7月14日に告示された東京都知事選も本日が投票日となった。
まあ、とにかく逆風を跳ね除けて多くの票を獲得し、マスメディアの創る虚構を打ち壊してもらいたい。
中野区から維新を発信
日本はすでに終わっている。絶滅危惧種となった我々、真性日本人が日本を立て直す。
7月14日に告示された東京都知事選も本日が投票日となった。
オリンピック利権に巣食う巨悪、撃つべし
http://www.tokodenko.co.jp/contact/
本社 | 101-8350 | 千代田区西神田1-4-5 |
|
役員
平成28年6月10日現在)
週刊文春 7月27日(水)16時1分配信
“都議会のドン”といわれる内田茂自民党東京都連幹事長(77)が役員を務める会社が、複数の東京オリンピックの施設工事を受注していたことがわかった。
内田氏は、落選中だった2010年から地元・千代田区に本社を置く東光電気工事の監査役に就任。内田氏の所得等報告書、関連会社等報告書を総合すると毎年数百万円の役員報酬を受けているとみられる。
東光電気工事は、大手建設会社とジョイントベンチャー(JV)を組み、今年1月、バレーボール会場の「有明アリーナ」(落札額360億2880万円)、水泳の「オリンピックアクアティクスセンター」(469億8000万円)の施設工事を落札。東京オリンピックに向けては3つの恒久施設が新築されるが、このうち2件を東光電気工事のJVが受注したことになる。
特に、有明アリーナの競争入札では、東光電気工事のJVの入札価格がライバルのJVより高く、価格点で下回ったが、施工計画などの技術点で上回り、落札に成功した。専門紙の建設通信新聞も<逆転落札>(1月18日付)と報じたほどの逆転劇だった。
東光電気工事は、五輪施設だけではなく、豊洲新市場の関連工事など、都発注の工事もたびたび受注。売上高は、内田氏が復活当選する2013年までは700億円前後だったが、2014年には約1000億円へと急成長している。
日本大学の岩井奉信教授はこう指摘する。
「内田氏は都の予算に大きな影響力を持つ人物。条例等で禁止されていないとはいえ、五輪関連工事を受注するような企業の監査役を務めていること自体、望ましい話ではありません」
「週刊文春」の取材に、東光電気工事は「個別の営業について相談したことはございません。従って、ご質問の事業についても内田茂氏が関係した事実は全くございません。なお、役員の個別の報酬額は公表しておりません」、内田事務所も「口利きのような事実はありません」と回答した。
東京オリンピック施設を巡っては、整備費の高騰が問題となっており、新知事と都議会の対応が注目される。
「週刊文春」7月28日発売号では、都知事選のキーマンでもある内田氏の人物像を詳報している。
7月26日に植松聖が行った大量殺戮はナチスが実践していた優生政策をそのまま実行していたと言えるだろう。
優秀な遺伝子のみを残す。劣勢な遺伝子は消滅させることによって民族の優越性を高めるものである。
社会の負担となる障害者は生きる値打もない。社会の重荷であるといった観点から、命を奪う事を肯定した思想である。
これを忠実に実行したのが植松の凶行であろう。
彼は単に概念や机上の問題としてではなく、実際にこの障害者施設において勤務する中で、このような思想を体得したとも言える。
日本における医療費の大半は終末医療と回復の見込みがない障害者へのケアで費やされている。
こういった社会負担が若年層への社会保険料や税金としてのしかかっている。
早い話がこういった人々を安楽死等の形でこの世から消滅させれば、社会保険料・税金が不要、若しくは軽減された住み易い世界となる。
自分が何者かも分からない中で、医学の力を以って強制的に生かされている人々を見て、このような思想に奔ったというのは頷けない訳ではない。
平成11年に都知事に就任した石原慎太郎氏が重度障害者施設を訪問した際に、「ああいう人たちには人格ってものがあるんだろうか」、と発言して物議を醸したことが思い出される。
また今回、都知事選において当選するかもしれない桜井誠氏においても、活動を伝える過去の動画の中では、街宣活動に文句を付けてきた車椅子にのった障害者の老人を数人で取り囲んで「おまえなんか生きている値打ちもないんだよ」、と説教を行っている。
これらは実行こそ行っていないが、ナチスの優生思想の一端と共通するものがないだろうか。
「殺せ殺せ朝鮮人」、と言った街頭でのデモスピーチは所謂「ヘイトスピーチ規制法」によって封印されることとなったが、
これは在日朝鮮人の政治力が強大であったから成立したものであり、障害者に対するヘイトスピーチならモラルに反していないという訳ではない。
この優生政策が一定の指示を得て公に声を発するようになれば、法律で規制されることになるかもしれない。
だが、人々の中に巣食う差別意識までを淘汰することはできない。
国家経営の戦略から言えばこの優生政策が健常人にとって快適なものとなることもあるかもしれない。
しかし、人間には叡智があり人徳が備わっている。他者を思いやる慈しみの精神もある。
いつ何時自分自身も障害者の立場に陥るかもしれない。
もしかしたら我が子が障害を負っていたかもしれない、それを彼らが身代わりに背負ってくれているのかも、といった想像力を働かせるだけの独創性がある。
重度の障害者を負っている子供でも、生涯の宝と慈しむ家族の存在がある。
ここ十数年来のネット社会においては自らの考えを匿名で披露できる環境が整っている。
その中では驚くには値しないが、「障害者は社会のお荷物」「障害者を安楽死させろ」、と言ったカキコミは無数に散見される。
ただ、匿名であるから発信できるのであり実名を晒して言えるかとなると、その環境にはない。
「障害者を殺せ」と思っていたとしても人前で口に出すことは恥ずかしいことである、との自己抑制が掛けられているからである。
または、そのように思う事が恥ずべきことなんだ、と言い聞かせて封印してきたのである。
しかし、この事件をきっかけとして優生思想というものがクローズアップされた時には堂々と発信できる環境が整わないだろうか。
数年前は「朝鮮人を殺せ」などと街頭で発信するこよは想像もできなかった。
何も本気で殺すつもりはない。社会にインパクトを与えたい、世間の注目を集める手段として発したことが、抑圧されていたネット住民の指示を得て拡大し、これに危機感を抱いた、という事になっている当事者たる朝鮮人が政治力を駆使してヘイトスピーチ規制法を成立させた。
実際のところ「朝鮮人を殺せ」コールで実際に殺されたり、死の恐怖に陥った人間はいない。
精神的に嫌な思いに陥ったという位が現状であろう。
現在では障害者に対するヘイトスピーチ規制はない訳であるから法制度上は問題ない。
世間の注目を浴びたければ「税負担の軽減」を名目に「殺せ殺せ障害者」と連呼してデモ行進をすることは可能である。
終末医療の在り方、回復の見込みがない重度障害者へのケアの在り方に対しては、大いに見直し・議論が必要なことは言うまでもない。しかし、今回の事件が契機となって、議論に着手するようなことがあってはならないだろう。
●「優生学」とは、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことにより、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康を計ろうとする思想をいう。それゆえ、「優生学」は「民族衛生学」とも呼ばれる。
1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツ博士が『民族衛生学の基本指針』を出版。「民族衛生学」という言葉が初めて用いられた。このプレッツ博士の著書は「ドイツ優生学」の出発点となった。
アルフレート・プレッツ博士
(1860〜1940年)
彼の著書『民族衛生学の基本指針』は
ドイツ優生学の出発
点となった
衆議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責 植松 聖
作戦内容
職員の少ない夜勤に決行致します。
重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。
見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。
職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。
2つの園260名を抹殺した後は自首します。
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。
美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。
日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松聖
(住所、電話番号=略)
かながわ共同会職員
(共同)
当事者不在のオバマスピーチを粉砕せよ!
