11年前の謂れなき貶めに屈服した結果が現在でも続いている【オマケ付き】

日本を意図的に貶める反日的策謀は枚挙にいとまがない。
なにも日本だけがターゲットにされていると言った被害者意識をむき出しにするものでもない。
グローバルな国際競争の中では経済的にも政治的にも互いが足の引っ張り合あいを行っている訳であり、
具体的な武力行使がないだけで、世界は常に戦争状態にあることを思い知るべきである。
平和ボケの日本人は世界が性善説の上に成り立っている訳ではない事を認識しなければならない。

日本人女学生の13%が援助交際という名目の売春を経験しているといった、オランダの人国連報告者の発言に対し日本政府として正式に間違いを指摘して撤回を申しいれた。
この要求に対し報告者は間違えを認めた。
good jobと言う程でもないが当然のことである。

11年前にこれと似たようなケースがあったが日本は何も反論せずに屈服し、その影響は現在にも及んでいる。
平成6年の米国国務省による「人身売買に関する年次報告書」において、日本は人身売買容認国として名指しを受けた。
外国人女性を性的搾取の対象としており、なんら救済していないと報告している。これは主にエンターテイメントビザで入国しスナックなどでホステスとして働くフィリッピン人女性を対象としてみたものであった。
一部には売春に携わっていた者もいただろうが、本人の意思を無視して強制的に売春をさせていたというのは特殊な例外であったろう。
2DKのマンションに二段ベッドを入れた寮で6人とか8人が生活し、ブローカーの手数料の他に部屋代・食事代を引かれ
月に10万円足らずの収入を得ていたケースなども人身売買の対象とみられていただろう。
それでもフィリッピンに住む家族の生活を支えるには十分な額であり、女性たちはある程度満足していた。

しかし、当時の小泉内閣では国連で安保理常任理事国入りをしたいとの目論見があり、波風を立てることなく要求に屈してしまった。
「はい、日本は人身売買をやっています。もうやりません」、ということで決着させたのだ。
平成6年においては年間で8万人のフィリッピン人(ほとんどが女性)が興業ビザで入国していたが翌年から発給は激減し、
10年後には数百人程度に限られ事実上、日本への出稼ぎは完全にストップしたのだ。
よって、あれ程までに日本全国に存在していた出稼ぎフィリッピン人によるフィリッピンパブは消滅したのである。

が、今も盛り場にフィリッピンパブは健在なのだ。需要のあるところ供給があるのが世の常だ。
合法的にフィリッピン人女性が接客するには在留資格が必要となる。
ビザの就労条件を逸脱してはいけないのであるからビジネスや観光・留学ビザでの接客は不可能。
もっとも手っ取り早いのは結婚ビザである。
なにも日本人と偽装結婚をするようなリスクを負う必要はない。
日本人と正規に所帯をもったフィリッピン女性は山ほどいる。そして一定期間以上一緒にいれば離婚しても永住資格はある。
昭和末期から平成初期に来日して結婚した女性はそれなりの年齢となってはいるが、むしろ日本人男性の心を操る手練手管においては日本人女性の比ではない。
加えて現在ではそうした熟女世代の二世が現役として店にでているのだ。日本人男性とのハーフで顔立ちがフィリッピン人特有の彫の深さを持っているので、スケベな日本人男性には受けが良いということがいえるだろう。

まあ、いまどきフィリッピンパブに通う日本人というのは、今までの人生では女性に縁遠く、結婚願望はあっても実現には程遠いタイプの中高年がほとんどだろう。
横に座って色っぽい眼で見つめられれば、「本気(マジ)?」、と思いこんで日々通ってくることになる。
北島サブちゃんの「博多の女(ひと)」の一節みたいなものだ
♪ひとの 妻とも知らないで 俺はきたんだ、、、♪

NHKドキュメント72時間で放送【オマケ】
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-78794.html

臆面もなくテレビカメラを前にニヤついてご満悦の方々は、小生と同年代だろう。
これらの人々に共通しているのは意味もなくやたらと煙を撒き散らすことだ。



援助交際巡る発言、オランダ人国連報告者が撤回

 日本政府は「数値も情報源も不明確」と発言の撤回を求めていた。ブキッキオ氏が11日、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に「13%という数値を裏付ける公的かつ最近のデータはなく、誤解を招くものだった」と書簡で回答した。国連人権理事会に提出する報告書でも言及しないと説明があったという。
2015年11月11日 17時35分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

シンポジウムへの登壇を希望します

西村修平氏にメール送信してみた
ヾ霙換岷 (※タイトル決定)
 【在特会と私 ヘイト規制法案ではなく「在特会」の解体を 
—無知と不勉強で醸成された「在日特権」なる虚妄】
  講師・野村旗守(ジャーナリスト) 
▲轡鵐【在特会によって貶められた愛国運動と日章旗】
登壇者(確定)
  西村修平(主権回復を目指す会) 野村旗守(ジャーナリスト)
  山口祐二郎(憂国我道会) 安田浩一(ジャーナリスト) 順不同
  登壇者(交渉中)
  高田(桜井)誠、 他

※なお、登壇を要請した村田春樹氏は「先約による都合」、瀬戸弘幸氏からは山口氏から「呼び捨て」にされたことを理由に、八木康洋氏からは「翌日の仕事に支障をきたすような事は控えたい」との理由で欠席の連絡を頂いている。
※有門大輔氏からは「『公正なジャッジ』や『公正な進行が期待出来ない』」との理由で欠席の連絡があった。(9月12日追加)
※江崎貴博氏は「高田氏の参加不確定」で出席見合わせ。(9月18日追加)
http://nipponism.net/wordpress/

