加藤哲史さん参上

4月22日の中野区議会議員選挙に向けて、ポスターの掲示を行う。
商店や一軒家を回って建物や塀に貼らせてもらう許可を頂く。
4年前に許可頂いた時の手帳を見ながら、同じ所を尋ねつつ、新規も開拓。
途中で自宅から電話が入る。
加藤哲史さんが突然来訪したとの事。自宅からそんなに遠くない所にいたので、直ぐに帰宅する。
埼玉県川口市から自転車で1時間15分かけて着てくれたとの事。4年前の選挙のときは準備段階から泊り込みで手伝いに来てくれたので、我が家の3人の子供たちとも顔なじみ。夕方6時を過ぎていたが一緒に、野方駅前で街宣とビラ配りを行う。週4回を最低ノルマとして駅頭街宣を実施しているが、今週は5回目となる。
今後もビラの宅配等、お手伝いを頂けるとの事、感謝感謝。

朝日新聞への質問状

朝日新聞社 北野隆一殿

 朝日新聞、平成19年1月18日朝刊29面における貴殿の署名記事「朝鮮校生の受験を拒否」「玉川大学」について質問します。
 なぜ、このような「行為」と「結果」がニュースバリューを持って第2社会面記事に掲載されるのでしょうか。 毎月、3,925円の購読料を支払って有益なニュースの配信を望んでいる読者として疑問を感じます。
 記事中にもあるように、私大の半数は高卒検定を通っていない生徒の受験を認めてはいません。つまりAからZまでの私大があれば、AからMまでの私大は受験資格がない、ということで拒否しています。
 玉川大学はその中の1大学に過ぎません。にもかかわらず、たまたま一人の朝鮮校生が玉川大学への受験を拒否されたことが、なげ社会面においてニュースとして取り上げられる必要があるのでしょうか。 多数いる朝鮮校生が受験を認めていないA大学に一人、B大学に一人、C大学に一人、、、、と拒否されるのを理解したうえで出願し、拒否された事実をそ共同通信なり朝日新聞社に持ち込めば、記事になるのでしょうか
 記事においては「玉川大学は『差別の意図はない』と説明している」、と記述されているものの、記事の構成としては如何にも玉川大学が朝鮮人差別的体質を有していると受け取れるのではないでしょうか。
 そもそのこの生徒は拒否されることを承知の上で、「拒否された」という事実を吹聴するために、出願したと考えられるのではないでしょうか。
 それに乗っかって「朝鮮人差別」を煽り立てるかの如き報道を行う貴紙の目的は何処にあるのでしょうか。 玉川大学が従来より朝鮮人を差別する体質を有していて、これを質す一環として記事にしたというのなら、ある程度理解できます。そのような体質が存在するのですか。 ご承知の通り、朝鮮人学校は文科省が定めた学校教育法に定められた学校ではありません。制度上は美容学校・調理師学校等の専門学校と同じです。これはインターナショナルスクール、アメリカンスクールでも同一です。
 にもかかわらず平成11年度より文科省が制度を変更し、高卒検定を通っていない朝鮮校生の受験を各大学の判断で認めたというのは、間違いです。
 学校教育法で認証された学校では、学問の他にも社会人として成長するのにふさわしい人格の形成も行われます。それは日本という独立国家の中での価値観に基づき反社会性を帯びた人間の育成を目指したものではないはずです。
 公民の授業においては、日本人が北朝鮮という国に拉致され生存と人権が蹂躙されている事実も教わります。
 そういった事が朝鮮学校や専門学校で行われているでしょうか。
 近年、高校スポーツにおいてサッカーやラグビーなどで朝鮮学校の参加を認めています。地方予選を勝ち抜き全国大会に進出しています。
 しかし、彼らは日本の学校教育法で定められた範囲のカリキュラムに縛れらないのですから、特定のスポーツに専念することもできます。
 昨年、世間を騒がせた世界史の未履修が問題になりましたが、朝鮮学校では全く問題にはなりません。東大受験のためだけの勉強をしていても構わないのです。
 人格形成やバランスのとれた学問的知識を省みることなく、金正日を称える教育を植えつけられながら、東大受験に集中できるのです。
 日本人への帰化、東大卒、外務省入省、、、、、と歪んだ人格と思想を有し日本でエリートコースの階段を駆け上った彼らが、日本という国家をどのように支配しようとしても、我々は逆らう事ができないようになってしまうのです。

