小生も開始時間の12時には間に合わないものの2時か3時くらいには現場に到着し最終の5時まで、
参加者の一人としてマイクを握り、国家革新運動の一環として我々の運動の趣旨・方向性など、時局問題を絡めれ社会大衆に訴えております。
しかし、3月16日に実施される街頭演説会においては、16〜17日に実施される伊勢神宮参拝禊会へ参加する為、
出席できません。3月の街宣は欠席させて頂く事をご寛容願います。
]]>私が事故の事実を公表したことが名誉毀損にあたるとして逮捕起訴され有罪判決を受けた事件。
私が控訴・上告したが棄却され、この刑事事件では一応は有罪が確定している。
一方の民事訴訟では、日?拓哉の訴えは棄却され私の請求が一部認められている。
刑事裁判と民事裁判では異なる判断が下されている所謂る捻じれ判決状態となっている。
民事裁判では一審の東京地裁判決は偏見による恣意的な事実誤認があり、私の方が控訴している。
その控訴審が令和6年2月28日に東京高等裁判所にて開かれ、一回で結審した。
以下は、私が提出した控訴理由書。
令和5年(ネ)第2026号 債務不存在確認等 損害賠償反訴請求控訴事件
控訴人 槇 泰智
被控訴人 日?拓哉
被控訴人 有限会社山中運送代表取締役久松孝治
控訴理由書
令和6年2月28日
東京高等裁判所第12民事部 御中
第1 控訴する理由
原審判決内容は裁判官の偏見と恣意的な憶測によって導き出されたのもあり、著しく控訴人の利益を蔑ろにしたものである。
第2 債務不存在確認請求訴訟というスラップ訴訟の実情
控訴人は社会運動家である。長きに渡り、在野において社会の不条理を糾し、社会の変革を希求する立場にある。
戦後、米国による我国統治に端を発するヤルタ・ポツダム体制からの脱却を唱える立場にあり、政治的分類としては国家革新勢力と位置付けられている。
その一環として交通事故加害者が被害者に対する賠償責任を免れる、または不当に軽減させる目的で、債務不存在確認請求訴訟を安易に提起する現況に異議を唱えているものである。
今般の事例で論ずるならば、控訴人が被害車両の修理代金として509,445円を請求したことに対し、被控訴人・日?拓哉他(以下、単に「日?拓哉」と記す)は「149,800円を超える賠償責任は存在しないとの判決を求め」、提訴したものである。
しかしながら原判決において修理代金として449,100円の支払いが認められると、控訴することなく原判決に従っている。
控訴答弁書において「原審の判断に誤りはない」、とまで明記しているのである。
日?拓哉は当初より控訴人が提示する修理代金を支払う意思がありながら提訴すれば控訴人が不本意ながらも請求に従う事を意図したものである。
原審の確認訴訟において代理人弁護士を選任すれば当然に修理代金相当以上の支出が必要となる。
損得勘定で思慮すれば加害者側が提起した訴訟に付き合うことは得策ではない。
不当な請求とはわかっていても149,800円を受取って完結することを選択せざるを得ないのである。
経済的に訴訟代理人を選任する資力の無い交通事故被害者を泣き寝入りさせる事を意図した威圧的訴訟(スラップ訴訟)を糾弾することは、社会変革運動の一環と捉えられるのである。
加害者側に一片でも誠意があれば、被害者の蒙った損害を軽減する為にでき得る限りの賠償責任を果たそうとするのが真っ当な社会であり、日?拓哉他による提訴は、人の道を踏み外した鬼畜の所業と言っても過言ではない。
しかしながら現行の司法制度の枠内において日?拓哉他が取った確認訴訟は制度上合法的な手段なのである。
訴訟に至った経緯としては日?拓哉が加入する自動車保険を司る損保ジャパンが絵図を得描いたものとも推測でき得る。
被害者に対する支払額を極端に軽減することは損保会社の至上命題である。
契約者たる加害者を前面に押し出して訴訟の当事者とし、有り余る潤沢な資金を拠出して訴訟代理人を選任しているのが実情である。
無知なる日?拓哉には対しては「訴状の原告欄に署名するだけでよいから」「裁判は全てこちらでやりますから」、と言いくるめて、訴訟を始めたのである。
しかしながら実際には口頭弁論において証人として出廷を命じられ、その挙句に偽証することを強要されたのであるから、その意味で日?拓哉も損保ジャパンの被害者ということになる。
巨大資本たる損保会社の中でも安田火災海上を母体として生まれた損保ジャパンは特に悪質である。
今般、世間を騒がしている中古車販売会社ビックモーターにおける不正な保険金請求に加担している実情を見るまでもなく、被害者に対する救済など端から念頭にない。過去においても損保ジャパンの裁定に不服を唱える従順ではない被害者に対し幾多のスラップ訴訟を提起している大本なのである。
債務不存在確認請求訴訟の乱発が如何に社会正義を歪めているか、哀れな被害者を泣き寝入りに陥れているか司法当局も真摯に向き合うべきであると控訴人は訴えている。
しかしながら、訴訟を担当する裁判官・書記官、裁判所関係者においては、スラップ訴訟の乱発と言われようが、この類の訴訟が提起されることによって、日々の職責にありついている現実がある。
控訴人がスラップ訴訟を糾弾することによって訴訟件数が減少すれば司法・裁判所関係者の食い扶持が狭められることになる。
しかし、裁判官にはそのような自己保身から脱却して真実を見極める眼力が求められているのである。
控訴人は現行の司法制度における運用を批判しているが、この制度が存在している以上は制度に則って訴訟に臨むものである。そして同時に根本的な改革を訴えている。不条理ではあるが煩雑な訴訟の形式に従い、その時間と労力の消耗から勘案すれば僅かばかりの賠償金を得る為に、訴訟の遂行に協力しているのである。
乙第16号証(東京地裁平成28年ワ第34967号)の如く214,496円の賠償額を勝ち取るために、本人訴訟という形で莫大なる時間と労力を費やしてきた。
本控訴審においては予断と偏見、先入観を排除して社会の構成と正義を確立するためにも正当なる審判を下すことを要求するものである。
控訴人は日?拓哉が主張してきた支離滅裂な訴えの内容を懇切丁寧、且つ実証的に論破して来た。にも拘わらず原審では何ら具体的な反証も否定も無いままに、控訴人の主張を無きものとして無視した上で、不当な判決を導き出している。
以下、本紙において繰り返し説明するが控訴人の主張を精査した上で正当なる審判を下される事を要望する。
第3 過失割合
控訴人の過失割合を1として買替諸費用を含む価格499,000円から1割を差し引いた449,100円を支払賠償金額とした判決は不当である。全額が反訴原告に支払われるべきである。
原判決では反訴原告が注意義務を怠ったと断定しているが作為的な事実の歪曲である。
原判決文9頁で「前方で減速等している日?車は容易に認識し得たのであって、日高車が自車の進路前方で第2車線へ車線変更できたことも想起できた上で、日高車との接触を回避することが困難であったとはいえない」、と控訴人の過失を創作している。
日?拓哉による訴状(4/10)においては,現場付近上空からの写真と共に「?原告日高は第三者車両を避けようと第二車線に変更しようとして、右後方を確認したところ、原告車両の後方約10メートルを走行する被告車両を確認した」、と記述されている。
減速したとは記述されていない。
原判決で言う「減速している日?車両」とは何を根拠に述べているのであろうか。
「容易に認識できた」と言うのは、ブレーキを踏んで徐々に減速した。ブレーキランプが点灯していたと言いたいのであろうか。
しかしながら日?の訴状では減速したとの記述はない。
第三者車両を避けようと控訴人が運転する第二車線に変更した事実のみが記述されている。
日?が前兆も無く急に第二車線に飛び込んで来たことが分かる。
「減速していた日?車」と言うのは裁判官大畑朋寛による恣意的な創作に他ならない。
「減速して前方を走行するタクシーが左折してから、そのまま第一車線上で再度加速すれば済むことではないか。何故ゆえに危険を冒して第二車線に変更する必要があったのか」、との控訴人からの質問に対しては答えていない。
控訴人が主張するように前方のタクシーに急接近する、所謂煽り運転の可能性を排除することはできないのである。
控訴人に対する証人尋問において裁判官大畑は「日?車が前方に進入してきた時にハンドルを右側に切って衝突を避けようとする動作をしませんでしたか」、と質問している。
控訴人は「左から突っ込んでこられて、右側は中央分離帯があり避ける場所は無かった。ブレーキを踏んだだけです」、と回答した。
後に裁判官大畑の口調から勘案してみると、「何故、ハンドル操作によって積極的に回避しなかったのか」、と言った趣旨であったと受け取ることができる。
「控訴人は高額な賠償金を請求する目的で、わざと回避せずぶつけられた」、と言う邪な先入観を抱いていたとも考えられる。
そういった悪意に満ちた憶測が原判決に反映されているとしても不思議ではない。
控訴人は職業上、様々な運転技能を持つ顧客に車を貸出している。
初心者に対しては、「危ないと思ったらまずブレーキを踏んで止まって下さい。ハンドル操作で回避しようしないでください」、と呼びかけている。
本件事故のような中高速で走行している際に、他車との衝突を回避する為とは言え急ハンドルを切ることがどれ程に危険な行為であるかを裁判官大畑は理解できていない。
ほんのわずかでも急激にハンドルを操作する事で車両はもんどりうって、とんでもない方向へはじき出されて横転してしまうのである。ハンドルを真っすぐに維持して思い切りブレーキを踏み込んだ控訴人の動作は推奨こそされ批難されるものではない。
第4 日?拓哉による偽証
日高車は第二車線に進入し斜めになったとろで右側面が控訴人車両にぶつかったのである。訴状5/10の図解で示している通りである。
また、甲第6号証写真において自らが立証してみせている。
にも拘らず、陳述書(甲第21号証)及び、令和4年11月21日の証人尋問においては、第二2車線に変更し終えて車体を真っすぐにした。その後に控訴人車両が後ろから追突して来たと記述・証言している。車体を真っすぐにしたのであれば右側面後方にぶつかることはない。当初の説明を大きく逸脱したものである。自己の過失を軽減させるために偽証を行ったのである。
この件については控訴人準備書面(7)において記述しているが原判決では意図的に触れていない。
第5 休車損害金
被害車両(ニッサン セレナ8人乗り)をレンタカーとして顧客に貸し出し収益を得ることで、生計を立てていたものであるから日?拓哉によって引き起こされた事故により、収益が断たれた事実に対し休業期間中の売り上げに相当する損害金の支払いを請求するものである。
これを否定する根拠として日?拓哉は、
?被害車両は休車していない。顧客に貸し出して収益を上げていたはずだ。
?他にも8人乗れる同種の車輛があるはずだから、その車両を貸出せば損害金は発生しない。
と、主張していた。
原判決では上記?の事由を採用し休車損害金の発生を0円とした。
原判決では控訴人が所有する車両は被害車両の他に、5人乗り小型乗用車三菱コルト・5人乗り商用貨物車ニッサンバネットバン・5人乗り商用貨物車マツダボンゴバン・4人乗り軽乗用車ニッサンピノであることを認めている。
この文言をもって同種の遊休車が存在しないことは明白である。
原判決文11頁の『(2)休車損害0円』の本文9行目より、「交通事故により、事業の用に共している車両が使用できなくなったことによる休車損害を請求するにあたっては、他の車輛に代えることにより、かかる休車損害の発生を回避し得る可能性があることから、他の車輛が常時稼働しており、事故に遭った車両に代えることが困難であること、すなわち遊休車が存在していないことを要する」
と記述されているが、とても日本語として理解できる内容ではない。
事故車と同じ用途の車輛があれば、その代替車によって収益を上げられるから休車損害金は発生しないという意味なのか。
しかし、後半部分の「他の車輛が常時稼働しており」、とはどの車両を指しているのか。
他の車輛では事故車両に代えることが困難であるならば休車損害を認める、と読み解くべきなのであろうか。
乗車定員で言うならば、事故車両と同じ8人乗りミニバンが存在しないことは原判決で認めている。
5人乗りと4人乗りでは事故車両の代替にはならない。
3列シートで前から2/3/3人が乗車でき、2/3列目シートの背もたれを後ろに倒せばフラットなベッド状態になり車中泊も楽しめる。故に控訴人の会社では一番人気でありほぼ毎日のように貸し出している。この稼ぎ頭が稼働停止になった損害を賠償せよというのが控訴人の訴えである。
「比較的槇車に近い車両であるコルト、ボンゴ以外の稼働状況は不明」、とは何を言っているのか理解に苦しむ。
乙第11号証では事故車両ニッサンセレナの稼働状況を記した部分のみを明示している。コルト・ボンゴの部分は本事件と無関係であり個人情報を開示しないために隠しているのである。
そして、三菱コルト5人乗りとマツダボンゴバン商業貨物が比較的事故車両(ニッサンセレナ8人乗り)に近いとは、全く見当はずれの妄言としか聞こえないのである。
無理やりに事故車両と同仕様の車輛が存在していたと虚実を構築したいとしか思えない。
他の4台では事故車両であるニッサンセレナ8人乗りに代って顧客の需要を満たすことは不可能なのである。
仮にもう一台、同型の車輛を保有していたとしても、それぞれの車輛に対し、その日ごとに顧客が付いて収益をあげるものであるから、事故に遭い使用不能になった時点で、休車損害は付いて回ることになる。
控訴人が休車損害金の請求を認めさせた過去の判例として乙第16号証を提出したものであるが、これを無視しているのは失当である。
日高拓哉の準備書面(3)においてさえ、買い替えの為の休車損害金は30日分が妥当である旨、論じているのである。
修理するにせよ買い替えるにせよ、休車損害金が発生する事実を日?拓哉自身が認めているにも拘わらず原判決で裁判官大畑が否定する根拠は無い。
被害車両を買い替えるための費用449,100円を支払え、との原判決を日?拓哉は控訴答弁書で全面的に認めているのである。
そして「買替に必要な期間は長くても30日」と自ら規定している。
30日とは被害車両と同程度の車輛探しに着手して購入を決定して契約、整備点検、車検取得、引き渡しまでの概ねの期間と言うことになる。
日?拓哉は原判決に従って買替費用として449,100円を支払いたいと申し出ているのであるから、同時に代替車両が納車されるまでの休車損害金を支払う事になる。
期間は事故発生日である令和2年12月23日より起算して判決が確定して以降30日後までというのが道理となる。
実3年余に渡り、控訴人は得られるべき収入を絶たれていたのである。
事故発生直後に控訴人は日?拓哉に話している。「保険を使うのでしょうからアレコレ言い訳をしないで自分の過失を認めてください。修理代さえ払ってもらえれば、良いですから」、と休車損害金を請求するつもりはない旨を明言している。
にも拘らず、賠償責任を履行せず長期に渡り損害を蓄積してきたのは日?拓哉自身である。
第6 駐車場使用料金
原判決にて代替車両への買い替えが認められた以上、駐車場使用料金の支払いは認められるべきである。
レンタカーとして稼働させて収益を得ることを目的として駐車場を借りあげている。
日?拓哉の一方的な事情によって修理ができない、買替えが進まない状態が227日間継続されたのである。その間、まったく収益を産まない車両を保管することになったのであるから、日?拓哉は駐車場料金を支払うべきである。
第7 加害車両への修理代金
加害者日?拓哉が運転していた加害車両の修理代金を控訴人が請求される根拠はない。
事故発生以降、修理代に関する請求はなされなかった。修理箇所が控訴人の車両との追突によって生じたものか証明するものはない。
何処をどのように修理して見積額は幾らなのか相談もなく確認の要請もない。
準備書面(6)の4頁にて詳述した通りであるが、原判決では否定も肯定もなく無かったモノとして一切の言及を避けているには職業上の怠慢である。
連絡先:槇泰智
〒165-0027東京都中野区野方3-26-2
携帯電話:090-3135-4069 電子郵便:makiyasutomo@daitoa.com
]]>精神的にも身体的にも充分に修養を積んでおかないとえらい事になる。
若いうちから経験を積んでいれば高齢者になっても問題なく行に堪えられるだろうが、小生の様に還暦を目前にしてからの初体験では身体が慣れていないので危険とは隣り合わせだ。
コロナ禍により中断していたので4年ぶりの参加であるから初体験にも等しいことになる。
経験を積んだ猛者でも時にして低体温症に陥り痙攣を起こしていることがある。
意識があるうちは良いが心肺停止状態で硬直がはじまると危ない。皆で担いで宿舎に運び熱い湯船に放り込むと蘇生する事もあるそうだ。
五十鈴川の禊場は川渕から段々と深くなり、水深が肩のあたりまで来てから先に急激な深みが待ち構えている。
後ろから押し出されるようにして先頭を切って進んでいくと深みの境目にくる。
爪先に力を入れて5本の指でしっかりと川底の砂利を掴んでおかないと流れと共に深みにさらわれてしまう。
万一、深みに落ちて流されたとしても川幅が広くなった浅瀬で待ち構えている係の人が掬い上げてくれるから命拾いできる。
しかし、対岸の切り立った岩場の下で渦巻く滞流に巻き込まれたひには簡単には上がって来られないだろう。
禊行が終了すると整列して駆け足で宿舎に帰るわけだが、点呼を取る訳ではないので一人くらい減っていても誰も気が付かない。
自らの意志で参加するからには自己責任で安全と生命を確保する必要があろう。
皇室の弥栄と国家の安寧を祈願する禊行に参加するには覚悟がいるのだ。
]]>小生も過去二回参加したが春三月とは言え、早朝5時の五十鈴川の冷たさは半端ではない。
生半可な物見遊山気分で参加したひにはえらい事になる。
