本日、三島・森田事務所から案内通知が届きました。
毎年11月24日に斎行されている野分祭の案内かと思いました。
が、タイトルは「三島・森田両烈士四十七年祭」とあります。
しかも義挙当日の11月25日に多磨霊園にある墓前で行われるそうです。
今までは決起前夜の心境を共有するということで11月24日夕刻に開催されていました。
私も過去には運営に関わり平成3年から8年頃にかけては司会進行などを任されていました。
当時は一水会のメンバーが主に運営に携わっていました。
しかし主催はあくまでも「野分祭実行委員会」であり、一水会の名称は一切出しませんでした。
3年程前から一水会の手を離れ三島・森田事務所の主催となり運営されたようです。
元楯の会会員である継承者としては一水会の創設者の一人であり代表でもあった鈴木邦男氏の変心が許せなかったので一水会から切り離したと言うことのようです。
最近の鈴木邦男さんが「今の憲法は良い憲法だ」「三島由紀夫が生きていたらきっと憲法9条を守れ、と言うはずだ」、などと
各地で発言している事に対し、そのような人物が命がけで憲法改正を訴えた三島・森田の精神を継承するなどあり得ない、ということで運営を三島・森田事務所に移しと、私は理解しています。
しかし、今年は開催日が25日となり野分祭の名称も消えていました。
同封の文書においては三島・森田事務所の内紛が一方の当事者によって延々と記述されています。
中心人物の一人が事務所の費用を横領した等々要領を得ない形で記述されています。
なんでこんな事になったのか。そしてそれをこのような形で世間に晒す意味があるのか。
至純なる魂を以って蹶起し、後に続くを信じて命を投げ打った烈士に対してはあまりに悲しい所業と言えるでしょう。