白人至上主義の問題ではないだろう

 アメリカでは白人至上主義という差別で国が分断されていると盛んにマスメディアが報道している

南部では英雄とされるリー将軍の銅像を撤去するという決定に対して反対する住民が集会を開いて気勢を上げていたところ、

白人至上主義に反対する勢力が乱入して殴り合いになったというもの。

 

 有色人種である私は白人至上主義を受け入れるつもりはないが、彼らがそれを主張するのは自由であるし、

間違いであると思うなら徹底して議論すればよい。その上でその主張を論破して撤回させればよい。

優生思想も同様であるが、思想・主義としてこの世に存在する以上は是であれ非であれ主張することは自由である。

 

 今回は、単に銅像を撤去する事に反対する集会が開催させれていたものであり、「有色人種を叩き出せ」というものではなかったろう。

 これを都合よく、白人至上主義=人種差別=ヘイトクライムと報道する側が憎悪の拡大を図ったとは言えないか。

アフリカから連れてきた黒人を奴隷として使役した歴史は実存する。

奴隷解放をめぐって南北戦争が勃発した歴史も実存する。

 南北戦争に敗れたものの名将と謳われたロバート・リー司令官の銅像は当時合法的に市内の公園に建立されたものであった。

南軍が賊軍と位置付けられるにしても、それはそれで負の遺産として人々に語りかけるものがあるだろう。

撤去することでなかったことにする訳にもいくまい。

 

 黒人奴隷を論じるならば、最近のスポーツ界。大学駅伝にとどまらず高校駅伝までアフリカからの留学生というふれ込みの黒人ばかりが上位を独占している。根底にある思考形態とすれば相通じるものが無いとは言えないがな。

 

 日本でいうなれば征韓論を唱え、西南の役で下野した西郷隆盛の銅像が上野公園にある。

これを朝鮮人差別に繋がるとして東京都が撤去を決めたとする。

これに対し人々が撤去の反対を訴える集会を実施。

そこに朝鮮人やそれに同調する極左集団が襲い掛かった。

で、集会参加者側が応戦し、乱闘の場面となってメディアが放送する。

まあ、こんな感じだろうか。


一日共闘で米大使館へ怒涛の抗議

 72回目の広島・原爆投下の日。

朝8時15分の投下時刻に合わせテレビ中継の前で黙祷を行う。

 昨年まではアメリカ政府を代表してキャロライン・ケネディー駐日大使が参列していたが、

今年はラプソン臨時駐日代理大使が参列しているとの報道には触れていない。

 毎年、抗議行動に先立ちアメリカ大使館に連絡をいれて抗議文朗読手渡しの手順を整えている。

 大使館は実施までに24時間以上の有余を設けることを条件に受け入れている。

 

 今年の対応は違う。電話交換手の段階で拒絶された。

抗議文は受け付けない。言いたいことがあればワシントンDCに言え、と録音でワシントンの住所を流しやがった。

何回電話してもガチャ切り。保安・広報担当の男性職員に繋ごうともしない。

トランプ政権になってからの対日政策が如実に表れているのだろうか。

電話交換は日本人の女なのだが、これじゃぁ70年前の米兵の腕にすがりつくパンパンガールと同じではないか。

同胞たる日本人の方向を向いていないのだ。

 

 我々はアメリカを罵倒する目的で来ている訳ではない。

ましてやアメリカに対する妬みや嫉妬とか、自らの鬱憤晴らしやストレス解消が目的ではない。

責任を伴った政治団体として、政治的見地からアメリカ政府と国民に対し、原爆投下の責任を追及しているのである。

 官憲に対し大使館前の公道においてさえも三人を越える人数を同時に近づけさせるなとは、何を勘違いした

越権行為的命令を下しているのか。

それを当然の事として受け入れて日本国民に押し付ける官憲も腐りきっている。

 

