このところ、中学校の卒業式、小学校の卒業式、そして統廃合のためになくなる中学校の閉校式と連続して出席しているため、涙腺が緩む機会が多い。
25日には統廃合が行われる中野区において、初の対象校となる六中の閉校式が行われた。同時に統合対象となる十一中は現校地に新校が造られるわけであるから、端的に言えば校名が変わるだけに等しい。
43名の3年生が卒業した後に残った1年8名、2年20名を中心に来賓の方が多いような閉校式。
長女のピアノ演奏にあわせ全員で校歌を歌い、最後には校長のピアノ演奏、副校長の指揮で「仰げば尊し」を合唱した。
近年、卒業式でこの歌を歌うことはなかった。
小生が中学生の時に歌った記憶があるが、それでも当時は「労働者である教師を師として仰がせるのは平等性をかいている」みたいな論調が存在しており、すんなりと歌える雰囲気ではなかった。
最近では、歌の種類も多様になり、選択肢が広がったためか、全く聞くことはなかった。
地元に定着していた学校が無くなる寂しさ、無念さであろうか、来賓席からも鼻を啜り上げれう声が、多く聞かれたのだ。
25日には統廃合が行われる中野区において、初の対象校となる六中の閉校式が行われた。同時に統合対象となる十一中は現校地に新校が造られるわけであるから、端的に言えば校名が変わるだけに等しい。
43名の3年生が卒業した後に残った1年8名、2年20名を中心に来賓の方が多いような閉校式。
長女のピアノ演奏にあわせ全員で校歌を歌い、最後には校長のピアノ演奏、副校長の指揮で「仰げば尊し」を合唱した。
近年、卒業式でこの歌を歌うことはなかった。
小生が中学生の時に歌った記憶があるが、それでも当時は「労働者である教師を師として仰がせるのは平等性をかいている」みたいな論調が存在しており、すんなりと歌える雰囲気ではなかった。
最近では、歌の種類も多様になり、選択肢が広がったためか、全く聞くことはなかった。
地元に定着していた学校が無くなる寂しさ、無念さであろうか、来賓席からも鼻を啜り上げれう声が、多く聞かれたのだ。