通夜式の後で一献お世話になりました

 民族革新会議の議長であり博友会を主宰する犬塚博英氏とのご縁で酒席などをご一緒する機会の多かった佐藤裕史氏がお亡くなりになった。以前より癌との闘い臨んでいたが65歳と言う若さにして幽冥境を異にされる事となった。

拓大の柔道部OBという事で口数は少ないが実直で硬骨漢という印象の方であった。

七日の通夜式場は拙宅から歩いても10分程度。

 

 帰りがけに犬塚議長から声を掛けて頂いたので、民革の方々と共に沼袋駅近くのモツヤキ屋にて一献お世話になる。

焼酎を水割りと炭酸割りで頂く。

牧田氏も合流したが、不安定な丸椅子では尻が疲れるというので、電車に乗って高田馬場へ移動。

犬塚議長がお気に入りの磯丸水産にて更に一献のお世話になる。

 磯小屋風の作りで卓上のガスコンロで魚介類を焼いて食べる店。アッチコッチにチューン店を展開しているようだ。

新宿なんかでも朝まで夜通し若い女の子が入っている。ここ高田馬場でも若い女があふれ、我々のようなオッサン連中は

極めて少数派という不思議な空間。

店員の若い女の子は花柄の甚平みたいなうユニフォームを着て動き回っている。

そういえば佐藤さんと最期にお会いしたのも新宿3丁目の磯丸水産だった。7月30日の靖国神社懇談会の後だったっけ。

 

 日本酒を注文。メニューの中から松竹梅「豪快」をチョイス。ここの日本酒は全て辛口だとか。

小生は高い酒を飲まない。よく女子供が好むようなフルーティーなワインのようなテイストの日本酒、大吟醸とかが巷ではもてはやされている。が、こんなのは邪道だ。

 旨いと感じる口当たりの良い酒はついつい飲み過ぎてしまう。節度を失ってしまうからいけない。

酒を飲むと言うのは一種の修行であるから、旨い酒を飲んではいけない。

安い酒を注文してその苦さを味わいつつ、堪える様にして喉の奥に流し込む。

小生は飲食店で日本酒を注文する時には銘柄を指定しない、その店のメニューに「日本酒」とだけ明記されている酒、

つまりは一番安い酒を注文する。

ただ単に懐具合の問題だけではない。その店のポリシーが分かる。

アテ(肴)もそれに呼応したレベルのものが出てくるはずだ。一人で日本酒を流し込むなら「舟歌」の歌詞にあるような店で飲みたいものだ。

 

 磯丸水産で燗酒を頼むと小さな薬缶に入って運ばれてくる、犬塚議長も小生もこれがお気に入りとなっている。

小さな杯にチビチビ注いで喉に流し込むのが庶民的で良い。

銘柄の「豪快」とは裏腹なのも良い。

佐藤裕史さんの御霊に対し献杯。ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

 

 


日本の政治家なら日本人と分かる表記をすべき

民進党の代表選挙に立候補している蓮舫氏の国籍疑惑が一部で報道されている。

民進党が政権奪還を目指すのであれば将来的には日本国の総理大臣になる可能性もあり得る訳で、

日本以外の国籍を有した状態で日本国の首相になることはあり得ない。

 

台湾人である謝哲信氏と日本人である斉藤桂子女史との間に産まれた台湾系日本人であると言われている。

その後、日本人の村田信行しと結婚し、村田蓮舫という本名を持っている訳であるから、そのまま名乗れば良いわけである。

きわどい水着姿を晒して悪戯に青少年の性的好奇心を掻き立てる事を目的とした、芸能界活動に従事しているのとは訳が違うのであるから、ハッキリと自らの素性・本名を明確にすべきではないのか。

 

