人間関係構築するのが苦手だから家畜を溺愛

 5月24日に和歌山県で77歳老人が変死。

連日民放テレビのニュース・ワイドショウで取り上げているのでウンザリしている。

小生のような庶民にとってはどうでもよい話。

資産家のスケベ爺が遺産目当ての嫁に殺されたのか、程度の興味しか持ちようがない。

 300億円を4000人の女に貢いだことが、どうして自慢になるのか。

男としての魅力がないから金にモノを言わせて女の買ったという、要は買春自慢なのか。

 映像を見る限りでは股引姿でテレビカメラの前で取材を受け、どれだけ現金を自宅に保管しいるか自慢するなど

尋常の精神ではないだろう。

 

 日大アメフト部に続いてテレビにとっては格好の餌食ということか。

溺愛していた愛犬が死んだことで近々にお別れ会を計画していたいう。

全財産を愛犬に譲ると公言していたのだから、22歳の新婚嫁の反発を買ったのか。

 

 たまたま3日に観たテレビ番組で猫の多頭飼育女性を取り上げていた。

劣悪な環境で飼育する家々から引き取る「お助け隊」の代表者女性が言っていたが、

「犬猫を溺愛する人には人間関係を旨く築けない人が多い」、との事。

 

 なるほど、その通りだと思った。

犬・猫など相手が家畜であれば餌さえやっていれば従順に懐いてくれる、

煩わしい人間関係に悩む必要はない。

横において毛皮をさする事で自身が癒されると、満足感を享受できる訳だ。

 家畜がどのように感じているか、幸せであろうか否かはどうでもいいことになる。

自己満足で高価な衣服を着させて街中を散歩させることが最良の悦びなのであろうが、

家畜にとっては迷惑以外の何物でもないことに気づいていない。

 

 家畜を室内で飼うという行為自体が犬や猫の持つ本来の動物的行動形態を無視した暴挙であることに気づいていないのであろう。

犬なんていうのは放し飼いにしておけば俊足で一晩に山ひとつ超えるほど遠くに遠征する習性をもっている。

人間がリードに繋いで時速4キロ位で家の周りを散歩して歩く程度では犬本来の動物性を保つことはできないのだ。

人間の自己顕示欲のために幽閉しているようなものであるから、残酷な話だ。

 ペットブームと言うもの自体が、利殖家によって作られた金儲けの業態であり、これに乗せられて溺愛する変態が如何に多いことか。

 ひとたび大震災が起これば人間のための避難所に家畜を持ち込む輩が殺到することであろう。

「ペットじゃないの、うちの家族なの」、とか抜かす気違いが跋扈すると思うと恐ろしい限りである。

 


 


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