大阪に行きます

 
12月2日(日曜日)の予定
 
一日会に参加します。
時間:午後1時〜4時
場所:「たかつガーデン」(大阪府教育会館)
    大阪市天王寺区東高津町7−11
参加費:千円(学生不要)
 
「一日会」は、中山嶺雄先生が主催する勉強会です。
毎月第一日曜日に開催されています。
主催・運営において弊会は、関与していません。
 

「咲く場所」、を決めるのは誰だ

 
 増木さんからは日々大量のメールが「百人の会」情報として送信されてくる。
最近、その中で西村真吾元衆院議員が発行する「真吾の時事通信」があった。
たちあがれ日本(平沼赳夫代表)の下で議員復帰を目指し大阪十七区で活動してきたが、維新の会との合併が決まると、選挙区の立候補者名簿に自分の名前はなかった。
それも翌日の新聞を開いて知ったというものだ。
 
その心境を
「人生とは、我々が稽古する時間もなしに役割を演じなければならなぬ劇である」 チェンバレン
「置かれた場所で、咲きなさい」 渡辺和子
 この言葉の原詩は、
 Bloom Where God Has Planted You.(神が植えたところで咲きなさい)
 
と、いう二つの詩で表している。
 西村氏については、所謂保守という人々には受け入れられているのだろうが、私の思想信条とは政策面でもかなりの隔たりがある。
また、安易なる言動が物議を醸し防衛政務次官の職責を失うなど、軽率なる言動には眉を顰めることもしばしば。
 しかし、平成9年に北朝鮮による拉致を国会で取上げたのは西村氏が最初であり、彼が奔走したことで、その後の家族会と連携した救出活動の盛り上がりがあったと言える。
また、平成13年に西村修平氏等5名の保守系活動家が、女性国際戦犯法廷報告会に出向いて威力業務妨害罪等で逮捕・起訴・勾留されたことがあった。
 逮捕後いち早く、私の事務所を拠点として、救援対策本部を立ち上げ弁護士とも打ち合わせ保釈の為に尽力したが、幾度となく申請してもことごとく却下され続けた。
 そんな苦境の中で翌14年、西村真吾衆院議員は衆院本会議の中で、森山真弓法務大臣(当時)に対し質問をしてくれた。
「愛国心にかられ抗議の為に討論を挑んだ彼等が何故逮捕され、これほどまでに長く勾留をされねばならないのか」
一人一人の生い立ちや家庭環境を説明し、大臣に対し、保釈の必要性を説いてくれたのだ。
 結果としては、それでも保釈は適わなかったのだが、この恩義を忘れる事はできない。
 別に今回の選挙において西村氏を応援するものではないが、荒削りで武骨なように見える破天荒な言動と同時に、内面では情に厚い古武士のような気風を感じるところがある。
 
「置かれた場所で、咲きなさい」
  神様のお決めになったことには逆らうものではありませんよ、とのメッセージある。
如何なる不条理であろうとも、神の決定には購う事ができない。
 敬虔なるクリスチャンである西村真吾氏の政治家としても弱さでもあろうか。
 この詩の作者、渡辺和子とは、昭和11年の二・二六事件において眼の前で父・教育総監渡辺錠太郎を処刑された当時9歳の少女であった。
 18歳でキリスト教の洗礼を受け、現在はノートルダム清心女子大の名誉学長。
 私達また、西村真吾氏にとっても政治的には対極にある反戦平和主義者なのである。
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下記は「真吾の時事通信」の全文
斯くの如く、総選挙に臨む
                                                  No.797 平成24年11月22日(木)

 諸兄姉、
 十一月十六日の本時事通信で書かせていただいた私の所信を、具体的に如何にして実現するのか、もっと具体的には、如何にして衆議院総選挙に臨むのか、このことに関して以下述べさせていただきたい。
 
 三年半前の総選挙で、自民党から民主党に政権を交代させた国民は、民主党政権の政権能力無き惨憺たる状況と、我が国を襲う厳しい内外の状況の中で、無惨に国益が毀損されている事態を唖然として見続けた。
 ここで明らかになったことは、政権を自民に戻しても、もとの黙阿弥、崩壊する民主を政権から追放しなければ日本は滅びる、つまり、戦後体制の中で育った自民党も民主党も、もはや我が国を取り巻く状況に対処できないという完璧な閉塞状況という「時代の回答」である。

 この事態を前提にして、祖国の将来を思う日本国民に、「なんとかしてくれ」というこの閉塞状況からの脱却の願いが渦巻いている。
 即ち、今、我が国の誇りある存続の為、つまり国家のサバイバルの為!に必要なことは、戦後体制の自民でもなく民主でもない政治勢力の結集、即ち、政治に於ける「戦後からの脱却」である。
 
 そして、このことを実現してゆくことが、石原慎太郎さんが言っている「大同小異」の「大同」なのだ。
 従って、十一月十三日に石原慎太郎、平沼赳夫共同代表の「太陽の党」が結成される前より、断続的に、「日本維新の会」との合同協議が行われ、私は、この「大同」は、石原慎太郎氏と同様、幕末に於ける薩長連合と同じ「時代の要請」であると考えていた。
 ご承知のように、維新の会は、大阪を中心にして、民主党に絶望し自民党にも戻らない大量の漂流する票を吸収してきたからである。つまり、維新の会に集まる票は、この閉塞状況からの脱却を希求する「なんとかしてくれ」という国民の大きな願いを顕しているのだ。
 それ故私は、十一月十一日の日曜日に、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演したが(収録十一月二日)、「たちあがれ日本」(当時)と「日本維新の会」との合流問題が成るか成らないか司会から尋ねられて、
「成るでしょう、緊急手術に際して医者が考慮するのは何ですか、血液型が合うかどうかだけでしょう、成ります」
と答えた。
 まことに、我が国は、緊急手術が必要なほどの内外の国難に迫られており、「血液型」つまりお国のために何とかしなければならないという「祖国への愛」があれば力を合わせねばならない秋(とき)なのだ。

 そこで十六日に前の時事通信を書き込み、午後、堺市の泉ヶ丘駅の街頭で、急遽印刷した石原、平沼、西村の三人の写真を掲載して私の所信を書いたA4版のビラを仲間と配ったところ、駅前を通る人々は一時間で用意したビラ千枚を全て受け取り、次々と「がんばりや」と声をかけてくれたのである。
 堺の人々の激励に励まされ身が熱くなり嬉しかった。総選挙への確かな手応えをいただいのだ。

 そして翌日十七日を迎えた。
 この日、石原慎太郎代表が、大阪に来て「日本維新の会」の橋下徹代表らと合同に関して協議をする日だった。
 夕刻、両者の合同が決まり、党名は「日本維新の会」で代表に石原慎太郎氏が就任すると報道された。
 これで良いんだと思った。
 すると、外が暗くなってからの報道で、さっそく「日本維新の会」の候補者名簿が発表されたという。
 あとでテレビの映像で分かったが、大阪の我々「太陽の党」の側は、協議は「ボス交渉」の場だとして両代表同士の話し合いを外で見守っていてそこにいなかったのだが、「日本維新の会」の側は党大会のように党員や所属地方議員が集合していた。
 そして、この「集会の場」に石原慎太郎代表が導かれて姿を現し公認候補が発表された。
 翌十八日の朝、新聞には「日本維新の会」の候補者として私が立候補するつもりで活動を続けていた大阪十七区に私の名は無かった。愕然とした。
 以上が、十七日と十八日のことである。
 つまり、新しい事態に移行するに当たり、食い違いがあったということだ。
 以下、それ以降の推移を述べる。
 これは、つまり、「腹を決める問題」だから簡潔簡明だ。

 二十日に上京して、まず平沼赳夫「日本維新の会」国会議員団団長と会い、後に石原慎太郎代表と会った。
 この二人の新しい立場で明らかなように、二人は数十年の盟友でこの度の総選挙後の国政にはこの二人が主導して臨む。
 
 私は、平成八年から石原さんと尖閣視察を話し合って計画を練り翌年五月、石原さんとともに尖閣に行った。
 私は、平成十四年から長年北朝鮮に拉致された国民を救出する為の拉致議連の幹事長として拉致議連の会長である平沼さんに仕え、深く尊敬している。
 そして、大義は、幕末の薩長連合に相当する
 「戦後体制からの脱却」
 
 その平沼赳夫先生は、自分も我慢した、頼む耐えてくれ、と言われた。
 よって、腹を決めた。我を捨てる。
 大義の前で旧勢力を利する内紛をしない。
 即ち、選挙区で闘わず、総選挙への対処は石原、平沼両先輩に委ねる。
 私は、この二人の先輩とともに、戦後体制(敗戦国体制)からの脱却に邁進する。
 
 このようにして、この度の総選挙において、私は選挙区で闘わず、比例区にて立候補することが決まったのだ。
 ご理解をいただきたい。
 この日、上京する新幹線車中でふと開いた西郷南洲手抄言志録には、次の句があった(「西郷南洲遺訓」はいつも鞄に入れて持っている)。
「およそ事をなすには、すべからく天につかうるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず」

 諸兄姉、
 以上が、十六日の時事通信から二十一日までのことです。
 この間、時に私のなかに甦った二つの言葉を次に記しておきたい。
 誇りある祖国日本の再興の為、
 戦後体制(敗戦国体制)からの脱却の為、
 ともに歩んで行きましょう。祖国を信じて。

「人生とは、我々が稽古する時間もなしに役割を演じなければならなぬ劇である」 チェンバレン
「置かれた場所で、咲きなさい」 渡辺和子
 この言葉の原詩は、
 Bloom Where God Has Planted You.(神が植えたところで咲きなさい)


底が見えたか 『日本維新の会』

 
NHKニュース詳細
維新 みんなの党との合流を断念

 日本維新の会の松井幹事長は、27日夜、大阪市内で記者団に対し、来月の衆議院選挙に向けて、橋下代表代行が呼びかけた、みんなの党との合流を断念したことを明らかにしました。

 この中で、松井幹事長は「衆議院選挙がこれだけ間近に迫ると、時間的な制約もあるので、今回は、お互いに切さたく磨しようということになった」と述べ、橋下代表代行が呼びかけた、みんなの党との合流を断念したことを明らかにしました。
 そして、松井氏は「しかたがないところもあるが、似通った政策を掲げるならば、太陽の党とわれわれが一緒になったように、みんなの党とも一緒になりたかった」と述べました。
 一方で、松井氏は、衆議院選挙でのみんなの党との連携について、「江田幹事長とは、お互いに候補者が重なっていないところは、相互に推薦して支援していこうと話した」と述べ、両党の選挙協力は進めていく考えを示しました。
11月27日21時52分

やはりと言うべきか。
 発足当初の「日本を根本から変える。社会構造を変革する」、などと言う大言壮語の雄叫びは、客寄せの掛け声だけだったようだ。
 現在の利権構造の上に成り立つ、パイの奪い合いに終始する政党政治に終止符を打てるのであれば、との期待もあっただろうが、所詮は数合わせの選挙戦。
 準備が整わぬうちの衆院解散で、本性を曝け出す事になった。正に野田・民主党の特攻作戦解散という術中に嵌った形となった。
 このままでは民主党のボロ負け、政権からの転落は確実。
 自民公明党に議席を奪われるのは仕方ないとして、日本維新の会からも喰い尽くされたのでは適わない。
 死肉に群がるハイエナの数は一匹でも少ない方が良い、と突然の解散・総選挙を仕組んだ。

