武漢発祥の新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐ手段としては徹底した国民への行動規制を早期の段階でとるべきだったのである。
先の見えない状況で中途半端に外出自粛を要請したり、濃厚接触を伴うと思われる業種に対し営業自粛や営業時間の自粛を求めてきた。
多くの国民は協力したり従ってきたが、強制力を伴わないのであるから協力するしないは国民の自由となる。
「私は感染しても構わない」、と自由奔放に出歩いて遊興に溺れる輩が巷を徘徊し、市民生活の中に溶けこんでいれば、感染拡大は一挙にひろがる。「感染しても構わない」は「感染させても構わない」と表裏一体の自爆テロ思想なのだから。
諸外国に倣い罰則を伴う強い規制を以て外出・営業の規制を実行していれば日本の場合は瞬時にして確実に感染拡大を封じ込めていただろう。
ただ、経済が疲弊し国民生活が困窮する事態を鑑みれば期間を限定し、その間の休業補償を約束することで国民の理解は得られるだろう。
感染後発症の潜伏期間が2週間ということであるから余分に1週間を組み入れて「3週間だけ外出をしないで。営業をしないで。補償はするから」と呼びかければよい。
理論上は確実に封じ込めることが可能となる。
「この措置は国民全員が従ってくれることが前提です。一人でも従わない人がいれば感染拡大の防止はできない。3週間後には延長されてしまいます」、と条件を付ける。
これは謂わば国民全体に連帯責任を科することとなる。近隣に居住する者が一人でも従わなければ3週間では終わらなくなる。だから発見したなら皆が結束して規制を破ろうとするに人間を抑え込むことになる。
戦時中の隣組制度というか密告社会に近いかもしれない。
今の日本でそこまでの強い措置がとれればの話であるが。
もう一案としては、感染拡大防止策をまったく取らない、といった選択肢もある。
現在のブラジルがそれに近いかと思われるが次回、記述してみたい。