「長野動乱」は、東京でも予行演習なのだ

本日は13:30より、渋谷・宮下公園で集会とデモ行進。
胡錦濤来日反対!支那人の「長野動乱」を許さないデモ行進を行う。
26日の長野聖火リレー当日とは正反対の強い日差しに迎えられ蒸し暑い陽気だ。
渋谷の繁華街をめぐる30分程のデモ行進。
私は急遽、アナウンスを担当することになり、車の中シュプレヒコールと合間にスポット放送を行う。3日前まで長野で大声を挙げてきたので、喉の調子が完全には回復していない。長野には行きたくても諸般の事情で参加できなかったであろう人も含め、200人近くが参加した。
「支那人の長野でも横暴を許さないぞ」とシュプレヒコールを挙げると、沿道を歩く人からも「いいデモやってるなあ」と感嘆の言葉が聞かれた。
支那人が長野で街を共産党赤旗で覆いつくし、日本人を沿道から排除したのは、予行演習だったのだ。この成功に自信をつけた支那は、これを形をかえて首都・東京で実践しようとしていることに気がつかなければならない。
そのときには、日本の国家権力でも対抗・抑止できないことが明白となったのだ。

血塗られた悪魔の聖歌リレー

25日に長野市内で行った、「悪魔の聖歌リレーを許すな」デモ行進の模様は、新聞やテレビで報道されたそうだ。小生は見ていないのでどんな内容だったかわからないが、マイクを握る小生の姿もかなりはっきりと映し出されていたらしい。
支那政府の侵略行為を正当化するための茶番劇聖歌リレーに対し、抗議の声を上げなければ、日本人はこの残虐非道なる侵略行為を容認したと、世界に発信したことになるだろう。
一夜明けて当日の26日はホテルの窓から下の路上を見下ろすと5時半だというのに支那人の集団が隊列を作って路上を行進していく。一人ずつ畳3畳分はあろうかという支那共産党の五星紅旗を持っている。
小生も急いで長野駅近くの南千歳公園に駆けつける。駅までは大変な状態。日本であって日本ではない。我々は完全な少数民族状態だ。
真っ赤な旗を振りかざす支那人の集団が時々刻々と増殖し、駅前を埋め尽くす。
道路の一方でチベット国旗等を携えた我々聖火リレー粉砕陣営が埋めていくが、支那人の方が数では圧倒している。
これはもう完全に市街戦状態だ。持参したハンドマイクで「支那の国威高揚のための聖火リレー粉砕」を訴える。が、中には低次元な感情的に任せた誹謗中傷合戦も多い。
時に元気のいい支那人がこちらの陣営内に飛び掛ってくる。そのたびに返り討ちにあってボコボコにされて、逃げ帰る。
東京から来た公安の某警部は「いやあ、さっきの野郎、頭に膝蹴り入れてやったらモロに命中したよ」と得意になって報告に来た。完全に楽しんでいる。
まあ、小生も2発ほど腹に命中させたけど、それは向こうからこっちの懐に突っ込んできたからだ。某警部のように逃げまわる支那人をつかまえてまではやらない。
しかし、世界各地で聖火リレーは繰り広げられているが、このようにあからさまに支那国旗を掲げて、街を支那一色で染め替えることはできないはずだ。
パリやロンドン、サンフランシスコで同様の侵略行為はできない。
日本だから舐めきっているのだ。ふざけるな。日本人として少数派でも、怒りの声を挙げ行動を起こす人間が存在しなければ国は乗っ取られる。


長野市が危ない

はっきり言ってこの際もう、聖火リレーなんかはどうでもいい。
在日支那大使館が、金を払って日本にいる支那人留学生を長野市に送り込んで
聖火リレー歓迎を演出しようとしている。
これは支那がチベットで行っている人口構成比の改竄そのものだ。
38万長野市民のなかの支那人比率をあげて、間接的侵略を試みている。
これを座視するわけにはいかないだろう。
鉄砲に対しての竹やりかも知れないが、長野市民、そして多くの国民にこの
事実を訴えなければならないのだ。

目覚めよ!長野市民

<善光寺>本堂回廊に6カ所の落書き スプレー?で楕円など
4月20日13時15分配信 毎日新聞

長野市で26日に行われる北京五輪の聖火リレー出発地を返上した国宝・善光寺で20日午前5時40分ごろ、本堂の回廊6カ所に落書きがあるのを巡回中の事務局職員が見つけた。県警長野中央署は建造物損壊と文化財保護法違反容疑で捜査を始めた。聖火リレーとの関連とともに、悪質ないたずらの可能性も視野に入れて調べている。
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 ↑の行為は、出発地を断られた腹いせに支那人、若しくは支那を支持する勢力が行ったテロ行為なのか。
 それとも、「奴等支那人はこんな悪行を働く、不埒な国家・民族・集団である」と思わせたい聖火リレー反対派の自作自演か。
 または、聖火リレーに反対する右翼はこんな卑劣な自作自演をやるんですよ、とアピールしたい、支那人か媚支那派の罠なのか。

考えるとキリがないのだ、、、、、、

 同じ仏教徒であるチベット人僧侶等が弾圧を受け殺されているのに、加害者側である支那の国威高揚パレードの出発地になるなど、あってはならないことであろう。
このまま、無批判に聖火リレーなどという茶番を受け入れれば、日本人は奴等の行っている軍事侵略・人権弾圧・環境破壊・食物汚染を認知したことになる。
民主主義とは無縁の一党独裁国家で平和の祭典を開催することが、何を意味しているのか25〜26日には、長野市民に充分に理解してもらわなければならないのだ。



長野聖歌リレー

26日には長野市内で北京オリンピックの聖歌リレーが行われるそうだ。
リレー走者などは自分の栄えあるリレー走を穢してほしくない保身からだろうが、抗議行動を嫌悪する発言を行っている。
スポーツ選手やスポーツ界の人間も殆ど同じく。
支那が行っている悪行には目をつぶっている、と言うか、政治的認識が皆無なのだろうか。これじゃあ、単なる「スポーツ馬鹿」ではないか。
スポーツ界からこそ、支那政府を批判するコメントが発せられてしかるべきではないか。
それとも、スポンサーに気を使っているのか。

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