同行する武蔵村山市議の天目石氏などは一冬暖房を使用しないで生活して身体をならしているとか、気合の入れ方が違う。
小生は朝、シャワーを浴びる際に洗体を終えると徐々に水温を低下させていき、最後は冷水を頭から全身に浴びている。
祓詞を唱えながらエイエイと気合を入れてほんの2分位だが身体を鍛えているつもりだ。
それでも都内で水道水の水温は12℃くらいあるので五十鈴川の冷たさの比ではないだろう。
そんな小生の行状を伝え聞いた禊会のある大御所は、
「槇さんは禊行をガマンくらべ大会と勘違いしているようですえね」、と言っていたとか。
]]>本日二月二十六日は、昭和維新運動の中核を成す二・二六の決起から八十八年となる。
昭和4年、アメリカでの株価暴落を発端とした世界恐慌の波は世界を覆いつくした。
我国でも経済の要を担う繊維産業はアメリカ向け生糸の輸出が滞り、企業が相次いで倒産。
インテリ階層さえも職に就くことが適わず「大学は出たけれど」、という言葉が流行した。
東北地方を襲った冷害は昭和十年まで続き米・農作物の収穫量も少なく、貧農では娘を身売りに出す家庭が相次いだ。加えて昭和八年三月三日に岩手県沿岸を襲った昭和三陸津波では三千人余の人的被害を蒙った。東北地方では欠食児童がでるなど、困窮度は益々加速していった。
しかし、財閥や政治家は疲弊する庶民の暮らしを顧みることなく私利私欲を満たし元老や軍閥、政党、役人が権力を握り欲しいままに権勢を振るっている。
疲弊する地方の農民や窮乏する庶民を救いたいとの私心なき国家改造の理想を掲げ決起したのが88年前の二・二六事件の発端である。
理不尽な日本を天皇陛下の親政の下で更生される事を希求した決起であったのだ。
この時代背景を現代日本に置き換えても共通するところは大きい。
元日に石川県を襲った能登半島地震により多くの家屋が倒壊し多数の犠牲者が出た。
能登半島地震に限ったことではない。十三年前の東日本大震災しかり、北海道・熊本県・鳥取県など、煌びやかなネオン輝く首都東京を避けるかの如く、経済的に疲弊した地方を狙う様にして震災が発生している。震災から街は復興しても一旦避難した住民が戻って来ることは困難な現実がある。
只でさえ、現行の政権は地方の切り捨てに奔っているのが現状である。
東京都心の土地の付加価値を高めるために建物上空を容積率として利用できる空中権を設定し、公共の財産である公有地の上空を大手デベロッパーに売却しているのである。
大手デベロッパー・不動産業者・ゼネコンはタワーマンションなる箱モノを建築して狭小な土地に対し、無秩序なまでに多くの人々を住まわせることに狂奔している。
高層階に住まう事が金持ちのステータスであると洗脳された都心周辺や都市近郊に住む小金持ちが続々と購入し移り住んでくる。
すると空いた東京近郊の土地・建物に対してはドミノ式に地方から人々が移り住んでくる。都会へ移り住む体力・気力、経済力を持たぬ老人だけが地方に取残され人口減少に拍車がかかる。鉄道は廃線となり、商業施設も閉鎖され地方は加速度を増して衰退していくことになる。
2月22日に、日経平均株価は平成元年以来の最高値を付けた。日本経済が活況を取り戻したと浮かれているが、庶民の懐が潤っている訳ではない。
投資家やIT長者など一部の富裕層がこの世の春を謳歌しているに過ぎない。
首都東京都と地方。富裕層と庶民。全てにおいて二極化されたこの歪な社会構造は、為政者にとっては恣意的に構築された理想社会といえる。
自らの既得権益を拡大し一部特権階級が社会を支配する。
この不誠実なる社会構造に異議を唱える我々国家革新勢力や価値観の異なる異分子を排除・駆逐することが戦後体制構築の最終的形態と彼らは目論んでいるのである。
至純の魂をもって国家革新運動に邁進した先人の志を無駄にすることなく、昭和維新に代わる令和の維新を現実のものとすべく、我々は本日ここに思いを新たにするものである、
令和六年二月二十六日
二・二六事件墓前祭
青年将校遺族代表 槇泰智
]]>
疲弊した地方の困窮を顧みることなく、富と権力に執着した政界と財閥による腐敗した時局から
庶民を救済すべく立ち上がったのが2・26の決起であった。
天皇陛下を頂点に頂いた農民・労働者による革命を目指した決起であったのだ。
今年も元麻布の賢崇寺墓所にある「二十二士之墓」にて墓前祭を執り行います。
令和6年2月26日(月曜日)正午集合。
終了後の直会に参加される方からは会食代として2000円を頂きます。
問合せ:090-3135-4069 槇泰智
]]>第二次大戦後の混乱に乗じて南朝鮮(韓国)は竹島を軍事占領した。
島根県は閣議決定から100年にあたる平成17年(2005年)に2月22日を竹島の日と定めた。
南朝鮮は現在進行形の侵略をやめろ
竹島から出いけ
令和6年2月22日(木曜日)正午
南朝鮮(大韓民国)大使館へ対する抗議活動・デモ行進
港区麻布十番3-14「二の橋交差点」より出発
]]>第一部では犬塚先生が講師となり「禊会の歴史と禊実修の意義」を講演された。
伊勢神宮内宮前の五十鈴川で禊を実践するようになった経緯とご自身の関わりを語られた。
3月に行われる禊会では久々に会う仲間との酒宴が盛り上がり、徹夜明けで一睡もせずに早朝5時の五十鈴川に入水する者もいた。
今まで幸いにも大きな事故は無かったが、最近では11時には就寝するように指導している。
今年は3月16〜17日に行われるので参加者を募っている最中とのこと。
第二部では民俗学者の菅田正昭先生が「教派神道概略と神道修正派について」の講義。
学生時代から離島研究に没頭し、伊豆諸島の青ヶ島村に移住して助役まで勤めた経験をもっておられる現在79歳。
日本書紀によれば土佐で大震災が起きて大変だったこと。
今ならパンデミックというが疫病が流行ったことがきっかけで伊勢神宮が創建されたこと。
日蓮が立正安国論を唱えたように地震・災害があって宗教が庶民に浸透していった。
天理教・金光教・黒住教は三大教派神道と言われている。
その中でも天理教は創価学会を凌ぐ日本最大の宗教団体であるとの指摘には一同驚愕。
戦前に弾圧を受けていた大本教を金光教の分派と捉える人もいるが、むしろ天理教に近いと指摘。
神社神道とは異なる教派神道について興味深いお話を多々伺った。
終了後に近隣の居酒屋で懇親会。
席上、初対面の人もいるので自己紹介を兼ねて一言。
講演中に犬塚先生から能登半島地震に関しての言及があった。
出張から帰ると女房子供から両親一家全員が亡くなっていた人もいた。
この世には神も仏もないのか。神道はどのように市井の人々を救済するのかといった問題提起がなされた。
私見であるが神道に拘わらず宗教・信仰によって災害を阻止することはできないであろう。
むしろ、世界・地球の崩壊を予言することで持っている財産を全て寄進させるようなインチキ宗教が跋扈することになろう。
キリスト教徒であった故・遠藤周作が小説「沈黙」を著した。
江戸時代に隠れキリシタンとして弾圧を受け逃げ延びるキリスト教徒を描いた。
我々が受けているこの苦難から神はどうして救済してくれないのか、何故に沈黙しているのか、というのがテーマであったと思う。
宗教は禍を阻止したり退けることはない。この現実の禍に対し如何にして耐え忍んでいくか、克服していくかの心構えを説いてくれる存在なのではないだろうか。
]]>自社名義の車や、オークションで購入したばかりの車、仮ナンバーを付けただけの車検切れの車などなど。
毎日大きさも違う多種多様な車を運転し街中を走行しているが、6年位は交通違反の取り締まりを受けたことが無い。
一昨年の免許証更新時に所謂、ゴールド免許と言われる優良運転者免許証を取得。
6年前に違反切符を切られたのは痛恨であったが、白バイ警官による言い掛かりによる不当な取り締まりであった。
中野駅北口付近で左折し終えて走行していると白バイ警官が追いかけて来て、横断歩行者の進路を妨害したと因縁を吹っ掛けられた。
歩行者は横断を開始したばかりで、私の走行する左側車線まではまだ充分に余裕があった。
にも拘わらず「歩行者はビックリしていたよ」と話を創作してまで違反を捏造してきた。
以降6年間に渡り違反取締りを受けていない。
取締りに当る警官においては「交通安全」などという意識は毛頭も持ち合わせていない。
取締り件数を増やすことを目的として日々職務に励んでいる。
「交通ルールを守っていれば取締りに合いませんよ」、と言うのは立て前に過ぎない。
警官というのは如何にしたら違反の事実を捏造できるか、違反者を創作できるかを目的として取締りを行っている。
そういった実態を熟知したうえでハンドルを握っているから、優良ドライバーとなれる。
私は職業柄、車を運転する人に対しては充分に安全運転の励行を訴えているのと同時に取締りに合わないよう
確実な一時停止等を指導している。
ただ、皮肉なもので交通ルールを遵守して安全運転を励行していると交通事故に遭遇する確率は高くなる。
私など違反はしないが、相当な頻度で事故に遭遇している。ほとんどが一方的な追突事故の被害者となっている。
4年前の元プロサッカー選手・日?拓哉による追突事故の被害に関しては、常軌を逸した無謀運転によるもので、
如何にしていても私の方から避けることができないものであった。
警視庁公安部の連中は私が賠償金目当てで交通事故を起こしていると勝手に結論付けている。
4年前の私に対する不当逮捕のきっかけは、日?拓哉の代理人である損保ジャパンが提示する15万円という修理代金は不当であると訴えたことに起因する。
公安と検察は槇が不当に賠償金を吊り上げる為に、交通事故の内容を公表して日?拓哉の名誉を毀損たと絵図を描いた。刑事裁判では最高裁で有罪が確定した。
片や一審東京地裁の民事裁判では「修理代金として日?拓哉は槇に対し47万円を支払え」、との判決が出ている。
不当な要求を行っていないことは交通事故裁判で立証されている。
ただ公安は、「槇は常習的に交通事故を惹起せしめ被害者として賠償金を要求する反社会性を帯びた人物」、との見識を変えてはいない。
三日前にも、交差点を左折するにあたり前方からの横断歩行者を通すために一時停止を行った。
故に後方から一方的に追突された訳であるが、この事故に対しても公安が注目。
私が事故の詳細をSNSで公表したら不味い事になる。
阻止する為に別件でも何でもいいから私の身柄を掻っ攫うつもりでいきり立っているようだ。
]]>強盗や殺人などが日常茶飯事の現地の風習が移民・労働者と共に日本国内に持ち込まれていると報じていた。
先ほどNHKテレビでブラジルにおいて日本語学習が盛んである実情をレポートしていた。
アマゾン川河口から1200?内陸にある人口200万人のマナウスでは多くの学校で日本語教育が必修となっている。
日本語の他にも剣道を習得するなど日本文化や生活様式についても学習しており、日本政府の支援も受けている。
多くの外国企業が進出する大都市であり、その中で多くの日本企業が工場を展開するなどしているので、彼らは日本企業での就職を希望している。
また、多くの生徒は将来日本へ行って就業することを視野に入れて、日本語教育に励んでいる。
ここまで現地の実態に触れると、ブラジル人の日本への渡航・就業を拒絶することは困難であると痛感する。
それに加え、戦前・戦中・戦後と大量の日本人がブラジルへと渡航し入植・移住した歴史がある。
日本から散々お世話になっており、いまさら彼らに対して来るなとは言えないだろう。
何処の国の人にも共通ではあるが、異文化を持つ外国人を受け入れるとなれば、生活習慣は勿論であるが犯罪を含む風習も入って来ることとなる。
これを如何に防御していくのか。
渡航前・定住前にきちんとした教育・啓蒙を施す必要がある。
嘗て所謂中国残留孤児に対し、適格なケアが無かった為に子供らが暴走しチャイニーズドラゴンなる集団を形成した苦い経験がある。
これから日本を目指して来日することになるブラジル人が多数控えている実情を直視しない訳にはいかないだろう。
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駱駝人間 | まき やすとも 政経調査会 (jugem.jp)
とりあえず、未知の物体は除去されたのであるが、体内で孵化するする前の卵本体のようなものが残存している。
発症から5カ月以上に渡り経過観察を行ってきたが、このたび残存物を取り除くための手術をおこなった。
部分麻酔による手術なので入院は不要。
未知の生命体が産み付けたものなのであろうか残置物を除去して縫合し、手術は成功したように思えるが、まだまだ油断はできない。
除去した物体は医科学検査して詳細を確認するという。
縫合跡からバイ菌がはいれば化膿してしまう。
抜糸するまでは銭湯やスイミングプールにも入れないという不便は続く。
温泉にも入いれないので、お誘いを受けてもお断りすることになります。
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♪そそっかしくてお人よし
ちっとも美人じゃないけれど
おふくろの味 そばの味
湯気の向うに笑顔がのぞく
へいへいへい大盛り一丁
頼りにしてぇるよ
肝っ玉母さん
この歌詞では京塚昌子演じる女将を美人ではないと貶めている訳ではない。
全体の訳意としては
「笑顔が魅力である」
「頼れる存在である」
こういった利点を強調したい。
そのためには美人であるか否かといった容姿についての言及は不要である、ということだろうか。
麻生太郎氏による上川陽子氏に対する「美しい方とは言わん」発言が責められるのであれば、この主題歌も同罪であろう。
容姿/容貌を拝見するに70歳と言う年齢相応のご婦人である。世間一般どこにでもいる「おばちゃん」とみえる。
日本国を代表しての外交交渉。これほどの活躍をするふうには見えないが、予想以上立派に職責を果たしている。
例えば、これが片山さつき氏であれば「美しい方」どうこうの発言は不要となろう。
常日頃から常人的ではない奇抜な装いをしているので、麻生氏も「おばちゃん」表現はしないだろう。
注目点が別の方向に向いてしまうから。
麻生氏の言う「おばちゃん」は庶民的ということなのだろう。
別に麻生氏を擁護するつもりはない。
現代においては肝っ玉かあさん当時と社会状況が違う。
麻生氏のメンタルは50年前のままだということ。
決して悪気はない、悪気が無いだけに更に厄介か?
]]>東京では最大震度4を観測。
津波警報は出なかった。顕著なる被害も無かった。
この地震で特段なる危機感を持った人はいないようだ。
しかし、震度4と言う数字で安心するなかれ。
問題は東京湾を震源としていること。
いよいよだと言う心づもりはできているのか。
ソッチの方面に造旨が深い読者の方から以下のようなメッセージを頂きました。
一部を紹介します。
槇さんが抱く地震への予感は、占星術師でも言う人がいます。
なんでも4月の日蝕が影響するとかで、もし起きるなら2024年10月以降2025年にかけてだそうで、
とりわけ10月11月は危ない様です。
占星術は古代ペルシャやバビロニアで尊重されていたものなので、私は結構当たると思っています。
地震が来たら来た時ですが、世界中も荒廃してますからもう世紀末ですね。
]]>少人数ごとの丸テーブルに別れ会食を楽しんだが、話題は能登半島地震の対応と前日に所在が判明した桐島聡手配犯に集中した。
政治犯ということで立場こそ違えど、体制変革を唱えて私利私欲を越えて行動する姿勢には考えさせられるところがある。
彼の罪状は1975年に発生した東京銀座にある韓国産業経済研究所に対する爆破事件に絡む爆発物取締罰則違反罪。
同研究所が主催して日本企業の韓国視察ツアーを行ったことに対し、「韓国への進出をやめろ」と主張して爆破した。
我国固有の領土竹島を奪い、慰安婦/徴用工問題で日本から金を巻き上げるような国に進出するな、との主張でれば我々と同じではないのか。
まあ、当時とは時代背景が違うのだが。
歓談と共に旨い本場の中華料理に舌鼓を打ち、美酒を堪能しているとあっという間に2時間が経過した。
このような時間と空間を演出してくださった蜷川正大代表と21世紀書院の皆様に感謝致します。
]]>「社会の不条理を糾す会」の街頭演説会に参加。
https://tadasukaicom.wordpress.com/
世の中の大多数が当たり前と思って看過していること。
大衆が無批判に迎合している事象に対し、真理を訴えていく。
極楽島のアホウドリよろしく権力者やマスコミ報道に迎合し快楽と享楽にうつつを抜かす国民に一歩も二歩も先んでて、その先にある危機を察知して警鐘を乱打する。
民族の触覚としての役割が我々、右翼民族派に課せられていると思っている。
昨日(1月19日)の報道では2021年東京オリンピック選手村跡地に整備された晴海フラッグへの入居が開始されたとある。
「五輪のレガシー」「これから始まる街」広い道路で電柱も無い。洗練された綺麗な街並みと、良い事づくめで賞賛されている。
三井不動産レジデンシャルなどの大手デベロッパー10社によって整備されたもので敷地面積は13ヘクタール。
14〜18階建ての21棟からなり、更に2025年までには50階建てのタワマン2棟が完成する予定で全て入居すると人口は12,000人となる。
平均価格は7500万円と近辺の相場より安い。
それもそのはず、元々は都有地だったところを安価で払い下げられたことによる。
おいおい大丈夫なんですか。能登半島地震では海岸沿いの内灘町で街全体が液状化現象の被害を受けている。
建物に被害は無くても生活できる状況にはない。
13年前の東日大震災を忘れたのか。アメリカのビバリーヒルズを文字ってチバリーヒルズと称された千葉県の新浦安で発生した液状化現象でどれ程までの生活困難が生じたのか。
新築の家は傾き、泥水が噴出してマンホールが浮き上がり道路は波打った状態となった。
何も知らずに土地を購入したと言う居住者の困惑と戸惑いが連日テレビで報道されていたではないか。
この地震列島で東京だけが巨大地震の被害から免れると天上界と現政権との間で約束でも交わされているというのか?
