私の見てきた「生長の家」by犬塚博英講師

 平成28年4月10日(日曜日)午後3時から港区の東京グランドホテルで犬塚博英先生の講演会が開催されるので参加してきた。
案内では大江戸線なら赤羽橋駅が直近とあったが、念のためホテルに問い合わせてみると一つ先の大門駅が最寄りだと言う。
仕事が立て込んでいて慌てて家をでたが、大江戸線に乗り換えるのに反対方面にしか行かない新宿西口駅にでてしまい、タイムロス。
 大門駅で地上に出てからは確証もなく本能のままに方角を見定め、てくてくと10分程歩く。
 東京グランドホテルというのは曹洞宗が経営するホテルで、よくそのお寺関係者が利用するらしい。
 ホテルに着いてからも会場の部屋に入るが誰もいないので、ホテルのフロントに降りてスタッフに聞いたりしながらウロウロ、
田舎者が久々に東京の都心に出てくると戸惑う事ばかりだ。
 昔はなじみの街でもここ20年も足を運んでいないと大きく変貌しているので所在不明となる。
結局、講演の途中から入室するが、会場はほぼ満員の状態で空席は二つ三つ。
関心の高さが伺われる。参加者は民族派運動関係者とマスコミ関係者、そして一般人。
中にはこの講演会の為に九州から上京してきたと言う年配で生長の家関係者が二名いらした。
幾つ星のホテルかは不明だが、会議室も普通に利用すれば相当な金額を取られるらしい、立派な会場だ。
犬塚先生が季刊誌「宗教問題」に連載してきた「愛国教団生長の家の変質を問う」の内容に沿って
「私の見てきた生長の家」と題した講演が行われた。
 嘗ては多くの民族派学生を育て、大学内でも左翼暴力学生に対抗する勢力としての「生長の家学生連合」を持つなど、
70年代の赤化防止活動では名を馳せた団体であった。
初代の谷口雅春総裁から娘婿の清超二代目、その次男である雅宣三代目と継承されるにおいて、かつての栄光も薄れ
反日団体かと思われるごときに没落した、というもの。
昔からの会員は次々に離れ、残った者も雅宣をエセ総裁呼ばわりし会員は激減している。
犬塚講師が語られる講義のポイントと思われる点は
現体制に不満がある会員が面と向かって総裁やその取り巻き非難するではなく、ネット上で匿名での
罵詈雑言に終始していることではないだろうか。
総裁の出席する集会などで、「質問があります」と、挙手して攻撃する者はいない。
犬塚氏が書いた宗教問題の内容をコピーして批判する程度であり、自らの言葉で意見をいう人間がいない。
これでは内部からの改革などはできないということだ。
終了後は近くの中華料理屋で直会。
一つの卓を囲んで一同が歓談。
ビールに焼酎、紹興酒で杯を重ねる。
その後は、犬塚さんとポストの小川さんのお世話で向かいにあるジョナサンにて更に盃を重ねる。
観光客であろう支那人ファミリーが夕食をとるテーブルの横で、
むくつけきオヤジ共が日本酒のお替りを繰り返しながらし歓談に興じる。
酔うほどに飲んだのは3月29日の花見の会以来か。
犬塚さんを始め、皆様には大変お世話になりました。
娘から借りた定期券を使い浜松町から電車に乗り無料で帰宅できました。

PTAに宗教活動を持ち込むな

3月6日(日曜日)
昨晩の卒業式後の懇親会に出席したPTAのお母さんの一人から電話がある。
PTAの事で相談したいから会いたい、と。
私のいない席で何かあったのかな?
野方まで出てくるというのでガストで会う。
もうひとり見知らぬ女性を同伴していたので、アレと思いピンときたが何知らぬ顔で席に着く。
学校やPTAの話しをするが、頃合いを見計らって
富士大石寺や浅井先生の話しを持ち出してくる。顕正会だね。
普段は明るく人当たりの良いお母さんなんだけど、ソッチ方面だったんだね。
PTAの他の人にも同様に勧誘しているんですか。
彼らは勧誘とか布教とは言わない。
皆さんにお勧めして槇さんが最後の方だ、そうですって。
なにが悲しくて私がこんな奴らの為に拝まなければならないの。
そんな勧誘のために呼び出されるのは迷惑だ、ときっぱり。
兎に角、PTA活動の人脈の中で宗教・政治・商売の勧誘をやってはいけない、と厳命する。
悪徳商法なら自らの違法性を認識しているから後ろめたさもあるが、彼らは場合は全くの善意だと思っているから
始末に悪い。
以前もオバちゃんが二人して我が家に来たことがあるが、顕正会は本当に執拗に喰い下がってくる、スッポンみたいだ。

