2月26日(土曜日)
麻布の賢崇寺で2.26事件全殉難諸霊慰霊法要
法要の後に、麗澤大学教授で昨年10月に内閣参与となった松本健一先生が
「雪の2.26事件」、と題し記念講演を行った。
先生は5年前の事件後70年とその翌年にもこの場で講演を行っている。
5年前の講演では、北一輝に関する著述はすべて書き上げた、
これ以上は新しい資料は出てこないだろう、と話した。
しかし、3年前に「満川亀太郎日記」が出版された。
北・大川と並ぶ猶存社の三尊といわれた人物で、「天神さん」と呼ばれ大変に面倒見の良い人物であった。
北や中野正剛とは懇意であり、日記の中では、誰と何時逢ったかなどが具体的にでてくる。
貴重な資料である。
まだまだ、研究しなければならないのだが、内閣参与に就任してからは
著述全550ページの残りの50ページが全く書けないほどに、多忙を極めている、とのこと。
松本先生が手にする満川亀太郎日記等の書籍には、びっしりと色とりどりの付箋が挟み込まれている。
おそらく、中には多くの書き込みがなされているのだろう。
アラブの状況とダブらせて、「軍隊が国民の側に立った時に独裁を倒す事ができる」
「国民を救おうとしたのが青年将校であった」、と締めくくった。
講演に先立っては仏心会(殉難者の遺族の会)代表世話人の安田善三郎氏が挨拶。
一昨年12月の朝日新聞のインタビューに語ったのと同じ、
「私心がなかった事は認める。しかし、人の命を奪ったことは絶対に許されません」、との持論を参会者一同に明言した。
226事件に関らず軍隊というのは人の命を奪う事を前提に組織されている。
将校はその軍隊を指揮する立場にある。
しかし、、この安田氏の考え方というのは、一種の反戦平和主義者と共通するものがある。
「日本は侵略戦争をやった。アジアの国々に謝罪しましょう」、的な発想と共通している。
仏心会は政治的な集まりではない。しかるに、維新の成就のために頑張ろう、といったスローガンの下に法要を営むものではない。
と、同時に「多くの人の命を奪った青年将校達を許さない」、と言った主張を発信する場でもないはずだ。
安田氏個人がそのような考えを持つのは自由である。
しかし、そのような人物が世話人代表となって、青年将校等の殉難者法要の場を取り仕切ることが、適切なのかは大いに疑問である。
外国人(主に西洋人)向けの高層マンションが林立する高級住宅街の中にぽっかりと空いたような空間に位置する麻布・賢崇寺の墓所。その一番奥に二十二烈士の墓碑は位置する。
外国人(主に西洋人)向けの高層マンションが林立する高級住宅街の中にぽっかりと空いたような空間に位置する麻布・賢崇寺の墓所。その一番奥に二十二烈士の墓碑は位置する。