急遽、臨時の尊攘義軍祭が斎行される

平成29年3月15日(水曜日)午前11時、港区の愛宕神社において尊攘義軍祭が執り行われた。 

 

 大東亜戦争の終戦に際し、降伏に反対し徹底抗戦を主張していた尊攘同志会が、昭和20年8月16、17日に木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城した。

 特高が解散の説得を試みるも、篭城した尊攘同志会の10名は、22日の午後6時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決した。

そして、五日後の27日、尊攘同志会自決現場で夫人二名が夫のあとを追ひい拳銃自決。この12名が「尊攘義軍十二烈士女」であり、境内に弔魂碑を建立して毎年、8月22日に尊攘義軍祭が執り行われている。

 

 今般、愛宕山山頂の再開発により弔魂碑が移設されることとなり、御霊抜きを兼ねて、臨時の義軍祭が執り行われた。

 ゼネコンによる急な開発計画に合わせ、犬塚博英代表の下で急遽計画されたものであり、呼びかけに呼応した少人数による関係者によって執り行われた。

 僭越であるが小生が進行を務め、国歌斉唱に始まり一同が弔魂碑の前で厳粛なる神事に臨んだ。

横山孝平氏によって天津祝詞(あまつのりと)を唱えられ、全員で「尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅」の四誓願奏上(よんせいがんそうじょう)を唱え、海ゆかばを唱和した。

 民族革新会議・山口申代表と共に一同が参拝。聖壽万歳を唱えた。

犬塚代表が謝辞を述べられ、若島和美氏の献杯で幕を閉じた。

 

 十二烈士女による壮絶なる最期を次代に伝える弔魂碑の存在は事件から72年の歳月を経た今も色あせることはない。

早朝から時々氷雨が降り注ぎ底冷えする山頂において、足許が安定しないぬかるみに立ち、参加者一同十二烈士女の功績に思いを馳せた。

その後、移設予定地である境内・拝殿横の敷地において施工業者である安藤ハザマの松永所長より丁重なる説明を受けた。

自決現場からは若干離れるが、事件の全容を書き記した銘盤などを設置して後世への継承を図ることを確認し合ったのである。

 

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終了後の一行はニュー新橋ビル地下にある、「橙」に移動して直会。

サラリーマンの聖地にて昼間から大量のアルコールを用いて日頃の穢れた魂の洗浄を行った。

 森友学園の騒動に話が及ぶが、犬塚代表、野村秋介門下代表の蜷川正大氏と言った右翼民族派の重鎮は声を揃えて

「自分の子供ならアノ塚本幼稚園に通わせたたいとは思わない」、ということで一致。

あの籠池氏に本当の愛国心が備わっているとは思えない、と。全く小生の想いと同感であった。

 

幸か不幸か小生は車を運転してきたため、トンカツ定食などを頂いて3時過ぎに中座させて頂く。

皆さんはその後もダラダラ〜グダグダと居座っていたと予想させる。

お世話になりました。

 


2017年03月16日のつぶやき

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