在特会なのかその関連団体なのか、所謂「行動する保守」と称される人々の集会において
政経調査会が協賛団体として名前を連ねているという指摘を頂きました。
これですね。
先般、以下のようなメールを受け取りました。
「行動保守運動をさらに盛り上げ、国民運動に昇華させる機会とすべく
6月1日に「行動する保守運動 東京総決起集会」を開催いたします。
つきましては、本決起集会にあたり、行動保守団体各位のご賛同を賜りたく、
ここにお願い申し上げる次第です。」
6月1日に「行動する保守運動 東京総決起集会」を開催いたします。
つきましては、本決起集会にあたり、行動保守団体各位のご賛同を賜りたく、
ここにお願い申し上げる次第です。」
勿論、弊会は保守団体ではありません。
戦後日本の政治において、この戦後体制を構築する中で保守すべきも物はありません。
戦後体制打倒という現体制の破壊を遂行しなければならなないのです。
総決起集会の内容については熟知していません。
また、それが在特会の主催によるものであるとしても、在特会を支持していません。
彼等が関っているであろう新大久保における「韓国人殺せ」コールのデモも支持していません。
言論の自由を規制するための新たな法律制定の理由を与えているだけであると認識しています。
上記メールに対しては「行動保守運動を盛り上げる」という主旨に対して「賛同」をしたものです。
共催とかの認識はありません。
私自身は保守運動には賛同していませんが、今若い人たちが暗中模索でも何らかの運動を行っていることに対しては
全面的に否定するものではないのです。
確かに私から見ても政治運動にも値いしない遊びの延長か、日頃の鬱憤晴らしではないかと思える自己満足風な内容の物も動画に散見しています。
ただ、55年体制の下で、金城鉄壁の攻守を持つ現戦後体制を打ち破るには、この閉塞状況を何らかの形で打破しなければならないのです。
覚悟なき戯言の延長なのかもしれませんが、一点でも輝くものがあれば、そこを伸ばしていけばよいのです。
彼等が誘発してしまった結果なのでしょうが、新大久保に出現した朝鮮人愚連隊の嫌がらせにも屈することなくデモ行進を敢行したことなど
今までのお行儀の良いだけの保守運動にはなかったことです。
嘗てオウム真理教による地下鉄サリン事件を前にして、鈴木邦男は「現代の2.26事件だ。エヘへ」、とコメントして民族派や保守の批判を浴びました。
農村の危機を前に我が身を犠牲にして国家革新を実行しようとした青年将校を冒涜している。
極左の東アジア反日武装戦線の爆弾犯でさえも自殺用の青酸カリを常備していた。あの醜悪なオウムの何処が226なんだ。似ても似つかない。
非難は当然でしょう。
ただ、私が想像するところですが鈴木さんの本意は別の所にあったのではないかと思います。
現代法治社会を司る強大な警察権力に対しては国民の誰もが無力である。
我々民衆が維新の遂行を叫んで決起したとしても、自衛隊出動の必要もなく警察権力によって簡単に潰されてしまう。
しかし、オウムは手段や目指す方向性は間違っていたが、国家権力に対し脅威を浴びせかけた。
首都を混乱させ政権を転覆させる可能性の糸口を見出すきっかけを作った。
自衛隊決起による軍事クーデターという選択肢が閉ざされている以上、民衆による一斉蜂起こそが政権転覆のための現実路線と言えなくもない。
犠牲者やその遺族の存在を別にすれば、雄大なロマンではないのですが、将来に渡る可能性を感じたのではないでしょうか。
そういう意味でインターネットを媒体として若い人たちが声をあげる、行動に参加する。
方向性や手法に間違いはあるでしょうが、ある時にチョットしたきっかけでほんの僅かに方向を転換したり、座標軸をずらす事で
起爆剤になる可能性も残されているのです。
反日左翼勢力と比して右の側においては数で圧倒的に劣っている。
人数を集め、ある程度集約する中で教育を施していく。正しい方向性を説いていく。
その中で、理解できない者、方向性の異なる者は篩(ふる)いにかけていけばよいのです。
現在の状況下において弊会の説く国家革新の方向性を理解して一致できる人々や勢力は少数でしょう。
所謂保守であれ民族派や右翼愛国陣営であれ、何処かで同じ方向性を持っていればパーツパーツにおいて共同行動を取れば良いのです。
全部を同じにしようとしても無理が生じます。排他的になってしまいます。
要は是々非々なのです。それは、中間とか真ん中を取るといった日和見姿勢とは違います。
そういう意味で行動保守であれ、右翼民族派であれ、任侠右翼であれ、現状打破の可能性を持ち続けていれば、
互いに精進して切磋琢磨していけばよいのです。
政経調査会 槇泰智