 彼女は産まれた時から日本人であったとされてきるが、日本に在住する外国人が日本国籍を取得する、いわゆる帰化において、

この先も日本人として日本国に忠誠を誓う証として日本名に改名するといった制度が廃れて久しい。

反日活動を生業とする辛淑玉(シン・スゴ)という朝鮮人女性は以前、ラジオ番組に出演し、日本国籍を取得することの難しさを力説していた。

日本名を決める際に、辛淑玉を変更することなしに、読み方だけを「しん しゅくぎょく」にします、と言ったらば、

法務省の担当者から「貴女からは善良な日本人になろうとする決意が感じられない」、と言って帰化を認めてもらえなかった

と、日本の行政の閉鎖性を訴えていた。

 彼女のいう事だから嘘か本当か、または誇張があるのか不明であるが、以前は日本名を用いるのが常であった。

金(キム)なら金田などに改名するという具合だったが、いまは漢字を用いる朝鮮・支那出身者はそのままで日本語読みをすることが珍しくない。

白眞勲などという国会議員が出てくることも普通となってしまった。

一方、所謂保守陣営においてもペマ・ギャルポ氏や石平氏など、昔で言えば「善良な日本人になる気」が疑わしいと言われても仕方がないような日本名が一般化している現実がある。

 

蓮舫氏のwikipediaをみると

  • 2016年9月現在、台湾国籍もあるので2重国籍状態である。

、あるが真実は如何であろうか

 

 

民進党代表選】蓮舫代表代行「18歳で日本人を選んだ」二重国籍疑惑を否定

 

民進党の蓮舫代表代行は3日午前の読売テレビ番組で、司会者から台湾と日本との「二重国籍」を疑う指摘があることを問われ、「台湾籍を抜いている」と述べ否定した。

 蓮舫氏は「私は生まれたときから日本人だ」と説明。「高校3年で、18歳で日本人を選んだ」と述べた。また、「今、そういううさわが流布されるのは正直悲しい」とも語った。

 

 

 


新鮮野菜をありがとう

21日・日曜日に群馬の栗原さんから電話があって、「これから東京の方にいくので野菜を持って行くから、どうか」、と言ってくれたんです。

15日に靖国神社で頂いた事を当ブログで報告してあったので、悪い気はしなかったみたいです。

ただ、わざわざ来ていただくのも気が引けるのですが

栗原さんは埼玉県で開催されるデモ行進に参加するのでそのついでということです。

中野駅前で待ち合わせると地元で採れた「ナスだけではナンだから」と、途中で他の野菜まで買い足してバッグに一杯持ってきてくれたんです。

こんなにしてもらって感謝感謝なんですが、私としては何もお返しできないので恐縮してしまうんです。

栗原さんは「槇さんには世話になっているから」、と言ってくれますが昔の事です。

17年も前になります。保守系活動家5人が神奈川県警に逮捕された件で、救対本部を立ち上げ、弁護士対応や保釈・公判に向けた準備をしたことを未だに恩義に思ってくれているのです。

ただ、私一人の力ではなく柚原さんなど台湾関係の方が親身になってカンパを集めてくれたので、救対が成立したんです。

松井やよりが女性国際戦犯法廷の報告会を行う会場に行って討論を吹きかける目的で行ったことが威力業務妨害罪として、

その集会から4か月後に突然逮捕されたんです。

十数人で抗議に行ったのですが、その中から修平氏・カトテツなど5人が逮捕されました。

私にも声が掛っていたとは思いますが、その日(7月7日、盧溝橋事件の日)はたまたま所要の為に参加できなかったのだと思います。行っていれば当然に私も的に掛けられていましたでしょう。

 

 栗原さんは普通に会社員をやっていて当日は障害者でくるある正田さんの車椅子を押していた訳で、多少抗議の声は発したでしょうが威業が適用するような犯罪は犯してなかったんです。

選任された高池弁護士を通じて保釈申請をだしても何度も却下されて長期間の拘留が続いたんです。

栗原さんは胃に穴があいて吐血して入院したのですが、それでも保釈させないんです。

 後に公判で見たけど30代位と比較的若く見るからに底意地の悪そうな不細工な作りの左翼感丸出し女検事でした。

 

 伝手を頼った結果、西村真悟衆院議員が国会の予算委員会で森山真弓法務大臣に直接質問をしてくれたんです。

逮捕された5人の名前を出して一人一人の生い立ちや素性を説明して、これ以上の拘留は必要ない。

在宅の取り調べで充分だ、すぐに保釈すべきではないか、と質問してくれたんです。

栗原さんは障害を負った妹さんの面倒を看ながら暮らしていて、兄がいなくなったことでパニックを起こしていることなどを

懇々と説明してくれたんですが、それでも保釈は実現しなかったんです。

 