 維新の会の決定的な敗因は、石原の太陽の党と組んだことにある。
最初からみんなの党と合併していれば、こんな醜態を曝け出すこともなかったろう。
 石原との個人的な交友を優先させ、自らが言うところの「退場願うべき真性保守とか言う古い体質の人々」と合流する事で、妥協に妥協を重ね支持者の信頼を失っていった。
もはや断末魔の様相を呈してきた。
 公示を目前にして、候補者選定からが滅茶苦茶。嘗ての自由連合並みのいい加減さときている。
 渡辺代表が苦言を呈すように、みんなの党に公認を申請して拒絶された人間を維新が小選挙区で公認。
それで、みんなの党と選挙区で候補者調整などできる訳がない。
 地方組織・支部・会員(党員)・運動員もいるのかいないのか不明。これで総選挙が戦えるのか。
 太陽の党の前身は平沼赳夫代表のたち上がれ日本。応援者は石原慎太郎。自民党に絶望したような所謂保守という人々、またはネット系ウヨクも応援する形で2年前、参院選を戦ったが、当選者はたった一人。
 それも自民党から公認をもらえないでたち上がれに流れてきた、自民党の硬直化した体質を引きずる片山虎之助。元々岡山県においては旧来の利権政治における磐石の地盤があり、平沼代表に見られる骨太の思想信条とは無縁の位置づけでの当選。
 他の候補者と言えば記憶に残るところでは、自民党から追い出され行き場を失ったお騒がせ男の杉村大蔵くらいか。
 こういったたち上がれの厚顔無恥なる体質がそのまま、持ち込まれたのが今般の日本維新の会だろう。


消防団を公私混同?

 
 2年程前に当ブログのコメント欄にて、「槇は消防団の制服を着用して政治活動に従事している」、と私を誹謗中傷する趣旨のコメントを掲載した人がいました。
 その後、消防団の内情を知る人だと思いますが、「槇さんは不用品の活動服を有効活用しているんだよ」、とコメントを書いてくれたのでこの件は落着したものと思っていました。
 
 ただ、最近になって読者から「消防団の制服で参加するのは公私混同である」、旨の指摘を頂きました。
2年前の人は匿名でしたが、今回は送信者も明らかにされており、好意的な意味合いでのアドバイスであると受け取っています。
 そして今回、時期を同じくして同様に「槇は消防団の制服で活動に参加している」、旨のメールが複数の人々の間で交わされているとの事を伝聞として知りました。
 直接の指摘以外にも、私の与り知らないところで、これだけ多くの人々が誤解していたり、誤解を増長させているという事実がある様子なので、説明しておきます。

紺色の活動服.jpg
 上の写真で私が着用している紺色の活動服は、以前は消防団の活動服として使用されていた物です。
4〜5年くらい前になるかと思いますが、写真下のオレンジラインが入った難燃素材の明るい紺色の活動服に替りました。
消防団活動服消防団活動服

背中には大きく「消防団」等の文字が入り、消防団活動以外で着用することはできないでしょう。
昔の活動服については廃棄処分や回収の指示も出ていませんので、バッジや階級章を外して普段着または仕事上の作業着として使用しています。
動き易くシワにもならず、洗濯機で洗えるので重宝しています。
そういう手軽さから政経調査会の政治活動において着用することもあります。
何かあれば文句をつけてやろうと一部の消防庁や消防団関係者においては当ブログの内容にも関心を持っているようですが、この活動服に関しては何ら指摘を受けたことはありません。
廃止になってから相当の期間を経ていることもあり、消防団活動の私的利用とは考えていません。
 
 私の生活実態としては、財政的困窮状況から収入の殆どは家族の生活費と食料の購入に充てられています。
 新たに自分用の衣服を購入する余裕はありません。よって、廃品となった消防団の活動服は私にとって貴重な存在です。
その他にも消防団から支給された紺色のTシャツがありますが、肌着とシャツの中間着として日常的に使用しています。
 私としては公私混同には当たらないと勝手に解釈していますが、甘いのでしょうか。


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政経調査会は都選管指定の「資金管理団体」です。

 国家変革を目指した維新革新運動
の維持・継続・発展・成就の為にも衷心よりお願い申し上げます。  
                                槇 泰智

総選挙を前にして

政経調査会の基本政策 


  11月16日に衆院が解散となり、12月16日に総選挙と、政界は慌しく動き出した。
弊会も一政治団体として、この状況を黙視するものではない。
勢力こそ雲泥の差ではあれど、国家革新を希求する政治団体として、政治的位置づけとしては
民主党・自民党などと並列の立場にあるからである。
今回の衆院選に候補者を立てられるものではないが、現在の日本を取り巻く政治的状況については弊会の姿勢を明確にしておく必要がある。
 
  まず、公言しておきたい事は、自民公明党が政権に復帰する事は断固としては阻止しなければならない。
55年体制の下で、国家の尊厳と矜持を蔑ろにして、財界と共に営利至上主義に奔り人心を貶めてきた自民党。
 平成11年10月の自公連立政権成立以来、自民党は創価学会という集票マシンの麻薬に冒された中毒患者となっている。
この連立以降、この二つは事実上一つの政党、「自民公明党」となっている。
 
