昨年の都知事選に際し石原慎太郎氏が「大年増の厚化粧」と揶揄した小池百合子都知事であるが、一年が経過してその厚化粧もポロポロと剥がれ落ちてきたかのうに、勢いが失速しだした。
党運営・新代表決定の過程に不満を持つ身内の都議二名が都民ファーストの会からの離党を表明した。
その新代表である荒木千陽氏の父親を長妻昭氏が地盤とする東京第7区に刺客候補として送り込むといった暴挙に出た。
周囲が信用できないで全てを身内でガッチリと固めてブラックボックスで運営しようということなのか。
そもそも長妻氏が希望の党に対して反旗を翻した訳ではない。
2005年の郵政選挙であれば郵政民営化という自民党・小泉政権の決定に反対票を投じたという事で、造反者の選挙区に刺客を送り込むと言う大義名分も存在する。
しかし、長妻氏は前原代表の民進党からは一切公認候補を出ないという決定に従い、希望の党から立候補するつもりでいたが排除リストに入れられてしまった。言わば被害者的立場であろうから刺客を送りこんで駆除するというのも理解しがたい。
所謂保守やネットウヨクからすれば民進党からリベラル派と称される左翼勢力が駆逐された事で万々歳という事であろうが、道理に背いた形で叩き出すような小池氏の手法は評価できるものではない。人の道を踏み外せばしっぺ返しを食らうことになる。
枝野氏は一人で会見に臨み立憲民主党の旗揚げを表明したが、心意気は良し。
勿論、思想信条は異なる訳で応援はしないが評価したい。
所謂保守・ネットウヨクはステレオタイプに「枝野は革マル派なんです」と盛んに吹聴しているが、その実態は何処にあるのか。
枝野を支援するJR労組の中に革マル派の息のかかった者・勢力が存在するということではないのか。枝野自身が革マル派の看板を掲げて活動に従事していた訳ではあるまい。
東日本大震災発生以降、官房長官として毎日のように記者会見に臨んでいたが、必ず壇上の国旗に一礼してから登壇していたではないか。我々の立場からすれば政治的には敵対勢力ではあろうが、人間的には頑張ってほしい。
小生とて政治的な思想信条や政策としては小池の方が近いが、人間的な器としては信用はならない。
この世界ではそういった人物が余りにも多すぎる。石原慎太郎・橋下徹をはじめ保守の論壇に立つ著名人物でも品性下劣な人間が多すぎる。我々在野の活動の場でもそういう人々と接してきた。
小池氏が9月29日に民進党候補全員を受け入れる気はサラサラございませんと言ったが、なぜ故に「サラサラ」という文言を用いたのかを考えれば人間の器が見えてくる。
「希望の党からの立候補はご遠慮頂く」でも意味は通じるところ、「排除する」との文言を用いたことでも分かる。
小池氏は25年前・平成4年の参院選挙において初めて政界に出た訳であるが、選挙戦初日に渋谷駅前の街宣活動で野村秋介氏卒いる我々「風の会」とバッティングした。
日本青年社の大型バスを用いた街宣車が止まり、移動用にもう一台の街宣車がハイエースを用いた日本新党の宣伝カーの脇を横切った際に40歳だったアナウンサー上がりの小池氏は演説の途中で「あ〜ら、大きな車がもう一台あるんですねぇ」と感嘆したかの様に話していた。
ただそれだけのことなのだが、その言い方がどうにも嫌味を含んだニアンスで聞こえたのは小生の単なる僻みだろうか。
これが今回の「サラサラございません」に似た響きをもっているのだ。
街宣車乗り回すだけのヤクザ右翼が、と安保法制に反対してきた左翼が、と全く相反する相手ではあるがエスタブリッシュメントの側から見た驕りが感じられるのだ。
政治的立ち位置・政策は支持する部分もあるのだが、社会の底辺に暮し歯を食いしばって子育てに邁進する庶民の立場に思いを至らせるタイプの人間ではないように思う。