 だから西村真悟氏には恩義があるんです。

原発推進とか訳の分からん事を言っているし、韓国人に売春婦と言ってやれとか学習能力もない舌禍を繰り返し、

もう議員に返り咲く見込みはないでしょうが、平成9年に拉致問題を国会で取り上げてくれた事が、救出運動の先駆けでもありましたので、日本にとって必要なひとではあるんです。

だから私は7月の参院選では西村氏の名前を書いたんです。

 

 そんなんで、栗原さんをデモ行進の会場である西川口まで車で送っていたんです。

山手通りから中山道に入り戸田橋を渡ります。途中通過する戸田市には一年弱ですが住んでいたことがあります。

懐かしい長谷工のスカイハイツ前を通過して西川口駅南側の陸橋を渡って東口にでました。

その陸橋脇にある、フドウ西川口ハイツ前も通過しました。

海外赴任から一時帰国している2〜3週間の間、住む所もないのでここで寝泊まりていたんです。

会社が施工販売したマンションで、売れ残りの部屋を一時的に社員寮としていたのです。

周囲には怪しげな風俗店がたくさんあったので、若い私は連日そこらでお金を散財していたのです。

 

 

 会場となる並木町北公園に通じる路上、というか駅の東口一帯には所轄の警察官や私服・

埼玉県県警等の公安、そして機動隊がわんさか待機していました。

行動保守と言われる人々の集会とデモ行進だそうです、

シナ人が日本人を殺害して、逮捕されたのですが不起訴になり釈放されたことに抗議し、地元住民に注意を喚起するデモ行進のようです。

西川口は都心に直結しており、商店や飲食店が多く密集し便利な街です。

その反面、シナ人など外国人がが多く居住し、治安が悪くなっています。

栗原さんが参加したデモ行進が無事に敢行されたことを祈念しています。

なすチーズ焼き.jpg

頂いたナスをロースハムのように厚切りにして、とろけるチーズを乗せてオーブンで焼きました。

コッチは背中が痛くて身動きできずに救急車呼ぼうか、って言っているのに

女房は「なす半分だけ使ったから」、と平然とノタマウ、、、我が家。

 

今は小康状態を保っていますが痛い事に変りはなく、近々に医者に行ったほうが良いみたいですね。

なんせ歳ですから。まあ、考えられる原因は金欠病からくるストレスでしょう。

 


山口敏夫元労働大臣が都知事選に参戦

自民党の小池百合子氏が記者会見を開き正式に都知事選出馬を表明。

自民党の推薦を必要としないことを明らかにした。

都議会自民党の不透明な体質にも批判を向けるなど、なかなかやるじゃないか、といった印象だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160706-00000109-mai-pol

 

都知事選に関して言えば、一方で山口敏夫元労働大臣が出馬を表明したの意外だった。

嘗ては「政界の牛若丸」または、「珍念」などと称された新進気鋭の政治家ももう75歳になるんですね。

勝算もなくこの年で都知事選に立候補する意図はなんなのか、謎の人物ではあります。

 

平成7年には日本を改革する為に新たな運動を起こそう、ということで事務所を開設したり精力的に活動を共にした時期もあり、その情熱は未だ衰えてないのだと感心させられます。

「槇君、事務所開きをするから急いで来てくれ」と、電話をもらい神田にある雑居ビルに到着すると、広いフロアに山口氏とその秘書、そして所謂大物右翼のK氏が待ち構えていた。まだ何もないガランとした事務所の隅々にお神酒を振る舞って、これからの運動の門出を祝ったのが懐かしく思い出される。

その後、広島でヤクザをしていたM氏が呼ばれ専属の運転手となり、マスコミによる人権侵害を徹底糾弾する活動を展開する事となった。

当時の山口氏は協和・安全という二信組問題で世間からの注目を浴び、マスコミからは親族企業への不正融資などで叩かれていた。

何を以って「親族企業」などというのか、偏向報道だ、けしからん、ということで、マスコミに対する抗議行動に精を出していた。

私も「マスコミによる人権侵害と法治主義破壊を告発する100万人オンブズマン会議」、という恐ろしく長ったらしい団体名の名刺を持ち、幹事という肩書を与えられ、新聞社を訪問するなどして親族企業を使うななどと直接的な抗議行動を展開していた。