なんらかの機会に全保護者に対し、厳命する機会を持たなければいけないのかな。

ハロウィンは要らない==6年前の回想==

今年のハロウィンである10月30日は土曜日に当たるということで、若者(バカ者?)の乱痴気騒ぎも昨年に輪をかけて白熱しそうだ。
アメリカなどで「TRICK or TREAT?」と言って家々を訪ね歩きお菓子をねだる子供たちのおふざけが此処日本では二十歳前後の年代にまで及んでいるのだから、まさに痴呆的状況である。
「お菓子をくれなければ悪戯しちゃうぞ」、と言うのが趣旨なのであるから、大人を脅迫して菓子を強奪するに等しい、不道徳な風習である。
アメリカで起きた日本人留学生・服部君への射殺事件からは二十数年が経過するが未だに人々の記憶の片隅に存在する。
ハロウィンとはキリスト教の中でもアメリカを中心に信仰されているプロテスタント教徒によるお祭りであって、欧州ではあまり縁がない。
それをキリスト教に対する信仰の片鱗も持たぬ日本人が馬鹿騒ぎ目的で仮想して練り歩くのだから、ある意味キリスト教に対する冒涜と言えなくもない。
6年前のハロウィンンに際しては、外人による前年の山手線占拠に輪をかけて、ネット上で犯罪予告ともいうべき予告が出回っていた。
10月31日新宿着21:06の山手線内回りをトレインジャックするというものであった。
前年は、外人暴徒が電車内で半裸状態で酒を飲み大声で歌を歌い、網棚に寝そべったりしてのやりたい放題。
電車内の蛍光灯を外し真っ暗にした。
たまたま居合わせた移動の手段として利用する一般乗客にとっては迷惑と言いか恐怖の体験であったろう。
法治国家である我国の治安を守る為に我々は立ち上がった。
20時に新宿駅西口に集合し、自警団を組織して予告のあった電車に乗り込んで、乱暴狼藉の違法行為を止めさせるために立ち上がった。
こうした行動によって当局が動いた結果か、当該の電車は何事もなく新宿駅へ到着した。
我々の行動が無ければ警察・JRの無為無策が続き不良外人による狼藉は益々エスカレートしたことだろう。

今年も土曜日に過度の露出が予想される。
これに対し警告的に行動を起こすことも検討された。
一つにはハロウィンで沸き返る渋谷ハチ公前広場における街宣活動も視野にいれたが、見送ることとした。
6年前のような組織だった違法行為が予告された訳ではない。
ハロウィンなる物が不道徳的であり交通の妨げになり、日本の風土に適さない等の理由により、推奨されるものではない。
しかしながら個人の嗜好の範囲であれば感情的に排斥を訴えるものでもなかろう。
ハロウィンで沸き返るハチ公前において、ハロウィン排斥を訴えところで、単なる感情の発露・ストレスの発散と捉えられかねない。責任ある政治活動とはなりえない。
昨年も、渋谷の繁華街では一部において痴漢や警官に対する暴行で逮捕される者がでたが、偶発的なものであり、組織的に計画された犯罪行為ではなかった。
尤も、6年前は保守系市民グループと連動したことで、約70人の同志が結集したのでそれなりの抑止力としての効果をあげることができた。数人で渋谷の雑踏に立ち向かったのでは埋没してしまうだろう。

6年前に記した活動レポート
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=373#comments

ユーチューブ動画

https://www.youtube.com/watch?v=MiN2mWsMVY8

8年前の新宿駅は無法地帯と化していた、駅員・警官は一切制止しない。
https://www.youtube.com/watch?v=hquxscgjH5c

 

イスラム教の押し付けを日本人は寛容しない!

