道路使用許可書は葵の紋所ではない

   3月から近隣でマンション建設が始まり、我家の前の狭い道を工事車両が占有している。

  社用車が入出庫できないのでは日々の経済活動が正常に働かない。

   工事が始まる前の早朝に出入庫して洗車/掃除機掛けしたり、工事車両が出た瞬間に空き巣狙いのようにして素早く入出庫させたり、なんで土着住民が気を遣わねばならないのか。

 

  86平米の狭小な土地で境界線ギリギリまで5階建てマンションを建てるので、敷地内には工事車両を止める余裕もない。

  車を出す度に工事関係者の担当を呼び出してトラックを移動させなければならない。

 野方警察に訴えても効果は無い。

  基本的に警察は土建屋の側に付いているので、取締りは行わない。

  特に訴え出ているのが私だとなれば無視を決め込むか、逆に私の事を逮捕しようとする。

罪状は工事の進行を遅らせた事で威力業務妨害か、脅迫・強要、または恐喝とか何でも良いのだろう。

「車両の入出庫ができなくなるので休業補償をお支払いします」、なんてオファーにでも乗ったら確実に懲役刑の口実になる。

 

  業者は警官に対しては葵のご紋の如くに「道路使用許可証」を晒して、路上でのトラック放置が合法であると強弁を垂れる。

  自転車で駆け付けた警官なんかは思考能力も停止しているから無批判に納得してしまう。

   私がきちんと説明してやらなければならない。

 ほら、ここを読んでご覧なさい。道路使用の目的として「資機材の搬入搬出の為」、と書いてあるでしょ。

  資機材の搬入搬出が終了したら速やかに移動しなければいけませんよ。

 もう2時間も3時間もず〜〜っと此処に停めたままでしょ。

 駐車場料金を払うのが勿体ないから、駐車場代わりに道路を占有し、通行を妨害しているのが実情だ。

 

  道路使用許可証を取得してしまえば、道路を駐車場として使用して構わなと思っているのだろうか。

 それなら街頭演説会が終了してからも、食事に行く為に駅前に宣伝カーを駐車しても構わないということになる。

 警察との癒着の結果、いままでの現場では常態化していたから、私の様に正論を言われることに違和感を持つのだろうし、地域課の警官としても対処の仕方がわからないのだろう。

 

 我家の前の道路を封鎖する為に警備会社から三人の誘導員が派遣されて来ている。

トラックをコインパーキングにでも入れた方が圧倒的に安上がりな事に気が付かないのだろうか。


規制緩和で東京は無法地帯

  都心に近い駅近の土地があれば、すぐに建物が建設される。

 安普請のワンルームマンションだろう。

 狭い敷地にびっしりと道路の境界線スレスレに建設される。

我家前の狭い4メートル道路からバス通りまで出る手前の角地に建設工事が始まったのは3月下旬から。

 それ以前に設計事務所が挨拶に来たので「建てるのは自由ですが路上駐車はできませんよ」「私は前面の道路を通行することで生計を立てているのですから、車両一台分の通行区分は残してくださいよ」ということで納得した上で工事を進めているはずなのに、守られていない。

 

  僅か86平米の敷地に地上五階地下一階だての共同住宅を建てるという。

 今は規制緩和で従来の建蔽率なんて関係ないみたいで敷地に目いっぱい建設できるのか。

仮設事務所も休憩所もトイレも設けないのはご自由であるが、道路を作業場として使うのはお門違いだろう。

野方警察署から道路使用許可を取得しているとのこと。

野方警察署自体が犯罪者の集団であるから社会正義なんて意識は皆無だ。

 

 一時的に資機材の積み下ろしの為に通行を規制するなら仕方ないが、道路が建設現場の一部と化しており、歩行者すら通行できない状態を放置しているのだから法治国家でもなんでもない。

 私企業が収益を上げるために一般国民の平穏な生活を破壊しても良いというのが、現在の日本社会の方向性となっている。

 建設工事が完了するまでの一時的な道路使用だと主張するなら、我が家で大根や人参を収穫するまで一時的に道路を耕作地として使用させろと、言っているのと同じではないか。

 