東京湾直下型地震が発生すれば20メートルの津波が晴海地域を真っ先に飲み込む。
そして日本橋の株式/金融街や銀座の商業施設も水浸しとなる。
この現実をひたすらに隠蔽してまで不動産開発で金儲けをしたいのか。
人口減少が続くわが国で12,000人は何処からやって来るのか。
都心とその周辺、首都圏・都市近郊から転居して来るだろう。
空いた住居にはドミノ式に疲弊した地方から移住できる余力のある若年層が移って来る。
結局は地方において高齢者だけが取り残され地方は益々、寂れていく。
南海トラフ地震が発生すれば36万人の死者が想定されている。
家屋倒壊・火災に加え巨大津波の発生を勘定にいれるならば都内だけでも10万人の死者が出る。
火葬/埋葬が追い付かなかった事例は阪神淡路や東日本で経験している。今回の能登半島でも現実となっている。
にも拘わらず、為政者や行政はこの火葬場不足という喫緊に解決すべき問題を放置している。
夏場であれば遺体は一日で腐敗が始まる。
火葬できない遺体からの腐臭と大量のハエの発生と伝染病の蔓延が懸念される。
「ひとりも犠牲者が出ないような対策を、街づくりを」、と言うのは理想であるが現実は甘くない。
私の地元である中野区には中野駅近くに旧陸軍中野学校があり、戦後は警察大学校となった。
移転してしばらくは広大な空き地となっていた。中野区には火葬場が無い。
私はここに公営の斎場・火葬場を建設する事を主張したが、結局は商業施設と3つの大学校舎が建設された。
区民が憩えるチョットだけ広めの公園が残った。
火葬場は忌み嫌われる負の存在という人々の思考を変えていかなければいけない。
自分たちの身内/親兄弟、そして自身もがお世話になる身近な施設。
街の中心の駅前に堂々と火葬場を建設する時代が来る。
人々の意識改革が必要なのだ。
]]>
そして、小生が前期高齢者となった本日でもあの胡蝶蘭は5年前と変わらず大輪の輝きを失っていない。
愛情を込めて手入れをしていれば花も応えてくれる。
居間におかれた胡蝶蘭を見るたびに、日々の怠慢な暮らしを顧みて犬塚先生のご期待に応えようと気持ちを入れ替えるのです。
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一期会は講師による講演が一区切りついたところで、コーヒーブレイクとなる。
参加者から高額なる受講料/会場分担金を頂いているので、それ相応のもてなしをすべきと考えておられる。
よって、我々数名のスタッフは近場のセブンイレブンへ駆け足でダッシュする。
この休憩時間10分間で37人分のホットコーヒーを会場へ届けるというミッションを敢行しなければならない。
一般人であればホット飲料棚に並ぶコーヒーやお茶飲料のペットボトルか缶飲料を人数分購入すれば済むと思うだろう。
犬塚先生には絶対できない妥協がある。なにが何でもセブンで入れたてのコーヒーを振る舞う事。
これこそがお客人に対する最大で最低限のもてなしなのだ。
自らがセブンのコーヒーの中毒に罹患していることを認めておられる訳だから確信犯なのだ。
小生とてある種、同類である事を告白する。日によっては一日に3回ほどコーヒーを購入する為だけにセブンへ足を運ぶこともある。
しかし、突然押しかけて来る強面のオッサン集団にセブンの店内はパニックとなる。
コーヒー抽出器はカップを置いてボタンを押してもすぐには出てこない、内部で豆を挽いて抽出とか面倒な作業が展開されている。
4つ程度完成したらピストン輸送で会場に届ける。
一度に37個も抽出しようとすれば機械内部の豆が途切れてしまう。
「お〜い、豆が無いぞ。早く補給しろ」、などと怒声を発することはしない。
「すみませ〜ん、オマメちゃんがなくなっちゃったんです〜」、とか極力脅威にならないように優しく店員さんに補給を懇願してみる。
まあ、それでもセブンとしては110円のコーヒーを大量に購入してくれてもありがたいお客ではないだろう。
一般の商品を購入して「ついでにコーヒーも一杯」、というのがスタンダードな流れであって、コーヒーはあくまでの販促のためのサービス商品にすぎない。
我々が占有している間、他の人はコーヒーを注文できなくなるし店内は喧騒状態。店員にとっては鬱陶しい客と映っていることだろう。
バイトの女の子は毎月15日が近づくと不安に駆られるらしい。
「店長。またアノ人達来るんですか。お願いです15日の夜だけはシフトから外してください」、と懇願しているかもな。
]]>犬塚博英八千矛社代表が主宰し毎月15日に開催している。
今回は防大を卒業し陸上自衛隊の元陸将である福山隆氏を講師に迎え、前半を国際情勢や現況の社会問題に関して、後半をご自身の歩まれた生涯の軌跡を絡めた人生観/死生観について語られた。
福山先生は現在75歳。9年前に自衛隊を退官し現在は軍事評論家・大学教授として活躍されている。
1997年の地下鉄サリン事件においては現場の除去・復旧作業の指揮を執った経験もあり危機管理のエキスパートである。
現在の日本は地政学上、非常に危険な状況にあり「日米中露の谷間に咲いたひ弱な山桜花」であると表現した。
台湾有事と言われているが、いま中国が金門島を攻撃しても何も得るものはない。有事はあり得ないだろうと分析。
米国は二度と日本が米国の脅威とならないようにコントロールしている。
自民党政権は米国の手のひらの上で転がされているにすぎない。
パレスティナ情勢に絡め日本人とユダヤ人の一部類似性についても言及。
ユダヤ人は金銀財宝を持たない。
ユダヤ人は自らの頭の中に蓄積した知恵こそが財産であると。
外務省に出向し駐在武官として韓国滞在経験の中なら諜報活動に関与。
内情は言えないが国際的謀略活動の渦中を経験されてきた。
いま、韓国人は米国内で民族意識・国威の高揚を図っている。
また米国内ではモスレム勢力が台頭してきている。
同時に黒人勢力が数の上でも台頭。
ブラックとモスレムが一緒になった時に大きな力を持つこととなる。
ウクライナ情勢についても言及。
現在のウクライナ/ロシアは朝鮮戦争時の構図に似ている。
1950年南は釜山に追い込まれたがマッカーサーが仁川に上陸し、翌年38度線で膠着状態。
1953年に休戦協定が結ばれた。
現在の日本は外国勢力によるテロの脅威に晒されている。
コンピューター操作で新幹線は止まってしまう。電力の供給もストップし、日本中が混乱する。
日本ではあらゆる危機に対応が迫られている。
死者32万人を予想する南海トラフ地震
台風・大洪水
コロナウィルスに代表されるパンデミック
国民の高齢化・要介護
などなど。
戦争においては民間人の犠牲者の方が軍人犠牲者より圧倒的に多い。
自衛隊以外の民間防衛力が必要となる。
いま、救国・救命隊を創設する必要がある。
今回の講演については犬塚先生の主宰ということもあり熱の入れようが凄い。
開始時間を一時間半早め前後半に分け、プリジェクターを使用し大きなスクリーンに用意した自前の資料を次々に繰り出し説明してくれる。
ノートに書き取るのは追いつかない。最前列の参加者はその都度、カメラで撮影している。
上記の記述は小生の拙いメモによるものなので、間違えがあった際はご容赦願います。
これでは3時間半ではとても足りない。各項目ごとの集中講義と質疑応答、そして闊達な議論を交えれば、
三日間(午前/午後)を費やし丁度良いくらいの分量となるのではないか。
一期会の参加者は右翼民族派関係者は少数で、むしろ学者や企業経営者、マスコミ関係者など社会問題に精通した一般人が多い。
毎回、参加希望者が増えているようであるが、一期会は一般に開かれた講演会ではない。
犬塚代表が「知らない人が来ても排除します」と、公言しているくらいで見識と問題意識を有した賢人を対象とした研修会の趣を有する。
賢人でなくとも小生のような初期段階からの参加者なら既得特権で継続参加が可能かもしれない。
「金ならナンボでも出すから一期会に参加できないか」「ぜひ、紹介してくれないだろうか」、という人々が少なくないと聞く。
今後の動向に目が離せないのは公安関係者だけではないだろう。
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倒壊した家屋の中から発見された人がいるためであろう。
昭和56年以前の建築基準法改定以前に建築された家屋が被害にあっているとのこと。
そればかりではないだろうと想像する。
東京と違い地方では重厚な見栄えの良い瓦屋根の家屋が一般的。
我が家のような安普請の鋼板屋根ならば軽量化されているので
躯体に対する負担が少ない。
伝統的美観を有する瓦屋根のであるが地震列島においては一考の余地がある。
元日に被災地に救援物資を届けるとのラインメールを頂いていたが、
14日に出発したとの報告を頂いた。
被災者の方々からは感謝されたことであろう。
私財を投入しての貢献など誰でもできるものではない。
感謝致します。直接の献身的支援ができないならば
募金と言う形ででも救援の輪を広げ拡大していきたい。
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「何もしないで家にいる人間に言われたくない」、と言われるのが落ちであろうし、その通りなのです。
ただ、闇雲に被災地に行って物資をばら撒いて来ることに対し賛同しないという事です。
被災した人がいま何を必要としているのか。実情を確かめた上で、必要な物を届けるべきでしょう。
地震発生直後に、これから被災地に物資を届けに行くのだが物資が揃わない、とラインメッセージを頂きました。
しかし震災当日では避難所も開設準備中で体制も整っていない。
震災当日に必要なのは下敷きになった人を救出するプロのレスキュー隊員や消火消防隊員でしょう。
被災地では空き巣・盗難が頻発しているとか。
救援・復興支援のつもりであっても、被災地において見知らぬ人が徘徊していることで住民に要らぬ警戒感・不安感を抱かせることになるでしょう。
被災地に入るか否かでは国会議員を含め巷でも論争が起きているようです。
被災地を訪問し支援物資を届けることで感謝される、自身も充実感・満足感を得ることは可能でしょうが、
いまの私としては被災地向けの募金箱に協力をするしかできません。
「避難所なんだと思ってる」賞味期限切れ食品にシェフ怒り 一方的に置いていかれた支援物資…“民間物資”の受け入れ一時中止に(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
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今年一年が皆皆様にとりまして、また全世界の全ての民にとって平和で安定した年となることを祈念するものです。
しかしながら、元日より石川県・能登地方で震度7の大地震が発生し多くの犠牲者がでている状況を目の当たりにして、日本列島が置かれた特殊な状況を憂慮致しております。
温暖な気候のもと緑に囲まれた国土で戦争の災禍もなく経済的に恵まれ医職住に事欠くことなく文化的な生活を送ることができています。
飢餓と貧困、戦乱と殺戮、専制と隷従に苦しむ世界中の人々と比べ、我々は何と不自由ない豊かな生活を送っているのか。
申し訳ない気持ちになってしまいます。
その反面、山野に覆われた日本列島という地形と、そこに到来する激しい気候状況によっておこる自然災害。
こう言う特殊性を鑑みた時に、世界はある程度は負の面で平等性を維持しているのかと感じ、多少は罪悪感を払拭して自己正当化に奔っている感があります。
日本列島全体で見れば毎年・各地で発生する災害によって少なからぬ人命が犠牲となっています。
ウクライナやパレスティナ・ガザ地区における犠牲とは比較にならぬ数字ではありますが、日本の人々も辛酸を舐めざるを得ない状況にあります。
しかし、それが何故に東京・首都圏を除いた周辺の地方に限定されているのか。
阪神淡路・新潟・東北地方・熊本・大阪、北海道そして能登と。
東京・首都圏だけが自然災害による災禍に遭遇しないことに不可解な思いがします。
日本中の富と栄華と欲望を集約した華々しい大都会で快楽に酔いしれる愚民に対しては絶大なる災禍が訪れることはない。
一方で過酷な自然環境下で経済も疲弊し若者は大都市に流出し、都会の栄華とは無縁の寒村で必死に働く老人等に対しては情け容赦なく災害が降りかかる。
この不条理は誰か何かの意図によって引き起こされているのかとさえ考えてしまいます。
先の大戦では東京や京都に対しては原子爆弾が投下されなかった。
これは戦後処理を見据えたアメリカの思惑があったからでしょう。
似た様に、何らかの見えぬ意思が働いて災害発生場所が決めれれているのではないか、とさえ勘ぐってしまうのです。
13年前の東日本大震災では震度5でも東京はパニック状態でした。東京に震度7の巨大地震が到来すればどうなるのか。
東京湾直下型大地震が発生すれば、湾岸エリアに20メートルの津波が到来し、甚大な被害をもたらすはず。
いま、我々がテレビニュースの画像を見て被災者の困窮状況に胸を痛め、「大変だね、早く復旧を」と願っていますが、所詮はテレビ画像の向こうの他人事なのでありましょう。
いま、この瞬間にもアノ人々と同じ、それ以上の悲惨な状況下に陥る覚悟ができていると言えましょうか。
日本の為政者たちは闇雲なまでに東京に巨大建造物・タワーマンションを乱立させて人口の密集を図っています。
日本全体では人口が減少しているのですから、新たに建造された住居に移り住むのは地方を離れ都会へと転入して来た人々の流れとなります。
贅沢に馴らされた都会の人間は今までの文化的生活が寸断されれば途端にパニック状態に陥るでしょう。
居住するタワーマンションでエレベーターが動かない、水道が止まった、と皆が避難所に殺到しても受入れは不可能です。
人口密集地域に居住する人々の中から、何人を如何なる基準で受け入れるのか、シミレーションも無いのです。
この国の為政者は絶対に東京では大地震が発生しないという確信を持っているのか。
それならば、私の取り越し苦労で済むのですが。
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国家賠償請求訴訟で原告である大河原化工機に対し国に1億6200万円の賠償支払いを命じる判決が12月27日に東京地裁で下された
日本弁護士連合会:大川原化工機事件 (nichibenren.or.jp)
そもそも犯罪が成立しない事案について、会社の代表者らが逮捕・勾留され、検察官による公訴提起が行われ、約11か月もの間身体拘束された後、公訴提起から約1年4か月経過し第1回公判の直前であった2021年7月30日に検察官が公訴取消しをしたえん罪事件。
2021年7月30日に検察側が一方的に公訴を取り下げた、とのニュース報道がなされたことでこの事件が世間からクローズアップされた、
逆に言えば、不当な逮捕・起訴、そして繰り返された保釈請求の却下という事実をマスメディアは全く報じてこなかった。
警察が逮捕したとの発表がなされれば、誰もが「犯人は悪い奴だ」との先入観を持ち、被拘置者がどのように不当な扱いを受けていようがマスメディアは無視し続ける。
拘留中に進行性胃癌に罹患した会社顧問が死亡しているというのに、公訴取り下げがなされる前は誰もが無視し続けてた。
日本社会の闇を見た思いだ。
公訴取り下げのニュースは私が東京拘置所に拘留されている際に房内に流れる短いラジオニュースで聞いて、同房者達と「酷い話だなぁ」と憤慨していたものだ。
公安事件となると刑事事件とは異なり癌でも保釈は認めない。一般刑事事件と異なる形態が図られる。
今般の国賠が認められた報道において、テレビのコメンテーターなどは、警察と検察の不当捜査を問題としているが、現実を見てはいない。
本件においては公安警察・検察公安部という特殊性を問題にすべきなのだ。
発生した犯罪を取り締まる刑事警察とは別に思想を取り締まる公安警察といった二種類の警察が存在する事実に一般人は気付いていないし、メディアも触れようとはしない。
本件においては公安部が大河原化工機の不正輸出を立件する、という結論ありきのままに強制捜査に突き進んでいった訳だ。
そして問題は警察・検察だけではない。度重なる保釈請求を却下し続けてきた裁判所・裁判官にも大いなる責任がある。
一旦は保釈を認めても検察が準抗告で異議を唱えるとなびいてしまう。この検察と裁判所のもたれ合いが最悪の結果を生んでいる。
それにしても国賠で認められた賠償額が1億6200万円だけとは。アメリカあたりなら100億円単位の賠償額になっていたのでは。
そのくらい支払ってもらっても被害の回復は艱難だろうに。
捜査に当たった公安部刑事と担当検事は実名を明らかにして、公の場に顔を出して釈明してみせたらよい。
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英国人の政治家であるリットン卿を団長とするリットン調査団である。
昭和7年2月29日に横浜港に上陸し、当時の犬養毅首相ら関係者と面会しその後、満州国や中華民国など3カ月に渡り調査を行った。
リットン卿の回顧録によれば、面談した犬養毅に対してはさしたる強い印象を持たなかった。
強烈に印象に残っているのは面談した荒木貞夫陸軍大臣の言葉であった。
「あなたたちは日本人と支那人を同じように考えているでしょうが、全く違うのですよ。
例えば、何か問題が発生した時に日本人は自分達で話し合って解決しようとする。
しかし、支那人はささいな諍いでも何でも大騒ぎをして、道行く通行人でも誰でも呼び止め、大勢の人を巻き込んで自分の話を聞いてもらおうとする」
リットン卿はこの話を聞いて「なるほど」、と思ったそうです。
消防団の嶋田昌史に聞かせてやりたい逸話であります。
日頃の言動はネトウヨ丸出しで薄っぺらな愛国者を気取ってはいますが、我国と世界の近代史にどれ程の造旨を持っているのか。
教条的に左翼を毛嫌いして留飲を下げているように見えます。
同じ団員で若い立憲民主党所属区議がいるのですが、あからさまに小馬鹿にした態度をとっている点で合点がいきます。
しかし、嶋田自身の精神的魂柱はもっとも日本人からかけ離れているとみます。
以前も話し合いを求め自宅を訪問すると、中に閉じこもって即110番を繰り返す。
自分を守ってくれるのは消防団の仲間でも友達でもなく、110番通報だけだと確信している訳です。
溺愛してくれていた母親を亡くし今は広い一軒家の中で一人、どのような暮らしをしているのか知りませんが、
事件性が無くても即110番通報で自らを正当化しようとする姑息な性格はオトコとして情けない限り。
自らを客観視して自分自身が惨めにならないのでしょうか、私ならとうに自殺していますよ。
「外で男が騒いでいます。すぐに来てください」表現能力が欠如している訳ではない。
意図的に事件と犯罪者を創出しようという嶋田なりの精一杯の演出なのでしょう。
私は普通に訪問しているのに、私に対する見当はずれの誹謗中傷・罵詈雑言を問われて戸惑い追い払うための道具として110番通報を活用している訳です。
そりゃあ、最寄り交番から自転車で駆け付ける警官はそんな事情も分かりませんから、通報した側が善人で