西村修平様
9月21日に文京区民センターで貴会が主催する上記シンポジウムへのパネラーとしての登壇を希望します。
平成21年12月4日、主権回復を目指す会関西支部の中谷辰一郎支部長、同荒巻靖彦事務局長等が中心となって行った京都朝鮮人学校への抗議行動を受けて、同月彼らの行動を支持する集会とデモ行進が大阪市内で実施されました。
西村氏からの呼びかけに応じデモ行進に参加し、鶴橋駅前で朝鮮人学校を批判する演説を行った一人として、討論会に登壇させて頂きたくお願いします。

ヘイトスピーチ(憎悪表現)と民族差別について語り合いたいです。

ヘイトスピーチの定義とはなにか?
本人が自身の努力では脱することができない境遇を論い誹謗すること、でしょうか。
朝鮮人・被差別部落出身者・身体障碍者・精神障碍者などなどが対象でしょうか。
そして、ここで問題とするのは民族差別を取り立てたヘイトスピーチだけでよいのか。

意見の対立する相手に対する「ブス・不細工・デブ・豚女」など負の容貌を用いたヘイトスピーチは許されるのか。
それとも、これらは美容整形手術・痩身療法で克服できるから、ヘイトスピーチではな  いと言うことなのか。

皆さんの意見を聞きながら討論していきたいです。
政経調査会
槇泰智


===以上のメールを西村氏に送信しました===
京都朝鮮人学校への抗議によって西村修平氏等が同校から民事訴訟を起こされ、損害賠償を命じる判決が出されたのは昨年10月。
 これを受けて、弊会では10月31日に在特会幹部等をパネラーにシンポジウムを開催した。
西村修平氏にも参加を呼び掛けたが、当方からの電話連絡にも一切応じなかった。
そして今、西村氏は一切の呼び掛けに応じない高田(桜井)誠氏を非難しているのだ。
 これに遡る昨年5月には、私に対し話し合いをしたいと主権会事務所へ呼び出だすメールを送ってきた。
話し合いとは名ばかり、修平教の信者を周りに配置しての私に対する査問会議的な状況。
何を主題に話し合うのか、内容を明確にしてもらえば、周りに誰がいようと私は一向に構わない。
幾ばくかのメール交信の後に、日時を決定しようとしたら、突然に「僕の今の心境では話し合いはできない」、と拒絶してきた。
彼が話し合い・討論を吹きかけるのは自分より圧倒的に弱い人間。若しくは呼び掛けても絶対に応じないと分かる人間だけなのだから。

 
基調講演の内容についても興味深いですね。
結局は暴力団対策法と同じ考えでしょうか。
行動や発言内容ではなく、団体の存在その物を国家権力が新法を制定して禁止せよ、というのでしょうか。
ジャーナリストの立場からこのような意見が出てくるのは意外に思います。
パネラーの安田氏においては著書の中で西村氏がヘイトスピーチの師匠であるように書いていたと思いますので、舌鋒鋭く切り込んでくれるのでしょうか。左翼ジャーナリストの実力を拝見したいところです。 
 

「みたま祭り」に行った

 
 午後1時に渋谷駅ハチ公前での街宣が終了してから、最終日のみたま祭りを見学しに靖国神社へ向った。
主なイベントは日曜日や夕方から夜に集中しているので、昼間は閑散とした状態。
参道にずら〜っと並ぶ屋台が手持ち無沙汰で少ない客に声を掛けている。
 拝殿で参拝を済ませてから、一通り大鳥居の下まで往復してみる。
大鳥居をくぐって右側の木立の中には大きなテントが張られ「おばけ屋敷」の看板が出ている。
 こういった出し物は昔の祭りごとにおいては定番だっただろうが、最近では珍しい存在となっている。
昔の祭では「見世物小屋」なんていうのが存在していた。と言っても私が体験した訳ではない。文献にあったり、聞き伝えられた程度の知識だ。
 例えば「蛇女」という者があった。
先天性の奇形で全身にウロコが生えたような女性を連れて来て晒し者にし、怖いもの見たさの客から見物料を取っている訳であり、今なら人権上許されないことだろう。
 「小人」というのもその類だろう。ターナー症候群などで低身長の人にプロレスを演じさせてコミカルな動作で笑いを取っていた。
外国の映画で言えば「エレファントマン」、というのもあった。
身体的に障害を持った人を晒し者にして金儲けの道具にすることがまかり通っていたのである。
これは、現在の価値観から見れば非人道的な行いとなる。
だが、医療福祉制度が発達していない、つまりは人権と言う概念も存在しなかった近世から近代においては、こういった見世物小屋こそ彼等が収入を得るための唯一の手段だった。
障害者手帳も存在しないなかで、障害者手当てが給付される訳でも無い。
 興行主と一緒に旅回りをすることで、一定のコミュニティーに身を置いて寝食を保証されていたのだろう。
 
 そんな話しをしながら歩いていると、墓参りの話題になる。
お盆の季節に墓参りに来た人が墓前にお供え物をして行く。
現在では「腐ったりカラスが荒らすので置いていかないで」と、何処の墓苑でも注意書きが張り出されている。
一昔前には「寺男」、と言うのが存在していた。
知恵遅れで社会に適応できない男が寺の世話になりながら境内や墓所の掃除していた。
映画・フーテンの寅さんに出てくる佐藤蛾次郎の役どころである。
 夕方になると墓参者が置いていった握り飯や饅頭を食べて腹を満たしていた。
 だから、墓参者は亡き祖先の為に丹精込めて作ってきたオハギなどを心おきなく放置して帰宅の途につくことができた。
そしてそれらの食べ物は決して無駄にはならなかった。
 
そんな会話を交わしながら境内を歩いた猛暑の昼下がりでした。

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