 1990年のイラクによるクウィートへの進行から始まる湾岸戦争においても「アメリカはアラブの論理に従え」、とイラクの立場に理解を示してきた。
 イスラム社会の持つ価値観を欧米の勝手な流儀で踏み荒らすな、と誰よりも強く訴えてきた。
イラクに居住していた経験からも、イスラム社会の流儀には尊敬を払い従ってきた。
 それはあくまでも彼らが築いてきたイスラム社会の中における当然のレスペクトである。
 しかし、日本において彼らがイスラム教の流儀を通用させようとするのであれば、このシステム破壊に対しては断固として戦いの狼煙を上げなければならない。
 
 今般、アメリカの最高裁はヘジャブを着用するイスラム教徒女性の採用を拒絶したアバクロ社の行為が差別に当たるとの判断をくだしたが、これが日本にも波及しないとも限らない。
 要は、「仕事中は帽子や被り物は取りなさい」、という従来の常識的な規則が通用しないということになったのだ。
 これは一般人には当てはまらずイスラム教徒だけの特権ということになる。
宗教を背景にすれば如何なる非常識にも寛容にならなけれいけないという事になる。
 ならばイスラム教に限らない。宗教上の理由であれば、あらゆる奇抜ないでたちでも許容しなければならないのか。
 仏教徒ならば袈裟を着用して接客業にあたることもあり得るのか、という事にもなる。
 北海道の温泉においてニュージーランドの先住民であるマオリ族が刺青を施した体で温泉に入ろうとして、拒絶されたのだが、これを人種差別・偏見として報道していたのは、記憶に新しい。
日本人のお祭り愛好者の刺青とて民族的風習と言えなくはないが、外国人に寛容であることが人権重視であると考えている人々がいるようだ。
 特に近年では経済的に豊かになり観光で来日する機会の増えたイスラム圏の人々に対する過剰なまでの気遣いが顕著となっている。
 女性は髪の毛を見せてはいけない、とううのは全てのイスラム教徒が順守している訳ではない。
豚肉を食べるな、ハラール処理された食材しか食べてはいけない。これらも個人個人によって開きがある。
そこまでこだわるならイスラム圏ではない日本に来なければよいだけの話だ。
日本人においても偏食が激しい人間は海外旅行など行かない。
 将来は学校で授業中にキャップを被っている生徒がいても、「私はイスラム教徒です」、と言われれば先生は「帽子を取りなさい」とは言えなくなるだろう。
 外国人も法令を順守し、日本の社会システムに適応するなら差別なく受け入れる。
 彼らが自分たちの文化を持ち込むことも許容する。
 ただ、日本社会のシステムを破壊する行為を許すわけにはいかない、ということだ。



アバクロのヒジャブ女性採用拒否は差別、米最高裁

AFP=時事 6月2日(火)12時31分配信

【AFP=時事】米カジュアルウエアブランド「アバクロンビー&フィッチ(Abercrombie & Fitch)」が、ヒジャブ(頭髪を覆い隠すスカーフ)の着用を理由にイスラム教徒の女性の採用を拒否したことは差別にあたるとして訴えられていた裁判で、米連邦最高裁は1日、8対1で差別を認める判断を下した。

ヒジャブ着用で採用拒否は雇用差別か、アバクロ訴訟 米最高裁へ

 この訴訟は2008年、アバクロンビー&フィッチの営業職に応募したサマンサ・エラウフ(Samantha Elauf)さん(当時17)が、ヒジャブを着用していたため採用を断られたことは雇用差別にあたるとして起こしていたもの。

 連邦地裁はアバクロンビー&フィッチによる差別があったと認めたが、第10巡回控訴裁判所(高裁)は1964年の公民権法で保護対象となるのは「宗教上の便宜供与が必要なことを明確に通知」した従業員に限られると判断したため、米雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission、EEOC)が連邦最高裁に上告。米政府やさまざまな宗教団体もこの問題を注視していた。

 連邦最高裁は「雇用主は求職者の宗教上の慣習を、確認の有無にかかわらず、雇用を決定する要素としてはならない」として、アバクロンビー&フィッチのエラウフさん採用拒否は差別にあたると判断した。