「所謂保守」勢力やネット系ウヨクが、諸手を挙げて安倍政権の樹立を希求する醜態を曝け出しているがこれら売国勢力とは明確に一線を画すことを宣言するものである。
 
TPPへの不参加
 今回の選挙で一躍その焦点となったTPPに対する見解。
基本的にTPPへの参加には反対する。
月収20万〜30万円を得て働く日本人の生産した商品が幾ら精密・高品質でったとしても、その10分の一・二十分の一の低賃金で働くアジア諸国民の生産したものに価格で太刀打ちすることは不可能。
 また、作付け面積で圧倒的な広さを有するアメリカで生産された農作物に太刀打ちできないのは自明の理。
このまま安易にTPP参加すれば、生産拠点の空洞化、食料自給率の低下は加速するばかり。
しかし、弊会が主張するTPP反対とは、自民党の票田である農家の既得権益を護るための反対ではない。
 また、自民党に対する巨大献金元である財界のご機嫌を取るための反対であってはならない。
既得権益の上で胡坐をかいて、補助金目当てに堕落した農業を遂行してきた農協体質を抜本から改善する努力を行い
第一次産業・二次産業が実力つけた上での参加はやぶさかではない。
 
「反」ではない、「脱原発」を推進
 財界や大企業の既得権益・利権を確保する事が目的となっている原発依存からの脱却は急務。
危険・迷惑施設であることが分かっているからこそ誘致した自治体に対し多額の補助金という迷惑料を支払ってきた。
 これら補助金、そして今回の避難住民への補償金を参入すれば、安価なエネルギーでないことは明白。
今回の震災でこれだけ危険な施設であることが明確になった以上、原発依存から代替自然エネルギーへの転換を図るべきである。
 風力・地熱・太陽光に併せ、波力発電の開発に着手すべきである。
 所謂保守やネットウヨクが諸手を挙げて原発賛成を訴えている様は滑稽至極。
愛国者であれば営利至上主義の下、この麗しき山河をズタズタに切り裂いた原発に対し、ストップを掛けるのは自明の理である。
 ただし、「脱原発」であり「反原発」との違いは明確にしておく。
支那や南朝鮮と言った原発推進国が近隣にあることを考慮する。
それらの原発が放射能漏れを起こし、我国に危害が及ぶ場合の対処法を考慮すべし。
そういった観点からも原子力発電に対する技術開発は必要。
完璧なる安全対策を希求しながら、実験的に原発を確保する。
全供給量の数パーセント程度の発電に抑え、エネルギー源として依存するものではない。
 
消費税10%
 現在の財政を賄うのに増税は不可欠。「消費税を10%」は、私が平成11年に都議選に立候補した際にも明確に打ち出した基本政策。
限定的に、安価な日常の食料品に対しては無税とする。例えば備蓄米の放出などが対象となる。
同時に課税すべきところに的確な課税をできるように法律を改正する。
大きなところでは宗教法人からの適切な税金を徴集する。似非宗教法人による経済活動に課税しないことが異常である。
財界・大企業を肥え太らすだけのエコカー減税の廃止。
国の税収を減らしてまで、新車メーカーの売上に寄与する必要は無い。
車齢13年を越えた車は一律に自動車税が一割増しとなるのは不当。
13年以上の車が一律に燃費が悪い訳では無い。古い車に乗っていることに対するペナルティーとしての重価税は適切ではない。
現在、充分に使用できる車が年間300万台も廃棄処分されていることこそ、環境破壊である。
 
 
日本維新の会
 橋下徹が「日本維新の会」を立ち上げ、「現在の政治の仕組みを変える」、とぶち上げた。
もし、それが実現できるならば期待したいところだ。
石原新党との合流に対しては、「石原は良いが、古い体質の真性保守とかいう人たちには退場してもらいたい」、と「たち上がれ日本」の国会議員を牽制していた。これも橋下らしい。
与党自民党の中で既得権益に預かってきた既成議員に引導を渡した形であった。
しかし、合流して石原が代表になって様相は一変した。
妥協したとしか映らない形で、次々に基本政策が変貌した。
 企業・団体献金の拒否が撤廃された。たち上がれの国会議員に配慮したことは明白。
現在の政治資金規正法では、企業・団体から寄付を受けられるのは、政党とその支部に限られている。
 平成11年からは弊会のような「その他の政治団体」では受け取ることはできない。個人からの寄付に限定されている。
政党助成金と言う公金を受け取って、尚且つ企業・団体献金を受け取れるというのは、現有国家議員が決めた法律。
正に我田引水。これが日本の政治である。
 
 利権分配構造の打破
 現在の政治とは端的に言って利権分配構造の上に成り立っている。
自民党が土建屋からの献金を目指して公共工事と称し無駄でも何でも良い「箱物」をつくる。
 その施設が完成すれば、その中で共産党や社民党の左翼勢力が戦争展や慰安婦展などの反日教育を展開。
 施設のメンテナンス・維持管理・清掃は創価学会企業が請負うといった構図が出来上がっている。
こうした自分たちに与えられた既得権益を確保・維持するために、相手を干渉しない。
だから、地方で公民館の規約に反する反日・虐日的な戦争展なるものがが開催されていても、自民党議員が黙殺しているのだ。
逆に、田舎にこんな立派な施設は要らないと、税金の無駄遣いと思っていても、共産党・社民党にとっては反日活動の場ができるのだから反対はしない。
 3年前の政権交代で自民党が民主党に替わろうとしているに過ぎない。
 
