死者3人に…米・サンディエゴ住宅地の戦闘機墜落事故
12月9日8時8分配信 読売新聞
【ロサンゼルス=飯田達人】米カリフォルニア州サンディエゴ近郊の住宅地に8日昼(日本時間9日未明)、米軍のF18戦闘機が墜落した。
AP通信などによると、住宅3軒が炎上し、住民3人が死亡、1人が行方不明になった。操縦士は墜落直前にパラシュートで脱出して無事だった。
米海兵隊が墜落原因を調査している。操縦士は訓練中で、現場から約3キロ離れたミラマー海兵隊基地に着陸する予定だった。
-------------------------------------------------------------------------------
↑こう言った事故報道を受けて、咄嗟に思い浮かぶのは平成11年、埼玉県で航空自衛隊機が訓練中に操縦不能に陥り入間川河川敷に墜落した事故だ。
2名の操縦士は住宅地への墜落を回避するために最後まで操縦かんを握り、激突寸前まで緊急脱出装置を使用せず、自らの命と引き換えに多数の国民の生命を守ったのだ。
この事故の事を思い出すと、「さすがは我が皇軍、そこまでやってくれたのか」まさに生命尊重以上の価値を国民に見せてくれたのだと目頭が熱くなるのだ。
「自衛隊機墜落」で検索すると当時の関連報道などが、出てくる。
その中で、当時近くを通りかかった狭山ヶ丘高校の校長先生が一文を寄せている。以下に、その一部を抜粋する。
(抜粋初め) 実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武文理高等学校もすぐそばです。
百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。
死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。
他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか。私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです(抜粋終了)
http://www.nomusan.com/~essay/essay_06_tsuiraku.html
↑から引用。
以前、米軍は横浜でも今回と同様の墜落事故を起こしパイロットは脱出し、戦闘機が住宅地へ墜落。日本人母子が犠牲になったこともあったが、パイロットはそもまま帰国している。
これは日本とアメリカによる道徳観・生命観・倫理観の違いがそうさせるのだろう。
日本はアメリカと軍事条約を締結し常々、合同訓練を実施している。
もし、日米両国のパイロットが同じ戦闘機に搭乗している際に、機が操縦不能になった場合どうするのか。米人は脱出し、日本人は最後まで操縦桿を握り続けるのか。