日時:平成28年8月6日(土曜日)午後1時
場所:アメリカ合衆国大使館前 東京都港区赤坂1−10−5
http://japanese.japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-map.html
(アメリカ合衆国とそれにひれ伏す我国官憲による不当な弾圧によって強制的に排除される事態が発生した際は、坂を下ったJT(にほん たばこ)前で抗議集会を行う可能性もあります)
広島に原子爆弾が投下されてから71年が経過する。
5月27日、米国大統領として初めてオバマ大統領が被爆地・広島を訪問し原爆資料館を訪れ原爆記念碑に献花をした。
近年になって駐日大使、国務長官が広島を訪問し、記念式典に参加するなど少しずつではあるが、当事者である米国政府の姿勢が変化していると見る向きもある。
しかし、原爆を投下した当事国としてその責任に触れたことはない。
今回のオバマ大統領のスピーチにおいても「空から死神が舞い降りた」、などとおとぎ話の世界の如く言い流している。
「アメリカ合衆国の意思の下に、アメリカ合衆国の軍隊によって原子爆弾を投下した」、という事実を隠蔽してはいないか。
「安らかにお眠りください。過ちは決して繰り返しません」、と言う碑文同様に当事者不在の空虚な言葉でしかない。
我々は今年もアメリカの欺瞞を撃つことを止めない
恣意的且つ偏狭な正義の下に、無辜なる民を殺戮して憚らないアメリカの欺瞞を許してはいけないのである。
《オバマ大統領スピーチ全文》
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。
広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。
どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。
多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。
広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。
数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。
私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。
物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。
より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。
どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。
国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。
科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。
現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。
技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。
だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。
私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。
私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。
私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。
私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。
言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。
いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。
あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。
ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。
それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。
7月21日(木曜日)新宿のスコールにて朱光出版の阿形会長が主催する講演会が開催されたので出席させていただく。
外交評論家の加瀬英明氏による講演。外務省北米課長として戦艦ミズーリー甲板上で行われた停戦文書調印式に臨んだ父の回想などを交え、1945年8月15日前後の日本の状況を語られた。
岸信介こそが戦後日本の卓越した首相であり、没後120年ということで出版された回想録などを紹介した。
小雨模様の中参集した、大勢の参加者は熱心に聞き入り会場からも活発な質問が発せられた。
参加者全員に夕食が提供され、散会となった。
有意義な講演会を催して頂き感謝申しあげます。
民放テレビ、昼の討論番組で「病み上がり」発言を捉えて鳥越俊太郎から突っ込まれた小池百合子はシドロモドロになったようだ。