 

新聞社やテレビ局に電話して「こちらはマスコミによる人権侵害と法治主義破壊を告発する100万人オンブズマン会議です」、と言うと相手は「はあ?」と聞き返すので、もう一回「マスコミによる、、、」と繰り返し、担当の者に伝えると言うので、メモを取る為にもう一回ゆっくりと団体名を繰り返す。これだけで5分はかかってしまう、疲労を伴う作業だったのだ。

 

 毎週、事務所に大勢のマスコミを呼んで勉強会を開催するなどしてたが、集まってくるメディアの関心はいつ逮捕されるのかにあり、勉強会の内容などどうでもよかったみたいだった。

逮捕直前には鎧甲冑の事務所の人から「山口さん自殺しなさい」と、自決用の拳銃を渡され、その仲介をしたのがM氏だったそうだ。

結局、逮捕前日に睡眠薬を飲んで寝過ごしてしまい、自決は適わぬまま逮捕されたことで、この運動は終わり事務所も撤収されたのだが、いまから思うと遠い世界の出来事のように思えるのだ。

人柄は良く頭も切れ弁も立つ人なので、首都東京の発展の為にも頑張って頂きたい。

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これだけは唯一、いまでも私の事務所で活躍している

 


小池百合子が都知事選に出馬表明

6月29日(水曜日)、夜のニュースで知ったが、小池百合子が都知事選への立候補を表明したそうだ。

意外だった。周りからは推す声があったが本人は乗り気ではないと思っていた。

このまま国政に専念し、近い将来は自民党で総裁の椅子を手に入れるつもりかと思っていた。

実際、過去には総裁選に出馬しているし。

都知事選に出馬ということは、総理総裁の椅子はきっぱりと諦めたということか。

政界渡り鳥として散々に爺を誑し込んできた手腕も都知事で最後とするのか。

 

思い出すは平成4年の参院選。

彼女はテレビ東京のアナウンサーから転身して細川護煕の立ち上げた日本新党から立候補した。

我々は野村秋介代表の下で「風の会」を立ち上げ選挙戦に挑んだ。

初日、街頭演説の定番である渋谷ハチ公前で、風の会が第一声を上げようとすると日本新党の宣伝カーがやってきた。

野村代表はマイクを持つと「10時から街宣やろと言うんで10時に来るなんて、やっぱりお殿様なんだね。僕たちはこの場所で演説するために前の晩から場所を確保しているんだよ」、と笑って語りかけていた。

小池百合子の我々に向けた視線と言うのは明らかに穢れた物に対する侮蔑的な感覚があるように思われた。これは私の個人的な見方ではあるが。

代々続く細川家の当主のもとで、クリーなイメージと共に旗揚げした日本新党であるから、手垢に塗れた自民党とは一線を画した存在である。

ましてや、無頼漢の集まりの如き風の会の面々とは距離を置きたいと言う風な表情に受け取れた。

当時、選挙カーとして使用させて頂いていた日本青年社の街宣車の他に、もう一台の街宣車がはいってくると、

「あら、もう一台街宣車があるんですか、お金持ちですねぇ」、と言った際の表情と口ぶりは明らかに皮肉めいたものであった。

ハイエースの選挙カーの屋上に上がる際にもミニスカートでリアハッチバックドアに掛けられた梯子から上がっていたが、

群がる報道陣に対しては「これ以上、近づいたらダメよ」、などと叱責していた。

 

細川政権が崩壊し日本新党も解党すると小沢一郎の新進党、保守党と渡り歩き最終的には自民党に入党し環境大臣の椅子を手中に収めた。

一般に彼女の経歴として「元防衛大臣」、というのを目にするが、実際に不祥事に引責し就任後2か月で辞職している訳であり、

さして防衛行政に精通しているとも思えない。

 

それでも所謂保守、そして民族派内にも彼女を推す声は強いようだ。

 で昨日、歌舞伎辛口評論家と称されるご老人から電話が入った。

「小池君が都知事に立候補しましたね。彼女なら英語もできるしアラビア語もわかる。政界渡り鳥なんて言われているんで難はあるが、ぜひとも彼女を応援してもらいたいんですよ、、、、、、と言うのはね、彼女が学生時代の家庭教師は私なんですよ」

「はあ、、」


鳩山邦夫についての思い出

 参院選公示の6月22日、鳩山邦夫衆院議員逝去のニュースが流れた。

小生とは一面識もないどうでもよい人物という印象しかないが、度重なる舌禍はいつも物議の対象となった。

彼に限らず御坊ちゃま育ちの二世三世議員においては人の心の痛みや琴線に触れる機会もないだろうから

後先考えないでズバズバと本音を吐露するのだろう。

 

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祖父一郎が築いた自民党を飛び出して弟・由紀夫と共に民主党を旗揚げし、平成11年の都知事選挙には無所属で立候補したが、石原慎太郎の圧倒的な人気の中で舛添・明石(自民)・柿沢・三上(共産)等と共に落選した。

 その年の秋頃であったろうか鳩山邦夫事務所から弊会に電話が来た。

住所を教えて欲しい、とのことなので、当時の高田馬場の住所を教えておいた。

 しばらくすると鳩山邦夫かられ冷蔵された奥久慈軍鶏肉のパックが送られてきた。

 明らかに「政経調査会」違いである。

田中角栄の金庫番と言われた越山会の女王・佐藤昭子氏の主宰する政経調査会に送るつもりで、住所が分からず104で調べ弊会に掛けて住所を聞いた結果であった。

 小生が平河町にある佐藤昭子氏の政経調査会に電話をかけて「こんな物が届いてますけど、どうしましょうか」、と聞いたところ電話に出た人は「適当に処分してください」、というので「それじゃあ、御礼状でも書いておきましょう」、と言って電話をきった。

軍鶏肉は当然、我が家の食卓に上った。

 

 小生は如何にも佐藤氏の代筆のようにして「大変結構な品を頂きありがとうございます。日頃、グルメを自認する私にも美味しく頂くことができました」、などとふざけた文章で送ってやった。

 

 その後、挨拶がてら平河町の政経調査会を訪問してみた。応対に出た事務長のA氏がどういう人かも分からずに、軍鶏肉のお礼など適当に話していた。

 その前に群青忌の記事を掲載した「政経通信」を送付していたこともあり、「野村秋介さんの系統の方なんですね」、というので

「ええ、まあ」と言葉を濁すと、「衛藤さんなんか知ってる?」というので、青年社の衛藤会長には自宅に招かれて酒食のお世話になったこともあるので、「お世話になってます」、と答える。

 「犬塚さんは知ってる?」、というので一水会の先輩であるし「いつも、お世話になってます」、と答えるしかない。

「みなさん、うちには良く来られますよ」、と言う。

 ここまでくると鈍感な小生でもだいたいの状況がわかり、「こりゃぁ、あんまりオチョっているとまずい相手ではないか」と察してきたので、身震いをしながら早々に政経調査会を後にした。

 このA氏こそが、政界を裏で仕切る佐藤昭子ママを支え、代議士をも顎で使い、日本の裏社会にも睨みをきかす、人物であると後に知ったのだ。

 昭子ママに対し、如何なる願い事があったかの知らないが、政経調査会の電話番号を104で調べるような鳩山なんてチンピラ代議士は相手にもしていなかったのだろう。

 

そして、年が明けると「鳩山邦夫自民党へ復党」のニュースが流れた。

 


朱光出版阿形充規会長の喜寿のお祝い

平成28年5月15日(日曜日)
新宿区歌舞伎町のバトウールにおいて「阿形充規先生の喜寿を祝う会」が開催され出席する。
通常は結婚披露宴に使用するであろう豪華な広間に民族派活動家のみならず各界から大勢の人が集まり盛大に喜寿の宴が開催されました。
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清水の次郎長の正体が公に


http://makiyasutomo.jugem.jp/?day=20160318
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3月18日の弊会ブログにおいて「清水の次郎長は私だ」、というタイトルで埼玉県の今澤雅一さんが閉店した魚屋に張りだした貼り紙の記事を書いたところ、事態は思わぬ方向に進展してしまった。
 ネット社会に疎い私は関心が薄かったのだが、ネット上では「この格調高く人情に厚い貼り紙をしたのは誰なんだ?」、ということで大騒ぎになっていたようだ。
 ネットユーザーが血眼になって次郎長探しに狂奔している最中、私が何気なく今澤雅一さんの存在を明らかにしてしまった。
 これをきっかけとして全国から今澤さんに一斉に注目が集まりだしたのだ。

