民主党が308議席を獲得して、自民党政権は終焉を迎えた。
日本における戦後政治の転換点だ。
結果がこうなる事は選挙前から予想されていたことであり、さほど驚愕するにも値しないであろう。
これは何も民主党が掲げた「子供さえ生めば金をやる」、とか「高速道路は無料で走り放題」といった、目先の人参に国民が群がったという程度の希薄な現象ではあるまい。
小泉政権以降、安倍・福田と一年ごとに政権がコロコロかわり、失言を遡上に挙げるには打って付けの麻生が総理になったこと。
一向に回復しない景気に対する不満や雇用不安が重なり、自民党に愛想をつかせた国民の逆襲によるものであろうか。
今回、民主党に一票を投じた有権者の中には、4年前の総選挙で自民党・自民党候補に投票した人間が多数いる訳であるから、
有権者の意識というのもいい加減なものだ。
二大政党制といっても、その根底をなす強固な支持基盤はほんの僅かであり、その上を覆い尽くすのは、ポピュリズムに彩られた無党派層である。
本来、国政を預かる議員とは個人の資格で国民・有権者に主義主張を訴え、支持を仰ぐべきではないか。
しかし、現行の選挙制度では政党ばかりが全面に出て、政治家個人の資質が軽んじられているようだ。
小選挙区において自民・民主で4年前と同一候補による対決の図式があるとしよう。前回は自民候補に投票し当選させ、そして今回は民主候補に投票した有権者もいるだろう。
この有権者は何故、転心したのか。自民党議員に不祥事が発覚したならば別だが、殆どの場合は、確たる理由はないはずだ。人物ではなく政党で選んでいるのではないか。
そうでないなら、4年前に自民党議員に一票を投じたという自身の投票行動を誤りであったと認め、反省しなければならないだろう。
しかし、そのような有権者は皆無に等しい。
選挙に参加する、つまり投票することこそが民意の反映だと思っている節がある。
選管としては投票率を上げることが使命のように投票を呼びかけている。が、本来であれば自らの確かな信念をもって、投票という行動を起こすべきではないか。雰囲気やムードで国の将来を決定されても困るのだ。
有権者がそれなりの覚悟を持てって投票に向かえば、候補者もいい加減な人物が立候補できなくなる。
少なくとも当選を目指す大政党の候補者選定は真剣になる。
今回の民主党当選議員に限らず、前回の小泉チルドレンと言い、あまりにも軽薄なる国会議員が有象無象の如く誕生しているではないか。
この程度の国民にして、丁度良い釣り合いの国会議員という事なのか。