やはり他の政治家と同じで、攻める時は威勢がいいが、自らの失言を責められると失速するようだ。
病み上がりが事実なら堂々としていればいいだろう。
鳥越の「癌サバイバーに対する差別だ」、と言った癌経験者全員を味方につけたようなロジックのすり替えに素早く反論できるようでなければ小池もまだまだだな。
「政策も何もない病み上がりの人を連れてきて」、というのは宇都宮健児を追い落して鳥越を擁立した民進党・共産党を揶揄したのであって、「鳥越さんに対する苦言ではないです」、で交わせばよい。
きっちりとした政策をお持ちの宇都宮さんと政策論争がしたかったわ、残念。
政策も何もない、に対しては反論しないのですか。一昨日の巣鴨での政策も話さない街頭演説会を見れば体調の整わない「病み上がり」と、みなされても仕方ないでしょう。
炎天下で演説を待っていた聴衆に対するお詫びはないのですか。
まあ、小池本人も子宮筋腫で全摘出をした過去をもっているのだろうが、その点を持ち出さなかったのは戦う女の矜持か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000046-spnannex-soci
鳥越俊太郎様
鳥越俊太郎選挙対策本部 御中
今般は東京都知事選へ立候補頂き誠にご苦労様です。
連日の猛暑の中、積極果敢に都民に対し政策をアピールしていただく姿には頭が下がります。
憲法9条の改悪を許さないと言った、安倍政権に対する対決姿勢を前面に出しての選挙戦は、多くの都民の共感を呼ぶことと思います。
ただ、有権者の一人としては76歳とご高齢である鳥越候補の健康面に対し不安を覚えております。
昨日の巣鴨地蔵通りにおける演説会におきましては政策を訴えることもなく、大物演歌歌手である森進一さんと親交を持っていることをアピールするに留まり、集まった支持者から批判を受けることとなってしました。
今後7月30日までの選挙戦において、今以上に精力的に街頭に出て有権者に訴えることができるのか。
体調不良から倒れるのではないか、選挙戦から撤退して入院するのではないかと不安に駆られる有権者は多いと思われます。
そのような事態となれば、万全の準備を整えていた宇都宮健児さんを引きずり降ろしてまで、野党統一候補として鳥越さんを推薦した民進党幹部の責任追及は回避できないこととなります。
そこで、一案を提供致します。
街頭での練り歩き・有権者との握手の最中にウヨクの暴漢に襲われ入院、となれば同情票も集まるし、民主主義の存立に危機感を持つ有権者からの絶大な支持を取り付けることができます。
有象無象の選挙民に頭を下げることなく、冷房の効いた病室でテレビを観ていても今まで以上の集票効果を期待できます。
中野サンモールあたりで商店街を練り歩く最中に、私が後ろから折り畳み傘で後頭部を一撃、なんていうのは如何でしょうか。
私も一応はウヨクとしての活動歴を有しておりますので、「シナ・朝鮮人に媚びを売る鳥越の態度がが気に入らなかった」、と供述致します。
勿論、一撃は致命傷にはならぬよう手加減して行いますので、鳥越候補におかれましては派手に倒れるように演技をしていただければ幸いです。
世間は、一斉に「民主主義に対する脅威」「安倍政権に感化された右翼の狂気」「暴力に屈しない鳥越候補不屈の精神」、と書き立てることでしょうから、都知事への当選は不動のものとなります。
具体的な決行の日時場所、そして私への報酬と補償については別途協議したく思います。
政経調査会 槇泰智
携帯電話:090−3135−4069
中野区野方3−26−2
私だって2〜3年、下手したら5〜6年は入ることになるんだから、それ相当の物をもらわなきゃ割りあわないよな。
民進党・共産党にしたら4年間でどれ程の利権が転がり込むんだろうか。
返事が来るのを待ってます。
確かに髪の毛がフサフサしていれば、実年齢よりは若く見えるでしょうが、実際の健康面とは別でしょう。
実際に癌手術とその後の転移と再手術を繰り返しているし。
本人は今までの人生で一番健康、と言っているが裏付けはあるのか。
悪い所を隠しているとすれば、汚職を隠して選挙に出馬しているのと同等。
有権者への裏切りですよ。
金銭問題ではない、健康面での徹底した身体検査は終了しているのか。
有権者に対し健康診断の詳細データを公表しては如何だろうか。
舛添辞任では推薦した自民公明の責任が問われたが、今般健康が理由で途中辞任したら民進党共産党などの責任を追及しなければなりませんね。
そこまでの覚悟があって推薦したのでしょうか。
首筋の皴が76歳の実年齢を物語る。
時々見せる宙を見つめるような虚ろな表情が気にかかる。
天皇陛下が譲位の意向を示されておられるとの報道がなされている。
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/plans-to-abdicate/
事実であれば早々に実行されるべきであると考える、。
皇室典範なる昔の法律によって縛られているのであれば早急に法律を改正すればよい。
御年82歳になられる陛下が多忙な業務に翻弄されている姿を見るのはなんとも心苦しい。
憲法に定められた国事行為以外にも、はっきり言ってくだらん用件で、表に出て来られることが余りにも多すぎる。
数年前には小沢一郎が主張して当時は副主席であった習近平に接見までなさった。
熊本などの被災地まで行かれては体育館で膝を折って被災者に向き合うが、陛下に対しスマホを向けるような連中に対し
お気遣いになる必要があるのか。
天皇とは国の安寧と国民の無事を願い一心不乱に篝火の前で、祈りを捧げてくださることが本来のお姿。
宮中祭祀を実行して頂ければどうでも良いような海外からの客人に対し、ご挨拶に出向いていただく必要もないのだ。
現在の公務が多忙すぎることもあるが、ご高齢を考慮すれば全てのご公務から解放され、現皇后陛下と共に穏やかな余生を過ごされることが最良と常々思っていたところである。
そうなれば皇太子殿下が第126代天皇として即位されることとなる。
今上陛下が即位されたのが55歳であっただろうから、現在56歳になられる皇太子殿下におかれては、決して早くはない即位となる。
雅子皇太子妃が皇后陛下となられ、美智子皇后陛下の担っておられた役割を継承するのが困難であるとの見方もある。
お世継ぎの問題も絡めて考慮するならば、皇太子殿下は一刻も早く第二皇妃をお迎えになり、皇室の伝統と繁栄を担って頂きたいものである。
年若い皇妃のもとで、男子のお世継ぎが誕生されれば、皇室の将来に対し誰も不安を抱く必要はなくなるだろう。
宮中祭祀こそが皇室のもっとも重要な職責であり、陛下を手助けして国家・国民の安寧を成し遂げることも皇后陛下の担われる使命であろう。
現状においては、将来的に秋篠宮家に誕生された悠仁親王が第128代天皇として即位されることとなるのだが、万が一の事があれば皇室の道統が途絶える事態となる。また、できるならば東宮家からお世継ぎが誕生することが望ましいのである。
皇室の最大の使命は、その動統を絶やさない事である。
端的に言えば男子のお子様を産み育てることである。
ご病弱であったと言われながらも大正天皇は昭和天皇を含め4名の男子を遺された。
この4名を含め現在まで、この世に12名の男子が誕生している。
ご幼少である悠仁親王を除いた11名の中で男子を産み育てた皇族は昭和天皇(2名)、今上陛下(2名)三笠宮親王(3名)、秋篠宮殿下(1名)の四名だけである。
11名の中で男子を産み育てたのが四名だけとはあまりにも少ない数字ではないか。
お世継ぎを残すといった崇高なる使命を担うでもない一般家庭においてさえも、100%ではないがほとんどの家庭では2〜3人の子供を産み育てるであろうから、半分以上の家庭には男の子が存在していることになる。
秋篠宮家において悠仁親王を出産なさった経緯においては、天皇陛下からのたっての要望があったと聞いている。
皇室消滅の危機を目の当たりにして、東宮家には期待できない故、秋篠宮家に懇願し予定外の出産に踏み切ったとも思われる。
こうまでして男性皇族方が男子の誕生に積極的な姿勢をお示しにならない原因はどこにあるのか。
皇族ご自身が2676年続いた皇室という制度の継続を望んでいらっしゃらないということなのか。
真剣に考えてみる必要があるのでないのか。
国際仲裁裁判所は支那が主張する南シナ海の領有権を根拠のない主張として退けた。
支那の膨張主義・侵略主義を警戒する向きからは歓迎された判決のようにみえるが、
その裏には我国の主権をも脅かす欺瞞が隠れている。
判決では支那が主張する領有権の歴史的根拠は存在しない岩礁であり島ではない、と結論付けただけである。
フィリッピン西部のパラワン島沖合の島々・スプラトリーは明確にフィリッピン領土であるはずなのに
その点には一切言及されていない。
昨年、支那の実効支配に対抗するために米海軍は「航行の自由」作戦のもと、スプラトリー海域を艦船が航行するという
示威行為を行ったが、これが間違いである。
あくまでもフィリッピン領土周辺であり、フィリッピンの領海であるから、支那であれ、米国であれ航行の自由は存在しないのである。
アジア最弱と言われる軍隊しか持たぬフィリッピンであるが故に、米国には何も言えない状況にある。
また、仲裁裁判所の見解では島ではない、岩礁であるから領土とは認められない、排他的経済水域(EEZ)の設定はできないと、
判断している。
この判決が確定すればスプラトリー諸島よりもはるかに小さな我国最南端の領土、沖ノ鳥島も同様の扱いを受けることになる。
今回の判決を支那に認めさせようとすれば、かねてから沖ノ鳥島の存在を認めていない支那にとっては好都合ではないか。
この仲裁裁判所の決定を我々は認めないのである。
結果良ければすべて良し、と言った短絡的なご都合主義には組付さない。
仲裁裁判所はあくまでも「フィリッピン領土であるから支那に領有権は存在しない」、と結論づけねばならない。
自慢に満ちた仲裁裁判所判決の破棄を求める。
一説にはこれに習い竹島の領有権を仲裁裁判所で決めてもらおう、などとノー天気な事をいう所謂保守派がいるようだが、
とんでもない。
竹島は南朝鮮の領土、との判決が下されればこれに従うのか。
同じく国際的仲裁機関である
国際司法裁判所で南氷洋での調査捕鯨を禁止するとの判決が下されたのは一昨年のことであったろうか。
仲裁裁判所や国際司法裁判所に絶対的正義を求めてはいけないのである。
南シナ海のほぼ全域に主権や権益が及ぶとした中国の主張に対し、フィリピンが国連海洋法条約違反などを確認するよう申し立てた仲裁裁判で、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、中国が主張の根拠としてきた「九段線」について、フィリピンの主張を認め「資源について中国が主張する歴史的権利には法的根拠はない」とする判決を下した。南シナ海の人工島で実効支配を進める動きについて、国際法上「ノー」が突きつけられた中国の「全面敗訴」に近い形で、中国政府は猛反発した。