大型トラックが狭い生活道路を斜めに塞いで占拠している。

車両は勿論、人一人が通行するのも不可能な状況だ。

野方警察の道路使用許可担当に言わせれば「問題ない」そうだ。


危険でも外階段は建築面積に入らないから

 八王子市のアパートで外階段が崩落し住人の女性が死亡した事故というか事件であるが、風雨にさらされる外階段の一部に木製板が使用されていたことが判明した。

設計図では鉄製板が使用されることになっていたが実際の施工では木製となっていた。

この業者が過去において複数の建物の施工で同様の工事を行っていたことも判明した。

 

 何故、このような手抜きともいえる施工が行われていたのか。

コストを下げて利益を上げるためとも考えられる。

とにかく首都圏ではどんな安普請のアパートでもそこそこに入居者はある。

建てれば必ず家賃収入が期待できる状況にある。

 

 私が5年ごとの国勢調査で地元中野区で調査員を行っている経験から言えることであるが、日本人の若者からは人気が無いような、築30年以上でオートロックもない木造アパートでも外国人や独居老人などの生活保護者で埋まり空室はゼロに近い。

 日本全体では人口が減少し空き家が蔓延りその対策に追われているというが、中野区内で駅から徒歩5〜10分以内の物件であれば、誰かが入居してくれる。

 

 嘗ては夫婦と子供が住んでいたような一軒家でも、子供が独立し老夫婦だけの世帯となり、その夫婦も年老いて空き家となる。

 そういった物件にはすぐに買い手が付き共同住宅、または分筆して複数個の建売分譲住宅となって売りに出される。

 広い、と言っても50坪程度の敷地にゆったりと建っていた家屋は取り壊され、4メートル幅ギリギリの狭隘道路に面した敷地一杯に三階建て程度の建物が建つ。

 工事途中から軽トラック一台が駐車するスペースも無い程に道路際一杯に建てられている。

駅に近い住宅地は規制緩和によって容積率が緩和された影響だ。

 いままで二人で住んでいた敷地には5戸x3階建てで15世帯のアパートが建てば15人が移り住んでくる。

 

 その分、都内の人口は増加する。どこから来ているのか。それは地方を脱出して東京へと流入してくる若者が中心となる。

 地方は更に寂れ、東京のみが地方からの若いエネルギーを吸収して肥え太るような政策が為されているのが現状である。

 今回、階段が崩落したのも外階段であることが原因。

 内階段と異なり外階段部分は建築面積として計算されない。

故に容積率一杯に建物を設計し、それとは別に外階段を取りつけることが可能となる。

今回犠牲となった女性も規制緩和による守銭奴の金儲けの犠牲となったと言えよう。

 都会では上を見上げても空は見えない。

 

外階段の崩落、別物件も腐食か 業者は120棟以上施工

配信

朝日新聞デジタル

朝日新聞社


利便性付与で魅力ある千葉県を

 4月29日のエントリーで私が車を保管するヤードを探しているので情報をお寄せいただきたいと記述した。

http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=2559

千葉県に居住する支援者の方から千葉市内の県道沿いに廃業になったガソリンスタンドがある、と情報を頂いた。

ご厚意により土曜日に車で案内して頂いた。

 

 千葉県西部地域は東京に隣接する市川市から船橋市、習志野市辺りまでが東京圏内から継続して都市化が進んでいる。

北西部は東京から連なり松戸市・柏市エリアが同様に隆盛を誇っている。

西部地域は習志野市を過ぎるとしばしの空白地帯をおいて千葉市中心部である程度の活況を呈する。

今回、訪問したのはその空白地帯。総武線の快速が停車しない津田沼から先のエリア。

そこから北部地域は京成本線の八千代駅方面までは鉄道もなく中間地点になると最寄り駅までの徒歩による移動は困難となる。

 東京湾から千葉県内陸へと延びる花見川の流域で、住宅は点在するものの資材置場や小規模工場が点在するだけの私の感性にとっては良い意味での殺伐として地域だ。

 こういった県道沿いかその周辺にゆったりとしたヤードを構え、ソファーベッドを備えた建屋の中で仕事していれば、良いアイディアも生まれ、時間の制約からも解き放たれ、国家革新運動も成就への道筋が切り開かれるのではないだろうか。