 当日は、政経調査会・国家社会主義日本労働者党(山田一成党首)の合同による抗議行動を敢行した。

二団体それぞれによる大使館前での抗議文朗読と手渡しを実施。

その後、大使館正面における抗議集会、を予定しているが毎年、圧倒的官憲勢力の弾圧により

強制的排除を受けて百メートル以上離れたJT敷地内に追いやられての集会となっていた。

我々抗議する側において数百人を集められれば官憲の不当なる弾圧を跳ね除けて堂々と正門前での訴えができる。

いまは未だその準備段階ということで、現況を甘受しよう。

でも、今回は官憲が用意したJT前のブースを無視。

 アメリカ大使館との中間地点に近い歩道上での抗議集会を敢行した。

車載拡声器を通じ我々の抗議の雄叫びは確実に大使館に届いていた。

 

 巨大資本による営利至上主義を排し国家による統制経済を敷くことを訴える弊会の国家観は、まさに国家社会主義であるから

彼ら労働者党と共闘することは実に理に適った所業と言えよう。

 当日は我々の他にも右翼団体が街宣車を連ねて抗議に来ていたが、所謂保守団体の姿は見なかった。まあ、そんなものだろう。

ましてや核兵器廃絶・反戦平和を訴える左翼団体もアメリカ大使館に対する抗議には来ていないであろう。

強い日差しの振り注ぐ中ではあったが、愛国的対米独立運動の発展の為に更なる飛躍を誓い合った。

 

 

 

 

抗議文 (原文は縦書き)

昭和二十年八月六日、広島市中心部の上空で一発の原子爆弾が炸裂し十数万人もの命が葬り去られた。月曜日の朝八時十五分という週初めの始業時間。職場や学校では朝礼の為に多くの人々が屋外に出て整列している時間帯を狙ったものであった。未だに五万人の死者においては身元が確認できていない。民間人を標的とした凄惨なる大量殺戮が行われたのである。

より多くの無辜なる市民を如何にしたら効率よく殺傷することができるかの実験として行われたのが人類史上初めての原子爆弾投下であった。三日後の八月九日午前十一時二分には長崎市上空において二つ目の原爆が投下され八万人以上の市民が殺戮された。

広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型、と異なるタイプの原子爆弾を使用したことからも、人類に与える個々の影響を見定めるといった人体実験であったことに疑いの余地はない。それぞれにリトルボーイ・ファットマンと言った愛称をつけてまさに遊び感覚で無辜なる市民への殺戮を楽しんでいたのである。

昨年五月二十七日、米国の大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏は「71年前、晴天の日、空から死が降ってきて世界は変わった」、で始まるは十七分間の演説を行った。

原爆投下の当事者不在の無責任極まりない内容に心ある日本人は激怒したのである。

今年、大統領に就任したトランプ氏はこの原爆投下に対し如何なる見解を示すつもりであろうか。

トランプ政権として初の原爆投下の日を迎えたのである。沈黙は許さない。

我々有色人種への偏見と侮蔑を以って行われた二度に渡る原爆投下という戦争犯罪と正面から向き合い反省の言葉を発するべきである。

広島原爆慰霊碑に記された「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」、との文言の主語は「全人類」であるとの見解が示されているが、原爆を投下した張本人がアメリカ政府であることは疑いのない事実である。そしてアメリカ人の大半は原爆投下を正当化しており、必要であれば又いつでも原爆を使用するとの意思を示している。

世界平和に真っ向から挑戦するイスラミック・ステイトやその周辺のテロ集団、またはアジアの安定を破壊にかかるシナや朝鮮に対する軍事的圧力や軍事攻撃を否定するものではない。

ただ、今現在のアメリカは巨大なる軍事力とハイテク兵器によって武装され、自らを絶対的安全圏に置いて敵を駆逐できる立場にあると言う事実は重い。コンピューターゲームの如き遠隔操作を用いて敵を殺戮できるのである。結果、真っ向勝負での戦闘による勝利の可能性を放棄した集団がテロ組織と化して、西欧諸国の市街地において無辜なる市民を標的としたゲリラ戦に奔らざるを得ない現状を如何に捉えるのか。その災禍はアメリカの同盟国を吹聴する我国においても近い将来蔓延する可能性は捨てきれないのである。アメリカは独善的正義による世界支配体制を反省せよ。

 

トランプ大統領は広島・長崎を訪問し謝罪せよ  アメリカは民間人に対する大量殺戮を謝罪せよ

アメリカは侵略に次ぐ侵略の歴史を反省せよ   アメリカは靖国神社参拝に口出しするな

 

平成二十九年八月六日

ドナルド J.トランプ  アメリカ合衆国大統領

ロバート G. ラプソン 同国臨時代理駐日大使

                 政経調査会 代表 槇泰智

                 日本国民有志一同


広島への原爆投下から72年

 アメリカ大使館に厳重抗議を!