通報された側が悪人との先入観しかもっていないので、嶋田にとっては好都合な訳です。
ここでは容姿/容貌に関しては言及しませんが、一連の行状の遠因であるとは思います。
特別職地方公務員の職務執行に関連する論評として記述しています。
]]>
舞台は満州、下士官が上官風を吹かせて新兵をイジメている。
有田上等兵と大宮二等兵にも横柄な口をきいて制裁を加えにくる。
と、有田上等兵は言う。
「軍隊は星の数じゃないんだぞ。何年飯食ったかで決まるんだ。おいお前は何年兵だ」、って聞くと
有田上等兵より年期は浅いわけだ。
「偉そうな口叩くな」ってんで「おい大宮、分からせてやれ」って言うと生意気していた下士官は震えあがる。
大宮による凄惨な制裁が始まる訳だ。
消防団で不細工な部長面さらしてえばり散らしている嶋田は観てないのだろうか。
私は暴力は好きではないから有田上等兵役でいいかな。
こんな村社会の中で胸章の星数増やせば世の中で通用すると思っているのか。
まあ、お母ちゃんの遺影に対し誇らしげに報告していれば満足か。
]]>消防団員は非常勤の特別職地方公務員です。
以下に記す事柄は私が違法性を伴う刑事罰を科せられるような行為に及んでいないことを説明するものであります。
個々の団員に対する論評も含め全ては公務中の職務執行に関連する事象であります。
令和5年11月11日、消防団として火災予防を目的とした夜警活動に従事しておりました。
私は嶋田昌史と二人で野方4〜6丁目を担当し19:30過ぎに分団本部を出発しました。
歩きながら会話する中で、嶋田は私に対し「〜だろう」「分かるか」「あんたね」等、上から目線で偉ぶった口の聞き方をしてきました。
嶋田は私より数年遅れて入団したものですから、彼にとって年長の私の方が先輩にあたる訳です。
無礼を糾したところ嶋田は、「あんたは班長で私は部長だよ」と階級章の星の数を楯にとって上官面で威張ってきました。
本当に驚きました。消防団内部の階級なんかで人間の優劣や価値が決まると本気で思っている。こいつは完璧に狂っていると。
前述のように私が昇級を留められているのは、消防団報酬の使途に関する不正を糾したことに関連する嫌がらせでありましょう。
兵隊さんゴッコ如きの階級などには興味も無いので気にもしていませんでしたが、一般社会との繋がりをもたぬ嶋田にとっては消防団において部長と称されることで今までの人生の鬱憤が一気に解消したと思っているのでしょうか。
「チョット待て」と私が持つ誘導棒を左横で拍子木を手に持つ嶋田昌史の前に差し出し歩先を制しました。
その際に拍子木に接触し私が持つ誘導棒にひびが入りました。
これを見た嶋田の態度が一変。「あ〜、器物損壊だ」と騒ぎ出しました。
故意に破壊した訳ではないので器物損壊罪は適用できません。しかもヒビが入ったのは私が携帯していた物です。
以前から団員が共有するSNSにおいて私をケダモノの如く誹謗中傷していた件を注意しましたが聞き入れることはありません。
夜警活動を中断するように立ち止まってしまいました。
夜警活動は消防団の職務とて従事しているものです。個人的な感情で取りやめる訳にはいきません。
私が嶋田の方に手を掛けたのは、我々に与えられた夜警活動という公的職務の遂行を促すためであり、暴力行為には該当しません。
すると嶋田は両手に持っていた拍子木の右手方を私の頭上に振りかざしてきました。
「なんだ殴るのか、やって見ろよ」というと下におろしました。
通常は胴体の前で叩く拍子木を頭上の位置まで持ち上げることはありません。
実際に頭部を痛打することはなくても私に対する威嚇・威迫行為であると感じたものです。
そして、「また警察を呼んでやろうか」と言うと110番通報をしました。
この言い草からわかるように、事件の発生や抑止の為ではなく私に対する威圧・嫌がらせの手段として110番通報を活用していることが分かります。
指令室との通話を聞いていると「事件ですか事故ですか?」に対し
「男が暴れています」と意味不明な訴えを弄しています。
「酔っ払いですか?」
「そうじゃない、暴れているんです。すぐ来てください」
なんでも良いから警官を臨場させることが目的なのです。
「消防団の夜警中だと言いなさい」と、電話口の指令室にも聞こえるように横から言いましたが伝わっていたのかどうか。
真実を伝えれば「消防団内部で解決して」と言われるのを恐れて虚偽の通報をしたのでしょう。
偽計業務妨害罪です。気に食わないことがあれば110番通報して留飲をさげる。
警官が交番から自転車で駆け付けることになるでしょうが、これが119番通報ですと状況が異なります。
燐家が庭でバーべキューか焚火をしているのが気に食わないと119番通報し「火事です。来てください」と言えば
消防車と消防士、そして消防団員が大挙して駆け付けます。
支出費用にして何十万円単位に相当しますから、119番通報は慎重にしなければなりません。
110番なら警官一人で威嚇できると踏んでいるのでしょうが、無意味な臨場を要請する嶋田昌史の所業は社会に対する害悪でしかありません。
母親は数年前に他界し父親が残した一軒家で税理士の看板を掲げ一人暮らしをしているようですが、実態はみえてきません。
外部世界との交流も無く人との接し方が分からないのでしょう。
異性との交際経験もないままに生涯独身を通してきた訳で、緊密な人間関係の築き方は分からないのでしょう。
生身の人間との闘争や確執も経験していないから自分で解決する術を持たない。110番通報が唯一無二の解決手段なのです。
やたらパソコンなどの機器に詳しく団活動に機材を持ち込んできます。
一般にはキモオタ・オタクと称されるタイプなのようです。
長幼の序もわきまえない、先輩である私への無礼な口のきき方や接し方、他の団員に対しても平気で蔑むような態度に出てきます。
首に縄を巻き付けて引きづって歩く訳にもいかないので、嶋田をおいて夜警を続行します。
消防団は、この日この時間にこの地域で夜警を実施する必要があるので町内を回っているのです。
火災が発生すれば消防団員の到着を待っている人がいるのと同じですから、個人の一時の感情で公務を放棄する訳にはいかない。
嶋田は私が警官から逃げたと言っていますが、嶋田こそ団員としての公務を放棄したのです。
分団内部で解決できなければ消防団本部で、それも無理なら消防署、更には都消防庁にあげて解決を図るべきです。
普通の人は自らが所属する組織内の自浄作用を活用するものなのです。
同じ都の管轄下にある警視庁はライバルと言うか並列状態にある機構です。
家庭内の問題解決を隣の親爺に頼っているようなものです。社会の筋目を分かっていませんね。
分団長が本件について消防署に報告しているそうなので、私も真相を報告しておきます。
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恒例となった新宿駅東口における社会の不条理を糾す会の街頭演説会に参加した。
一年で最も日没が早い時期であり、通常より1時間短く4時にて終了し、
東京以外から上京した面々と共に忘年会場へと足を運んだ。
世の中の誰もが当たり前だ、良かったと手放しで賞賛している事柄に対し
将来の危機を説いて警鐘を乱打するのが我々の使命でもある。
目に見えぬ遥か前方にある危険を察知するべく民族の触覚を磨いているからこそできるのである。
今般の金儲け至上主義社会においては、新たな技術革新を商機と捉えることで
各方面から社会構造の変革が図られている。
令和5年7月1日より道路交通法が改正され自転車と原動機付自転車(原付バイク)の
間に「特定小型原動機付自転車」という区分が設けられた。電動スクーターというヤツだ。
最高時速を20?までに制限する事で、16歳以上なら運転免許がなくても運転可能となっている。
要は交通ルールを知らなくても運転して良い、ということ。
ヘルメット着用は努力義務なので非着用でも罰則はない。
低速であれば歩道上での走行も可能。
こんな街全体が無法地帯に陥るような危険な乗り物が歩行者の周りを行き交うのだから
適応性の気弱な老人や幼児などは猛獣の跋扈するサバンナに放り出されたようなものだ。
既に骨折を伴う重篤な被害者も出ている。
製造販売するにあたっては業界が立法者である政治家に陳情をしたであろうし、国交省官僚あたりにも根回しを行ってきただろう。
国民的議論もないままに、道交法が改正(改悪)され街は無法地帯と化した。
自動車のように免許制度があれば違反をすることで点数が加算され免許停止・免許取消がある。
「あと一回違反したら免停になる」と、いった抑制が効く。
しかし、電動スクーターなら初めから免許を持たないのだから免停はない。罰則金さえ支払えば交通違反のやり放題。
「俺は天涯孤独の無宿者だ。失うものは何もない」、ってんで凶行に奔るのと同じではないか。
重篤な被害者がでれば、運転者が処罰を受けることになろうが、被害者が充分な補償が受けられるとは考えられな い。
自動車運転のように自賠責以外、手厚い補償を加味した任意保険が掛けられているとは思えないからだ。
被害者が賠償・救済を求めるべきは加害者以外にこの悪法を推進・成立させた政治家・官僚であるべきなのだ。
「この悲惨な事故が起こったのはオマエがこんな法律を作ったからだ。責任をとれ」と、個々人の責任を明確にして追及すべきなのだ。
この国では全てにおいて責任の所在が曖昧となっている。責任を取るべき立場の人間が雲隠れして知らぬ顔の半兵衛を決め込んで済ませてきた。
労働者の不足を補おうと、バブル経済最盛期の1990年には入管法が改正(改悪)されて中南米の日系人は無条件で入国し就労できるようになった。
その後経済は停滞しに来日した日系人は職にあぶれた。
そして2015年に発生したのが似非日系ペルー人・ナカダ・ルデナ・バイワン・ジョナサン(当時34歳)による熊谷6人惨殺事件だった。
ペルーで日系人の戸籍に養子として入籍し「日系人」になりすませたナカダは来日し、
職を転々とし最後は弁当工場で朝から晩までひたすらキャベツを千切りにする日々を過ごした。
精神に異常をきたし、二人・一人・三人と断続的に殺人を犯した。
最後の三人に至っては母親と幼子二人の家に押し入り10歳の娘に性的暴行をはたらいた末の凶行であった。
ナカダは無期懲役の判決を受け未だ服役中ではあるが、このような凶行劇を演出したのは経済至上主義のもとで
労働力確保に奔走し悪法を作った当時の政治家・官僚たちであった。
こいつらの中からは誰一人として事件の責任をとるものはいない。
この先も日本社会は同じ轍を踏んで歩んでいくことになる。
社会の不条理と言わずしてなんと言おうか。
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麗澤大学の八木秀次教授を講師に迎え、「皇位継承問題の行方」と題し講演を頂き、参加者との質疑応答が交わされた。八木教授は男系男子による皇位継承を主張する立場から、一貫して女系天皇・女性宮家の創設には反対する論陣を張ってきた。
系統立てて用意した資料をもとに皇位継承の意義を説明したが、皇位継承問題に関わる中でのエピソードなども語られた。
将来の皇位継承者が不在であった2004年12月に、「皇室典範に関わる有識者会議」が設置された。 2005年5月31日に実施された第6回のヒアリングでは八木教授もヒアリングにおいて男系男子維持の立場で意見を述べている。
しかし、11月24日に「女性・女系天皇の容認、長子優先」とした報告書が提出され、翌2006年首相の施政方針演説で小泉純一郎首相は報告書に基づいて「皇室典範改正案の提出」を宣言してしまったのだ。
このままでは祖先が培ってきた男系男子の皇統が途絶えてしまう。
懇意にしていた当時の官房長官であった安倍晋三氏と協議した。
なんとかして皇室問題に造旨の薄い小泉首相を説得できないだろうか、と。 まずは周囲を固める事とし、姉であり政策秘書を務める小泉信子さんを説得しようということになった。 当時の首相官邸は建て替えの為、品川区五反田にあった仮官邸が使用されていた。首相仮官邸は裏で隣接する官房長官仮官邸とも繋がっている。
女同士の方が話を纏めやすいということで、安倍夫人の昭恵さんが信子さんを説得することとなった。
明日の晩にこっそり裏口から首相官邸にはいり直談判をする段取りを組んでいた。
しかし翌日2月7日、国会会期中に「紀子妃殿下ご懐妊」の報道がもたらされた。
これで皇室典範改正の話は一気に吹っ飛んでしまい、昭恵夫人による説得工作も不要となってしまった。
そして9月6日に将来の天皇陛下となる悠仁親王がお産まれになった。
次回、令和6年1月からは名称を「一期会」(イチゴカイ)に変えて心機一転、この研修会を継続していくことが主催者より報告された。終了後は、講師を囲み近隣のJR線ガード下の居酒屋で忘年会を兼ねた懇親会が開催された。
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活動への参加頻度にもよるが一人当たり年間10万円程度であろうか、消防庁から支払われる報酬を分団長が一括管理している実態の改善を主張し続けてきた。
数年前になってネット上でも話題となりマスコミも問題視して、各地で改善が図られるようになったが、当時は私以外誰も指摘しなかった。
不正な使途、つまりは公金の横領という犯罪を棚にあげて、「槇は金目当てで消防団に入団した」と言い出す始末だ。
入団すると分団長に印鑑を渡し、分団長が銀行で団員名義の通帳とキャッシュカードを作り、全てを管理していた。
消防庁からの報酬明細表も渡されないので、幾ら支払われているのか不明。
5月の分団総会時に形ばかりの決算報告があり、4万円程度の現金が渡される。
残りは分団の経費に使われたということであるが詳細は不明。
訓練のための備品/燃料購入やお茶等飲み物代、懇親会に使われているというが、実態は分団幹部の私的な飲み会に消えている公算が大きい。
大体、訓練のためのポンプ車のガソリン代が団員の報酬から支払われるなんてあり得ないだろう。
消防団の長年の慣習と言うが、財源はすべて公金なのであるから明白に犯罪である。
現代社会では許されない。日本国の社会常識、日本国の法令が優先すると、主張してきた。
]]>身分は非常勤の特別職地方公務員となる。
警察官や消防署員のように階級がある。
各地域の分団ごとに団員から始まり、班長・部長・副団長・分団長と階級により胸に付ける階級章の星が増えたり金色モールが太くなる。
私の地元では分団が八つあり、それらを統率する消防団の消防団長がトップとなる。
昇進するにあたり試験や実技がある訳ではなく、年数がたてば分団長の裁量で班長、部長、、、、と上がっていく。
私の所属する分団では加入して5〜6年で班長となり更に2〜3年で部長とかなっているみたいだ。
私より後に入団した若い者が部長・副分団長となるなかで、私は未だに一番下っ端の団員のままだ。
他の団員と同等かそれ以上に職務を励行し、毎年実施される消火の実技を競う操法大会にも選手として出場している訳であり、どう見ても不自然なことは明白。
パワーハラスメントの典型とも言えよう。
まあ、こんなもので人間の価値が決まるものでもない。
別に何年経とうが団員のままで構わない。
昇進させて欲しいと言った事もないし、昇進の方法を聞いた事も無い。
ちっぽけな部落社会のなかで階級章の星の数を増やして何が楽しいのか。
と、思うのだが階級があがることで人間の価値が決まると本気で考えているキチガイも存在することを最近知った。
一般社会との関わりや家庭生活を築くことも適わぬ、所謂キモオタと称される輩においては、
消防団における階級こそが人間社会の優劣を決定づけるキメテと考えているのだ。
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あっという間に一年が通り過ぎていきます。
支援者の方々からの手厚いご支援・ご厚情に感謝申し上げます。
年末には長年来の同志が上京して来られますので、久々の再会の席において有難く使わせていただきます。
またお酒をご恵送頂きました、ちょうど良いサイズの五合瓶です。
家ではめったに酒を飲む機会もありません。
本業の中古車輸出に加え、中古車の販売/買取、そしてレンタカー事業を営んでいる為に息つく暇がありません。
夜間に返却に来るお客さんがいる為に対応せねばなりません。
最近はもっぱら疑似酒であるノンアルコール飲料を重宝しています。喉越しは酒類と変わらないレベルの高さです。
ただ、昨晩は返却するお客さんもいなかったので持ち帰り寿司を購入して、頂いた日本酒を冷で頂きました。
近隣にある「ちよだ鮨」は閉店間際に半額となるので重宝しています。
半額狙いとは姑息な手段であり愛国者としての矜持に悖ると思われるかもしれません。
ただ、定価600円の商品を300円で売るという事は、300円で販売しても損にはならない、
少ないけれど店としては利益がでているものと解釈しています。
それを通常は600円で販売しているのですから、私からすれば儲け過ぎだ、
暴利を貪っていると捉えることで半額狙いを正当化しているのです。
自身に対し免罪符をうっている訳です。
こうやって日本に住んでいれば、とりあえずは生活が成り立っているのですから感謝しなければなりません。
ウクライナやパレスティナ自治区における侵略戦争と殺戮の続く現状を国際社会は何もできずに見守るだけです。
日本が戦場となった時にも同様でありましょう。
国際社会の手助けは期待できないとなれば自衛するしかありません。
いつまでも極楽島のアホウドリではいられないということですね。
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所得制限は設けない方針で今月中に決定する「子ども未来戦略」に盛り込むことを目指すという。
子育てをしやすい環境を整え、若年層の知能の啓発をはかる訳であるから、財源さえ確保されていれば国民の誰もが反対はしないであろう。
大方の国民が諸手を上げて喜んでいる中で、あえて異議を唱える。
いまの日本人は極楽島のアホウドリよろしく目の前に並べられたご馳走に狂喜乱舞している状態だ。
これに対し毒饅頭の可能性を指摘し「待った」をかける。民族の触覚として、現状の先にある危機を説くのが我々の使命でもある。
本来、大学は義務教育や高等学校での勉学では追求し得なかった高度な専門的知識を学ぶための場であった。
しかし、今では大学卒という学歴を取得するための場、社会人になる前青春の4年間を謳歌するための遊びの場となっているのが現状だ。
勿論、真剣に学業に専念しその知識を将来の国作りに生かしたいとの意欲を持つ若者もいるだろうが、大多数ではあるまい。
いまや大学は全入の時代。募集定員に満たない大学が溢れ外国人留学生でなんとか定員を満たしているのが現状。
入試における難易度が低く、所謂「Fランク」と称される大学だ。
受験すれば誰でも合格できるのだから、予備校の模試における合否の判定が不可能。ボーダーフリーという事になる。
政府の掲げる三人以上の無償化政策により、本来は大学に進学する予定が無い、進学してはいけない層が
Fランク私大に入学してくれるので定員割れを回避できる。