 部数拡張に目ざとい商業マスコミが放っておくはずもなく、取材が集中しだした。
日頃の音楽活動や芸能一座・ボランティア活動家として埼玉県では著名な存在ではあったが、ここで一気に全国的に有名人となってしまった。
 人と人との繋がりが希薄な、現代の世知辛い世の中に灯してくれた一灯の人情話には称賛を送る人々から感謝のメッセージが多数寄せられていると言う。
 今澤さんは、余り大騒ぎして欲しくないと言うのが本音の様なので、弊ブログで公表してしまったことで迷惑を掛けてしまったかもしれない。
 善意は誰にも知られずにこっそりと施したい、と言うのが今澤さんの性分のようなのだが、「誰だか知りたい」「モヤモヤして眠れない」、という庶民の素朴な疑問に応えてあげるのも篤志家の務めであろう。
「ああ、これでやっと、ぐっすり眠れる」、という人々も多い事だろう。


埼玉新聞紙面↓↓
http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/04/01/06.html
2016年4月1日(金)

ネットで大反響…閉店の魚屋に感謝の張り紙 書いたのは戸田の作曲家

「張り紙の次郎長は私です」。名乗りを上げた今沢雅一さん。後ろは次郎長一座の巡業用の車=川口市内
閉店を知らずに魚勝に買いに来た主婦、中村洋子さん(左)は「困った。今度からどこで買おうかしら」を繰り返した。右は今沢さん=川口市

 川口市西川口で2月、小さな魚屋が閉店した。店主が出した「58年間の営業を終えることになりました。ご愛顧のほどありがとうございました」という張り紙になじみの客が驚いていると、隣には“清水の次郎長”の名で「長い間の感謝を込めてありがとう」と、店主に宛てた別の張り紙が。気持ちの伝わる言葉が好感を呼んだ。インターネットにも話題は広がり、「次郎長は誰?」という声も。最近になり、「それは私です」と戸田市の大衆劇団の座長が名乗り出た。

■中身がピカイチ

 次郎長の正体は戸田市氷川町の今沢雅一さん(66)。「ずっと店のファンだった。愛想は良くない店主だったが商売の中身はピカイチ。安いしうまい。マグロなんか500円で山盛り。まさに庶民の味方。これでもうかっているのかって、心配になるほどだった」と振り返る。

 閉店した店の名は「魚勝」。高齢の夫婦で切り盛りしていた。今沢さんは刺し身を買いに来て、店主の張り紙にびっくり。この店が閉店? 心がうずいた。「そこで書いたのがあの張り紙。悲しくて、感謝の気持ちを夫婦に伝えたかった」と語る。

■演歌の調べ

 「知っていますよ刺し身の味を。100名以上並んで買った思い出も。包丁一筋半世紀。旦那が病に伏しても立ち上がり、包丁をまた握ってくださった。刺し身は私ども庶民の幸せな味でした。店が閉じられ、とても悲しいです」―。

 つづった言葉は演歌調。それもそのはず、今沢さんの本職は演歌の作曲家。歌手鏡五郎さんが歌う「清水の次郎長」を作曲した。作詞した同じ戸田市の古川ゆう子さんらとともに大衆劇団「清水の次郎長一座」を名乗り、老人ホームなどを慰問している。

 2013年に越谷で起きた竜巻災害では、一座の団員が三度笠(がさ)姿で越谷市役所に義援金20万円を届けた。演歌「清水の次郎長」の印税だった。

■中学教諭

 今沢さんは工業高校を卒業し、自衛隊を経て戸田競艇組合に24年間勤務した。「教師になろう」と一念発起し、大学の夜間部を卒業。鶴ケ島市や鳩ケ谷市(現川口市)の中学で教壇に立った。

 鳩ケ谷の中学では、生徒たちの「川がくさい」という声に、近くの川を独自に調査。工場廃水による汚染を突き止めた。鶴ケ島市の中学では自衛隊で鍛えた柔剣道を教え、今でも年に1度、教えに通う。

