最近の昼飯事情

最近では街道沿いで駐車場が設置された牛丼屋ばかり行っている。ファミリーレストランに入ると時間がかかってしまうし、極貧状態の小生には高嶺の花だから。
だいたい、吉野家・すき家・松屋を交代でぐるぐる廻っている感じだ。
昨日はすき家で「メガ牛丼」(ご飯が大盛りで肉が通常の3倍)、ツユダクにして卵ぶっ掛け。これは効くねえ。夜まで腹が持ちこたえられる。
一昨日はマイナーなところで「牛丼太郎」。こういった小さいところにも頑張ってもらいたいね。牛カレーは並盛りでも、相当なボリュームだ。吸い物がサービスで付いてきた。
店内の募集の張り紙見ても「時給950円」とある。大手と比べても低賃金ではない。
おそらくは利益を削って生き残りを図っているのだろう。弱小企業が生き残るにはどうしたらいいか。わが身のこととしていつも熟慮するところだ。

憂国忌

三島由紀夫・森田必勝両烈士没後37年。豊島公会堂で憂国忌が開催される。
第1部では「あれは楯の会事件、森田必勝主導ではなかったのか」と題しシンポジウムが行われた。日学同OBが主体となって毎年行われる憂国忌において、森田必勝に焦点を当てるとは珍しい。森田必勝を知る堤堯(元・文芸春秋編集長)、中村彰彦(直木賞作家)、宮崎正弘各氏が生前のエピソードや義挙の背景を語る。司会は花田紀凱(WILL編集長)
シンポジウムの中では、日学同が森田必勝を除名したことには触れられていなかったし、パンフレットの経歴では除名ではなく「脱退」と紹介されていた。
井尻千男氏が「武士の悲しみ 最後の特攻としての三島由紀夫」と題し講演。
三島以降、日本の知識人の中では大逃走劇が始まった。如何に三島的なものから離れるかに注力した。
当時の文壇において近代的な弱さ、つまりは合理主義に徹したのは江藤淳、司馬遼太郎であった。
合理主義に屈服して戦端を開かなければどうなっていたか。ハルノートを受諾して満州から撤兵していたら、第二、第三のハルノートつまりは、朝鮮、台湾の放棄という、無謀なる要求を付きけられたであろう。
勝てるから戦争する。負けるから戦争しないというのは近代の合理主義的思考だ。
当時は戦って敗れるか。戦わずして敗れるかの選択肢しかなかった。
特攻隊の散華があったからこそ、欧米に対するコンプレックスはない。
日本には有史以来、日本が国家でなかった時代は一瞬たりともなかった。
90年代以降も三島が生きていたなら、この国を守るという提言を行っていたであろう、と熱く語っていた。

私は三島の対極に石原慎太郎という人物を置いて比較考査するのだ。
25日のテレビ朝日・サンデープロジェクトでは、高世仁さんがリビアを取材した模様が放送されていた。アメリカからテロ支援国家の指定を解除されたリビアを北朝鮮と対比していた。リビアはアメリカの要求に従い、パンナム機爆撃を認め、犯人を引き渡し賠償金を支払い、大量破壊兵器を差し出し、核査察を受入れ完全に国際社会に復帰したのだ。
私の思うとことでは、三島はサダム・フセイン大統領、石原はカダフィー大佐なのである。

最近のガキ供はおとなを舐めているからな。

区出張所・集会室などがある地域センターに行ったら3階ロビーで17歳くらいのガキ供数人と警備員二人が揉めている。区民が集まるロビーで傍若無人の振る舞いをするので注意されたのだが、反発し帰り際には警備員に罵声を浴びせて立ち去った。「長生きしろよ」とは聞き捨てならない。集団を呼び止めて説教を垂れるが、全くおとなを馬鹿にして、彼らの父親程の小生に対しては「おまえ」を連発。教育的指導の下、愛の鞭を放った訳だ。

この無法地帯と化した地域センターには行政も地域住民も頭を痛めている。
蹴っ飛ばして壁に穴を開ける、器物を破壊する行為を注意する警備員に対しては罵声をびせ、顔を接近させて威嚇するなど、おとなに対する畏れをしらない。
「何をやっても相手は手を出せない」「手さえ出さなければ何をやっても許される」と、知恵をつけているのだ。「長生きしろよ」とは、「あまりうるさい事をいうと長生きはできないぞ。長生きしたければ黙っていろ」という脅迫である。
大人社会が毅然として立ち向かい、善悪の区別をつけさせなければ地域社会、そして国家は崩壊する。