自民党が推進する土建国家
 今般、自民党総裁安倍晋三は赤字国債を発行して日銀に買わせようと、ぶち上げた。
10年間で200兆円。つまり毎年20兆円の建設国債をばら撒くと公言している。
経済関係識者は財政法に違反する、インフレを引き起こすと批判しているが、
それ以前に問題とすべきは、ゼネコン、財界との癒着である。
まさに総選挙直前における賄賂・買収ともとれる、利益供与の約束ではないか。
 10年間で200兆円の建設プロジェクトとは、何なのか。
今の日本にそれだけのハコモノを建設する必然性が何処にあるのか。建設そのもにには何ら目的がない。
 200兆円の予算を確保してから、何を造ろうかと思案する政策の異常さを国民は指摘しなければならない。
 現在の産業基盤を改善しないならば、巨大産業であるゼネコンを食わしていくために、常にビルド&スクラップを繰り返さなければならない。
 現在、解体中の赤坂プリンスホテルに象徴されるように、まだ充分に使える物を壊して、また新たにつくる。
 自動車産業と同様にエコロジーとは相反する環境破壊が至上命題となってしまっている。
 日本の人口は減少しているといいながら、東京の郊外では大規模な住宅開発が各所で進行している。
 数年前まで広大な野原だった荒地に人工的に池を掘り、鉄道の駅をつくりレイクタウンなどと名づけたりと、やりたい放題の自然破壊が当たり前となっている。
 ベビーブームの時代ならいざ知らず、今の日本では住宅が不足しているのか?その逆である。
 都内でも空き家が目立つが、地方では人口減少から商店街はシャッター通り化が加速。
 東京周辺でこれだけ大樹規模な住宅建設を行えば、限られた人口と言うパイの奪い合い。
 地方の人間が利便性に惹かれて都会周辺に流入するのは自明の理。
 それを承知・野放し・助長・促進しながら政治家は声を大にして「地方を活性化させます」、と訴える。
欺瞞でしかない。
 
 こういった既得権益に乗っかった55年体制を本当に打破できるならば橋下でも石原でも良い。
 期待したいところであるが、現実には候補者の顔ぶれからは真剣さが感じられるものではない。
 政治的には右翼Vs左翼と言った横の座標軸に対し、縦に座標軸を持ってくるならば、既得権益を是とするか非とするが問われてくる。
横軸で言えば、同じ右側に位置しているとしても、縦軸になれば「所謂保守」とは対極の位置づけとなる。
それが我われ、維新改革派なのである。

南鮮大使館前「アンチ水曜デモ} 《動画アリ》

 
四谷の南朝鮮(韓国)大使館前アンチ水曜デモ《第47弾》
1)四谷四丁目交差点付近での街宣
http://www.youtube.com/watch?v=dbbQqgaaATs
 
2)大使館前での抗議
ttp://www.youtube.com/watch?v=04TtK1ykeMA
 
3)抗議文の朗読と投函
 
 昨年の11月2日から始まった慰安婦強制連行賠償請求に対抗する「アンチ水曜デモ」。
 当初は第一水曜日のみの予定でしたが、一般市民の後押しもあり、毎週水曜日の正午から1時間実施しています。(第三水曜日は午後2時から)
 第二水曜日は政経調査会の主催ということになっていますので、正午の開始早々からハンドマイクを用いての街頭演説を実施。
 それも大使館から200m程離れた四谷四丁目交差点の反対側という場所に追いやられています。
 12時30分から南鮮大使館前に赴いて、直接抗議を実施しています。
 この大使館前に行くのにも5名以内、ハンドマイクは禁止、プラカードの掲示も禁止、携行品は国旗を1本だけと、制限が加えられています。
 勿論、法律によって規制されている訳ではなく、現場を管理する四谷警察署の恣意的な弾圧によるものです。
 これは単に四谷署や警視庁の判断ではなく、日本国政府・外務省の意向に沿っての弾圧であると見られます。
 南朝鮮政府に対しては、「日本国内において貴国に対し文句を言う輩は存在しません。いれば駆除します」、との姿勢をとらなければいけない。
 正に属国的状態に置かれているのです。
 よって、憲法で保障された政治活動の自由・思想信条の自由も踏みにじられているのが現状です。
 そこで、上記の動画3)を見ての通り、抗議文の裏側に「竹島を還せ」等の文言を大書きして掲げることで、プラカード代わりにして対抗しています。
 また、同じく動画3)で分かる通り、大使館に対し抗議文を届けに行こうとすると警官がこれを阻止します。
大使館の意向を聞く前に警官が受取を拒否してしまう。
せめて、大使館に雇われた警備員が言うのならば、まだ筋が通っているのですが、警官がその役目を負わされているのです。
 
 そういった過酷な状況ですが、一年に渡りこのアンチ水曜デモを継続してまいりました。
 我々は、感情的に在日の朝鮮人を罵倒することが目的ではありません。
 朝鮮人に罵声を浴びせる事で溜飲を下げる・ストレスを発散させる人達もいるようですが、運動の目的は何であるかを把握して、その達成のためには何をするべきか。
 どのような表現を以って訴えることが有効であるかを考慮しなければなりません。
 特に大使館から離れ、四谷四丁目交差点と言う一般通行人が行き交うお昼のオフィス街におけるプレゼンテーションでありますから、現状の問題点を如何に理解してもらい、賛同・支持を得るかを考える必要があるのです。
 大衆運動を実行しているのですから、世間からどの様に見られているのかを機敏に察知する事も活動家としての感性が問われるところなのです。

