民族派運動の大先輩である二十一世紀書院・蜷川正大代表のブログ「白雲去来」を拝見していたら
結婚の条件は「タバコを吸わない人」だって。
http://blog.goo.ne.jp/snforever/e/b2780223f74bb8b02558ea062babd13a
が、目に留まった。
喫煙者にとっては頭の痛い記事ではないかと、思うが禁煙歴12年を誇る?小生にとっては痛快な内容だ。
小生は喫煙、つまり煙草を吸うという行為自体が「異常な行動」であると捉えている。
考えてもみれば農地で栽培した植物の葉っぱを乾燥させて砕いて紙に巻き、それに火をつけて煙を肺に入れたり出したりしながら「あ〜気持ちイイ」と快感に喘いでいるのだから変態行為以外の何物でもない。
アマゾン奥地のジャングルでインディオがやっているなら、かろうじて納得できるレベルの奇習であろう。
一度、喫いだしたらなかなかやめることができない喫煙という変態的であり周囲に絶大なる迷惑を及ぼす行為が
禁止されていない日本と言う国は良識ある法治国家と言えるのか。
常習性から言えば大麻・マリファナの方がまだましではないか。
結局はタバコ栽培農家が自民党の票田である為に温存しておかなければならないと言った利権政治の中で
成立している有害産業なのである。
マリファナ禁止ならば煙草も禁止。煙草が野放しならマリファナも自由とした方が理にかなっているではないか。
だいぶ以前、政治的時局に係る講演会に参加したことがあったが。
さほど広くない部屋に超満員の聴衆が集まっていたが、参加者の一人が話をする講師の目の前で煙草を吸いだした。
するとアチコチの席から煙が舞い上がり、それが当たり前となり会場は煙で充満した。
喫煙者の顔を見ると、決してその道で指導的立場にある人ではなかったようだ。
統計を取った訳ではないが、路上生活者と生活保護受給者においてはほぼ全員が喫煙者ではないだろうか。
一度、正確な調査でもやって世間に公表してもらいたいものだが、そうすると「差別だ」「偏見だ」と騒ぐ輩が出るだろうし、
タバコ産業育成に精を出す自民党辺りが反対するのだろう。
私も25年間喫煙者として活躍?してきたが非喫煙者の仲間入りを果たして12年が経過する。
非喫煙者と同じ綺麗な身体に戻る為には喫煙期間と同じ年月の非喫煙期間を経なければならない、と言われている。
私の場合ほぼ半分を経過した訳で、あと13年して漸く真っ当な身体に戻れる。今は執行猶予中みたいなものか。
まあ、それまで生きているかどうか、ソッチの方が怪しいところだろう。
煙草なんてものはこの世に存在する必要はない。
製造販売を禁止すればよい。
殆どの喫煙者は「できれば止めたいよ、でも喫っちゃうんだよな」、と言っているのだから、強制的に全面禁止にしてやるのが、
喫煙者の為だろう。
6年前、映画「ザ・コーヴ」の上映に反対して運動を展開していた時期があった。
和歌山県太地町の漁師によるイルカ漁を隠し撮りして事実を捻じ曲げた映画を上映することに反対していた。
動物愛護の観点からイルカ漁禁止を訴えていたアメリカ人活動家のリック・オーバリーは嘗てドラマ「ワンパク・クリッパー」で
イルカの調教を担当していた。
その彼が過去に自らが行った調教と言う虐待を反省して、徹底的にイルカ保護運動にのめり込んでいった。
ネット掲示板2チャンネルを主宰する西村博之氏はこの映画上映の討論会出席において、「煙草を止めた人が徹底して喫煙者を責めるのと同じだろう」、と語っていたが、今の私がまるっきりこれに該当する。
自分は既に良い子の側に移ったから正義感ぶって悪い子をやっつける、みたいなことだろうか。
本当に人間て言うのは身勝手なものだ。
でも喫煙においては昔と違ってその有害性が明らかになり、世間の捉え方が従来とは変化していることを喫煙者は感じ取らねばならないだろう。
先日、映画館で昭和35年製作の映画を観ていたら医者が患者を前にして診療室で普通に喫煙するシーンもあったし、
子供の頃医者に行けば待合室には大きな灰皿が置いてあるのは当たり前だった。
