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4.26長野聖火リレーから11年「あの屈辱を忘れないぞ」

4・26長野聖火リレーから11年「あの屈辱を忘れないぞ」

平成31年4月26日(金曜日)正午

六本木ヒルズ・メトロハット前舗道

東京都港区六本木6-7-1

https://loco.yahoo.co.jp/place/g-hXFXkhqArMo/map/?bm=sydd_lclg_llo_n_p_next

街頭行動の後、支那(中華人民共和国)大使館前に移動。

駐日大使を呼び付けて抗議文朗読と手渡し。謝罪の強要を行う予定

 

日本広しといえども、この4月26日に毎年抗議を行っているのは我々だけである。

日本民族がこの屈辱を忘却の彼方に置き去った時こそが、支那による日本侵略の最終章となる。

活動の趣旨に合ったプラカード持込み・抗議文の朗読歓迎

連絡先:0903−135−4069 政経調査会 槇 makiyasutomo@daitoa.com

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留学生支那人がこんな大きな五星紅旗を持っているわけがない。

支那大使館から支給を受け、手引きの元に長野市内に送り込まれたのだ。

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支那人による支那人のため、侵略を正当化するための聖火リレー

 

yjimage.jpg

抗議の声をあげる愛国的日本人・台湾人・チベット人は現行犯で逮捕された。

乱暴狼藉の限り尽くす犯罪者支那人が逮捕されることはなかった。

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コメント
11年前のあの日、現場にいた我々が語り伝えていかなければならないと思います。
人によっては当時が親中国の福田康男政権下であったから等言いますが、根本的に現在の自民公明政権下において、また精神的に去勢された戦後体制下の日本においては継続的に続いている愛国陣営に対する弾圧的措置でありましょう。
外国の利益を優先して愛国的日本人を駆逐する。
まさに戦後GHQが目論んだ二度と白人列強国に歯向かうことのない日本人。
その目的はすでに完遂し支那人・朝鮮人に対しても歯向かうことのできない日本人が量産されているのです。
  • まきやすとも
  • 2019/04/25 4:30 PM
私もあの場所にいました。本当にひどいものでした。
私の診断書は1、病名左助軟骨損傷、左第6肋骨骨折の疑い。
付記
平成20年4月28日初診。同日より2週間の加療を要する
上記の通り診察いたしました。
          平成20年4月28日
医療法人ワシミ整形外科
                         ずっとギブスをはめていた。
犯人不詳で告発を岡崎署に提出しました。
  
現地でレントゲン撮影をしていただき、それをもって地元の医者にかかったもの。
当日、現地病院ではなぜか知らないですが診断書はかけないとのことで、地元にレントゲン写真をもって帰り病院同士で後処理はしていただいたもの。

チベット虐殺糾弾の横幕を掲げて歩いていた際に足を払われて転倒させられたもの。公園に移り抗議行動をしていたのでしたが痛くて途中病院へ行き診断を受けた。その際中国人は救急車で運ばれてきていましたが待ち構えていた人らに他の部屋に連れていかれて本当に診察があったかどうか不明。少なくとも普通の診察は受けていなかった。
 被害人数は救急車に乗った中国人の数のカウントのみ。外見では痛そうには見えなかったです。私のように歩いて医者にたどり着いたものの被害者カウントはなされていなかったとおもいます。
頑張ってください
  • 読者
  • 2019/04/25 2:19 PM
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