思想信条で遺族を差別する二・二六事件殉難者慰霊法要
民族派活動家を強制排除することは、決起将校への冒涜
青年将校等による決起から73年目の本日、麻布の賢祟寺で殉難諸霊慰霊法要が執り行われるに際し、主催者の安田善三郎氏の横暴に対し、抗議の意思を示し参列者にアピールします。
私、槇 泰智(まき やすとも)の母方の祖父は沖縄で戦死した陸軍少将であり、その姉の長男は栗原安秀中尉と共に首相官邸の攻撃を指揮した林 八郎少尉(当時23歳)であり、処刑された17名の将校の中の最年少でした。
青年将校等の訴えた「国家改造」とは、当時の官僚・軍部・財閥を中心とした社会構造を根底から覆す、
天皇を中心とした社会主義革命であり、単なる軍事クーデターではなかったと理解しています。
それを現代社会に置き換えれば、所謂「右傾化」と称されるような、体制に擦り寄った保守層の唱える憲法改正・日米同盟を機軸にした軍備増強などの小手先の改革とは根本を異にしていると言えましょう。
故に、私は青年将校の意志を継ぐ思いで国家改造を目指し、民族派と称される立場において愛国運動に邁進しています。しかしながら、慰霊法要を主催する仏心会・安田善三郎世話人はこの度の法要において私に対し「遺族席に座るな」と言い渡してきました。
この道理を逸脱した安田氏の措置に対し、異議を申し立てました。「あなたと議論する気はない」と突っぱねる安田氏との間で6回に渡りファックスによる書簡を交換し、安田氏の見解を以下のようにまとめました。
1. 林八郎少尉の従姉妹の長男である槇 泰智を殉難者遺族と認める
2. 槇 泰智が慰霊法要に参列することは認める
3. 槇 泰智が遺族席に着席することを認めない
4. 「3」の理由は槇 泰智が民族派の政治活動を行っている事を知る人間がいて誤解するからである。
5. 誤解した人物が、槇 泰智と殉難者との関係を安田に聞いてくるので、安田が迷惑を蒙っている。
6. 聞いてくる人物が誰であるか、どういう類の立場か、誤解の内容については一切言えない。
7. 着席拒否の措置に対し、抗議のアピールをすることを拒絶しないが、賢祟寺内ではやらないでほしい。
安田善三郎氏は渡辺錠太郎教育総監攻撃を指揮した安田優少尉の弟であり、長年に渡り仏心会世話人として慰霊法要を執り行ってこられました。当局の監視の下での毎年の法要。多くの制約やご苦労があったであろうことは想像できますし、私は率直に感謝と敬意の気持ちを表し近年、法要の進行をお手伝いさせて頂いています。慰霊法要の催行・管理・運営権は安田氏が世話人を勤める仏心会にあります。ですから、進行に関し「手伝いをするな」というのであれば、それに従います。
しかし、「全殉難諸霊の慰霊法要」と、謳っている以上、安田氏が遺族と認知した人間を思想信条で、遺族席から締め出すことができるのでしょうか。
強制的に排除するのであれば、「二・二六事件殉難諸霊慰霊法要」の名称をはずし、安田氏とその仲間内の私的な行事とするべきです。
私とて何が何でも遺族席に着席したい訳ではありません。電話で安田氏に申し上げました。
「『カクカクシカジカの事情だから、遺族席に座るのは遠慮してくれ』と、初めから筋を通して言えば話は丸く収まるではないか」、と。
これに対し安田氏は即座に「私は初めから丸く収めようとは思っていない」、と本音を吐露しました。初めから諍いを起こすこと、私を排除することを目的としての策略だったのです。
決起した青年将校は歳若く、殆どは未婚者であったために、遺族と言っても子・孫はいません。82歳になる安田氏が、この先10年も20年も慰霊法要を営んでいけるものではないでしょう。誰かが継承していかなければなりません。
戦後体制の中で安穏とその経済的繁栄を享受し続け、世の不況とも無縁で何不自由ない生活が保障された状況に身を置きながら、不当にかつての同志遺族を排除することが、若くして刑場の露と消えた青年将校等の志に沿った措置でしょうか。
私は自らの政治的主義・主張を慰霊法要の中に持ち込むものでもありませんし、誰にも迷惑を掛けているとは思っていません。
今回の遺族席への着席禁止の措置は、殉難者遺族による総意ではなく、単に安田氏の暴走によるものと理解しています。