法律は変わらなくても人々の意識は変化しているという事を理解すべきである。
結婚の条件は「タバコを吸わない人」だって。
http://blog.goo.ne.jp/snforever/e/b2780223f74bb8b02558ea062babd13a
が、目に留まった。
喫煙者にとっては頭の痛い記事ではないかと、思うが禁煙歴12年を誇る?小生にとっては痛快な内容だ。
小生は喫煙、つまり煙草を吸うという行為自体が「異常な行動」であると捉えている。
考えてもみれば農地で栽培した植物の葉っぱを乾燥させて砕いて紙に巻き、それに火をつけて煙を肺に入れたり出したりしながら「あ〜気持ちイイ」と快感に喘いでいるのだから変態行為以外の何物でもない。
アマゾン奥地のジャングルでインディオがやっているなら、かろうじて納得できるレベルの奇習であろう。
一度、喫いだしたらなかなかやめることができない喫煙という変態的であり周囲に絶大なる迷惑を及ぼす行為が
禁止されていない日本と言う国は良識ある法治国家と言えるのか。
常習性から言えば大麻・マリファナの方がまだましではないか。
結局はタバコ栽培農家が自民党の票田である為に温存しておかなければならないと言った利権政治の中で
成立している有害産業なのである。
マリファナ禁止ならば煙草も禁止。煙草が野放しならマリファナも自由とした方が理にかなっているではないか。
だいぶ以前、政治的時局に係る講演会に参加したことがあったが。
さほど広くない部屋に超満員の聴衆が集まっていたが、参加者の一人が話をする講師の目の前で煙草を吸いだした。
するとアチコチの席から煙が舞い上がり、それが当たり前となり会場は煙で充満した。
喫煙者の顔を見ると、決してその道で指導的立場にある人ではなかったようだ。
統計を取った訳ではないが、路上生活者と生活保護受給者においてはほぼ全員が喫煙者ではないだろうか。
一度、正確な調査でもやって世間に公表してもらいたいものだが、そうすると「差別だ」「偏見だ」と騒ぐ輩が出るだろうし、
タバコ産業育成に精を出す自民党辺りが反対するのだろう。
私も25年間喫煙者として活躍?してきたが非喫煙者の仲間入りを果たして12年が経過する。
非喫煙者と同じ綺麗な身体に戻る為には喫煙期間と同じ年月の非喫煙期間を経なければならない、と言われている。
私の場合ほぼ半分を経過した訳で、あと13年して漸く真っ当な身体に戻れる。今は執行猶予中みたいなものか。
まあ、それまで生きているかどうか、ソッチの方が怪しいところだろう。
煙草なんてものはこの世に存在する必要はない。
製造販売を禁止すればよい。
殆どの喫煙者は「できれば止めたいよ、でも喫っちゃうんだよな」、と言っているのだから、強制的に全面禁止にしてやるのが、
喫煙者の為だろう。
6年前、映画「ザ・コーヴ」の上映に反対して運動を展開していた時期があった。
和歌山県太地町の漁師によるイルカ漁を隠し撮りして事実を捻じ曲げた映画を上映することに反対していた。
動物愛護の観点からイルカ漁禁止を訴えていたアメリカ人活動家のリック・オーバリーは嘗てドラマ「ワンパク・クリッパー」で
イルカの調教を担当していた。
その彼が過去に自らが行った調教と言う虐待を反省して、徹底的にイルカ保護運動にのめり込んでいった。
ネット掲示板2チャンネルを主宰する西村博之氏はこの映画上映の討論会出席において、「煙草を止めた人が徹底して喫煙者を責めるのと同じだろう」、と語っていたが、今の私がまるっきりこれに該当する。
自分は既に良い子の側に移ったから正義感ぶって悪い子をやっつける、みたいなことだろうか。
本当に人間て言うのは身勝手なものだ。
でも喫煙においては昔と違ってその有害性が明らかになり、世間の捉え方が従来とは変化していることを喫煙者は感じ取らねばならないだろう。
先日、映画館で昭和35年製作の映画を観ていたら医者が患者を前にして診療室で普通に喫煙するシーンもあったし、
子供の頃医者に行けば待合室には大きな灰皿が置いてあるのは当たり前だった。
法律は変わらなくても人々の意識は変化しているという事を理解すべきである。