11月14日のアンチ水曜デモ。
 建国義勇軍事件で長い修養生活を送り、一昨年に社会回復帰した木村岳雄氏が熊本から上京して参加してくれました。
大使館前まで一緒に赴き抗議の雄叫びを発していましたが、官憲による弾圧には驚いていた様子でした。
 最近の世の中は単純に「右傾化した」、などとのたまっているようですが、それは現在の戦後体制を維持するための体制寄り保守・利権分配集団にとって都合の良い右傾化でしかありません。
 我々、維新改革派にとっては茨の道でしかないのです。


四谷四丁目交差点に追いやられての街宣活動は不当である。
あくまでも大使館前において訴える権利を有している事を常に確認してから
演説に入る。

建国義勇軍事件では日教組や外務審議官に脅威を与えた木村岳雄氏が駆けつけ活動に参加する。


大使館前3.jpg
ハンドマイクの使用禁止とは根拠のない不当なる規制である。大使にも届けと肉声で抗議の声を上げる。
抗議文朗読1.jpg
プラカードの持込が禁止。朗読する抗議文の裏面に何かの「落書き」あり。
大使閣下へ1.jpg
大使か職員、または警備員に抗議文を手渡ししようといするが、四谷の警備課長が行く手を阻止する。
抗議文投函2.jpg
仕方ない。郵便ポストに投函する。この一年で相当な量の抗議文を入れてきたことになる。

靖國もデモも講演会も初体験だ

 11月11日(日曜日)、靖國神社茶店前でK君と待ち合わせ。
一緒に参拝し、遊就館の特別展を拝観する。
K君にとって靖國神社参拝は初体験とのこと。
インターネットの動画サイトを観て私のことを知ったということで、先日電話をもらった。
それでこの日の初顔合わせとなった。
インターネットの力、恐るべし。
 普段から野球に打ち込むスポーツ少年だ。キビキビとした受け答えが気持ち良く、長身でガッチリした体格からは、とても高校生には見えないくらいしっかりしている。
 現在の世の不条理を我々と共に変革していきたい、との思いから電話をくれたそうだ。
 
 午後1時から日比谷野音で開催される「憲法無効衆議院請願 錦の御旗けんむの会総決起大会・大行進」に参加する。
政治集会・デモ行進もK君にとっては初めての体験だ。
主催者挨拶・基調講演の後、来賓各位から挨拶。
土屋敬之都議・ドクター中松・四宮正貴氏等から順番に挨拶を頂き、3時からデモ行進に出発。
 ここでは「占領憲法を破棄せよ」とは、言わない。
占領憲法は無効だ」、との表現を用いて、大日本帝国憲法の復元を求める。
途中、3時半から雨が降り始める。
銀座中央通りを経て、東京駅近くで流れ解散となる。
けんむの会1
広々とした日比谷野音には200名弱が参集。曇り空の下、結構冷え冷え。

デモ行進では「原発反対」のデモ隊とすれ違う一幕もあったが、混乱はなし。大人の政治活動だ。日の丸と共に掲げているのは「にしきの御旗」
けんむのい会2
 6時から文京区民センターで、主権回復を目指す会の講演会。
 講師はジャーナリストの野村旗守氏が朝鮮総連問題を語る。
そして、元東大教授の酒井信彦先生が、「歴史問題の歴史」と題し、1950年代から現代までの我国と支那の間に発生した諸問題とその背景について時系列で講義を行った。
 
 たしかにインターネットの発信力というのは驚異的だ。
世間一般では無名の私でさえも活動に従事していることで、様々なリアクション・コンタクトがある。
K君のように、世の中の不条理をなんとかしなくてはいけない。
そういう思いを持つ人々からは、現代日本において最後の望みの綱として、コンタクトしてきてくれる人も少なくない。
インターネットの持つ魔力だ。幻想を見ているのか。
悲しいかな今の私が、すぐに世の中を変革するだけの力量を有している訳ではない。
そういう思いを持つ人々が結集して、発言し力を出し合えば、変革は可能だ。
現実に社会を変革するためには何をなすべきか。
目的と方法を見極めて行動することが必須だ。
 
 しかし、こういったインターネットの魔力に酔っている自称愛国者のなんと多いことか。
発進する立場の者が、外部からのリアクションの多さに陶酔してしまっている。
動画サイトで活動の一端を見て、全てを知ったつもりの賛同者・支持者からの声援を受けて、変革のヒーローとなった錯覚を受けている者もいるのだろう。
酔っ払いの戯言レベルの発言を動画の生中継で発進し、スター気取りか。
実際に居酒屋やカラオケでの醜態を生中継とか、正気の沙汰ではなかろう。
完全なインターネット中毒患者ではないのか。
情報発進ツールであるはずのインターネットに飲み込まれているのだろうか。
 
まあ、今は黎明期でもある。
悲観することは無い。こういった混濁の時代を経て、いずれは真贋が見極められ、正当なる大きな流れが出来上がることになるだろう。
成らなければいけない。自らがその先頭に立つ覚悟が必要なのだ。
 
 

暴排条例の結果か

 
 11月8日(木曜日)、一の酉。
夜、練馬の大鳥神社へ行く。
 練馬駅前を走る千川通りに近づくが、毎年恒例の屋台が見当たらない。
 街にはあの、お酉さんの熱気がない。
 「日にちを間違えたかな」と、思いつつも大鳥神社に近づくと、参拝の為に大勢の人々が並んでいたので、その最後尾についてゾロゾロと神社に向う。
 今年一年の無事を感謝し、来年の無病息災・商売繁盛などを願う。一番安い1000円の熊手を買う。
 恒例の屋台は神社から南の方の小路に面して立ち並んでいた。
 参拝客を含め、夜店目当ての人の数は例年通りだが、神社から北、練馬駅方向に屋台は無い。全体では例年の半分ほどなのだろうか。
 
 これは昨年施行された「暴力団排除条例」の影響だろう。
テキヤを排除した結果なのだろうが、現存する屋台とどう違うのか、素人目には判別が付かない。
 世間からはヤクザとい称される人々でも、自らが額に汗して調理した物を売って金を稼いでいる訳であり、それ自体、後ろ指を差されるものでもないだろう。
 そうした稼ぎの一部が組織に流れ、ヤクザ社会を存続させたとしても、一概に否定できるものでもなかろう。
 人は出自や育った環境、または個人の資質により、ある一定の人間が社会の枠組みからドロップせざるを得ない。
全員が品行方正・清廉潔白・人畜無害に生きていられる訳ではない。
 そんな彼等とて拾ってくれる社会がなくては、糸の切れた凧のようにやりたい放題の只の犯罪者集団となる。
六本木のクラブで一人を集団で殴り殺した「半グレ」という輩であろうか。
 ヤクザはヤクザなりにその中で、法律とは違う「掟」を以って、生きてきた。
 そういった人々が存在することすら許さないのが現代社会。
 
  都市は、綺麗に区画整理された街の高層ビルにはいる飲食店だけでは味気ない。
 数分歩いた所の込み入った狭い路地裏には、しもた屋のような怪しげな赤提灯の飲み屋も存在しているからこそ、人々は安堵できる。
 生身の人間の息遣いを感じることができるのと同じではないか。
 ヤクザ社会が存在しなかったのは、ナチス統制下のドイツ、スターリンのソ連、そして金日成の北朝鮮であったと言われている。
独裁体制の下で、異質な存在を認めない。異なった価値観を排除した。また、優性遺伝子を保護して、障害者を排除する。
そういった危険な政策に通じるものがある。
 
 11月3日には文化勲章の授与式があり、映画監督の山田洋次氏が天皇陛下から勲章を授与された。
人気を博した映画「男はつらいよ」シリーズなどの功績が認められてのことだ。
 左翼共産主義者の山田監督はインタビューで、「寅さんが生きていたらびっくりしたでしょうね」「寅さんはテキヤですから」、と自嘲気味に答えていた。
 平成8年に渥美清氏が亡くなって、その年に国民栄誉賞が授与された。
 所謂「暴力団新法」が施行されて4年後であった。
各地の祭礼や盛り場でのタンカバイを生業とするヤクザを演じていたのである。
 国を挙げてヤクザを排除する、新法を作ってその存在すら否定してきた、日本国がヤクザを演じて国民の絶大的人気を博した俳優に国民栄誉賞を贈呈するとはお笑い草ではないか。
 
 祭を彩る夜店の屋台。日本の風物詩であるが、この世から姿を消す日も近いのだろうか。

大日本帝国憲法の復元

 

 弊会が企画・運営等に関与しているものではありませんが、11月11日(日曜日)
午後1時から
日比谷野外音楽堂で集会とデモがあります。

天気予報を見ますと「曇りのち雨」ということで、あまり芳しくはないようです。

傘の用意をして参加致します。会場でお逢いしましょう。

以下、主催者の呼びかけ文です。

 

 

来たる11月11日(日)錦の御旗けんむの会主催、my日本共催による、衆議院への占領典憲無効確認決議請願デモが決行されます。
日頃から声を大にして訴えておるところでありますが、我が國の現下の内憂外患の悉くは、忌むべき占領典憲に淵源します。
これらが皇室典範ではなく、憲法典ではないことを確認し、我が國の正統皇室典範と大日本帝國憲法の現存を確認して、
以て、我が國のあるべき姿を取り戻す、第一歩を、ともに踏み出そうではありませんか!
我々日本人の、まことの姿を取り戻す、その大いなる第一歩、
それは、11・11日比谷野外音楽堂から始まります。
皆様、何卒ご参加を心よりお願い申し上げます。
衆議院への占領典憲無効確認決議請願署名用紙

*住所欄「同上」等不可

開催日時 平成 24年 11月11日(日)
       受 付   午後12時 00分
       開 催   午後13時 00分
       集会終了  午後15時00分
       デモ出発  午後15時30
開催場所 日比谷音楽堂
       東京都千代田区日比谷公園1・3
       TEL(03−5532−1522)
来  賓   挨拶
参 加 者  趣旨に賛同する全国民
       思想・信条・宗教・性別・年齢不問
参加費   無 料
必需携行品 日本国旗
    デモで掲げるのは「国旗」・「錦の御旗」の    み・・・他の旗はご遠慮くださいませ
    垂れ幕・・・けんむの会作成のもの
 各関係団体の旗や垂れ幕はご遠慮願い奉る

主催  けんむの会 会長
    世界遺産 南朝皇居 吉水神社
    宮司 佐藤 一彦(素心)

参加希望者・・事前予約先
連絡先 (0746−32−3024)

 

http://ameblo.jp/sangreal333/image-11374575868-12227164326.html


真紀子は支那の走狗だから

 

 文科大臣・田中真紀子が、またしでかした。理念も政策も持たない場当たり的パフォーマンスに振り回される国民は堪ったものではない。

 現在の日本には大学が多すぎる。これに少子化が拍車をかけ誰でも合格・入学が適う全入時代と言われ、大学生の学力や資質が低下していると言われている。
 そのような状況下において、新たな大学の設置を抑制していこうという方向付けは評価されてしかるべきだ。
 定員割れを回避するために支那人留学生を連れてきて、結果就労目的のオーバーステーを放置している地方大学が存在するのをみれば、新設の抑制は当然であろう。
 しかし、真紀子が審議会の答申を覆したのは、長期的な国家ビジョンを見据えたものではなく、官僚支配の省庁のあり方、教育行政における特権を振りかざす審議会の存在に反発したようにしか見えない。
 新設を却下した結果、これに携わる大学関係者・学生にどのような悪影響が生じるかなど考えた事は無いし、考慮する能力さえ持ち合わせていないのが実情。
 このような者を大臣として任命した野田佳彦の責任は問われるべきであるし、議員として選んだ有権者にも問題がある。また、このような人物が国会議員として選出される制度自体がこの国の悲劇を物語っている。
 下記の11月3日付け、讀賣新聞が報じる通り、大学への編入を計画していた短大生の人生はどうなるのか。
地方においては大都市と異なり、編入できる同一学科を備える大学が近くには存在しないのが現実。
 大学開設を前提に前の職場に辞表を提出済みの教員。校舎建設済みの大学など、不利益を被るものが大勢存在する。
それも自分達の不作為によるものではない。制度のもと審議会が認めたことを受けての設置準備であった。
 真紀子は会見で「『大学設置認可の在り方を抜本的に見直す』と述べ、認可を厳格化する方針を示した。」、とある。
あくまでも「見直し」を行う「方針」なのであるから、今までの悪しき慣例というか因習を断ち切って厳正に審査するという転換の方向性を明言すればよいこと。
突然の政策転換には、政治家として大臣として、国民生活の安寧を希求しようとする姿勢は全く見られない。単なる意地悪バアサンと見えるのであり。大学院と学部の新設は全て認めて、大学新設だけを無条件に却下とは、内容を吟味した形跡も見られない。
 
 無秩序なる大学の新設ということ自体が、戦後保守政治の中における利権分配構造の一端であり、新設抑制は歓迎すべき施策ではある。
しかし、却下の根拠が曖昧であり、やり方が稚拙である。
 「不逞支那人の偽装留学を許さない」、と訴える所謂保守の人達からすれば、無条件に歓迎すべき決定となるかもしれないが、そういった理念を持たぬ真紀子であるから、逆に「日中友好推進の為に留学生の受け皿が必要です」、と言われれば即座に不認可を撤回することもありうるだろう
 支那大使館経由で話を持っていけば、どうだろうか

 

<田中文科相>3大学の新設認めず…審議会の答申覆す

毎日新聞 11月2日(金)12時37分配信

<田中文科相>3大学の新設認めず…審議会の答申覆す
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田中真紀子文科相

 田中真紀子文部科学相は2日、閣議後の記者会見で「大学設置認可の在り方を抜本的に見直す」と述べ、認可を厳格化する方針を示した。また、大学設置・学校法人審議会が1日に来春の開学認可を答申していた秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大(愛知県)の3件の4年制大学を不認可とした。文科相が審議会答申を覆したのは、省内に資料が残る30年間で初めてで、極めて異例の判断。
 学校法人が大学を開校したり学部を新増設したりする場合、文科相は審議会にその可否を諮問し、答申を受けて決定する。田中文科相は全国に4年制大学が780(国公立181、私立599)校あることに触れ「大学教育の質が低下している。そのために就職できないことにもつながっている」とし、当面は新設を認めない方針を示した。今後、検討会を設け、メンバーの多くが大学の学長や教授で占められている審議会の在り方を見直す。

 1日に答申された学部の開設(16件)、大学院の開設(13件)は答申通り認可した。【石丸整】

 

田中文科相考え直して…編入希望絶たれた短大生

読売新聞 11月3日(土)8時48分配信

 「到底承服できない」――。文部科学相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が認めていた大学3校の来春開校に2日、田中文科相がストップをかけたことに、大学の地元から強い反発が噴き出した。
 「大学が多すぎ、質が低下している」。不認可決定はそのような理由だったが、3校に落ち度はなかった。開校を見込んで準備を進めてきた学生や大学側は突然の決定に振り回され、激しい動揺が広がった。
 「直前に言われても困る。また一から考え直せというのか」
 秋田市の秋田公立美術工芸短大2年の女子学生(20)は、来春、短大から生まれ変わるはずだった秋田公立美術大(4年制)の3年次に編入する希望を絶たれた。
 「(田中文科相には)できれば考え直してほしい」と困惑気味に話した。
 やはり編入を考えていた1年の女子学生(19)も「(短大卒業後の)就職は全く想定していなかったので、他大学への編入も考えなくては」と肩を落とした。
 4日に予定していた美術大として初のオープンキャンパスも中止が決まった。
 秋田市の穂積志市長は記者会見し、「我々は審議会から示された審査基準を一つひとつクリアしてきた。審議会は大臣の諮問機関であり、そこで許可したものを大臣が覆すのは行き過ぎだ」と怒りをぶつけた。近く文科省を訪ね、不認可の撤回を求めるという。
 3年前から札幌保健医療大(札幌市)の新設準備を進めてきた学校法人「吉田学園」には1週間前、文科省から「認可に少し時間がかかっているが、手続きに問題はない」と説明があったばかりだった。それだけに鈴木隆・大学設置準備室長は「不認可」の連絡を受け、「あまりに唐突。とても受け入れられない」と憤る。教員約30人は既に内定済み。現在の職場に退職届を提出した人もいる。
 来春、4年制大学の岡崎女子大(愛知県岡崎市)を開設予定だった学校法人「清光学園」の長柄孝彦理事長は2日夕、緊急記者会見を開き、「文科省が示している基準をすべてクリアしているのに認可されないのは理不尽。はい、わかりましたとは言えない」と語気を強めた。校舎の改修や備品の購入費としてすでに2億7000万円を投じ、来春から専任教員として新たに12人の採用を内定していた。

最終更新:11月3日(土)14時38分

読売新聞


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