つまりは、やる気のない名ばかりの大学を政府が税金を投入して救済してやることになる。
馬鹿げた話だ。
中学校を卒業して就職する人間もいる。
15歳で社会人となり、板前を目指し親方の下で厳しい修行に打ち込む青少年の給与にも課税されているのである。
その税金から遊び三昧の学生の学費が捻出されることになる。
この不条理を無批判に受け入れて、諒とする国民に明るい将来など来ないであろう。
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前参院議員(自民党)の中西哲氏が「改憲はいつになるか。防衛力整備を急げ」と題し講演を行った。
中央大学時代は日学同を経て国防会議を立ち上げるなど民族派学生運動に力を注いできた。
故郷の高知県宿毛市議から同県議を経て参院比例区で議員を1期務めた。
その間、国防問題に傾注し現役自衛官との強固なパイプを持つ中で、憲法改正を目指し自衛隊の明記を希求して活動した経緯などを語った。
国会議員の三分の二、そして国民投票で二分の一を確保できなければ憲法改正は不可能。与党である以上、成立不可能な法案を提出することはできないと体制側に身を置く苦しい胸の内などを語った。
主催者より自身に与えられた50分という講演時間を寸分の狂いもなくピッタリと消化して終了。これには感服した。
終了後は地方から上京した同志と共に赤坂の街へくだり、安居酒屋・赤札屋で日本酒を傾けて両烈士の御霊に献杯。
名物の爆盛りポテトサラダと海鮮サラダを完食し、野分吹き荒ぶネオン街を家路に着いた。
]]>講師は評論家の八幡和郎氏。創価学会問題からパレスティナ/ウクライナ問題、そして皇室を取り巻く諸問題の中の秋篠宮家に関する事項に触れて講演を頂いた。
質疑応答の中で小生は11月15日にエントリーした当ブログの内容を踏まえ、17歳となった悠仁親王が正妻とは別に今すぐ適切なお相手との間に男子のお子様を誕生させて頂くべき可能性を問い質した。
秋篠宮家に対する批判は失当である | まき やすとも 政経調査会 (jugem.jp)
大宅壮一はかつて「血のスペアー」と表現したが、将来あるかないか分からないが、お世継ぎ問題での危機を回避する上で必要との見解を申しのべた。
八幡和郎講師の見解は否定的なものであった。
理由として、側室制度のようなものを用いれば、日本は外国から奇異な眼でみられる。諸外国からの批判に晒され日本の地位が危うくなる。近代国家として認められなくなる、というもの。
確かにその通りであろう。異論はない。
だが、小生の私見としては将来において万が一、皇統が断絶するような危機的事態が招来するとなれば如何であろうかという点を重視している。
諸外国は当然であるが国内的にも非公表の中で男子を出産、お育てになる。
将来において万一の際に、「実は、、、」という形でお世継ぎの存在を明るみにするというのは如何であろうか。
冒頭で小生の質問に対し興味深い発信をしておられた。
悠仁さまは早稲田大学に進学したらよい。
卒業したらすぐに成婚するべきだ。
お相手は2歳年上の芦田愛菜さんがよい。
彼女は慶応大学卒業予定。家柄も問題ない。
すぐに子供を作って皇統を安定させたらよい。
ただし、まだ彼女と両親からの承諾は得られてないらしい。
]]>天皇制廃止を唱える反日的左翼が取り上げるものではなく
制度としての皇室(あえて天皇制とは表現したくない)を安定的に存続させるには如何にあるべきか、
と言った愛国的見地で意見が交わされている。
その中で秋篠宮家に対する批判的な見解を多く目にする。
所謂保守系の人々から聞こえてくる。
皇嗣である秋篠宮のお考え・所作に対するもの、紀子妃の教育方針、
果ては悠仁親王の進学問題と多々見受けられる。
結婚して皇室を離れられた真子さんに対しては言うに及ばず、遠慮容赦ない罵詈雑言を放つ輩までいる。
皇族の使命は何か、という原点に戻って考えてみたい。
それは皇室を安定的に継承していくこと。
そのためには男系男子であるお世継ぎを残す事である。
この使命を実直に全うされているのは秋篠宮皇嗣以外には存在しない。
上皇陛下の次男として文仁親王がご生誕して以降、58年間の長きに渡り、この使命を果たした皇族は存在しない。
ご病弱であったと言われていたが大正天皇は昭和天皇を筆頭に四人のお世継ぎ候補を残された。
以降、昭和天皇を含め現在までに12人の男子が誕生なさっているが、「皇族としての使命」を全うされたのは四名に過ぎない。
悠仁親王において結婚適齢年齢に達していないので除外するとしても、11人中の四名であるから36パーセント。
男子/女子の産まれる確率は一般に五分五分と言うが、女系の血筋というものは存在する。
現皇室が「女系」であるとするならば、男系男子をお世継ぎにするという制度自体が誤っている事になる。
また、男系男子がお世継ぎの絶対条件であるとするならば、現在の皇室を形成されている人々は皇族として相応しくない、といいう事になってしまう。
男子をお残しになったのは昭和天皇、三笠宮崇仁殿下、上皇陛下、そして秋篠宮皇嗣だけである。
高松宮、秩父宮、常陸宮においては男子女子に拘わらずお子様を残すことさえしなかった。
桂宮に至ってはご成婚すらせず生涯独身を通された。
三笠宮寛仁殿下においては二人、高円宮殿下においては三人の女王を残しておられる。
ならば可能性にかけて更にご出産を試みる努力を傾注して頂けなかっただろうか。
それは天皇皇后ご夫妻に対しても言えることであるが、最後まで努力を重ねてきたが敵わなかったという現実をみれば酷というものか。
そのような中で、数十年後には確実に皇統が断絶するという現実を前にして
秋篠宮ご夫妻が「皇室の危機」を救ってくださった。
39歳になられる紀子妃が苦渋の決断であったのか男子である悠仁親王をご出産になられた。
これほどの臣民に対する贈り物があろうか。
秋篠宮家に対して批判や誹謗中傷を放つ人々に聞いてみたい。
皇族としての使命を全うしない、または初めから全うしようという意思も示さぬ皇族方に対し、秋篠宮家に対する批判の例え百分の一でも何かモノを言ったことがあったのか、と。
既に生殖継承可能年齢に達せられた悠仁親王におかれたは、すぐにでもお世継ぎ候補をおつくりになる事をお勧めしたい。
ご成婚前ではあり順番は逆になるが、適切なお相手を選び男子の誕生を目指して頂ければ安定的な皇位継承がかなう事となろう。
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こんな自己満足的ばら撒きプレゼントがどれ程に野球の発展普及に効果があるのか。
日本政治の伝統たる、ばら撒き行政と言った悪弊となんら変わらない。
受取る側の混乱と戸惑いのほうが大きい事は容易に想像できよう。
いまや神様的に絶対絶大な期待と羨望を浴びる大谷選手のすることだから誰も指摘するこができなのだろうか。
幼い時から野球に専念し高校卒業後も野球一筋でその頂点を極めた人物。
社会の流れを熟知していないのは仕方ないことなので、周囲にいるオトナがアドバイスしてやるべきなのだ。
尤も今回は商機に繋げたいスポンサーであるスポーツ用品メーカーに上手く乗せられている状況にあり、真実を見極めるつもりも意思もないと思われる。
全国全ての小学校に野球部がある訳でもないし、ましてや体育の授業で野球を取り入れている訳がない。
過疎化の中で全校生徒4人・5人の学校でどのように分け合うのか。
数百人規模の学校でどのように共有するのか。野球愛好者だけが使い廻すのか、選ばれた3人が所有するのか。
まあ、一人一回ずつグローブを嵌めてキャッチボールして記念写真を撮影して終了、か。
全国的に共有できる指針は無い訳で、受け入れる小学校としてはどうしたものか思案に暮れるところだ。
こんなモノもらわない方が良かった、と負担に感じるのが本音という小学校もあるはず。
年棒数十億円を稼ぐ大谷選手が自費で野球の促進を図るのであれば、他に手立てはある。
既に野球に励んでいるが経済的事情でプレーの継続が困難な小学校や地域を応援、底上げするような施策をとっては如何か。
練習場が確保できないチームがあれば、土地を買い上げ・借り上げてプレーグランドを確保、地域社会全体で野球場として使用できるようにするとか方法は考えられる、
兎に角、6万個のグローブ寄贈と言う一過性のギフトではなく、末永く継続できる贈り物を考えるべきであり、そういった思考能力を磨く事も引退後を見据え人間・大谷にとって重要な学習になるはずだ。
配信
米大リーグ、エンゼルスからフリーエージェントとなった大谷翔平選手(29)が日本国内約2万の全小学校にグラブを寄贈すると表明したのを受け、島根県内の学校関係者が、いかに有効に使うかに頭をひねっている。 「子どもたちがいろんなスポーツに触れるきっかけになる」。知夫村立知夫小中学校の岡本和宏教頭は大谷選手の粋な計らいに感謝した。 中学生を含め33人の離島の小規模校で村内に少年チームはない。野球に触れる子どもが少ないだけに、休憩時間のキャッチボールや体育の授業での活用を想定している。 一方、児童が多いほど平等に使う機会の確保が難しくなる。全校144人の大田市立仁摩小学校の坂井務校長は少しの間、飾って実際に触れられるようにした後で、休み時間のキャッチボールで使う案を考えている。「みんなに使ってほしいので悩ましい。大谷選手の思いをくんだ使い方を模索する」と話した。 一方、県西部の小規模校の管理職はスター選手の活動を持ち上げ過ぎるのが日本のキャリア教育の傾向と指摘。「一つの取り組みとして感謝し、多様なキャリアがあると伝えるきっかけにしたい」と述べた。
大谷選手は9日、自身のインスタグラムで「このグラブを使っていた子どもたちと、将来一緒に野球ができることを楽しみにしています」とつづった。
]]>北海道の大千軒岳で熊に襲われた北大生の遺体が見つかり、近くで目や喉をナイフで刺された熊の遺体が発見された。
事件の経緯を推測すると、
熊は北大生を襲い殺害して遺体を食い散らかした。
その後、登山道で休憩中の消防隊員3人を襲ったが、刃渡り5センチのナイフで反撃された。
ナイフが刺さったまま逃走し、北大生の遺体を隠した場所に戻ってきたが、力尽き死亡した。
今年は各地で熊が出没し、多くの死者やケガ人がでている。
テレビに出演する識者やコメンテータは対策として、
「目を合わさないようにして声を出さずゆっくり後ずさる」
「熊が出没しそうな場所に行かない」、と言っているが全くの的外れであり間違った情報である。
確かに悲鳴を上げて逃げるよりはましかもしれないが、人間を獲物と認識している空腹の熊にとっては
有効な防衛策ではない。
私が常々訴えているのは、徹底して戦う事。そのためのには武器を携行して登山することなのだ。
消防隊員はわずか刃渡り5センチのナイフで致命傷を負わせることができたのだから。
熊は攻撃力はあるが、防御は弱いことがわかる。
山に入る時はできるだけ大きく鋭利な登山ナイフを携行すること。
金物屋で刺身用の柳刃包丁を購入してもよい。
熊に遭遇したら腹を括って戦闘態勢に入る。
逃げても勝ち目はない。熊に追いつかれ背中から覆いかぶさられ食肉にされることは確実と思って頂きたい。
ナイフか包丁を構え、襲って来る熊の懐に入る。
自分より大きければ下から喉元を突き刺す。
小さければ顔面を狙う。目ん玉めがけて突き刺す。
斬るのではない。両手で構えた武器を力一杯突き刺すことが重要。
これで熊は引き下がるはず。
更に余裕があれば、突き刺さった状態でグリグリと内部を引っ掻き回す。
相手は鋭い爪でひっかいてくるのだから、まともに一撃を喰らえば顔半分が抉り取られる危険もある。
それを承知の上で、戦うしか生きる術はない。
まさに「肉を切らせて骨を断つ」
自然の中で暮らしてきた昔の人の格言は現代社会でも生きている。
マスコミは当たり障りのない防衛策しか報道しないが、結果的に国民の命を危険に晒すことになっている。
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アメリカ領事館前では社民党のジジ/ババが「マイナポイント反対」のプラカード掲げて、日本のアジア侵略糾弾とかパレスティナ問題を歪曲した抗議活動を展開していたのです。
女性は一人で主催者に抗議してアラブ系の人々の賞賛を得たのですが、社民党ジジイからはプラカードでひっぱたかれたのです。
一般女性がここまで奮闘している中で、長年に渡りアラブとの連帯を訴え旗を振って来た私が首都東京で何も行動を起こさない訳にはいかないでしょう。
11月1日午後、東京麹町のイスラエル大使館に「空爆をやめろ」「パレスティナ人居住区から出て行け」と訴え抗議に行ってきました。
大使館前面の道路は官憲によって封鎖されていました。
左翼団体が大勢、表通りの歩道上に待機して気勢を上げていました。圧倒的に高齢者が中心です。
阻止線の際まで進み持参したハンドマイクで、抗議街宣を敢行。
その後、国旗を掲げ大使館前に進み抗議文を朗読するも大使はおろか職員か警備員すら出てこない。
郵便ポストもないので、抗議文を門前の路上に置くしかない。
その後、表通りに戻り歩道上から再び抗議街宣を再開。
左翼以外にも関心を持つ人がいて終了後に立ち話など。
新しい知己ができました。
パレスティナ、ガザ情勢は今後どうなるのか、事態を注視すると共に連続的に更なる抗議の声を発することが大事。
愛国的民族派陣営こそが売国的左翼セクトを凌駕するだけの大いなる雄たけびを発するべきなのです。
左翼系組織が大挙して抗議に来ている。
歩道上に居並ぶ彼らの前で国旗・日の丸を掲げ大使館へ向かう。
本来であれば民族派陣営こそが、アラブとの連帯を訴えてシオニストに抗議すべきなのだが。
大使館に通じる道路は官憲によってバリケードで封鎖されている。
近隣住民はオマワリに懇願して通行を許してもらっている。
イスラエル大使館前でとは言え、道路反対側の舗道上から声を大にして抗議文を朗読する
背景にあるビルとビルの間の奥まった所にイスラエル大使館が存在する。
抗議文 (原文は縦書き)
今般、10月7日にパレスティナ・ハマスがガザ地区に設えられた壁を越えてイスラエル・ユダヤ人居住地を攻撃した原因は全てにおいてイスラエルにある。
無辜なる民間人を殺害・誘拐した行為が批難に当たるのは言うまでもない。しかしながらその民間人達は長年に渡りパレスティナ人の土地を不法に占領し続けてきた人々なのである。
ユダヤ人が一方的にパレスティナ人の土地を奪い、自分たちに都合の良い国家を作り上げたのだ。
謂わば、旧ソ連が我国固有の領土である北方領土を奪い、大陸から住民を連れて来て居住させてい るのと同じである。
1967年の国連安保理決議242号においてイスラエルは戦闘によって占領した地域から撤退するように採択された。
それにもかかわらずイスラエルは一向に撤退する動きを見せていない。
国連ではこれまでに百回以上に渡り撤退を促す決議を採択しているのである。
イスラエルという国は国連決議に従うと言う法治概念すら持たぬ野蛮国家と言わざるを得ないのか。
過去、ナチスドイツによってユダヤ人はこの世から抹殺されかねないまでに迫害を受けた。
ネタニヤフ首相はハマスを根絶やしにすると公言している。これはガザ地区に居住するパレスティナ人民を皆殺しにすると公言しているにも等しい。自分たちが受けた苦しみを今、他の民族に負わせようとしているのである。
ヒットラーの最大の過ちはユダヤ人を完全に抹殺しきれなかったことであるという人がいる。
勿論、人道上看過できぬ暴論ではある。しかしながら現行のアラブ地域での混乱を見るならば、結果論としては真理であるという悲しい現実がある。
ユダヤ人が歩んで来た苦難の歴史を考慮した時、ユダヤ人を批難する全ての論調が思考停止となる現実がる。ナチスを賛美する事。ガス室の存在を否定すること。ユダヤ人が好ましくないと思われる言論は一刀両断に切り捨てられてきた。ユダヤ系企業による広告掲載中止などによって出版物が廃刊になる事態が発生してきた。
それは我が国内でいえば同和問題、所謂被差別部落に対する言論。そして所謂LGBTQと称される少数の性的嗜好愛好者に対するものも同等と言える。
今や少数者であるが故にある種の特権階級的地位を得た者が、言論界を牛耳っている歪な現実がある。
実質的にアメリカ経済を動かしているのはユダヤ資本である、故にアメリカは盲目的に邪悪なる犯罪者国家であるイスラエルを支持している。
しかし、日本は違う。ユダヤ人による邪悪な策略に屈する必要はない。
日本人がアラブの人々から尊敬と憧憬の念で迎えられてきたのは、先の大戦で最後の一国となり原爆を投下されても欧米列強と戦ってきたからである。焼け野原となった国土から奇跡の復興を成し遂げた姿を知っているからである。
そんな親日的なアラブの国々から安定的に原油を輸入できたことで我国の経済が発展が成し遂げられたのである。
今、パレスティナの人々は米軍によって東京大空襲を受けた日本人と同じ境遇にある。日本は対米独立を旗印として、イスラエルの軍事侵略をやめさせるべきである。
イスラエルはガザ地区への軍事侵略をやめろ
イスラエルはガザ地区への空爆をやめろ
イスラエルはパレスティナ人民殺戮をやめろ
イスラエルはガザ地区のインフラ封鎖をやめろ
イスラエルはパレスティナ人居住区から出て行け
令和五年十一月一日
ベンヤミン・ネタニヤフ イスラエル首相
ギラッド・F・コーヘン 同国駐日大使
政経調査会 代表 槇泰智
090-3135-4069
makiyasutomo@daitoa.com
]]>このイスラエルによる大量殺戮・戦争犯罪に対し、良識ある愛国陣営から抗議・糾弾の声を発していかなければなりません。
アメリカが東京大空襲・原爆投下を行ったと同じことがパレスティナの人々の対し、実行されているのです。
愛知県・中京方面で声を上げてくれる人がいるならば連絡をお願いします。
Tel:090-3135-4069 makiyasutomo@daitoa,com 槇泰智
パレスティナ人民との連帯を左翼反日陣営による反戦平和・九条守れの為の宣伝材料にさせてはいけません。
以下、名古屋在住女性からのメッセージ抜粋(一部改変) ==========
この不戦のネットワークというのは社民党だと言いました。
私が「共産党の自虐史観をやめろ」と言いましたら
「社民党だ!」と言いましたので、そうでしょう。
まだ生き残って活動をしているのですね。
この自虐史観主催者は眼鏡の40代ぐらいの男です。
そして、今日は名古屋の国際センタービル前での抗議でした。
そこにはアメリカ領事館がありますのでそこでの開催になったようです。
そこで私が、アメリカが先の大戦で、人類史上最悪の大量虐殺を行い原爆を2度も落とし、日本国内の戦闘能力のない者しか残っていないところに空爆で大量虐殺を行った。この悔しさと悲しさを判る日本人だからこそ、今パレスチナの人々が同じ状況に置かれていることに対して、日本から声を上げていきましょう〜〜云々」、言いました。
ところが男がすぐ後に
「我々の目的は即時停戦であって、過去の日本帝国の侵略を美化するものではない」と言いました。
私は終了してから一体私の発言のどこに帝国美化があるのか?
