アヘン戦争によって英国が奪った香港ではあったが、民主主義社会の下で香港市民に残した功績も大きかった。
それは日本による朝鮮半島併合にも言えることでしょう。
同じ東アジアの黄色人種ということで全ての人々を日本人とし、日本語を共通の言語として朝鮮人にも植え付けた。
しかし、朝鮮語を奪ったわけではない。朝鮮の言語や文化は温存した。スペインに植民地化された中南米諸国の民が独立した今でもスペイン語しか話せない状況とは異なる。
世界が結束して支那による人権弾圧を糾弾せねばならない。
23年前の返還時の一国二制度を維持するという約束を反故にして訳であるから、支那主張がする内政干渉にはあたらない。
いままでチベットやウイグルにおける侵略や弾圧・人権侵害を国際社会が見過ごしてきた事で支那に自信をつけさせた。
個々の国の判断で、外交関係の断絶や商業取引禁止といった制裁を科すことは可能である。
英国籍のBNO旅券を使用している香港人です。
英国籍とはいえ英国本土の永住権が与えられないまま中国に返還された身として、手を差し伸べてくれた英国政府には感謝します。
アヘン戦争で香港という地を奪った英国でしたが、その統治も決して完璧ではありませんでした。しかし、中国本土の政治混乱から逃れ、難民として受け入れたのも英領香港政府です。
英国本土の整備された司法制度をそのまま香港に移植して、自由に競争させる社会の基盤を整え、華人社会にありがちな汚職文化をなくし、さらに受け入れた難民(のち香港人として育った人々)に格安住宅を大量に建設し、義務教育、医療、インフラ整備のノーハウを提供したのも英国です。日常生活に英語の使用を強要せず、寛容な植民地政策があったからこそ今の香港があったわけです。
中国の圧力に屈し香港を返還した英国ではあったのですが、残した功績も忘れてはならないと思います。