有色人種に対する偏見と侮蔑に満ちた原爆投下を許さない

 

8月6日は民間人を標的とした大量虐殺である広島市への原爆投下から72年となる。

アメリカはトランプ政権に移行してから初めての原爆投下の日を迎える。

大統領が誰に替わろうともアメリカの行った戦争犯罪が消滅する事はない。

日時:平成29年8月6日(日曜日) 午後1時30分

集合場所:アメリカ合衆国大使館前

    東京都港区赤坂1-10-5
    電話番号:03-3224-5000

https://jp.usembassy.gov/ja/embassy-consulates-ja/

 

内容:抗議文朗読と手渡し・抗議集会

参加者募集。プラカードの持ち込み、抗議文朗読を歓迎します。

現場の状況と勢力関係によっては抗議集会の場所が変更になる可能性もあります

連絡先:まきやすとも 電話:090−3135−4069

 

 毎年の事であるが、アメリカ大使館への立ち入り・接近については正当なる政治活動であるにも拘わらず不当なる規制が敷かれ

我国官憲が米国の忠犬となって我々を排除しにかかる。

 米国大使館としては抗議文の朗読・手渡しについては二人までを敷地内に受け入れるとの方針を取っているが、

大使館に隣接する公道上においてもその要求がまかり通っている現状は異常と言うほかない。

日本国内の公道上を通行する日本人の人数に対し、米国大使館が「二名まで」と決めれば、官憲はそれにしたがって強制排除に掛かることが、独立した法治国家・民主主義国家において許されるはずはない。

 大使館内における治外法権のルールが一般国内にまで及んでいる現実がある。

我が国が真の独立国となるためには原子爆弾投下と東京大空襲を謝罪させ、片務的日米安保条約を解体して在日米軍を撤退させなければならないのである。

この現状を当然の事として受け入れている日本人の精神的奴隷根性を払拭することが急務である。


米国は東京大空襲の殺戮を謝罪せよ

アメリカによる民間人大量殺戮を忘れないぞ!

 

ユーチューブ(youtube)動画:

東京大空襲の殺戮を謝罪せよ

https://www.youtube.com/watch?v=2HHZvJG67hE&feature=youtu.be

 

民間人を標的とした戦争犯罪から72年となる3月10日、赤坂にあるアメリカ大使館へ抗議に赴く。

我々は30年近くこの活動を続けている。

予め大使館とは話をして13:15に抗議文を手渡すことで合意を取り付けている。

現場の官憲如きが出しゃばってシャシャリデテくる必要はない。

大使館前に赴くにあたって事前にボディーチェックを行うなど、笑止千万。

堂々と、大使を呼びつけて抗議文を朗読する、のであるが

新政権の下で正式な大使が赴任していないので、代理人をが門前に出てくる。

これが当たり前の状態であるのだが、ここ数年は誰も出て来ないで、読み上げが終了してから

警備員が受け取りに来るいう、無礼な状況にあったのだ。

漸く正常な状態に戻ったと言えるだろうか。

いや、本来なら我々一行を応接室に招き入れてコーヒーでも振る舞いながら大使が床に正座して拝聴すべき事なのだ。

 

 

