<< 不快になるなら来なくていいですヨ | main | ピーター・ベスーンに執行猶予付き判決 >>

もう17年も経つのか

 
4日(日曜)に群馬の栗原さんの畑で捥いできたプラムの実の多くが赤く色付いてきた。
青いうちにホワイトリカーに浸けてしまわなくてはならなかったのに。
青いのだけを選んで氷砂糖と一緒に浸ける。
17年前の梅酒

容器の瓶を探していたら、17年前に浸けた梅酒が出てきた。
半分ほど使ってからは忘れ去られた状態だった。
漬け込んだ日付を見ると、「1993年6月21日」とある。
随分と昔だ。その頃の事を思い出すと、6年半勤めた会社を退職したのが翌7月に入ってすぐ。
そして今日(正確には昨日)、平成5年の7月7日に大隈講堂で身柄を拘束された。
早稲田大学に講演に来た米大統領・クリントンに抗議文を持っていって、建造物侵入の現行犯で逮捕されたのが17年前の今日。
大統領就任直後のクリントンはバグダッド市内への爆撃を行って多くの犠牲者をだした。
その中にはサッダーム・アートセンターの館長であったアッル・ライラ女史も含まれていた。
著名な画家でもある女史は、私が同年4月にイラクを訪問した際には、手厚く出迎えてくれて、素晴らしい絵画をプレゼントしてくれた。
先代のジョージ・ブッシュがクウェートを訪問した際にイラクの諜報部員が暗殺を企てたというのが爆撃の理由。
証拠もないのに馬鹿げた話だ。
それに、その裁判は当時のクウェート国内で進行していた。
アメリカはクウェートが独立国であると認めるならば、バグダッド爆撃はクウェートの司法権を無視したことになる。
そんな事を書いた抗議文を持って大隈講堂に乗り込んでいった。
前に立ちはだかる官憲をラブビープレーヤーの如くジグザグに一人ずつかわして入り口まで、後一歩の所で
警備に当たっていた戸塚署長が体当たりを喰わしてきた。
身体が宙に浮いて一回転するように路面に落ちたのだが、
当時は、何故かスローモーションビデオで外部から観たように思い出されたものだ。
 
 その頃はイケイケで活動していたから当局の監視や締め付けも厳しかった。
連日24時間の監視・尾行の対象とされ、12人の官憲が車2台の体勢で3交代で付きまとっていた。
税金の無駄遣いも甚だしい。
何もしないのに常に4人が何処へでも付いてくる。
尋常な日常生活などできるはずがない。
車を運転する時は踏み切りの前で止まり、遮断機が下りてくる瞬間に急発信。
でも、何故か暫くするとすぐ後ろについている、
発信機を付けられていることに気がついていなかったのだ。
 
こうなると不思議なもので、彼らは俺に何かを期待していると思えてくる。
用もないのに夜中に突然表を走ってみたり、何か仕事をあげないと申し訳ない気持ちになる。
その結果、何かしら彼らが本当に期待する行為をしてあげようと、いう気持ちになる。
 
こうして、多くの善良なる活動家が前科・前歴を負っていくのだ。
今でも別の誰かが同様の憂き目を負っているのだろうか。

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM