11月26日(土曜日)
午後から明日に開催する餅つき大会の準備。
自治会活動の一つ。
建前上は震災時を想定した「炊き出し訓練」、ということにしてあるので、小生が担当する防火防災部が役員の皆さんにお願いして
運営することになる。
11月27日(日曜日)朝から夕方まで、ず〜っと餅つきで一日が過ぎていく。
近隣小学校のPTAや都立高校の校長先生・副校長先生・生徒にまで応援に来てもらい、40キロの餅を突く。
小生は突き手の担当だが、突いてくれる人が大勢集まったので、助かる。
以前は自治会の人を対象に餅を配っていたのだが、中野区の助成金を使っていることから道行く人で希望者には中野区民なら全てに配る。商店街のど真ん中なので通行人は多く、瞬く間に捌けていく。
只なら貰わない理由はないだろう。
貰った後で高級羽毛布団を契約させられることもないし。
片付けが終了してから、自治会館で慰労会(まあ、飲み会ですね)
11月29日(火曜日)は防火防災の役員研修を兼ねて横網町公園へ。これも防火防災活動なので小生の担当。
小生は朝から別件の所要があったため、参加者には地下鉄で両国まで来てもらい、そこで合流。
自治会役員一同、墨田区の都立横網町公園にある復興記念館へ行く。
93年前の関東大震災からの復興を祈念して建てられた東京都の施設で、入場は無料。
大空襲の資料も展示されている。
銀杏が綺麗に色づいている横網町公園。背景は隣接する慰霊堂
地味な施設ではあるが、これは必見。改めて防災に対する意識を開眼させられた。
よくこれだけの写真や資料が残されていたものだ。
大正12年9月1日、地震震災発生の直後の馬場先門付近の写真では、物見遊山的に人々が煙の上がる警視庁方向を悠然と眺めている。笑っている人もいる。
その後の写真では二重橋前広場は大八車と共に大勢の人がひしめき合ってパニック状態となっている(下の写真)
5年前の大津波でも同様だった。津波警報が出ているのにわざわざ海の方に見に行ったもいた。
すぐに高台に登っていれば難を逃れられたのに避難せずに命を落とした人が大勢いた。
我々は歴史から学ばなければいけないのだ。
焼けて変形した生活用品なども展示されている
昭和20年3月10日、アメリカによる東京大空襲で犠牲となった母子の遺体。
民間人を標的とした卑劣なジェノサイドを忘れてはいけない。
全体として、空襲関連の展示は少しだけ。
震災後の混乱の最中、どさくさに紛れて日本人が朝鮮人を殺害してゴメンナサイ、
と言った「関東大震災朝鮮人犠牲者」追悼の石碑。
朝鮮半島出身者を一括りに「朝鮮人」、と表記しています。これが正解。
今風の「韓国人」なんていう差別的表現はしていませんよ。昭和47年の建立です。
その後、磯丸水産で昼食に海鮮丼を食べてから、水上バスで浅草へ。
観音様でお参りしてから仲見世通り沿いにある「梅園」で、クリーム餡蜜を食べる。
有名な店らしいが、確かに旨い。安くはないです。甘い物好きには堪らんですね。
地下鉄と西武線を乗り継いで野方へ帰着。
夕方からは反省会と言う名の、まあアッチの方ですわ。
参加者は70代80代の高齢者が殆ど。勿論、50代は小生だけ。
火曜日にこうして都内をブラブラできるなんて、リタイヤした高齢者くらいでしょう。
それも皆さん、家賃収入で悠々自適のご隠居さんと言われるセレブばかり。
明日・月末の銀行引き落としをどうやって乗り切ろうかと、アタフタしている小生がしていることではないですよ。
実際引き落としができなくて追加手数料を上乗せして後日振り込むことに。
交通費や食事代・餡蜜も含め個人負担は全くのゼロ。アッチの方も、です。
自治会費予算や区の防災活動助成金で賄われているんです。
地方自治体が赤字だとか緊縮財政なんて言っていても、使う所には使っているんですよ。