   抗議文

 昭和二十年三月十日、東京の下町・城東地域を襲った東京大空襲から本日で七十二年となる。

大東亜戦争末期、米軍は現在の江東区・墨田区地域が軍事都市であるとの詭弁を弄して絨毯爆撃を敢行し、一晩で十万人にものぼる無辜なる市民を殺戮したのである。

 米軍はこの大量殺戮以外にも日本各地において民間人を標的とした空襲を実行した。そして広島と長崎には人類史上未曽有なる原子爆弾を投下したのである。

 この行為は明確なる戦争犯罪である。民間人を無差別に如何にしたら効率よく大量に殺戮できるかを研究し尽くした成果である。

 日系人が多く住むハワイから畳を本土に取り寄せて、日本式住居の燃焼実験を繰り返した結果、実行されたのが東京大空襲であった。

 まずは四方に焼夷弾を投下して城東地域一帯に炎の壁を築き民間人から逃げ場を奪った上で、取り残された人々を効率よく殺害していったのである。

 この計画の立案段階において、米国防省内部からも「そんなことをやれば後々、戦争犯罪として大問題になる」、と言った良識的意見も出されたが、日の目を見ることはなかった。

作戦を指揮したカーチス・ルメイ大将は後に語っている。「もし、アメリカが戦争に負けていたなら、戦争犯罪になっていただろう。しかし、アメリカは勝った」

 正に勝てば官軍。如何なる悪行も正義としてすり替わってしまう。東京裁判で本来裁かれるべきはアメリカの戦争指導者であったのだ。

 

 今般、就任したトランプ大統領は軍事力拡張路線を取り、核軍縮の流れを変換させることを明言した。

アメリカは自らの行ってきた殺戮・虐殺・人権侵害・国際法違反といった罪状を正義に擦りかえることを目的として軍事拡張を行っているに過ぎないのである。

なにも東アジア地域における支那・北朝鮮がとる覇権主義・侵略主義の暴走を抑止する目的に留まるものでないことは明白である。

 保護主義を掲げるトランプ政権が、自国の権益を確保・拡大する為のご都合主義政策に過ぎないのである。

 日本とアメリカが未来永劫に同盟関係を築くなどと言うのは幻想である。

我々、国家革新陣営は「100%日本の側にある」、とのトランプ大統領発言に酔いしれるオボッチャマ安倍首相を支持する立場にはない。

 嘗てアメリカの支援を受けて対イラン戦争を戦い抜いてきたイラクは、このイラン・イラク戦争終結から三年後の1991年、湾岸戦争というアメリカが仕掛けた侵略戦争によって大打撃を受けたのである。

 2003年には大量破壊兵器隠匿なる虚偽のでっち上げによって、再び戦禍を展開し、フセイン政権を崩壊せしめたのである。

 その結果が、イスラム・ステイトの台頭である。シリアから大量の難民が命からがら脱出し、欧州地域を中心として難民問題が発生しているその原因のすべてはアメリカの侵略主義に起因しているのである。

 この混乱を鎮めるためにアメリカは地上部隊を派遣してイスラム国と対峙しなければならないのである。ステルス戦闘機などのハイテク兵器を使用して自らは絶対的安全圏に身を置いて無辜なある市民を巻き添えにしてイスラム国への攻撃を敢行するなど許されないのである。

 

   アメリカは侵略に次ぐ侵略の歴史を反省せよ

   我々は東京大空襲の民間人殺戮を忘れない

   アメリカによるホロコーストを許さない

   アメリカは東京大空襲の戦争犯罪を謝罪せよ

   広島・長崎への原爆投下を謝罪せよ

平成二十九年三月十日

 

ドナルド・トランプ アメリカ合衆国大統領

ジェイソン・ハイランド同国駐日臨時代理大使

 

       政経調査会 代表 槇泰智

       日本国民有志一同

(原文は縦書き)

米大使館前.png

米国大使館正門前にて臨時代理大使のそのまた代理人を前にして抗議文を朗読する

 

 昨今、ネット系市民と称されるグループが「朝鮮人を殺せ」「朝鮮人を叩き出せ」と言ったヘイトスピーチ(憎悪表現)を発することで社会の顰蹙を買っている。

 原因の一つには自身は日本人であるという事実を以って、殺されることも叩き出される事もないと言った絶対的安全圏にいながら他者(朝鮮人)を攻撃していることがあげられる。

 翻ってアメリカは近年の軍事技術の進歩により現実の戦場に出ることなく遠隔操作で敵を殺戮できるようになった。

 基地にいながらステルス戦闘機を駆使したり、ハイテク技術による遠隔操作によってテレビゲーム感覚で戦闘員も非戦闘員も纏めて殺戮できるシステムが構築された。

  結果、資金も技術も待たざる第三世界は民は自爆テロのような凄惨なる手法を以って、対抗するに至った。

何をしても、自らは絶対的安全圏にいられると言った神話が崩壊せしめられたのである。

 アメリカが自らを絶対的正義と位置付けて憚らない偏狭なナショナリズムを反省しなければ、この負の連鎖は留まらないであろう。

 

 

不当にも大使館正門前での抗議集会が規制されているので、坂下にあるタバコ屋(JT)の店先に移動。

ニコチン中毒患者の溜まり場の一角で集会を行う。

昨年・一昨年に比べれば気候も温暖で過ごしやすい日和であった。


3月10日、東京大空襲を謝罪せよ

東京大空襲の惨劇を忘れない

アメリカは民間人大量殺戮を謝罪せよ

日時:平成29年3月10日(金曜日)午後1時

場所:アメリカ合衆国大使館前に集合

http://www.its-mo.com/c/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8/DIDX_DKE,1583782/access/

トランプ政権は軍事力増強に奔り、従来からの核兵器廃絶への動きを後退させる政策を打ち出してきた。

軍事的覇権主義を拡張する支那や、暴走を激化させる北朝鮮に対する牽制としてなら、許容するところでああるが、

その刃はいつ何時我国に向けられるか分からない。

未来永劫の同盟関係など存在しないのである。

パーレビ後のイランを牽制するためにイラン・イラク戦争では全面的に支援していたイラクのフセイン政権に対してさえも、

同戦争終結後にはイラクへの侵略戦争たる湾岸戦争を仕掛けた。

トランプ政権の誕生は決して、世間で言われるようなポピュリズムではない。

偏見と自己保身に奔った結果のオポチュニズム(ご都合主義)の成果である。

アメリカ人にとって有色人種に対する殺戮を実行することは、なんら抵抗を感じないのである。

真珠湾攻撃と言った軍事施設に対する攻撃と民間人を標的とした東京大空襲を同等に扱って憚らない

アメリカ人のメンタリティーからあすれば、いつでも日本人、有色人種を標的とすることが可能となる。

アメリカ・トランプ大統領は東京大空襲を謝罪せよ。

 

