1月17日は阪神淡路大震災から24年ということで兵庫県・神戸を中心にして東京でも慰霊の式典が開催され犠牲者の冥福を祈った。
この「1月17日」とい日には奇妙な因縁が付きまとう。
今から28年前、1991年1月17日はアメリカがイラクにむけて軍事攻撃を仕掛けた、所謂「湾岸戦争」の開始日である。
イラクが自国領土・バスラ州の一部であるであるクウェートを軍事力を以って奪還した事に対し、米国を中心とする多国籍軍が当時のフセイン政権卒いるイラクの首都バグダッドを空爆し無辜なる市民を殺傷したのである。
そしてちょうどその3年後であるが、1994年1月17日にはアメリカはロサンゼルスを巨大地震が襲い死者57名を出し、米国史上最大の経済的損失を出す「ノースリッジ地震」が発生している。
そして翌年の1月17日が阪神淡路大震災となっていることは単なる偶然であったのか。
阪神淡路大震災の発生においてリビアの指導者であったカダフィー大佐は「アメリカに追従している日本に対しアッラーの怒りが爆発した」と非礼且つ傲慢不遜なる発言をしていた。
我々は湾岸戦争に繋がる前年の湾岸危機から一貫してイラクの立場を支持して、湾岸戦争後も人道支援で頻繁にイラクを訪問するなどしていた。
湾岸戦争から4年。国連からの過酷な経済制裁の下で窮乏生活を強いられているイラクではあったが、我々が懇意にしているイラク政府関連機関から震災直後に一通のファックスが送信されてきた。
「今回の震災における犠牲者に深く哀悼の意を表する。イラク政府関係機関として復興に対し手伝えることがあれば協力したいので申し出て欲しい。必要とあれば人員を派遣したい」、という内容であった。
日本政府がアメリカ・多国籍軍に協力した湾岸戦争で甚大なる被害を蒙り、日本政府も加わった経済制裁により飢餓の発生が危惧されるほどに国民生活が危機的状況にあるにも拘わらず、我国の置かれた状況をみて救いの手を差し伸べてくれようとしたのである。
イラク国民のみならずアラブの人々が持つ日本に対する神話は、我国に対し絶大なる尊敬と憧れを持っていた。
最後までたった一国で欧米列強と戦火を交え、原爆を投下され焼け野原になったが、戦後復興を成し遂げ近代国家になった。
敗戦に打ちひしがれたイラク国民も、日本のよう復興できると信じていたのだ。