 

 今回、紹介してもらったヤードにおいてオーナーと話をしたがこの物件をすぐに使用できるかどうかは不明。なんせスタンドは休業中だが廃業の届けは出していないとのこと。

周辺で他の物件を紹介してもらえるかもしれない。

 

 なんせ、千葉県は土地が安い。千葉県もなし崩し的に房総半島内部に突入していくと都心へのアクセスも芳しくなく利用価値が薄れていく。

本来は農業圏としての最適地なのだろうが離農が深刻となり若者は東京へ出て行ってしまうのだろう。

 隣接する茨城県と合わせて「チバラキ」などと揶揄する言葉も産まれているが、茨城も農業立国であり決して卑下するものではない。

千葉県最東部の銚子市などは利根川河口の橋で茨城県神栖市(旧波崎町)と結ばれ人々は毎朝、茨城県の鹿島工業地帯に通勤していた。

川俣軍司は波崎町で産まれ育ちバスで銚子駅に向かい列車で東京へ就職したわけで、銚子あたりは茨城県の生活文化圏にも組み入れられている。

 

 モリタケ ンサク千葉県知事はこの現状をどのように考えているのか。というか、まるで考えていないしビジョンもないのだろう。

 以前にも記したが、JR総武線沿線における花見川区周辺の開発と住宅地としての魅力づくり・利便性の改善は急務なはずだ。

 総武線快速は錦糸町から先、新小岩・市川・船橋・津田沼・稲毛へ停車して千葉に向かう。

途中通過駅の住人などは東京へ急ぐ際は快速停車駅で乗り換え。階段でホームをまたいで快速に乗り換えるが、必ずしも乗り換え客に時間を合わせてくれている訳ではない。

 各駅停車駅から新宿行へ行こうとすると中野駅・三鷹駅の各駅停車があるが、一時間半程乗車し続けることになる。

 快速利用なら津田沼・錦糸町・お茶の水と三回の乗り換えを要する。お茶の水だけは同一ホームの右左の乗り換えで済む。

この方式をすべての駅で採用すれば利便性は上がる。

新たに線路を引く必要もない。ポイントを切り替えて線路を整備しなおせば済む。

同一方向なら同じホームの右左で乗り換えができる。私鉄各線では採用されている方式に倣えば良い。

JRとの協議や要請の場を持つ用意はないのか。

 幕張本郷・新検見川といった魅力の空白地域が隆盛を発揮する要素はある。

通勤電車を利用する機会のないモリタケ ンサク知事には理解できないだろうが。


ふるさと祭りで今澤錬士六段が奮闘

 8月19・20日に渡り埼玉県戸田市の戸田競艇場の駐車場を会場として「第43回戸田ふるさと祭り」が開催され多くの来場者で賑わった。

 会場中央のステージでは両日に渡り、歌やダンス・舞踊などが披露され地元の人々から大きな拍手をもらっていた。

20日には今澤雅一氏が指導する「銃剣道競技演武」が実演され来場者の関心をかっていた。

 日頃、一般人には馴染の薄い武道競技故、自前で用意したピンマイクを使い、競技方法やポイントの決まり方などの初歩を分かり易く解説していた。

 その後は今澤さんのお弟子さんによる実戦形式で試合が行われ来場者はその迫力に度肝を抜かれていた。

また、作詞・作曲家でもある今澤さんの歌謡教室から巣立った歌手もステージで熱唱。会場とステージが一体となって盛り上がった。

 これら企画のほとんどは今澤さんが計画を立て外部との交渉を重ねて成立したもの。素人の集団を上手く操縦しながらイベントを成功裡に導いたのだ。

 市民による手作りの祭りであり、食べ物を売る多くのテンとが競うように出店していたが、プロのテキヤは入れず地域の飲食店などが参加していたため、値段は安く衛生管理もしっかりしていたようだ。