『以下、共同通信記事』
 神奈川朝鮮中高級学校(横浜市)の高級(高校)3年の男子生徒(18)が今春の玉川大(東京都町田市)一般入試に出願しようとしたところ、大学側から「朝鮮学校の生徒には受験資格がない」と拒否されたことが16日、分かった。
在日本朝鮮人人権協会によると、現在、国立では朝鮮学校の生徒に門戸を閉ざしている大学はないといい、「私立でも4年制では玉川大ぐらいではないか」としている。

学校教育法では、朝鮮学校は「各種学校」扱いで、以前は大学入学資格検定(大検)に合格しないと受験できなかったが、文部科学省が2003年に施行規則を改正。各大学が個別に入学資格を判断できるようになっている。

自民党の新年会?に出席した

 1月12日、小生が住む地域自治会の新年会に出席する。
 小生としては去年に引きつ続き2回目の出席。出席といっても自治会の中で一番下っ端の小生としては、来賓を席に案内したりビールの栓を抜いたりと下働きとして奮闘する。
 区長・議長・消防署長・警察署長(代理)・各商店会の代表・学校長などなどが出席。
 自民党以外の区議が来賓と主催者役員に一人いるが挨拶のスピーチはなし。
 宴たけなわとなって自民党の区議が中途から参加。選挙を意識して長々と挨拶。
もうひとり、遅れて自民党の前都議候補が参加。自分のパンフレットを配り、これも長々と挨拶。この人が帰ると、自民党の都議が参加。またもや選挙向けの挨拶をするが、自民党の新年会?に相応しい選挙向けの挨拶。自民党を盛り立てて頑張ろう的内容に終止。
 出席者からは「後から来たのだけ挨拶するなんておかしいよ」との声が漏れてくる。
一応、ご挨拶が終わったので拍手。
 小心者で控えめの小生も大いに拍手。「いやぁ、まるで自民党の新年会みたいですねぇ」と周囲に聞こえるように冗談を言って楽しくお酒を頂きました。

「変節」が勝利のkキーワードか
 昨年6月の中野区長選で自民党は現・田中大輔区長を応援した
しかし前回、平成14年の区長選では、自民党の現職区議が辞職して立候補。田中大輔を支持しなかった。つまり田中大輔ではダメだということだ。
 それが4年後には田中支持となり田中区政の与党となっている。
田中区長が自らの政策・政治心情を改めて、自民党と一体となったのなら分かる。
しかし、そうではない。田中区長が変わったのではなく、自民党が勝手に変わったのだ。変節したに過ぎない。
 5年前の区長選では批判したけど、それが間違えだと思うなら、きちんと有権者に説明し、変節を詫びるべきではないのか。

 これは石原都知事に対するも全く同一だ
 8年前の都知事選では、石原ではダメだから、明石康を擁立した。石原知事就任時はあれほど攻撃したにも関わらず。時をおいて石原知事の軍門にくだり、今4月の知事選でも「石原マンセー」である。
 この変わり身の早さというか、節操のなさが自民党勝利の秘訣なのか。
言論の軽さ、責任回避、これらが現在の日本人に受けるのだろうか。
この曖昧さこそが、多くの国民と同じ価値観を共有できる。
 誰もが責任なき言論・表現の自由を謳歌し、過去に対するけじめを放棄することで、気軽に生活することが可能となる。
 小生のように言論に対する責任にこだわり、過去へのけじめに執着すると、国民は引いてしまうのだろうか。
 しかし、小生はこだわり続けたいのだ。
たとえ少数でも小生の姿勢を支持して理解してくれる人がいる限りは。