地元から信頼されない消防団

 8日から消防団の夜警が始まった。8時から一時間程、拍子木を鳴らしながら町内をパトロール。
 ところで、3日(祝)には野方消防署管内の町会(自治会)の防災部による軽可搬ポンプ操法、並びにバケツリレー大会が開催された。
我が自治会でも大会に向け4回の練習を重ね、ポンプ操法・バケツともに上位10チームの優秀賞に輝いた。(各、30数防災会が参加)
私は現役の消防団員なので参加できない。練習と大会には応援・手伝いとして参加した。

 そのことで、昨晩は我が第四分団長から注意された。分団として出動指令がでていないのに団の制服を着て参加してはいけない、と。
 他の分団(8分団ある)は皆、分団として地域の防災会の応援・指導に参加し、当日も手伝いに来ているのだが、第四分団だけは私以外誰も来ていない。
 第四分団長曰く、「町会の防災部から応援の要請が来ていないから行かない。他は要請が来ているから行ったのだろう」
 第四分団の管轄地域内には5つの町会の防災会がありながら、どこからも要請が来ていないので、参加しない。
 大会があり、各防災会が練習に励んでいるのを知っていながら、「応援要請がない」から知らん顔をしているという。自主的に応援に行った団員が注意を受けているとは、どういう事だろう。
 私は昨年、自治会の会長等から推薦を受けて消防団に入団した。その消防団が地元防災会の応援にも来ない。これじゃあ、私としても地元自治会に顔向けができない。
 第四分団管内に5つの町会(自治会)の防災会がありながら、どこからも応援の要請がもらえないとしたら、第四分団はそれほどまでに地元から信頼されていない、相手にされていないわけなのか。
分団長以下、第四分団はこの現状を当然と思っている。改善の必要を感じていない。

 因みに分団の指令により出動すれば一回ごとに手当てが支給されるが、当然に私には支給されないのだ。別に手当て目当てに出ている訳ではないからいいのだが。
以前にも書いたように消防庁から団員宛に発行される報酬明細は分団長でストップしているのだ。

少数派にこそ真理あり

 本日は雨天なり。長女の通う中学校の創立60周年記念式典があった。保護者として午後から行われた「祝う会」に出席。会費3,000円の立食形式。現役生徒は1,000円。
体育館に料理と飲み物が並べられ、来賓の祝辞や三味線演奏、地域のお囃子などで盛り上げていた。ここではアルコールは一切無し。一同、ジュース・お茶等で喉を潤した。
今年、着任した女性校長の意向によるらしい。生徒も一緒に参加することを前提にしているからだろう。実行委員の中には反対意見もあったようだ。ノンアルコールで乾杯ができるか、と。

 昨年12月には次女の通う小学校で70周年式典が行われた。私も前PTA会長という立場で実行委員を務めていた。準備段階で私は若い卒業生の参加が必要であると具申した。
「私は当校の卒業生ではないが、同窓会とは若い卒業生が参加してこそ活性化する。数十年前の卒業生だけで盛り上がっていたのでは、組織は衰退する。一般の会費が5,000円ならば、酒を飲まない未成年の卒業生は2,000〜3,000円にするとかして、参加を促してはどうだろうか」この意見に賛同する者は皆無であった。
その後の準備委員会では、酒の銘柄を何にしようか、瓶の大きさはなど嬉々として準備を進めていたが、私は寒々とした思いで黙って聞いていたのだ。
祝う会の当日は大人だけでアルコールも入り華やかな気分で宴は終了した。

後日、日にちをずらして近隣地区の小学校で同様の祝う会が開催された。ここでは1,000円会費だったと思うが現役児童も交えての宴が開催された。
実行委員長を引き受けた元PTA会長の意向だったそうだ。子供達も参加させる。この条件を受け入れてくれることを前提に実行委員長を受けたそうだ。
次女の通う校長は「お酒の席に子供達も入れるの」と、驚いていたが私の考えはチョッと違った。

子供も若い卒業生も交えた祝う会であり、お目出度い席だから、少しお酒も出しましょうと、いう位でよかったと思う。
今回の全面的なノンアルコールはそれはそれでよい。
ただ、子供を排除した大人の飲み会であっては趣旨に反するのではないか。
ウチの小学校では私は絶対的少数派・孤立型であったが、他の学校であれば体制側だったのだ。世の中、場所・見方・によって立場は180度換わってくるのだ。

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