午後1時15分、大使館正門にてティラーソン大使、または代理人を呼びつけて抗議文朗読・手渡します。

その後、大使館前または近辺で抗議集会を実施します。

連絡先:政経調査会 090-3135-4069 まき


内政干渉しない、靖国参拝も同様に

 平成29年2月11日、訪米した安倍首相がトランプ大統領と首脳会談を行った。
経済問題・TPPや日米安保問題が話し合われ終始和やかな雰囲気の中で終始し、
共同記者会見に臨んだ。
昨年、当選直後にも訪米した際の会談も含め、安倍首相が主要国の指導者のなかではいち早く
個人的な信頼関係を築いたといえるだろう。
  これに対しては二つの観点から危惧する向きがあろだろう。
 一点目は益々,対米隷属外交が深まり、アメリカの属国としての位置づけが定着する。
 二点目は世界中のリベラル派から人権抑圧・女性蔑視・差別主義者と観られ批判の対象とされるトランプ大統領との
蜜月関係を強調することは、安倍首相、ひいては日本が同一視されるのではないか、というもの。
 ただ、これらの懸念に対しては毅然とした対応をとるならば、憂慮すべき問題ではないと考える。
 一点目において、安倍首相の二度にわたる訪米自体、弊会が従来から運動の柱としてきた「対米独立」という基本路線とは相いれないように見えることだろう。
 アメリカの主張する片務的・恣意的な正義が第三世界・有色人種の民を抑圧・殺戮してきた過去の歴史と現在を形成している事は事実である。
 しかし、現在の我国を取り巻く状況が四半世紀前の湾岸戦争とその直後とはいささか異なっている現実がある。
東シナ海・南シナ海で急速に覇権を延ばすシナに対しては日・米と豪州が共同作戦を以って事にあたる日が訪れる事を想定しなければならない。
 アメリカが日本に対する絶対的普遍なる同盟国であるなどとは思っていない。
ただ今現在の日本にとって敵に回すのは厄介な存在であるから、取り敢えずは味方の側に付けておこう、という位置づけでよかろう。
 尖閣諸島を防衛するにおいて、日本単独でシナと戦火を交えるのはしんどいので傭兵として使えるものは使っておこうと考えれば、一時の同盟関係は有効であろう。
 二点目としては、端的に言って「内政干渉はしない」、という事で決着する。
国内で極端な人権弾圧や殺戮が行われている訳ではない。
 特定七か国の国民に限り入国拒否というのは、無謀且つ理不尽ではあるがアメリカという独立国における入国措置に対し日本が口をはさむべきではない。
 日本がその対象国に入っていれば、抗議する必要はあるだろうが。
首脳会談でこの問題が取り上げられたかどうかは不明であるが、安倍首相は積極的にこの話題を持ち出すべきである。
そして、上述の如く「内政干渉はしない」、と言及してから、4年前の12月26日に靖国神社へ参拝した際のアメリカ側が「落胆した」と批難する声明を発した事を回顧してみせるのだ。
具体的な言及などせすとも、アイコンタクトで分かりあうべきである。
全てにおいての相互不可侵を確認すればよい。
そうすれば、安倍首相の靖国神社参拝は帰国後すぐにでも実現するはずである。
 ただ、国際社会においては、入国拒否問題に言及しなかった安倍首相の態度が問われることもあろう。
国内においても安保法制制定時のように左翼からはヒットラーに似せた二人の写真が貼りだされることもあるかもしれない。
安倍首相はこの点については堂々と国際社会に対し説明すべきである。
内政干渉はしない、この一点に尽きる、と。
 余談ではあるが、筆者がイラク・バグダッドに赴任している最中に、安倍首相の父親である安倍晋太郎が外務大臣としてイラクを訪問してきた。
 原油取引やプラント輸出など経済外交問題が話し合われたが、現地の日本人社会においては、気がかりなことがあった。
 商社・ニチメン(現・双日)の駐在員がイラクの役人に賄賂を送ったことで有罪判決を受けて服役していたのだ。
現地の日本人会は勿論、現地日本大使館も外交交渉で釈放してもらえないかと期待していたが、外相会談ではそのような話題は一切出さなかった。
 外相同士の交渉での訪問であるから、一人の罪人の釈放どうのこうのと言った細かな問題など議題にならないのは当然であろう。
会談を終えて帰国の為に安倍外相は見送りのアジズ外相と共に並んでリムジンの後部座席に乗り込んだ。
 空港に向かう道すがら、安倍外相は思い出したように何気なく、「ああ、実はアノ件なんだけど、何とかならんかなぁ」と切り出した。
アジズ外相は安倍外相の手の甲にポンポンと自らの手のひらを合わせるとお互い笑顔のアイコンタクトで納得した。
後日、ニチメン社員は無事に解放され貴国の途に就くことができた。
お坊ちゃまの安倍ちゃんにはこんな芸当はむりだろうな。

史上最悪候補同士の大統領選挙

共和党の指名争いでは勝利しても11月8日の本選挙ではヒラリー・クリントンの楽勝であろうと視てていたが、私の予想は見事に外れてしまった。

6月にドテルテ大統領を選んだフィリッピン国民の見識と米国民が同レベルかと言えばそうでもないだろう。

トランプ候補が当選するにはそれなりの理由があった訳であるが、マスメディアはそれを積極的に報道しなかったし、むしろ焦点であるにも拘わらず隠蔽してきた感がある。

アメリカ経済の落ち込み、重工業地帯での産業の衰退が国民の不安を掻き立てた。

自動車・鉄鋼と言った嘗ての基幹産業が勢いを失い、栄華を誇った街並みが廃れていく。

大量に移民が流入し、白人の職が奪われていく現状に対する怒りと不安がトランプ支持へと流れた。

にも拘わらず、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストと言った有力紙、CNNと言った巨大メディアが