大量虐殺をアメリカが行った事を正当化するのか?
「自虐史観こそ、アメリカが日本に植え付けたものだ」
と言いましたら
「日本が悪かったから原爆落とされて、大虐殺された」と言いました。
その後、私はアラブ人に向けて
「日本はあの大戦で世界中を相手に一国で戦ったから尊敬されているのであって、原爆落とされてありがとうで尊敬されているのでは無い!!アラブ人の方どうでしょうか?」、と言いましたら
皆さんアラブ人の方は拍手して「そうだそうだ」と言ってくださいました
その後もここで一悶着になりました。
このBDSという団体に、この様な者とつるんで「パレスチナ連帯」などと叫んでみても
日本人は誰も見向きもしないどころか、腐れ左翼だと嫌悪感しか起きないので全く逆効果だと言う事を伝えていきたいのです。
実際、私が土曜日の繁華街でのデモ行進で後ろの方にいましたら
街行く人の「共産党じゃない?マイナカード関係ないやん」って声を確かに聞きました。
大きくマイナカード反対のカードを掲げて歩いている高齢者がいましたので。
これが日本人の意識です。
愛知県で民族派の方でもパレスチナ問題を一緒にやって頂ける方が
いらっしゃいましたらどうかご紹介ください。
一人で行うにはまるで判りませんが、もし教えて頂けるなら一からやってみようかとも思っています。宜しくお願い致します。
]]>毎回十人程の弁士が登壇してマイクを握り、この世に蔓延する社会の不条理を糾弾し社会変革を訴えています。
ただ単に社会に対する不満をぶちまけたり、うっぷん晴らし的に現状を批判するのではなく、
目的に向かって邁進する為の土壌づくりを目指しています。
目的とは現行の戦後体制下における社会制度の変革、具体的には政権奪取であります。
政権奪取を目標としない政治活動などあり得ないからです。
岸田政権が2030年度半ばを目標として労働者の最低時給を1500円に引き上げると提言した。
今年の最低時給平均1004円からすれば1.5倍。10年から15年後には実現させるという。
可能であれば誰も反対はしないでしょう。自分たちの給与が上がり豊かな暮らしができると喜ぶでしょう。
二日前に四谷区民ホールで野村秋介没後30年の群青忌が開催された。
野村さんは生前に「我々は民族の触覚なんだ」と言っていた。
一般庶民が見えない危機をいち早く察知して警鐘を鳴らす。
そのために常に触覚を伸ばしておくことが重要だ、と。
最低時給が1500円となれば、1500円未満では人を雇ってはいけなくなる。
1500円に見合う労働を提供できない、底辺層や高齢者は職業にありつけなくなってしまう。
1500円を支払うに値する高度な能力を必要とする職種・職場がなければ、人を雇い入れることはできなくなる。
時給700円でもいいから雇って欲しいという、労働意欲はあるが能力や体力のない労働者は排除される世の中になる。
つまり1500円以上かゼロかの選択社会となる。
野村さんが生前よく口にしていた「ニュートラル」(中間点)が存在しない社会となる。
富裕層Vsホームレス/生活保護受給者という両極端な社会が出現してしまう。
2016年の米国大統領選挙ではトランプ氏が当選した。
あんな不動産屋の跡取りで金持ちのドラ息子が大統領に当選するとは、最初はだれも思っていなかった。
共和党の代表候補に選ばれたことさえも奇跡だった。
北東部オハイオ州に代表される疲弊した重工業地帯、ラストベルトの労働者に呼びかけ
「再び強いアメリカを!」をキーワードに支持を集めてきた。
我々が政権奪取を実現するにあたっての支持層とは誰なのか。
誰に向かって支持を訴えるのか。
生活の質の向上、つまりは金銭的利益も含めて我々、国家革新陣営を応援することで理想社会の実現という
共通した価値観を求める層を発掘していかねばならない。
憲法に謳われた教育の義務・労働の義務・納税の義務を果たしている、又は果たす努力をしているが
現代政治が構築してしまった歪な社会構造の中で翻弄され、努力が評価されずに虐げられている層が存在している。
学歴・知識を有することなくひた向きに働く労働者に限らず、大卒/大学院修了者でも一度の躓きから立ち直る機会を逸してドロップアウトした層もいる。
政府の農政政策の誤りから、恒常的低収入を強いられ都会の華やかな喧騒から淘汰された農民や酪農家・林業従事者に対しても希望ある未来を提示できるだけの具体的政策を提言していく。
今こそ、天皇陛下を頂点に頂いた労働者・農民による革命を実現していく必要がある。その機運は熟しつつある。
]]>20年位使い続けてきたが耐用年数をすぎたのか突然、使用不可能に陥った。
新たに購入する経済的余裕もないので今はフライパンで炊飯している。
米は研いでから一時間くらい置いてじっくりと水を吸わせる。
日本酒を注ぎ昆布をしいて着火。
強火で一気に沸騰させてから弱火にして10〜15分くらい様子を見る。
表面の水分が消えたら、再び強火にして30〜60秒。
底の方からパチパチと音がして焦げたような煙が立ち上ったらすぐに火を消して10分間蒸らす。
底の方には薄く茶色いオコゲが形成されている。
オコゲ部分にチョコッと塩を振りかければ、これだけで酒の肴になる。
耐乏生活もまた愛しだな。
オコゲを食べると癌になる?迷信でしょう
]]>
野村秋介先生没後30年の群青忌に参加しました。
主催者の方々が準備・設営くださった会場に腰を下ろし2時間余の式典に臨みましたが、
その裏では多くの方々が多大なる時間と労力を傾注してこの立派な式典を執り行っているものです。
ただ漫然と傍観するだけの自分を申し訳なく思う次第です。
900人収容の会場は満員となる盛況。
生前の野村先生を知る人、そして個人的に知己を持つ人となるとごく少数でありましょう。
生前の野村先生を知っているとしたら若くても50歳代から上のはず。
にも拘わらず20代30代と思える若い人々が大勢参加していました。
インターネットや書籍を通じて、または運動の先輩から語り継がれて、野村先生の生き様と覚悟を会得したのでしょうか。
群青忌の内容については、蜷川正大様のブログ「白雲去来」の一頁を転載いたしますので、
大熊雄次様の認めたブログ記事をご参照願います。
10月19日(木)晴れ。群青忌を開催
群青の会の大熊雄次氏のブログを転載いたします。
午前9時に会場入り。
早速、移動スクリーンの組立てと野村先生の大きなタペストリーの吊り下げ作業を開始する。舞台担当者本多、実行委員古澤、山崎、松本、社友会砂川、今村、林、嶋田各氏とそのグループのメンバーがテキパキ動いてくれ頼もしい。今回は照明の仕込みを除き、舞台進行、演出、照明、音響操作等、全て素人の我々のみで行った。
装花担当はデザイナーの小山女史とはが里枝さん。受付設営、ロビーのポスター掲載作業等は大悲会、隠岐氏、蜷川ちえさん、元野村秋介事務所の木村ゆかりさん。
三部屋の楽屋管理とお客様のお迎えは藤巻会長と思想研究会の面々。途中、念のため二台用意した映像再生機器が二台とも動作不良に陥り、慌てて大型電器量販店に買いに走ったりするアクシデントで時間を取られ、慌しくリハーサルを行ない、関係者一同で記念写真を撮って会場時間の午後4時に無理矢理間に合わせた。
毎回のことだが、万全の準備などできたことがない。皆で腹を括るのだ。開会30分前、舞台袖から客席を覗き、七分くらいの着席を確認。よく見ると親しい友人H氏と目が合っている(笑)この後、ありがたくも満席となる。
予定通り、午後5時に開会。式次第に沿って進行する。北海道より田中清元ご住職様、藤村克宗ご住職様。神奈川県から塚越慈徳ご住職様。山梨県から宮入英彰ご住職様がお揃いになり、四名による力強い読経で幕を開ける。続いて行われた、野村先生のお孫さんである外山はるか・えりか姉妹による追悼舞踊のご披露には舞台袖で拝見しながら思わず目頭が熱くなった。進行は不肖私。
開会の辞は蜷川正大実行委員長。続くご来賓挨拶は阿形充規先生と外山衛氏にお願いした。そしてこの度の追悼30年を記念して製作したビデオ映像「銀河蒼茫」をご覧いただき前半を過ごし、犬塚博英先生による追悼講演となる。
自決前、自決当時、それから30年の長い時を総括し、短い時間で野村大人とご自分とのさまざまな思いを語っていただくのは決して容易なことではない。しかし、さまざまなエピソードのご披露は、決して忘れることなく常に実践的運動家たれと我々を鼓舞する内容で、背筋が伸びるご講演であった。野村秋介大人の最後の檄文である「天の怒りか地の声か」の朗読は二十一世紀書院社友会の松本紗枝会員。終始落ち着いた態度と発声は大変立派でした。最後に群青忌では必ず放映するビデオ映像「群青」をご覧いただき、大人御命日の10月20日の意味を皆様とともに確認する。
放映後、今回もまた、会場から嗚咽を堪える声を耳にした。
そして舞台に関係者一同が登場し、群青忌実行委員会の隠岐康委員の謝辞、続き、藤巻強門下生代表の閉会の辞で閉会となる。
二時間を超えての開催となりましたが、途中退場の方を認めることもなく、恙なく進行できましたこと、すべては御臨席皆様のおかげと衷心より御礼申し上げます。「準備に一年。始まったらたったの二時間だよ…」(蜷川談)ありがとうございました。
]]>
地上戦でハマスを壊滅させるということは、そこで暮らすパレスチナ人の全てが標的となる。
正にパレスチナ人民すべてが抹殺されることとなる。
嘗て、ナチスドイツはユダヤ人の抹殺を目論み実行を試みた。
自分たちがこの世から抹殺される苦しみを体験したユダヤ人が今度は抹殺する側に回っている。
弱者として辛酸を舐めさせられた屈辱と悲しみを誰よりも知るはずのユダヤ人が、加害者として権勢を振るっているのだ。
「ヒトラーの最大の過ちはユダヤ人を絶滅させられなかったことだ」、という人がいる。
アノ時にユダヤ人が地上から絶滅していれば、現在のアラブでの混乱は生じなかった、という比喩なのだろうが人道上許されるものではない。
しかし、実際にアラブ人が暮らす地域に入植してアラブ人を追い出して土地を略奪し、自分たちの国家を建設した。
自分たちの国土をも持たず世界中に分散し、ナチスによる迫害を受けたと言う同情すべき境遇があるのは理解できるが、その鬱憤を罪なきアラブの人々に向けて良い訳はない。
結果、パレスティナ人をガザ地区やジョルダン川西岸・シナイ半島に押し込めた。
取り分けガザ地区は周囲に塀を巡らせた狭小な土地に多数のパレスチナ人を押し込めたもので「天井の無い監獄」と言われている。
今般の戦闘によりイスラエルが電気・燃料などインフラの供給を制限したことで生存権が脅かされている。
この事態を目の前にしてアメリカは明確にイスラエルを指示しており、
国連安保理の停戦決議案に常任理事国として反対を表明している。
ロシアによるウクライナ侵略でロシアが拒否権を表明しているのと逆な立場で同じことをやっている。
莫大な富を持つユダヤ資本がアメリカ経済を牛耳っている立場上、アメリカとユダヤは表裏一体であり、アメリカがイスラエルを全面的に支援するのは当然である。そこに公正中立などは存在しない。
そのアメリカに対し日本が媚びへつらう必要はない。
日本はアラブ諸国との公正中立な互恵関係を念頭において独自の和平策を提案し実行すべきなのだ。
台湾有事を念頭においた対チャイナ問題。ウクライナそして北方領土を侵略し続ける対ロシア問題。邦人拉致・核開発における対北朝鮮問題。
これら我が国周辺地域での諸問題に関してはアメリカと共同歩調をとる必要がある。
自由主義圏の一員として現在進行形侵略国家との闘いを念頭においた戦略が必要となる。
しかし、アラブ地域におけるアメリカの政策はユダヤ資本への追随と言う国内問題の延長にある。
我々は1990年イラクによるクウェート解放に端を発した所謂「湾岸危機」以来、徹底してアメリカのご都合主義的な覇権政策と闘ってきた。
日本政府は対米独立の下で独自の観点からパレスチナ問題に切り込んで、アメリカによる邪なるアラブ政策に異議を唱えるべきなのである。
]]>
当日、ご参加の方に、追悼動画「銀河蒼茫」(DVD)、単行本、復刻版『友よ山河を亡ぼすなかれ』を配布いたします。
上記は群青忌を主催されている蜷川正大様のブログ「白雲去来」10月8日からの転載です。
四谷区民ホールは新宿区内藤町87番地。地下鉄丸ノ内線「新宿御苑前」が最寄り駅となります。
会場整理日3000円。犬塚博英先生が追悼公演を行います。
誰でも入場できます。約400人収容の大ホールです。
野村秋介先生が自裁されてから30年の節目となる群青忌です。
私も参加する予定です。
当日は地方からも旧知の友人や知人が上京するとのことですので、
新宿駅近くビストロで昼食会を持ち懇談した後に会場へ向かいます。
考えてみれば野村先生が活躍されていた当時「野村先生」とお呼びしたことはなかった。
「俺の事を先生なんて言うんじゃないよ」、と言われるので「野村さん」とお呼びしていたし、
第三者の中で話題にする時も全て「野村さん」だった。
あれほどの人物だったのに偉ぶるとか自身を大きく見せようという事が無かった。
すでにその域に達していたし、人々には知られていたから今更、その必要も無かったのだろうか。
野村さんが拳銃で自決を図ったとの一報を受けて、収容先の日大駿河台病院に向かった。
入り口付近に集まる報道陣の一人に容態を聞いたところ亡くなったと分かった。
ホッとした。ご自身が決断して実行した行為。し損なったでは野村さんの描いた人生の美学が成立しない。
本望を遂げられて良かった、というのが偽らざる感想だった。
]]>ビチグソなんかすると身体が穢れてしまったような気がする。
何も食べない。絶食をする。
断食というのは宗教的色彩がある。健康の為に食べない訳だから絶食となる。
その日は一日中、飲み物だけで過ごす。固形物は口に入れない。
翌日になると便通はなくなる。完全に胃と腸が空っぽになった。清められたのだ。
このまますぐにでも腸の内視鏡検査を受けられるくらいだ。
体重は2?ほど落ちている。食べていないから当たり前だ。
よく、「ダイエットしているけど体重が落ちない」とか、「何を食べても太っちゃうのよねぇ」とかいう人がいる。
「何を食べていれば太らないか」、とかではない。何も食べなければ体重は増えない。誰にでも分かるシンプルなロジックだ。
老人介護においては排泄と食事、話相手が必要となる。
食べてさえいなければ大の排泄処理は不要となる。
寝たきりとなり、喫食したいと言う欲望が絶えたならば、何も食べずに自然死したらよい。
それがその人にとっての潮時ということ。私なら静かに見送って欲しいのだ。
せっかく洗浄した身体を汚すようで、食べることが勿体なく感じてしまう。罪悪感というやつか。
まあ5食ほど抜いたわけなので、43時間ぶりに食事をしてみる。
べつに空腹なことが苦痛な訳ではない。お茶でもコーヒーでもアクエリアスでも飲んでいればよい。
逆に便意をもよおしながらトイレに行ってはいけない、行かれない環境にある苦痛に比べればなんてことはない。
次回は3日、更に5日、一週間と絶食に挑戦してみてもよい。
これからの地球環境では新鮮な水と食料が不足してくる。
人口爆発の時代を迎え、如何に少量の食糧で堪えられるかが安全保障に直結する。
550万年前に隕石が地球に衝突し氷河期が到来した。
真っ先に絶滅したのは日々大量の食糧を必要とする巨大恐竜だった。
ゴキブリや昆虫などは少量の食糧で生き延びたのだ。
少量の食糧でも健康を維持できる体力と気力、そして知恵が求められる時代なのだ。
]]>「ラーメンばんだい」なんて看板が出ていたけど、聞いたことないなぁ。
駐車場は広いが、こんな辺鄙なところに出店してもどうせはやってないんだろう。
可哀想だから一度だけでも入ってやろうか。
台湾ラーメンを注文したが、麺類には小ライスが無料でサービスとのこと。
以前のくるまやラーメンでもそうだった。
貧乏人根性があるもので無料サービスの言葉につい反応してしまう。
サンショウが効いていて辛いのは承知しているが、半端じゃない辛さ。
くるまやラーメンのがレベル3なら、ばんだいのはレベル7〜8位かな。
喰わないで帰る訳にもいかないので、食べ進めるうちに慣れてくる。
残ったスープに白米を入れて、とりあえず完食。
この歳になると健康の秘訣は食べ過ぎない事。
命を繋ぐために最低限の量を食べることを心がけているのに、喰いすぎてしまった。
いかんなあ。その日は午後4時頃の昼食だったので晩食は抜いた。
寝ていたら明け方4時頃に便意をもよおしトイレへ直行。
案の定、腹下しだ。激辛が原因か喰い過ぎが原因か分からんが、いかんなあ。
]]>ロシアが一方的にウクライナ領土を侵略した訳で、戦争ではない。
言うなれば北朝鮮が日本に来て日本人を拉致したのと同じだ。
北朝鮮にも言い分があるから、話し合いで解決しようと言うのでは被害者救出は不可能。
これは国家間の侵略問題であり、ロシアがウクライナにやっていることも同様。
更に言えば日本はロシアから現在進行形で侵略を受けている。
78年前の北方領土略奪は昨年のウクライナ侵略と同じ。
78年前の侵略行為を断罪してうない、決着をつけていなかったから今回の惨事が起こった。
ウクライナへの支援疲れというか、「援助してもらうのが当然と言う態度はけしからん」と言う。
いや、本来であれば日本はウクライナと共同歩調をとって、北方領土を奪還すべきなのだ。
自衛隊が上陸して全千島と南樺太を開放する。
軍事大国ロシアとて二面同時戦争は簡単ではない。
日本が矜持ある主権国家であれば、ロシアの横暴を許してはならない。
現在進行形で侵略を受けているという認識がなければ戦いはできない。
橋下徹氏が訪露騒動の鈴木宗男氏に直言「ロシアに対する思いはわかるが…」 (msn.com)
15日放送の「日曜報道 THE PRIME」(フジテレビ系)にロシア訪問を巡る言動で物議を醸した鈴木宗男参院議員が出演。弁護士で元大阪府知事の橋下徹氏、自民党の小野寺五典元防衛相、立憲民主党の玄葉光一郎元外相と激論を交わした。
宗男氏は「78年前の日本を見てください。半年早く日本が降伏していれば、東京大空襲も沖縄戦もいわんや広島、長崎に核が落とされることもなかった。日本の悲惨な歴史をウクライナにしてほしくない。これを抜きにして、ロシアでの発言がこうだというのは腑に落ちない」と改めて即時停戦を訴えた。
関連するビデオ: 【会見動画】鈴木宗男議員が離党の考え示す (日テレNEWS NNN)
小野寺氏は「停戦は大事だが、なにか侵略しているのがおかしいのに肯定して、力によって領土を取ることが正しいことだと受け止められてしまう。日本も同じことに直面しかねない」と宗男氏に諭せば、玄葉氏は「ロシアのやり得になってはいけない。中国はじっと見ている。ある意味、日本の安全保障に直結する。『力による現状変更はいけなかった』と枕ことばで言うべき」と意見した。
激しいやり取りに橋下氏は「こういう議論をやることが民主国家の一番の重要なところ。ロシア寄りとか、応援しているからケシカランとか、われわれが言うことはいいが、発言自体を封じるのは絶対違う。野党の国会議員が敵対する相手方の政治家と話ができる環境をつくっておくのはある意味、安全保障」と議員外交自体には意義があると評価した。
一方で、「ウクライナの側の方が力を持って押し込んで、そこで停戦の話に持ち込まないとヨーロッパの秩序、世界秩序が中国、ロシア側に寄ったような世界秩序になるかの分水嶺。ロシアに対する思いはわかるが、僕らは西側諸国の人間」と宗男氏に苦言を呈する場面もあった。
]]>旧統一教会の解散命令請求を申し立て 文科省(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
オウムのような凶悪事件を引き起こした訳ではないが、解散命令とは過去の罪科に対し相当に重い代償を払わせることになる。
具体的には献金を強要したというものであるが、その結果として家族が崩壊した。
その延長線上において安倍元首相が銃殺されたということで、オウムに匹敵する凶悪事件に繋がったといえる。
しかし、教会が信者から多額の献金を募っていた事実は誰もが知っていた。
反教会の立場で糾弾行動を行っていた団体等があることは知っていたが、今ほどに大きく社会問題として取り上げることはなかった。
山上容疑者が銃殺事件を起こしたので解散請求に至った。起こさなばこうはならなかった。
銃殺しても対象が教会の田中会長だったら、こうはならなかった訳だから
山上容疑者としては旨いところに眼を付けた、という事になる。
ただ、宗教なんて目に見えない精神性の世界。
信じることによって願いが叶う、ご利益があると思えば献金もお布施もする訳であるから、高額な献金が違法と言う事にはならない。
本人は家族の為、子供の為に良かれと思って献金をしている。
自分たちの生活向上、快楽のためになっているならば幾ら献金しようと元は取れている。
家屋敷を売却して1億円の献金をした結果、3億円の宝くじに当選していれば献金を責められるものではない。
ただ、献金の結果の当選なのかどうか立証することは不可能。本人がそう思っていればその通り。
信仰することでご利益が得られた訳だ。
ただ3億円当選が献金してから1年後なのか10年後なのか。
家屋敷を売却し大学進学の費用が捻出できなくなった後になっての3億円当選では意味がなくなるのか。
健康長寿でいられると言われ多額の献金をした。
その後、悪性の癌に罹患していた。「話が違うじゃないか」
いや、献金していたからステージ1で手術して回復した。
献金してなければステージ5の末期癌で手遅れになるところだった、と。
マインドコントロールなどで明らかに本人の意思に反して献金させられたものは違法となる。
が、本人が信仰によって献金したのもを家族が取り戻すのも信仰の自由に反する。
この際、全ての献金・お布施を禁止するか、宗教そのものを違法としてしまえば、こういった混乱は解消する。
「宗教はアヘンだ」と説いたのはマルクスだったな。
]]>
青葉被告のような人間が出て来てガソリンをまいて火を付けなければ、このような悲惨な事件は起こらない。多くの人命が失われる事はなかった。
青葉被告の裁判では現場にいて生き延びた京都アニメの社員が証人として当時の様子を語った。
建物が吹き抜け構造であったが故に火の回りが早かったのだ。
建物一階の玄関を入ると事務スペースがあり、中央に螺旋階段があり、二階・三階へと続ている。
普通の作りであれば部屋と階段室の間は扉で仕切られているから、一階事務スペースで火災が発生しても二階三階へ燃え広がるまでには時間的有余がある。
コンクリート造りの建造物であるから吹き抜け構造が違法な訳ではない。
違法ではないから安全性を無視して良いのかという問題がある。
2015年前には川崎市日進町の簡易宿泊所で火災が発生し11人の居住者が犠牲となった。
原因は解明されていないが放火の可能性が高い。
木造二階建て吹き抜け構造であった為に火の回りが早かった。
実質的には三階構造に改築されていたのだが、木造三階建てを違法とする条例施行前の改築であったのだ。
火災後、周辺のドヤ街では吹き抜けの三階部分使用が制限された経緯がある。
ひとたび火災が発生すれば、吹き抜け構造が危険であることは誰もが知っていた。
京アニは文化・芸術の発信地という自負もあるのだろうか。
ファッション性を重要視し、オシャレなデザインの職場で有能なスタッフに集まってもらいたいというので、一階から三階まで吹き抜け構造という奇抜な造りにしたのだろうか。
勿論、火を放った青葉被告が悪い。彼があんなことをしなければ死者は出なかった。
だから青葉による狂気の悪行として片づければ済むというのか。
経営者の側が何らかの安全策を講じていればあれ程の人々が命を失わずに済んだのも事実なのだ。
吹き抜け構造における延焼の食い止め方、避難の仕方に眼が向けられたという痕跡はない。
普段からこの特殊構造に対応した避難訓練を行っていたという話も聞かない。
京アニ事件をきっかけとして吹き抜け構造の危険性が論じられてしかるべきではないのか。
ホテルニュージャパンの火災もそうだ。寝たばこをしたスイス人宿泊客がいなければ火災は発生しなかった。
しかし、社長である横井秀樹が安全策を講じなかったためにあれ程の大惨事になった。
そこは違法であったか合法であったかの違いであり、お客様や社員をお守りするという経営姿勢やモラル・人道意識においては共通するところがなかったと言えるのか。
]]>科学的根拠に基づかないチャイナの主張を批難する演説を行った。
特筆すべきは高市が英語で演説したことだ。
https://www.youtube.com/watch?v=xlT4gJEmmmU
【IAEA総会】高市氏 処理水巡り中国の非難に反論 - YouTube
どの程度の語学力を有しているのか知るものではないが、河野太郎や茂木敏充のような流暢な英語ではなかった。
日本人が聞いても理解できる程度のものであり、ネイティブが聞けばJAPANESE ENGLISHと映ったかもしれない。
それでも英語を理解する各国代表に対し自身の言葉で日本の正当性を訴えた。
一方、先般の国連総会で演説した岸田首相は一貫して日本語で通し、通訳を介して各国出席者の耳に届くこととなった。
外国代表との直接の混み入った外交交渉ではない、原稿を用意しての演説であるのだから自らの言葉で聴衆に語り掛けるべきではないのか。
岸田首相も米国での滞在経験が長かった訳であるから、ある程度の流暢な英会話が可能な訳なだろう。
女性である高市の方が堂々として見える。
日本においては「日本人なんだから日本語を話せ」「毛頭の言葉を話すなんて堕落している」とみる国粋主義的傾向があるのかもしれない。
天皇陛下がトランプ米国大統領と流暢に英語で歓談している最中に外務省職員だかが「通訳を使ってください」と言って会話を中断させたことは記憶に新しい。
天皇陛下が英語を話す事を屈辱外交だとでも思っているのか。
政府役人の立場からすれば英語を話すならば欧米人のように流暢に話さないとみっともない。完璧に話せないなら通訳を使ったほうが格好が良いと思う向きもあるのだろう。
日本政府が国家的戦略を以て世界中の人々に対し日本語を世界共通語、とするといった展望を持っていれば別だがあり得ないことだ。
訥々とでも自らの言葉や言い回しを用いて意思を表現することで外国人との信頼関係も築ける。
1991年の湾岸戦争以降、フセイン政権崩壊の2003年まで、イラク政府の招待に応じて度々イラクを訪問し、平和友好連帯協会や非同盟諸国学生青年会議等の国際会議や大会に出席してきた経験を持つ。
現地において日本語から英語又はアラビア語への通訳がいないという必然的状況もあったが、会議やバース党大会の来賓演説などでも全て自分流の英語でなんとか切り抜けてきた。
英会話の基礎ができていないのだから発音など滅茶苦茶であり、意味が完璧に伝わっているかどうかも怪しいところであるが、自分の言葉で発信して来た。
一方で会議に同席していたフランス代表は躊躇することなくフランス語で滔滔と話しはじめた。
議長が「DO YOU SPEAK ENGLISH?」と中断すると、フランス代表はさも当然のように「NON」と一言。
議長はモーリシャス人の事務総長を指名して「TRANSLATION PLEASE」と一言。
何事もなかったかのようにフランス語から英語、更にアラビア語に通訳されて会議を進んでいった。
英国やスペインと並んで嘗ては世界中を当然のように侵略し尽くしてきたフランスとしてはアフリカやアラブ、東アジアに多くの植民地を築き統治してきた。
その過程で現地人にフランス語を強制し原住民の言葉を奪ってきた。だから戦後半世紀を経てもフランス語が第三世界の国々に根付いているのだ。
日本はそこまで無慈悲な侵略をしてこなかったし、する余裕も無かった。
日本語は日本でのみ通用る言語なのである。
日本人が国益の為に国際社会へ出て行くのであれば最低限、英会話位は流暢に話し世界中の人々と意思疎通ができなくては日本は益々衰退する。
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すでに野党や労働組合が以前から掲げてきた主張であり、物価高騰のあおりをうけて
政府が追随したともうけとれる。
2023年の平均は1004円となる見込みで10年チョイで1.5倍に引き上げることが可能なのか。
世間一般では労働者の生活が楽になるのであるから歓迎すると思われるが、日本経済の底辺を支える
零細企業や個人商店・個人事業主にとっては諸手を上げ賛同できることではないし、
労働者にとっても下層階級に位置する者にとっては混乱することとなる。
経済の好況と言う恩恵に預かれる勝ち組業種や企業であれば、1500円も無理ではない。
1500円に見合うだけの高等なスキルを駆使して企業利益をあげていくことが可能な人材を雇い入れる。
応募してくる人材もITを使いこなしテキパキと接客をこなす能力と体力を有した若い人材で構成できる。
一方でギリギリのところで経営する上述した零細企業以下では困難が付きまとう。
1500円を支払う価値のある職種ばかりではないからだ。
事務所で溜まった資料を入力して欲しい。チョット店番をしてほしい。忙しい時に厨房で皿洗いをやって欲しい。
時給800円程度の仕事しか持ち合わせていない零細企業・個人商店も存在する。
チョット人手が欲しいが1500円は支払えない。
ならば今いる人員をフル稼働させてカバーするしかない。労働者一人一人に過度な負担がいく。
労働者の側からしても1500円をもらうに値するだけの労働を提供できる能力も自信もない高齢者がいる。
800円でもいいから雇って欲しい。一カ月に12万円あればアパート家賃を支払って最低限の生活ができる。
底辺層では「最低時給1500円」の壁によって、産業界から淘汰される人々が出て来る。
職業にありつけないなら生活保護を受給するかホームレスになるしかない。
結局は政府に社会保障負担が重くのしかかってくる。財政は逼迫することになる。
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勾配が急なので両足で踏ん張っていないと転げ落ちてしまう。
豪雪地帯でもないのに急勾配というのは都会特有の狭小敷地故である。
北側燐家に対し日蔭を作らないよ配慮する為、北側は天井を低く設計したので
南側が高く尖がり屋根なのだ。
南側には明かり取り用に二つのガラス窓が埋め込まれている。
一目見て異常を発見。ひとつは表面のガラスが割れて砕け散っている。
二重になっているので当面、雨漏りは免れているが重大な問題だ。
宇宙空間から隕石が落下して直撃したのかと思ったが、凝視すると動物の糞が。
ハクビシンが天窓上を徘徊して割ったのであろう。
都会の住宅街であるが普通に徘徊しているのを目撃する。電線を伝って家々を移動しているのだ。
有害外来生物には困ったものだ。いずれは仕返ししてやるが兎に角応急手当を。
子供が小さい時に使っていた戦隊モノのレジャーシートで覆ってアルミテープで固定。
そのうち本格的に修理をしなければ。
ガラスが粉々に砕け散っているわ
足を滑らせたら真っ逆さまだよ。
5レンジャーが威嚇して我家を守ってくれるかな。
ハクビシンは有害外来生物なので捕獲数に上限は無い。
自治体によっては箱罠を貸し出してくれるそうだ。
個体を持って行けば、安楽死用機材「アンラクーン」を貸し出してくれる。
その後は捕獲者が焼却センターに持ち込むか、穴を掘って埋めるとか。
生ゴミとして出してはいけませんとか。
]]>後方の建物を指さして「すぐそこのビルで屋上の防水工事やっているんですけど、上から見たらこちらのお宅の屋根のテッペンの鉄板が剥がれかかっているんですよ。このまま放置していると雨漏りするんで親方が行って教えてあげろ、って言うんで来たんです」
って、ここまでの流れを読むと所謂リフォーム詐欺だと思うだろう。
ところがアンチャンが続けて説明する。
「鉄板を留める釘が緩んでいると思うので、素人でも注意して梯子を掛けて屋根に登れば釘打つことで何とかなりますよ」って、なんか拍子抜けするアドバイスをして帰って行った。
何だったのだろうか?