たった一人の街頭宣伝

新年4日より駅頭での街宣活動を開始しました。
自宅近く、西武新宿線の野方駅前がメインです。
今後はJR中野駅前にも拡大する予定です。
一人、演説をしたり、その合間にビラの配布をしています。
足早に改札口に駆け込む人が対象なので立ち止まって聞く人はほとんどいません。
ビラを受け取ってくれる人も全体からすれば極少数です。

細川内閣で経企庁長官だかを勤めた田中秀征氏が言っていましたっけ
「選挙に立候補するなんて、自分のプライバシーをさらけ出し、自分の名前を自分で連呼して売り込んでいく訳で、とてもまともな神経の人間ができることじゃないですよ」

まったくだ。議員になるということは普通の人間としての羞恥心をかなぐり捨てるという洗礼を通過した、まともな人間の感覚を失った人間になることでもある。

中野区議選は4月15日(日曜日)に告示。立候補者は区内三百数十箇所の公営掲示板にポスターを貼らなければなりません。
ご協力お願いします。
投票日は4月22日(日曜日)です。

猿回しを移動させました

 1月5日午前、主権回復を目指す会代表の西村修平氏、英霊にこたえる会広報副委員長の宮内瑞生氏と共に、靖国神社社務所において、総務部長事務取り扱である山口建史権宮司と面談。2日に西村氏が提出した質問書http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/KoudouKatudou/kanrikachou.html
に対し、以下の如き回答書が手渡された。

主権回復を目指す会代表  代表 西村修平 殿
靖国神社 総務部長事務扱 権宮司  山口建史(権宮司印)
回答書
平成十九年一月二日付書面にて貴殿より要求のありました件につき回答申し上げます。
一、「猿回し」披露の場所については、今回の場所に選定しているわけではありません。今後とも、要請のある都度、空き地などを検討の上選定いたします。
二、貴殿に対する落合雅義管理課長の対応は、課長職としての権限内であったと考えます。
ただ、対応の中で感情的に行き過ぎた言動がありましたことについては、本人に対し厳重に注意をいたしました。

 内容は必ずしも十分ではないが、我々はこれをもって諒とした。
 我々は何も靖国神社と敵対する立場にはない。
 全ての人々が英霊に対し感謝と哀悼の祈りをささげる静寂の場が確保されればよい。
 件の猿回しについては5日より靖国神社の取り計らいにより第二鳥居の外側に移動させた。
 ただ、靖国神社としては経営上の問題もあり、猿回しも含めテキヤなどの商売人を境内から撤去することはできない。警察からはテキヤの排除を勧められているとのことであるが、あえて受け入れているとのこと。
 平成4年に施行されたいわゆる暴力団新法に反対してきた小生の立場からしても、テキヤを排除することを要望しているわけではない。合法的食いぶちを奪ったがために、地下に潜ったり、犯罪者支那人の手先になってもらっては困るからだ。
 靖国神社には現在、そして将来に渡ってどのようにしていきたいのか、又いくべきと真剣に考えてほしい。
 靖国神社は英霊の御霊をお守りする神聖な場であるから、その目的に適った人だけが来ればよいと、小生は思っている。
「家内安全」「商売繁盛」ポンポン、という人は他の神社でやればよい。ここはご利益を期待する場ではない、ということを前面ではなくとも、ことあるごとに宣伝というか参拝者に知らしめる努力をしてもらいたい。
 左翼・反靖国の人は「靖国神社は土着の信仰や風俗・慣習に則って地域に根付いていないから神社としてはインチキだ」と罵っている。
 インチキだとは思わないが、古くからの土着的な信仰に根ざした神をお祀りしているわけではないのは事実だ。 
 ご存知のように戊辰の役の犠牲者をお祀りした東京招魂社が始まりであり、一般の御利益を期待する神社とは異質なのである。更に高いと言うか別の次元に位置する。
 であるからして、靖国神社が一宗教法人であることには違和感を覚えるし、屈辱である(法人格としては邪教・創価学会等と同列なのだ)
 だから、宗教法人ではなく新たに祭祀法人的なものをつくり、神道形式はそのままにして靖国神社だけは別格にすべきではないのかと、愚考するのだ。