■反響は300万

 次郎長の張り紙は1週間後に消えた。誰かが持ち去ったようだが、インターネット上では反響が続いている。

 今沢さんが通う戸田の銭湯「サン光」の酒井善教さん(27)は「ライン、ツイッター、フェイスブックなどを合計したら(コメントなどは)300万を超えてる。かなりの数の人が注目している」と反響の大きさを指摘する。

 「こんなにたくさんの人の心を動かすとは思わなかった」と今沢さんは驚くが、鳩ケ谷の中学時代の校長だった高橋豊明さん(65)は読み手が抱いた思いを代弁する。「悪いニュースばかりだけど、こういう話題は良いね。世間も捨てたもんじゃない、ってね」


中川郁子は上村遼大君の母親と同じだ

中郁子(ゆうこ)と言うのは何の政策も展望も覚悟もない中で、周囲に担がれて衆院議員になったものです。
息子が被選挙権を持つ年齢になるまでの間、地盤を他者に渡したくなくと場つなぎに議員になったのです。
夫の遺志を継ぐといって、昭一の遺影を掲げて選挙に立候補したのです。
選挙民は亡き夫昭一の代理として投票したのであって、郁子に対する評価は無に等しい。
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対米TPP交渉が厳しい時期に上司である西川農水大臣が辞任。
後任の大臣が選ばれたばかりだというのに、外部で飲酒し、その後に同僚議員との公然卑猥行為。
説明責任を果たさずに4日には2週間の入院。
しかし、官邸からの批判を受けて10日に退院し記者会見。完全な詐病ではないですか。
議員特権で東京医大の特別室を手配させ、診察待ちもなく入院。
健康保険適用であれば、税金の詐取ではないのか。

 病室で喫煙した事を批判されると、「病院のルールに深く思いを致すことなく反省している」、と釈明しているがおかしいのではないか。
病院のルールに対し深く思いを致さなければ喫煙を思い留めることができないのか?
「病室内は禁煙」。これ常識の範囲内でしょう。つまり社会人としての常識が欠落しているのです。なぜ、そこを突かない。
追求する民主党の議員も甘いというか、国会質問事態がセレモニーとなっている。
与野党の茶番劇だ。
大体喫煙癖があること自体、国会議員として失格。
喫煙も治らないで国家の改革ができる訳がない。

お互いに議員活動費を使い、地元の帯広と角博文の地元・和歌山を行き来する。
これは公私の混同、横領である。
路上接吻の写真を見せられても当初は「自分ではない」、と平気で嘘を付く。
妻子ある7歳年下の男を誑かせてのセックス三昧。
角議員の奥さまと娘さんにお詫びしたのか。
政務官室には担当部署でない角議員が度々入室し。二人きりで1時間も部屋にいたことがあるという。
政務官室をラブホテル代わりにしていたなら言語道断。

追及すべき野党は明日は我が身。または、散々同様の事をやってきたから沈黙。
民主党は細野剛志と 山本モナ
民主党の中井蛤国家公安委員長は議員宿舎に女を連れ込み
社民党の 又一は 議員宿舎に性感マッサアージ譲
共産党 の吉良よしこも 鉄道駅で党員と接吻
男女関係に限らず、不祥事に対しては、与野党ともすべてにおいて仲間意識で隠ぺいするのです。

中川郁子は議員である前に「女」を優先させたのである。
男をマンションに連れ込んで子供の居場所を奪った上村遼太君の母親となんら変わらない。
たまたま、金銭的に裕福であり、子供が成人していただけの違いである。
こういう不埒な女が国会議員とは聞いてあきれる。
おまけに二人とも売国奴・二階俊博の派閥の人間。
角は二階と同じ和歌山県選出。故に二回とも小選挙区で落選し比例復活当選ときている。
中川は農林政務官を辞任する前に国会議員を辞任したらどうでしょうか。
自民党本部や議員会館ではなく、ご自宅か、個人事務所、またはフジテレビに抗議に伺いましょうか。
「セックス セックス セックス大好き。56歳熟女のセックス」、と威勢よく連呼してあげるとか。

松本健一先生逝去は近代思想史の喪失

松本健一先生が11月27日逝去された、との報に触れ愕然となる。
日本の近現代政治思想史における大いなる喪失である。
北一輝、二・二六事件に関しては多数の著書を持つ。北の出身地である佐渡島へは何度も足を運び幼少期からの思想形成などについて調査を行い、様々な観点からの研究の成果を発表してきた。
最近、また二二六事件に関する新たな資料が発見されたとい報道もあり、松本先生がそこらか更に掘り進め真相に迫る著作を発表されるのではないかと期待していた。