 最高裁の判断を受け、法律事務所ドーシー・アンド・ホイットニー(Dorsey & Whitney)のマイケル・ドローク(Michael Droke)氏は、雇用主は差別にあたる事項が含まれていないか社内規定などを見直す必要があると指摘した。【翻訳編集】 AFPBB News


イスラム教とは同居できないと認めるべき

辛口の風刺画で知られるフランスの週刊紙・シャルリーエブドがイスラム教徒のテロに会い多数の死者が出た。
世界中で、「テロを許すな」「表現の自由を守れ」と、の声が沸き起こっている。
しかし、これらの風刺画が表現の自由の範疇に加えられるものなのか、真剣に議論する動きはない。
悲惨なテロ行為を糾弾するあまり、世界中が盲目的に普段は悪評高い三流週刊紙を擁護する側に回っている。

マグレブと言われる北アフリカからの移民が大勢流入しているフランスではイスラム教徒と接触する機会は頻繁にあり、彼らがムハンマドを唯一神として崇めたて、他の如何なる神の存在も認めず、これを否定する者に対し如何なる仕打ちをしてきたか熟知しているはずである。
にも拘わらず、今回のようなイスラム教を冒涜するが如き風刺画を掲載したとなれば、イスラム社会に喧嘩を売った、宣戦布告したようなものであるから、悲惨なテロを誘発した原因は週刊紙側にある。

no title

かつて、フランスでは福島第一原発の放射能漏れ事故を題材にして、手足が3本生えた奇形力士を描いた風刺画を掲載したが、
日本政府としてはこれに抗議している。
フランスでは日本人はユーモアを理解できないと、嘆いて見せたものだった。


日本政府が本気で抗議し、このような表現を止めさせるとなれば、日本政府は「表現の自由」「出版の自由」を認めない国ということになる。
先にエントリで上げたアメリカ映画「ザ・インタビュー」でも同様であるが、「表現の自由を守れ」と言えば無限大に表現の自由が保証されなければならないのか。
特にこの二点においては芸術性の片鱗もない駄作パロディーと言う点で共通している。
更に加えれば4年前に公開された和歌山県大地町のイルカ漁を扱った映画「ザ コーヴ」も同格である。
「表現の自由」は何処まで認められるのか、といった問題が一つ。

そしてもう一点、言及したいのはイスラム教との共存の可否である。
結論から言えば、我々日本人にとっては不可能である、というか彼らの持つ文化システムを日本社会は受け入れてはいけないのである。
嘗て、イスラム教を信奉するイラク共和国に居住し、所謂湾岸戦争やイラク戦争において「アラブ社会の価値観を尊重せよ」と訴えて、アメリカ的価値観の押し付け、アメリカ覇権主義を糾弾してきた筆者の立場と相いれないと受け取る向きもあるかもしれない。
全ては「郷に入れば郷に従え」、と言うことである。
アラブ社会においては彼らイスラム教徒の決まりや流儀がある。
ムハンマドを唯一神として、他の宗教を一切認めない。偶像崇拝を認めない。
八百万の神を祀り、道端に転がる小石や草木にも神が宿るといった自然崇拝を行ってきた日本人から見れば馬鹿げているとは思うが自分たちの国の中でやることには口出ししない。
極端なる人権侵害や殺戮が行われていれば別であるが、我々や西欧諸国が口出しすべきことではない。

しかし、そのイスラム教徒が日本社会に流入してきたらどうなるのか。
経団連など財界は労働力不足を補うために移民を受け入れようとしている。
すでにイスラム教国であるインドネシアやマレーシアからは研修生として入ってきている。
看護婦候補生やヘルパーとして来日してきているが、現在は少数派であるがゆえに日本社会のシステムに従って生きざるを得ない。
禁止されている豚肉食も仕方なくお祈りをしてアッラーの神の許しを得て食していると聞く。
だが、っ近い将来彼らが多数派となった時には、従来から居住している日本人が不自由を強いられる事態が想定されるし、
現在すでに、そうなっている社会が存在するのだ。

ハラアール認証という実態を含めて近々に別途のエントリーをあげて解説してみたいと思う。

イギリスでイスラム法支配地区を作ろうとする移民達  
https://www.youtube.com/watch?v=smMM9vqEhm4





 

calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM