都知事選に出馬ということは、総理総裁の椅子はきっぱりと諦めたということか。

政界渡り鳥として散々に爺を誑し込んできた手腕も都知事で最後とするのか。

 

思い出すは平成4年の参院選。

彼女はテレビ東京のアナウンサーから転身して細川護煕の立ち上げた日本新党から立候補した。

我々は野村秋介代表の下で「風の会」を立ち上げ選挙戦に挑んだ。

初日、街頭演説の定番である渋谷ハチ公前で、風の会が第一声を上げようとすると日本新党の宣伝カーがやってきた。

野村代表はマイクを持つと「10時から街宣やろと言うんで10時に来るなんて、やっぱりお殿様なんだね。僕たちはこの場所で演説するために前の晩から場所を確保しているんだよ」、と笑って語りかけていた。

小池百合子の我々に向けた視線と言うのは明らかに穢れた物に対する侮蔑的な感覚があるように思われた。これは私の個人的な見方ではあるが。

代々続く細川家の当主のもとで、クリーなイメージと共に旗揚げした日本新党であるから、手垢に塗れた自民党とは一線を画した存在である。

ましてや、無頼漢の集まりの如き風の会の面々とは距離を置きたいと言う風な表情に受け取れた。

当時、選挙カーとして使用させて頂いていた日本青年社の街宣車の他に、もう一台の街宣車がはいってくると、

「あら、もう一台街宣車があるんですか、お金持ちですねぇ」、と言った際の表情と口ぶりは明らかに皮肉めいたものであった。

ハイエースの選挙カーの屋上に上がる際にもミニスカートでリアハッチバックドアに掛けられた梯子から上がっていたが、

群がる報道陣に対しては「これ以上、近づいたらダメよ」、などと叱責していた。

 

細川政権が崩壊し日本新党も解党すると小沢一郎の新進党、保守党と渡り歩き最終的には自民党に入党し環境大臣の椅子を手中に収めた。

一般に彼女の経歴として「元防衛大臣」、というのを目にするが、実際に不祥事に引責し就任後2か月で辞職している訳であり、

さして防衛行政に精通しているとも思えない。

 

それでも所謂保守、そして民族派内にも彼女を推す声は強いようだ。

 で昨日、歌舞伎辛口評論家と称されるご老人から電話が入った。

「小池君が都知事に立候補しましたね。彼女なら英語もできるしアラビア語もわかる。政界渡り鳥なんて言われているんで難はあるが、ぜひとも彼女を応援してもらいたいんですよ、、、、、、と言うのはね、彼女が学生時代の家庭教師は私なんですよ」

「はあ、、」


鳩山邦夫についての思い出

 参院選公示の6月22日、鳩山邦夫衆院議員逝去のニュースが流れた。

小生とは一面識もないどうでもよい人物という印象しかないが、度重なる舌禍はいつも物議の対象となった。

彼に限らず御坊ちゃま育ちの二世三世議員においては人の心の痛みや琴線に触れる機会もないだろうから

後先考えないでズバズバと本音を吐露するのだろう。

 

邦夫4.png

 

祖父一郎が築いた自民党を飛び出して弟・由紀夫と共に民主党を旗揚げし、平成11年の都知事選挙には無所属で立候補したが、石原慎太郎の圧倒的な人気の中で舛添・明石(自民)・柿沢・三上(共産)等と共に落選した。

 その年の秋頃であったろうか鳩山邦夫事務所から弊会に電話が来た。

住所を教えて欲しい、とのことなので、当時の高田馬場の住所を教えておいた。

 しばらくすると鳩山邦夫かられ冷蔵された奥久慈軍鶏肉のパックが送られてきた。

 明らかに「政経調査会」違いである。

田中角栄の金庫番と言われた越山会の女王・佐藤昭子氏の主宰する政経調査会に送るつもりで、住所が分からず104で調べ弊会に掛けて住所を聞いた結果であった。

 小生が平河町にある佐藤昭子氏の政経調査会に電話をかけて「こんな物が届いてますけど、どうしましょうか」、と聞いたところ電話に出た人は「適当に処分してください」、というので「それじゃあ、御礼状でも書いておきましょう」、と言って電話をきった。

軍鶏肉は当然、我が家の食卓に上った。

 

 小生は如何にも佐藤氏の代筆のようにして「大変結構な品を頂きありがとうございます。日頃、グルメを自認する私にも美味しく頂くことができました」、などとふざけた文章で送ってやった。

 

 その後、挨拶がてら平河町の政経調査会を訪問してみた。応対に出た事務長のA氏がどういう人かも分からずに、軍鶏肉のお礼など適当に話していた。

 その前に群青忌の記事を掲載した「政経通信」を送付していたこともあり、「野村秋介さんの系統の方なんですね」、というので

「ええ、まあ」と言葉を濁すと、「衛藤さんなんか知ってる?」というので、青年社の衛藤会長には自宅に招かれて酒食のお世話になったこともあるので、「お世話になってます」、と答える。

 「犬塚さんは知ってる?」、というので一水会の先輩であるし「いつも、お世話になってます」、と答えるしかない。

「みなさん、うちには良く来られますよ」、と言う。

 ここまでくると鈍感な小生でもだいたいの状況がわかり、「こりゃぁ、あんまりオチョっているとまずい相手ではないか」と察してきたので、身震いをしながら早々に政経調査会を後にした。

 このA氏こそが、政界を裏で仕切る佐藤昭子ママを支え、代議士をも顎で使い、日本の裏社会にも睨みをきかす、人物であると後に知ったのだ。

 昭子ママに対し、如何なる願い事があったかの知らないが、政経調査会の電話番号を104で調べるような鳩山なんてチンピラ代議士は相手にもしていなかったのだろう。

 

そして、年が明けると「鳩山邦夫自民党へ復党」のニュースが流れた。

 


朱光出版阿形充規会長の喜寿のお祝い

平成28年5月15日(日曜日)
新宿区歌舞伎町のバトウールにおいて「阿形充規先生の喜寿を祝う会」が開催され出席する。
通常は結婚披露宴に使用するであろう豪華な広間に民族派活動家のみならず各界から大勢の人が集まり盛大に喜寿の宴が開催されました。
阿形会長喜寿.jpg

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