とりあえず助言を真に受けて自分で屋根に上ってテッペンの接続部分を確認したが異常は見当たらない。
チョット考えて結論。
ピンポンして出てきたのが女や老人だったら、「すぐに修理しないと大変ですよ」と言って強引に屋根に上って屋根板を力任せに引き裂いて写真撮影。
「ほらこの状態はやばいですよ」ってことで何百万円もするリフォーム契約をさせる計画だったのだろう。
出てきたのが気難しそうな親爺だったので、急遽作戦変更。
適当にお茶を濁して退散したということか。
まあ小悪人としては賢明な選択肢を持っていたわけだ。
私に対し常套手段でリフォームを迫っていたなら、「どれ、一緒に屋根に上ってその危ない箇所を確認してみましょう」となる。
「え〜何処が危ないんだ。なんともないじゃないか」ってことで悪事がバレバレ。
「相当に余罪があるんだろう。叩けば埃どころじゃない汚物が大量に出て来るはず」
「このまま警察に引き渡せば詐欺罪で5年は懲役喰らうことになるぞ」
「よし、迷惑かけたお詫びとして示談金100万円で手を打とう」ってことになる。
まあ、闇バイトと同様で今や犯罪自体が一つのビジネスとして成立してしまっている。
上辺はきちんとした会社組織で資機材を所有し社員を抱えているだけに悪質性は高い。
警察なんかは電話による特殊詐欺に注意しましょうなんて注意喚起しているが、
台風シーズンを前にして目の前で住まいの危険を指摘されたら対処のしようがない。
気難しい風体の親爺が在宅しているかどうかだけが鍵になるんじゃ、防御のしようもないよなぁ。
]]>一水会の会員を対象とした内輪での勉強会。高田馬場にあった戸塚出張所集会室であった。
鈴木邦男代表が外部での対談かなにかで知己をもったので講師として招聘したのだった。
文春のオピニオン誌「諸君」に酒井先生が小論文「皇太子殿下に諫言する」を発表した直後だった。
「雅子様を全力でお守りします」発言に異議を唱えた。大雑把に言ってしまえば「皇太子殿下が全力でお守りすべきは国家国民ではないのか」的な論調であったろうか。
野村秋介先生が自決した直後であり、皇室のありかたに対する議論が交わされている時期でもあった。
終了後、鈴木さん主導で近くの喫茶店「ルノアール」で茶話会。
終了すると鈴木さんは解散。同席していた会創設者の一人である阿部勉氏が「チョット行きましょうか」と誘って先生や私など数人と早稲田通り向かい側にある老舗料理屋「うなかみ」へ向かった。
二階の座敷に腰を下ろすと「会のあと喫茶店で終わるなんていけませんよ」と、つぶやいてビールを注文した。
黙って付き合ってはいたが、酒も飲まず喫茶店でお開きにする鈴木さんのやり方に不満だったのだ。
実に阿部さんらしい。阿部さんも酒井先生とは初対面、東大卒の酒井先生とも話が弾んでいた。
「東大出て右翼になる奴はいないよ、なんでか分かるか」
私が「そりゃあ頭が良いからでしょう」
「おお、よくわかってるね」ってな会話を交わした覚えがある。
酒井先生は自由チベット協議会の共同代表であり支那によるチベット侵略を糾弾し積極的に街頭にも立っていた。
当時は東大助教授であったが史料編纂所に所属し直接学生に教鞭をとる立場ではなかった。
そして、教授に就任したのもかなり後になってからだったと記憶している。
私は熟考もなく「頭が良い」と言ったが、突き詰めていけばそれは小賢しい・狡猾という意味を含むものであり、
その範疇において酒井先生は頭が良くはなかったということになるのだと、後年になって思った。
その翌年から毎年3月には酒井先生が主催するチベットデモに一水会から会員が参加するようになった。
従来より十数人程度の小規模なデモであったから、十人程度が参加したことでも大きな力になったろう。
私が維新政党・新風の立上げに絡んでいたこともあり、一水会を離れた後は新風の会員に参加を呼び掛けてデモ行進参加を継続していた。
酒井先生も新風講師陣に名を連ねて色々と尽力して頂いた。
平成10年の参院選惨敗後に私は一方的に除名されたのだが、酒井先生にも無礼な振る舞いをしていたので、講師を降りられたようだ。
平成9年に横田めぐみさん拉致が明るみになると救う会が結成された。
翌年から救出のための署名活動が活発になる。酒井先生は大型のハンドマイクを肩にかけて電車で全国各地を巡り街頭署名活動に従事していた。
拉致問題を語る上で人権侵害などと捉える見方が大半であるが、酒井先生はこれは国家間の「侵略問題」であると喝破した。
未だに人権問題などと言っているから解決に至らないのだ。
平成12年の女性国際戦犯法廷という茶番劇に対する糾弾行動、法廷劇を取り上げたNHKの番組制作に対しても直談判を行った。
もはや単なる大学教授ではなく先鋭的活動家として生きてきたのだった。
8月14日、癌のために他界したと聞いたが余りに早く突然の訃報に言葉も無い。合掌
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最も凶悪な有害外来生物は支那人である」
昨今、特定の外国人を指して中傷することがヘイトスピーチと認定されるケースがあるが上記の発言はそれに該当しない。
これは8月14日に80歳で逝去された酒井信彦氏が東京大学教授として奉職していた当時に講演会で発言したり
書籍で執筆した事柄なのだ。
国立の東京大学で史料編纂所教授として国家から報酬を得て研究・研鑽を積んだ過程において導き出した結論である。
誰からも如何なる機関からもクレームを受けたことはない。
よってこの「支那人こそ最も凶悪な有害外来生物」説を唱えることは日本社会で問題となることはない。
東大教授からの引用とすれば尚更なのである。
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私なんぞは粗食に慣れているから白いご飯で塩握りでも充分だ。
先般、くるまやラーメンでサンショウの効いたピリ辛の台湾ラーメンを注文した。小ライスが無料だと言われると遂、注文してしまう。麺を食べたあとの汁に混ぜると旨い。
貧乏人の性だろうか。ファミレスでのランチでもご飯大盛りにしても無料、と言われると頼んでしまう。
だが、旨い料理を目の前にすると脳は食べることを要求するが、身体の事情は別なのだ。
胃腸が受入れを望んでいないのに脳が思考する欲望だけで詰め込んでしまうと胃腸としては大迷惑。
消化しきれないで腹下しを起こす事となる。もう若い頃とは違うのだという事を自覚しないといけない。
正義感から線路に落ちた人を救うおうとホームから飛び降りても、救助するだけの体力/腕力/脚力が無ければ犠牲者数を増やすだけの結果となるのと同じだ。
夏場は食欲が落ちるが、無理して食べる必要はない。
毎夏のことであるが体重が5キロほど落ちたか。67が62位になる。2年前の夏は小管にいたので60キロまで落ちた。別に体重が減る事が不健康ではない。
歳を取れば次第に食が細くなる、食欲が失せて最終的には全く受け付けなくなり餓死する。これが自然で理想的な最期。
自然の摂理を重んじなければいけないのに胃瘻や点滴で栄養を補給して無理矢理に寿命を引き延ばしているのが現状の医療だ。
身体が食べ物・栄養を摂取したくないというのは、人生に終止符を打つ時がきたというお知らせなのだ。
胃瘻や点滴でその場を生き延びたとしても200歳まで生きられる訳ではない。
まあ、人間なんて80歳まで生きれば充分だろう。限られた地球上の土地や資源を使って生きるのであるから、ある程度で区切りをつけて後から産まれてくる者に席を譲らねばならない。
私の場合は60で充分と思っていたが、既に5年も無駄に馬齢を重ねてしまったか。
目標はいまある借金を完済する事。子供達も成人したのだから金銭で家族に迷惑を掛けなければいつ逝ってもよい。
そんな達観した気持ちで自らに課せられた使命を全うし、周囲に迷惑を掛けずに残りの人生を歩んでいきたい。
]]>終戦の日に靖国神社参道で行なった「岸田首相に参拝を要請する署名活動」の報告を行うと共に
当日の参加者一同にも署名にご協力を頂いた。
目的は天皇陛下が心置きなくご親拝になられる環境を作る事。
そのためには総理大臣が国家を代表して英霊に対し頭(こうべ)を垂れて感謝の誠を捧げる事。
政教分離にかかる批判。先の大戦に対する評価。諸外国からの批判等々。
命を投げうって戦火に倒れた英霊には関係ない。
国家として礼を尽くすのは当然なのである。
とは言え、2006年に日経新聞が公表した所謂「富田メモ」の存在も無視できない。
卜部日記をも考慮すれば、昭和天皇のご判断でご親拝をおやめになった。
それが代々の天皇に受け継がれているのではないか。検証すべき点は多々ある。
所謂A級戦犯とされる14名が昭和53年に合祀されたことがご親拝されない理由なのか。
所謂A級戦犯として処刑・処罰された人々、所謂「昭和殉難者」においても経歴・職責・立場には濃淡がある。
GHQの策謀で一方的に「平和に対する罪」を犯したA級戦犯者と断罪されて処刑・処罰されたことが、英霊として靖国神社に祀られる正当な理由となり得るのか。
結果、戦火に斃れた英霊をお祀りするという靖国神社本来の趣旨が変質してしまったのではないのか。
合祀当時の松平宮司が極東国際軍事裁判の結果に異議を唱えたことは理解できるが、逆に靖国神社を政争の具に貶めてしまったことにはならないのか。
活発な意見交換・議論がなされてしかるべきではないだろうか。
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そんな雑文の中から蜷川先輩が発行する月刊誌「燃えよ祖国」で穴埋め的にでも使える文章があれば掲載して頂くことがある。
今回、7月12日に行われた二・二六事件慰霊祭の記述を同誌に掲載頂けるとの事。
ブログ記事を以下の如く手直し・加筆して掲載頂きました。
併せて同誌の購読をお勧め致します。
二・二六事件 決起将校の処刑から86年目の命日
7月12日は昭和11年の二・二六事件によって死刑判決を受けた青年将校等15名が代々木練兵場で処刑されてから87年。
私の母の父であり沖縄戦で戦死した青柳時香陸軍少将の姉が林家に嫁ぎ二人の男子をもうけました。
その次男が林八郎陸軍少尉であり、二二六事件の決起に参加し死刑判決を受け当日処刑されました。
つまり母の従兄弟にあたります。若くして当然未婚での他界でありましたから直系の親族は存在しない訳であり、私が遺族の一人と言うことになります。
21才と処刑された青年将校の中では最年少でした。
岡田啓介首相を征伐するに際し、栗原安秀中尉が本体を率いて首相官邸正門を突破するのに合わせ、林少尉は50名の兵を指揮して裏門から突入しました。
結果的には風貌から岡田首相と勘違いした従兄弟の松尾大佐を殺害したことで本望を果たすことができなかったということです。
林少尉が士官学校を卒業し任官した際は叔母である私の祖母のところに挨拶に来たそうです。
当時中学校に上がったばかりの私の母を久しぶりに見て「あの子誰?」、と聞いていたということです。
裁判は秘密裏に行われ弁護士は付かない、一審制で控訴もできない中で死刑判決が言い渡され7日後に刑が執行されています。
刑執行の知らせを受けて林の叔母さんは息子の亡骸を受取りに代々木練兵場へ出向きましたが、
義妹である祖母が付き添うというので、出かけていくのを私の母は見送ったことを覚えているそうです。
正に歴史の一コマのようですが、その母も7年前に他界しています。
この林家というのもチョット変わった系譜を持っています。
林八郎の父は昭和7年の第一次上海事変で戦死した林大八陸軍少将でした。
前線を視察中の連隊長が戦死したということで当時は大きなニュースとなりました。
天皇陛下の勅使を迎え盛大な葬儀が執り行われ、軍神として靖国神社に祀られることとなりました。
その葬儀には次男の八郎も遺族として参列していましたが、長男の俊一は両脇を特高に挟まれて獄中からの列席でした。
職業は医者でしたが共産党員でしたので思想犯として逮捕され刑務所からの仮出獄だったのです。
その後、俊一は偽装転向をして釈放されましたが、戦後は共産党に戻り党幹部として活動しました。
母と共に代々木の共産党本部に住み込んで活動に専念し、「おかあさん、働かざる者喰うべからずですよ」ということで
軍神の未亡人は共産党本部で賄い婦として働いていたのです。
そんなこともあり戦前は皆軍人の家系であった青柳家とは親戚づきあいが途絶えたのでした。
母の妹の一人は戦後米国に渡り、長年ワシントンの日本大使館で大使秘書を務め「大使館の主(ぬし)」と言われていました。
ある時、赤旗がワシントン支局を開設したというので大使館に挨拶に来ました。
叔母が対応して支局長と食事を共にしました。
「私の従兄弟が俊一といって共産党員なんですよ」と話すと
支局長は「よく存じあげています、いま王子の共同病院(共産党系の医療機関)で院長先生を務めています。とても良い方ですよ」、と称賛していたそうです。
思想的には左の方面に行ってしまったけれど、医師としては勿論、人間的にも立派な人格を兼ね備えた人物であったのだと思いたい。
まあ、二・二六の決起自体が天皇の軍隊を勝手に動かして天皇陛下の怒りをかった行為であり、いわば逆賊なのであるから兄弟共にさほど相反した思想を持っていたとも思えない。
決起の頓挫以降、陸軍内部では皇道派の勢いを制した統制派が実権を握り、あの無謀とも言える戦争へと突入していった。
近代史の対立軸を考慮すれば、常に反体制の側から国家革新を唱える勢力が弾圧を受けるのは必然であろうか。
命日には麻布の賢崇寺本堂にて青年将校の遺族で構成する仏心会主催の法要に参列した。
その後、同憂同志と共に境内墓所にある「二十二士之墓」へと参り献花・焼香。
渋谷のNHK放送センター前に建立されている慰霊碑へと移動し、ささやかな慰霊祭を挙行し、献花/焼香の後三上卓氏作詞/作曲の昭和維新の歌を一同で唱和した。
庶民を踏み台として暴利を貪る財界と結託した国家権力が権勢を振るい、持たざる者が淘汰される世情は87年前と変わらない。
来るべき令和の維新を現実のものとすべく決意を新たにしたのでした。
因みに隣接する渋谷税務署に掲げられた国旗がこの日だけは半旗となっていることで、僅かばかりの安堵感を得たものです。
2月26日と7月12日には墓前祭と慰霊祭を行っています。
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この場所は仲間内だけで通用する隠語とでもいうのだろうか。
駅ビル地下にあるコーヒーショップなのだが妙に和むと言うか落ち着ける空間なのだ。
河川敷を不法占拠した朝鮮人がバラック小屋を乱立させて煮炊きしている光景を彷彿とさせるカオスな空間だ。
隣席との間隔は詰めに詰めたすし詰めのテーブル配置。
コーヒーとドイツビール、そしてソーセージやら軽食の店なのだが、日本酒を飲んでいるオバチャンの隣席では若い女が卵ぶっかけご飯を食べていたりとメニューに脈略がない。
店の周囲の状差しには「辺野古」関連のチラシが乱立しており、完全にアウェイの雰囲気。
数年前には駅ビル所有者から立ち退きを命じられたが署名集めやらして、踏ん張っているとか。
ここを都会のオアシスと見る人もいるのかな。
]]>数年前にも愛宕山での尊攘義軍祭当日になって背中に激痛が走り欠席したことがあったっけ。
乗車した際に背もたれに身を預けて違和感に気が付いた。
シートに何か突起物でもあるのかと思ったが、身体の方だった。
背中の真ん中なので、鏡に映しても実態はよく見えない。
腫れ物とかオデキっていうレベルじゃない。
背中が隆起してその中に未知の生命体が棲みついているみたいで、ソイツは日々増殖/成長しているようなのだ。
痛みはなんとか堪えることができるが、仰向けになって眠ることができないのは辛い。
横向きでは熟睡できないので先週来、昼間でも意識が朦朧としている。
近所の町医者にいったが、見るなりお手上げ状態で一切の治療を拒絶。
大きな病院への紹介状を書いてくれたが、予約は三日後。
稀有な症例ということで大勢の研修医の晒しものになるのか。
まるで駱駝になった気分だね。
]]>近年は「総理大臣の靖国神社参拝を要請する」署名活動に特化しております。3年前までは靖国シャツの頒布活動も兼ねていましたので、立ち寄る人の幾人かからは靖国シャツに関してお問い合わせを頂きますが、現在は以前発注した在庫があるだけでサイズが揃っていないこともあり、数枚を鞄に入れて持ち込んでいるだけの状態です。
思い返せば10年程の昔は15日まで三日間連続で広報活動に従事していたものでした。
私自身が歳とってパワーが薄れたというか、三日間従事しても相応の効果が見込めないと言った社会情勢もありましょう。
今年も参道付近には幾つもの団体が陣取りをしてそれぞれに活動を展開していますが、個々の政治的主張や支那侵略主義糾弾など「靖国神社」「終戦の日」とは無関係と思われる訴えが殆どでありましょう。
一頃よりは自粛気味ではありますが、拡声器を使用しての訴えはチョット不愉快ですね。
所謂、鎮魂の日でありますから、靖国神社への参拝者に対し迷惑になってはいけません。
この日ばかりは心静かに手を合わせたいと思う人も多いはず。
弊会では過去の経験からこの日は拡声器を使用しないで、肉声による穏和な呼びかけに留めています。
「岸田首相に靖国神社参拝を要請する署名活動にご協力願います」、と。
諸団体が並ぶ中で各々が宣伝や主張を訴えようとすれば、相当の騒音となってしまう。
各団体が話し合って順番で拡声器を使用するなんて配慮はないのだから最終的には音量合戦、
「他団体より大きな音を出せば勝ち」的なカオスと化してしまう。
もっともこの渾沌とした状況下で話し合いなんて成立しようはずもない。
靖国神社創建の趣旨とは程遠い反日邪教集団が大挙して押しかけ参道の舗道中央を席捲しているのが現状。
チョットでも気を抜くといつの間にか、我々が署名簿を置くテーブルの真ん前に陣取って邪教新聞の配布を行っている。
コバエの様にシッシッと追い払い広報の為に訴えを展開する場所を確保する。
例年より人出は少なめであったろうか。
毎年参拝に訪れるはずの人の顔を見ないことが多かった。健康上の理由なのか心配してしまう。
反面で昔懐かしい人との再会もあったりした。
逆に私と顔を合わせたくないのか、顔を背けるようにして舗道の反対側端っこを足早に通り過ぎる人もいる。
人間観察の場としても面白い。
署名活動に関しては午前中の出足は芳しくなかったものの、午後になると若者も多くなり署名簿の前に列を作って署名をしてくれた。
他でも署名を追加してから後日、内閣府を通じて首相官邸に届ける予定です。
署名活動に協力頂ける方には電子メールかFax、郵送にて署名簿をお送り致しますので、お申しつけ願います。
呼び掛け・チラシ配布に加わって頂いた同憂同志の方々に感謝します。
この日の為に、ご厚情をお寄せ下さった支援者の方に厚く御礼を申し上げます。
台風の接近を危惧しておりましたが降雨を回避してくださいました天の采配にも感謝致します。
天は我々を見捨てなかった。
朝から駆け付けた同志がチラシ頒布、声掛けに励んでくれる。
例年の定位置である靖国通りに面した舗道の一画を確保する。
署名活動を実施している事を告知する
署名簿を2枚並べ記帳待ちの時間を短縮する。
若い人も多い。
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