大々的にクリントン候補支持を表明した。

有名歌手を壇上に上げて支持表明をさせるクリントン候補。

表層の世論調査では3%程、クリントン候補有利と直前まで報じていた。

誰も自分たちを救ってははくれない、との焦りからトランプ候補に対する依存心が働いた結果ではないだろうか。

 

 ここまで巨大メディアがあからさまにクリントン支持で足並みを揃えたのでは、選挙の公平性から言って疑問を感じない訳にはいかない。ならばトランプに票を入れさせてやりたいと思ってしまう。

勿論、トランプを支持するつもりはないし、アノ品性下劣な人間性には嫌悪感しか湧かない。

金に物を言わせた傲慢な手法で勝ち上がってきたトランプ。

今後4年間、円滑なる政権運営が可能なのか疑問ではあるが、私用メール問題で躓いたクリントンの方が目に見えないだけ悪質性は高いのかもしれない。

ビル・クリントン元大統領とタッグを組んでの不正蓄財については今後、裁きの対象とならねばならないだろう。

 

そういう意味で、「史上最悪候補同士の大統領選」、という形容がぴったりの選挙だった。


米国大使館へ抗議行動

米国の戦争犯罪・原爆投下を忘れるな
実行者不在の5.27オバマ演説を糾弾
ユーチューブ動画:
 
 広島への原爆投下から81年目となる8月6日(土曜日)午後1時より
東京赤坂にある米国大使館に対する抗議行動を敢行する。
広島・長崎に対する原子爆弾投下は日本人・民間人を対象とした人体実験であり、
明確なる戦争犯罪である。
軍事要塞港であるハワイ・パールハーバー攻撃とは根本的に異なることを
米国民に教えてやらねばならないのだ。
午後1時15分、大使館正門前にて抗議文を朗読。
キャロライン・ケネディー大使の代理となる守衛に手渡し。
またも、官憲の違法なる規制により大使館から200メートルも離れたJT本社前に
強制移動を強いられ、黙祷に続き抗議集会を行う。
以下は、朗読・手渡しした抗議文(原文は縦書き)

抗議文

 

 昭和二十年八月六日、広島市中心部の上空で一発の原子爆弾が炸裂し十数万人もの命が葬り去られた。月曜日の朝八時十五分という週初めの始業時間。職場や学校では朝礼の為に多くの人々が屋外に出て整列している時間帯を狙ったものであった。

 より多くの無辜なる市民を如何にしたら効率よく殺傷することができるかの実験として行われたのが人類史上初めての原子爆弾投下であった。

三日後の八月九日午前十一時二分には長崎市上空において二つ目の原爆が投下され八万人以上の市民が殺戮された。

 広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型、と異なるタイプの原子爆弾を使用したことからも、人類に与える個々の影響を見定めるといった人体実験であったことに疑いの余地はない。それぞれにリトルボーイ・ファットマンと言った愛称をつけてまさに遊び感覚で無辜なる市民への殺戮を楽しんでいたのである。

 

 今年五月二十七日、米国の大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏は十七分間にわたる演説で科学技術の発展が効率的に人を殺す機械にもなり得ると言った文言を用いて、世界の恒久平和を謳えた。

我々は、「アメリカ大統領は広島・長崎を訪れて謝罪せよ」、と長年に渡って訴えてきた。近年になって漸く駐日

 

 大使や政府高官が祈念式典に参列するようになった。四月十一日にはケリー国務長官が広島を訪問し、今年オバマ大統領の広島訪問を迎えた。我々の要求はあくまでのアメリカ政府としての公式な謝罪である。

だが、現在の政治状況を客観的に鑑みてアメリカ政府が今、公式に謝罪をするとは予想していない。しかしながら、あのオバマ演説はなんだ。原爆犠牲者を広島市民を、日本国民を愚ろうしているのか。

「71年前、晴天の日、空から死が降ってきて世界は変わった」、とは何を差しているのか。

 