今澤.jpg

銃剣道について紹介する今澤雅一錬士六段

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構えから基本を説明する

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舞台狭しと実戦での格闘が披露される

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パンフレットに銃剣道だけは「入部歓迎」として、電話番号と写真入りで掲載されている

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今澤歌謡教室から巣立った地域歌手・ゲッキー山崎氏も熱唱

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都会の祭りでもなければ田舎の祭りでもない。その中間といった曖昧な緩さがいいね。


上野の下町風俗資料館

5月30日、所要の為に上野へ行った。

アメ横界隈は観光地化してやたらと外国人が多い。

パキスタン人の経営だろう、やたらとケバブの店が乱立してきつい香辛料の匂いを撒き散らしている。

黒人がTシャツのカタログを持って客引きをしているので、

東北地方から来た素朴な人々の集う終着駅と言った昔のイメージは消え失せてしまった。

 

台東区が運営する「区立下町風俗資料館」に入る。入場料は300円。

http://www.city.taito.lg.jp/index/shisetsu/bunkashisetsu/kuritsu/shitamachifuzoku.html

 

中学生がグループで入場している。社会見学の班行動なのだろう。

何処から来たの?

群馬県の伊勢崎市だと言う。

「そうか、東武伊勢崎線だね。間違ってもスカイツリーラインなんて言ってはいけないよ」と諭すと、

素直に「はい、わかりました」と返事。

 

此処には主に大正以降、日本における下町での庶民の暮らしぶりが当時の生活用品と共に展示されている。

駄菓子屋の奥に設えられた4畳半の住居部分などは妙に落ち着く。

「ただいま」という雰囲気で上がり込むと手枕で畳に寝転ぶ。

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昭和30年代を模したであろう庶民の茶の間にはToshiba製のブラウン管テレビ。

リモコンなんて無い当時のお父さんは、寝転ぶと横着して足の指でチャンネルを変えていたりして。

たまに足がつって「いたたたぁ」って罰当たり。

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北朝鮮の暴君をネット上では「黒電話の受話器」なんて髪形を揶揄して形容しているようだが、

現物を見たことのない若い人には意味不明だろう。

これがそれだよ。   納得したか?

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不忍池の畔に佇む風俗資料館は心のオアシスだ。


懐かしい池袋の純喫茶

5月25日の楠公祭に参加して、その後の直会で鶴岡さんと話していると、高校生の頃は学校が終わると池袋の喫茶店に入り浸っていた、と話していた。

どこの喫茶店だったんですか?、と聞くと西口の「紫苑」だという。

懐かしい名前が出てきたもんだ。私は鶴岡さんより9年くらい若いのだが、高校生・大学生の頃に利用した記憶がある。

西口で最もにぎやかなロマンス通りあって、DJが入っていた。

テーブルにリクエストカードが置いてあり好きな曲名を書いて、ウィトレスに渡すとレコードを掛けてくれたりする。

その他西口には「南蛮」「上高地」「蔵王」なんて喫茶店があった。

当時は純喫茶という言い方をしていただろうか。

 蔵王は無料でトーストが食べ放題。コーヒーだけ頼んでもウェイトレスが廻って来ては薄っぺらいトーストを皿に置いて行ってくれる。飲み物は有料になるので、水で流し込んでいたっっけ。

 東口には西武デパート前にテレフォン喫茶「マジソン」というのがあった。各テーブルに電話機がおいてあり、レジ横の公衆電話まで行かなくてもテーブルから電話ができる。それだけの事。携帯電話がない時代には利用価値もあったのだろう。

 

子供の頃から都心に出るには必ず池袋で乗り換えていたし、高校・大学当時も乗換駅だったので遊ぶのもアルバイトも大体は池袋だった。

今ではシナ人が跳梁跋扈する街に変貌してしまったようだが、懐かしい街だ。


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