辛口の風刺画で知られるフランスの週刊紙・シャルリーエブドがイスラム教徒のテロに会い多数の死者が出た。
世界中で、「テロを許すな」「表現の自由を守れ」と、の声が沸き起こっている。
しかし、これらの風刺画が表現の自由の範疇に加えられるものなのか、真剣に議論する動きはない。
悲惨なテロ行為を糾弾するあまり、世界中が盲目的に普段は悪評高い三流週刊紙を擁護する側に回っている。
マグレブと言われる北アフリカからの移民が大勢流入しているフランスではイスラム教徒と接触する機会は頻繁にあり、彼らがムハンマドを唯一神として崇めたて、他の如何なる神の存在も認めず、これを否定する者に対し如何なる仕打ちをしてきたか熟知しているはずである。
にも拘わらず、今回のようなイスラム教を冒涜するが如き風刺画を掲載したとなれば、イスラム社会に喧嘩を売った、宣戦布告したようなものであるから、悲惨なテロを誘発した原因は週刊紙側にある。
かつて、フランスでは福島第一原発の放射能漏れ事故を題材にして、手足が3本生えた奇形力士を描いた風刺画を掲載したが、
日本政府としてはこれに抗議している。
フランスでは日本人はユーモアを理解できないと、嘆いて見せたものだった。
日本政府が本気で抗議し、このような表現を止めさせるとなれば、日本政府は「表現の自由」「出版の自由」を認めない国ということになる。
先にエントリで上げたアメリカ映画「ザ・インタビュー」でも同様であるが、「表現の自由を守れ」と言えば無限大に表現の自由が保証されなければならないのか。
特にこの二点においては芸術性の片鱗もない駄作パロディーと言う点で共通している。
更に加えれば4年前に公開された和歌山県大地町のイルカ漁を扱った映画「ザ コーヴ」も同格である。
「表現の自由」は何処まで認められるのか、といった問題が一つ。
そしてもう一点、言及したいのはイスラム教との共存の可否である。
結論から言えば、我々日本人にとっては不可能である、というか彼らの持つ文化システムを日本社会は受け入れてはいけないのである。
嘗て、イスラム教を信奉するイラク共和国に居住し、所謂湾岸戦争やイラク戦争において「アラブ社会の価値観を尊重せよ」と訴えて、アメリカ的価値観の押し付け、アメリカ覇権主義を糾弾してきた筆者の立場と相いれないと受け取る向きもあるかもしれない。
全ては「郷に入れば郷に従え」、と言うことである。
アラブ社会においては彼らイスラム教徒の決まりや流儀がある。
ムハンマドを唯一神として、他の宗教を一切認めない。偶像崇拝を認めない。
八百万の神を祀り、道端に転がる小石や草木にも神が宿るといった自然崇拝を行ってきた日本人から見れば馬鹿げているとは思うが自分たちの国の中でやることには口出ししない。
極端なる人権侵害や殺戮が行われていれば別であるが、我々や西欧諸国が口出しすべきことではない。
しかし、そのイスラム教徒が日本社会に流入してきたらどうなるのか。
経団連など財界は労働力不足を補うために移民を受け入れようとしている。
すでにイスラム教国であるインドネシアやマレーシアからは研修生として入ってきている。
看護婦候補生やヘルパーとして来日してきているが、現在は少数派であるがゆえに日本社会のシステムに従って生きざるを得ない。
禁止されている豚肉食も仕方なくお祈りをしてアッラーの神の許しを得て食していると聞く。
だが、っ近い将来彼らが多数派となった時には、従来から居住している日本人が不自由を強いられる事態が想定されるし、
現在すでに、そうなっている社会が存在するのだ。
ハラアール認証という実態を含めて近々に別途のエントリーをあげて解説してみたいと思う。
イギリスでイスラム法支配地区を作ろうとする移民達
https://www.youtube.com/watch?v=smMM9vqEhm4