「恵子だけじゃだめなんだ」、と言い続けた有本嘉代子さん

北朝鮮による拉致被害者の一人有本恵子さんの母・有本嘉代子(94歳)が2月3日に亡くなった。

 1983年、スペイン留学中に騙されて北朝鮮へ連れ出されたことが分かっており、有本さん夫婦は1997年の拉致被害者家族会の結成に参画し精力的に署名活動等の先頭に立ってこられた。

 私も初期の救う会の立ち上げと同時に始めた街頭署名活動では一緒に街頭に立ったこともあった。

 政府による北朝鮮への米10万トン支援反対運動では自民党本部前で座り込み抗議を展開した同志であった。

 

 同時期に北朝鮮に拉致された石岡さんから実家に手紙が届き、その中で有本さんも一緒に暮らしていると記されていたことで拉致の事実が発覚した。

 有本さん夫婦は地元の神戸で自民党の有力代議士と目されているPのところへ手紙を持ち込み救出を訴えた。

1990年、Pは金丸信自民党副総裁の北朝鮮訪問に同行するというので手紙を託し北朝鮮政府と交渉して取り戻してくれるように頼みPも了承した。

 しかし、金丸と社会党の田辺は朝鮮労働党の金日成との間で日本による戦後45年の贖罪などという訳の分からぬ三党共同宣言に署名して帰って来た。約束した有本恵子さん拉致に関しては何も言わなかったのだ。

 

 2002年9月17日の小泉訪朝により北朝鮮は拉致の事実を認め、その中で有本恵子さんは一酸化中毒で死亡したと説明した。

 小泉総理帰国を受けて拉致被害者家族は外務省の飯倉公館で記者会見を行った。重苦しい涙の記者会見であった。

 その中で父・有本明弘氏はP代議士の行状を上げて批難した。複数回Pの氏名をあげて積極的に解決を阻んだPの責任を追及した。

 これは生放送故に電波に乗って茶の間に届けられたが、その直後もそれ以降の資料映像でもこの場面は絶対に放送されないこととなった。

 

 数年後、私は某団体が主催する帝国ホテルでのパーティーに参加した。ビュッフェ方式で参加者がグラスと取り皿を持って歓談していた。

 その参加者の一人に椅子に腰をおろしているPがいた。何気なく近づいて名刺交換を行い横に座った。某野党の副代表であったが周囲にSPなどはいなかった。

 北朝鮮問題に絡み、訪朝の際に何故金日成に有本さんの件を切り出さなかったのか尋ねた。

Pはのっけから「有本の夫婦は馬鹿なんだよ」と言い出した。

あんな手紙なんかなんの証拠にもならんよ。

黙っていれば返すといったのに、有本の馬鹿がワーワー騒ぐから帰って来れなくなった。

 酒の勢いもあったのか何回も有本の馬鹿がと発言しだした。

温和な私もいささ腹が立ってきた。

その言い草はなんだ、あんたが会談で取上げれば取り戻せたかも知れない。

Pは腹立たしでに席を立って足早に出口の方に向かっていった。

小生の手元には空になったグラスと取り皿、そして小さなフォークしかなかった。これじゃぁ役に立たない。

 大勢の招待客に振舞うために会場の一角ではローストビーフを切り分けていたので、急いでそこにあった包丁を手に取り後を追ったのだがすでにPの姿はなかった。

 

 この酒が入り口が軽くなったPの言動を冷静になって検証してみるとPは完全に北朝鮮の側に立って物を言っているのが分かる。

「黙っていれば返してやる、といったのに」

有本嘉代子さんは救出運動に入った当初より「恵子だけが帰ってきてもダメなんだ。全員を取り戻すんだ」と言い続けてきた。

 北朝鮮、及びその体制存続を願う自民党Pの側からは拉致被害者家族会を分断する意図を以って有本さんだけは返すから被害者家族会から抜けろといった何らかのオファーがあったと考えるのが妥当ではないだろうか。


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