先生は所謂保守の論客というのとは一線を画していた。
ある時は右翼からは攻撃の対象とさえなっていた。
昔は野村秋介・鈴木邦男の対談において「松本なんていうのは殺さなきゃいけない」、とさえ言われていたのである。
その反面、右翼思想においても詳しく研究していたし、我々新右翼の運動においても支援者ではなかったが、理解者ではあった。
世俗的な右翼運動そのものには興味がないようで、右も左も思想史として研究の対象として理解してくれていたようだ。

野村秋介氏が朝日新聞社で自裁した直後の平成5年11月14日に開催された一水会現代講座のパネルディスカッションに長谷川三千子・呉智英両氏と共にパネリストの一人として登壇頂いたのが小生との最初の出会いであった。
その時の模様を翌々年に発行された「右翼ナショナリズム伝説」(河出書房新書)で詳述されている。

そこでは、パネラーとして同席した阿部勉(当時一水会顧問)が児玉邸にセスナ機で突入して死を遂げた前野光保を評価している点について言及している。
大方の右翼が「あんなくだらないこと」、と吐き捨てたなかで、阿部だけは前野を擁護していた。
「天皇陛下万歳の雄叫びと、自らの死を以て決した事実をもって来島・山口・三島・森田の範疇に数えられることになると思う」、という当時の阿部の記述を引用しナショナリズムの原点に光を当てている。

一介の活動家である小生などが親しく交誼をもてる人物ではなかったが、弊会の機関紙を送付していると丹念に目を通してくれていたようで、返書で記述ミスを指摘してくれたりもした。
国歌にかかわる論争が勃発している最中、先生は「海ゆかばを国歌に」という意見を新聞に発表された。
小生が「国歌斉唱の度に泣いてしまうので困る」、と手紙で書いたところ、後日こういう意見もあったと紹介していた。
藤井厳喜氏がシナと呼称してシナ人留学生の抗議により麗澤大学を辞めさせられた際、同校学生に「これはシナ人の持つ従来からの華夷思想によるものであり、それは現代でも同じである」、と語っていたのもであり、決して保守・右翼が忌み嫌うような反日思想家ではなかった。
最近では管直人政権で内閣参与を務めていた平成23年の二・二六事件慰霊法要おける講演会でお会いした。直会の席で
上記一水会現代講座当時の話しを交わしたのが最後であった。
まさか、こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。
おそらく先生の研究を引き継じぐ人物はこの世に存在しないだろう。
二・二六事件と言う近代史における未曾有の国家改造計画の真実を解明する手掛かりは喪失したということか。


参考:平成23年2月29日のブログ記事
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=625

訃報:松本健一さん68歳=評論家 「評伝 北一輝」

毎日新聞 2014年11月28日 15時00分(最終更新 11月28日 18時24分)

 近代日本の思想史、文学研究などで活躍した評論家の松本健一(まつもと・けんいち)さんが27日、亡くなった。68歳。年明けにお別れの会を開く。喪主は妻久美子(くみこ)さん。

 群馬県生まれ。1968年、東京大経済学部卒。民間企業を経て、法政大大学院に入り近代日本文学を専攻。在学中に刊行した「若き北一輝」で単行本デビューした。右翼の巨頭のイメージが強かった北一輝の実像を実証的に明らかにした。また、現在を幕末と第二次世界大戦後に次ぐ「第三の開国」に当たるとして、日本の変革を論じた。日米関係や東アジア外交史にも詳しく、民主党政権では内閣官房参与も務めた。歴史や文学、思想史に精通し、著作や講演、テレビなどで幅広く活躍した。

 89年京都精華大教授、94年に麗沢大教授。95年に「近代アジア精神史の試み」でアジア・太平洋賞、2005年に「評伝 北一輝」で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞を受賞した。ほかの主な著作に「開国・維新」(吉田茂賞)「評伝 佐久間象山」「明治天皇という人」「三島由紀夫と司馬遼太郎」など。

 関係者によると、胃がんで闘病中だったという。


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