靖国神社を金儲けの社にするなかれ

ハンセー猿で有名?なタロージローの猿使い

靖国神社を金儲けの社にするなかれ

 正月の参拝客で賑わう靖国神社であるが、最近は観光地化し、英霊の慰霊のための施設である事が忘れられている、というか故意にその色彩を拭いさろうとしているのかとさえ思える。
 特に第二鳥居の内側で繰り広げられる「猿廻し」にはあきれ果てる。
 それも手水舎より上位、神門との間で行われている。お清めをした後、神門をくぐろうというところで、ケダモノの洗礼を受けるのである。
 この神聖な場において猿使いはマイクを装着し、スピーカーを通し、大音響で芸を披露する。正気の沙汰とは言えない狂演が連日繰り広げられている。
 二日、一般参賀の後に、参拝に訪れたであろう人々は日の丸の小旗を持っているのだ が、猿がここ一番の演技をすると日の丸の小旗を打ち振って歓声を上げている。
 先ほど、
天皇陛下に対し打ち振ったその日の丸を、今度は猿に打ち振るうとはどういう神経なのか。
 靖国神社では猿廻しを「伝統芸能の保存」と考え平成13年の正月から許可している。
 なにも第二鳥居の内側である必要はない。昨年は第二鳥居を入って直ぐの右側であったが、今年は手水舎より上位に格上げ?されている。
 神社ではお客さんが喜べばいい。猿は十二支にも入っているから不浄えはないと主張している。それなら豚もネズミも牛・馬も何でも入れて動物園にしたらよかろう。
 また、1月1日に西村修平氏の抗議に対し、落合雅義管理課長(権禰宜)
がとった無礼な行為の詳細は主権回復を目指す会のホームページでご覧になれます。

お正月と言えばおせち料理ですか

 正月といえば元旦に家族で卓を囲んでおせち料理をたべる。
これは日本の伝統文化であり、季節の風物詩と言えるのでしょうか。
 元来、正月になるとどこの商店も三が日とか七日までは店を閉めていたので、食材の買出しができない。よって正月の間、食べるものを大晦日までかかって準備した。
昔は冷蔵庫など普及していなかったので、日持ちする食材をお重に詰めて、毎日少しずつ
食べていた。
 しかし、近年冷蔵庫が普及し保存が容易になった。そして、なんと言っても年中無休、24時間営業のコンビにやスーパーが開店し、正月だからと言って食べるものに事欠く状況ではなくなってきた。
 それならば、おせち料理は不要ではないか。ただ、昔ながらの伝統的正月気分を楽しむという風情に浸りたくおせちを用意する家庭はまだ多い。
 しかし、そこに漬け込むように年末になると特定の食材の値段が、極端に高くなるのはどういう訳だろう。紅白の蒲鉾が一気に500円〜1,000円位になって店頭に並んでいる。商魂たくましいというのか。
 デパートの初売りは3日と決まっていたが最近は繰り上げて2日というところが多い。
大手のスーパーなどは元日から営業しているところも多くなっている。人の休んでいるときに働くから勝ち組になれるのか。
 中小の商店では仕入れや従業員の家庭を考えれば真似できないだろう。大手スーパーのレジを担当するパートの奥さんとて正月位は家族団らんですごしたいのではないか。
正月休めばクビ、とまでは行かないだろうが、正月も出勤できることを条件に採用されているのでは。
 イソップ童話の蟻とキリギリスではないが、年末にそれ相当の備えをしておけば、正月営業など不要。莫大なエネルギーの浪費を防げるだろう。
 私が政権を取ったら、正月三が日に営業する商店には「正月営業税」を課すこととする。

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