 津波のような天変地異によって人々が命を失ったかのような言い方ではないか。

死を降らせたのはアメリカ合衆国なのである。アメリカ国民とその政府による明確な意思を以って無辜なる市民を標的として、その目標を達成したのではなかったのか。

広島原爆記念碑の碑文にある「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」同様に実行者たる当事者不在の空虚な内容である。

 

アメリカは原爆投下の責任を明確にせよ      

アメリカは原爆投下の大量殺戮を謝罪せよ

アメリカは侵略による侵略の歴史を反省せよ    

アメリカによる独善的世界支配を許さない

 

平成二十八年八月六日

 

バラク・オバマ     アメリカ合衆国大統領

キャロライン・ケネディー同国駐日大使

                   政経調査会 代表 槇泰智

                   日本国民有志一同

 


原爆を投下したのは誰なんだ?

当事者不在のオバマスピーチを粉砕せよ!

日時:平成28年8月6日(土曜日)午後1時

場所:アメリカ合衆国大使館前 東京都港区赤坂1−10−5

http://japanese.japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-map.html

(アメリカ合衆国とそれにひれ伏す我国官憲による不当な弾圧によって強制的に排除される事態が発生した際は、坂を下ったJT(にほん たばこ)前で抗議集会を行う可能性もあります)

 

  広島に原子爆弾が投下されてから71年が経過する。

5月27日、米国大統領として初めてオバマ大統領が被爆地・広島を訪問し原爆資料館を訪れ原爆記念碑に献花をした。

近年になって駐日大使、国務長官が広島を訪問し、記念式典に参加するなど少しずつではあるが、当事者である米国政府の姿勢が変化していると見る向きもある。

 しかし、原爆を投下した当事国としてその責任に触れたことはない。

 今回のオバマ大統領のスピーチにおいても「空から死神が舞い降りた」、などとおとぎ話の世界の如く言い流している。

「アメリカ合衆国の意思の下に、アメリカ合衆国の軍隊によって原子爆弾を投下した」、という事実を隠蔽してはいないか。

「安らかにお眠りください。過ちは決して繰り返しません」、と言う碑文同様に当事者不在の空虚な言葉でしかない。

我々は今年もアメリカの欺瞞を撃つことを止めない

恣意的且つ偏狭な正義の下に、無辜なる民を殺戮して憚らないアメリカの欺瞞を許してはいけないのである。

 

 

《オバマ大統領スピーチ全文》

 

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。

どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。

多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。

広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。

数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。

しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。

私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。

物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。

より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。

国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。

私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。

私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。

私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。

いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。

それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。

私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。


オバマ大統領は原爆投下を謝罪せよ

米国のオバマ大統領がまもなく広島の原爆資料館・原爆慰霊碑を訪問するとのことだが、
そこで何を語るかが注目されている。
「米国大統領は広島・長崎への原爆投下を謝罪せよ」、と我々はことあるたびに米国大使館を訪問して訴えている。

予想されることではあるが、米国の大統領として謝罪することはないだろう。
犠牲者に対し哀悼の意を表することになるのではないか。
世界の警察官であり、検察官・裁判官を辞任する米国は自の価値観において「犯罪者」と断じた相手には容赦なく米国流の刑罰を加えることになる。
つまりは同時に死刑執行人にもなるのである。
71年前に邪悪なる犯罪者から世界を救出してやったという歴史観を転換することはないだろう。
米国流の他者の意見や価値観、地域の特殊性を無視した力による統治と言うものが決して世界平和に寄与するものではない事を教えてやらなければならない。
他者の痛みを分かち合う優しさが備わっているならば、イラク戦争からはじまったアラブ地域の混乱、シリア難民はでていなかったはずだ。

できるならばこの目でオバマ大統領の言葉と行動を確認してやりたいところだ。
そして、オバマ大統領に対しては、日本人として怒りの一声を直接ぶつけてやりた思いだ。

ロシア大統領であったエリツンが在任中に「日本兵のシベリヤ抑留は過ちであった」と認め、テレビカメラの前で30秒間黙って頭を垂れた。
あの傲慢なロスケの大将が、である。

自由と民主主義、そして人権と法による秩序を謳う米国大統領であればできない事ではないはずだ。

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