歌舞伎町区役所通りで講演会

平成28年3月17日(木曜日)
新宿で後援会&食事会
6時の開始時間の直前に到着すると会場はすでに一杯でテーブル席は満員。
所謂右翼・民族派の重鎮と言うか指導者的立場の人々が勢ぞろい。
そんなところに私が後から入っていったのでは様にならない。

産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が「韓国と如何に付き合うか」と題して一時間程の講演を行い、
質疑応答となる。
参加者からは、「日本人が歩み寄っても韓国が今のような態度では、付き合う必要はない」、との意見もでる。
韓国を叩いて中国や北朝鮮の側に行っては困るので、いまはとりあえずこちら(日本やアメリカ)の側に付けておくことが重要、との見解などを示してくださった。

会場のレストランはいつも不条理の会で街宣後の会議&食事会で使用している所であるが、最近では神戸山口組が会合に使用し、六代目側との乱闘騒ぎの舞台になったことで有名になってしまったようだ。
 一部のネット上ではレストラン名が晒されているようだが、当日の参加者の顔ぶれや風体をみると、相変わらずソチラの本職をも圧倒するような人達ばかり。
 一般のお客さんが違和感を持って敬遠するかと言えば、お客さんも出勤前のキャバ譲やホスト風のアンチャンばかりなので、全く空気のような存在となって溶け込んでいるから不思議。
裏手は巨大なラブホ街ときており、まさに不夜城・新宿歌舞伎町を象徴するような異空間なのだ。
 

「二・二六事件墓前祭」を祭行しました。

平成28年2月26日、決起から80年を迎えた当日は朝から抜けるような青空の下で、二・二六事件墓前祭を祭行致しました。
昨年は土砂降りの雨の中での祭行とは対照的な日和でした。
決起の当日は帝都が大雪に見舞われたととの印象をお持ちの方は多いと思いますが、決起部隊と共に写真に映っている雪は前日に降り積もっていた雪の塊であり、当日は晴れていたということのようです。
賢崇寺の墓所に設置されています「二十二士の墓」を訪れる方は多いのですが、墓石の裏側まで確認する方は少ないかと思います。
裏側まで覗き込むのは失礼と思っているかもしれませんが、二十二士の氏名と死亡年月日が記されています。
これを見ますと決起から処刑までの流れの一端も改めて垣間見ることになります。

午後1時からは本堂で行われた仏心会主催の法要に参加しました。
仏心会は一応は「決起将校の遺族の集まり」となっています。
小生も遺族の一人ではありますが、あまり歓迎されていないようです。
法要後、近隣の蕎麦屋において直会を行いました。

祭行に際し、多くの方々から浄財をお送り頂きました。
ありがたく使わせて頂き、無事に祭行し80年目の新たなる決意を示してまいりました。
此処に改めて御礼を申し上げます。
     
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                                                    決意文

本日は昭和維新運動の中核を成すに二・二六事件の決起から八十年目となる。

昭和四年、ウォール街での株価暴落に端を発した世界大恐慌の波は我国にも押し寄せた。
アメリカへの輸出に依存していた生糸の輸出が急激に落込み経済は一気に冷え込んだ。
都市部では企業倒産が相次ぎ「「大学は出たけれど」、との言葉が示すように街には失業者が溢れた。

追い打ちをかけるように三陸津波、そして東北地方を襲った冷害によって農業は大打撃を受け、東北地方では一家の生計を立てるために娘を遊郭などに身売りする事態となった。

時の政府は無為無策のまま経済は疲弊の一途。
そして、財閥・資本家は
社稷を顧みることなく政治家と結託し己の利益を収奪することに奔走し、民は安価なる労働力として酷使される状況にあった。

斯くの如き状況にあって、国民を救済すべく民間人と陸軍青年将校が立ち上がったのが八十年前の本日未明であった。

天皇親政の下で国家の革新を図る事を希求したものである。

天皇の宸襟を悩ませ奉る君側の奸を成敗することを目的とした決起であった。

蹶起に参加した末松太平大尉は後に「軍服を着た百姓一揆であった」、と表現している。圧政に苦しめられる庶民の側に立ち、逆賊となる事も恐れずに現状打開を目指したものであった。

現在の世情もまた、形を変えて庶民を苦境に陥れて憚らない政府・財界のありかたが問われてしかるべきである。

自由主義経済の下で規制緩和が進むことで格差社会という歪が生じている。
いくら努力しても決して現状の貧困から抜け出すことができない層が存在する。
下流老人なる言葉が横行し、弱者が徹底的に虐げられる社会は、農村の娘が身売りに出される当時の様と何ら変らないではないか。

企業は生産の拠点を海外に移し産業は空洞化の一途。

食糧自給率は四十%を切り、海外で生産した物でほとんど全てが賄われているのが現状。

人手不足の外食産業では海外で加工・輸入した食品を電子レンジで温めて皿に盛って提供するだけ。
これでは十年間継続勤務したとて労働者には何ら技術が身に付くはずもなかろう。

正社員と同等に勤務しても年収200万円台の非正規雇用若年・壮年層が巷には多数存在している現状を財界は如何に見ているのか。

貧困を原因とした子供の学力低下。それに起因する非行と犯罪。

その子供から産まれてくる子供の更なる無教養の連鎖。

多様なるライフスタイルと称する中での離婚件数の増加。
そして片親世帯による生活保護申請の急増。

母親の再婚相手・内縁の夫による子供への虐待・殺人の横行。

現体制・財界が望んだか否かは別にして、結果的に過度な自由経済・規制緩和と海外移転、そして多様な価値観の許容が社会を狂わせているのである。

二・二六事件の決起においては君側の奸たる重臣を斃す事が目的であり、その後の具体的国家改造の計画が示されていなかったと言われている。実際はいかばかりであったのか。

一部では蹶起に関わっていたと目されていた皇道派の重鎮たる荒木貞夫大将、そして真崎仁三郎大将は司直の手にかかることはなかった。

原隊復帰・武装解除の命に従ったのは公の場において自らの信条を開陳する機会が与えられると信じたからである。

しかし、此処「二十二士の墓」に眠る烈士に対する審判は非公開の暗黒裁判にて行われた。

裁判記録は未だに東京地検の地下倉庫に保管されたまま一般には非公開となっている。

我々は過去の敗北から学習する能力を身に付けて、来るべき平成の国家革新運動を成就に導かなければならないのである。

現体制の為政者・財界指導者に対する処断の手法、その後の国家統治等課題は山積しているが、これらを一つ一つ乗り越えて平成の維新を現実のものとすることを此処に改めて決意するものである。

平成二十八年二月二十六日

二・二六事件墓前祭実行委員会
               決起将校遺族 代表


憂国忌と野分祭

 毎週水曜日に実施している街頭行動であるが、11月は4日(第一水曜)の六本木・シナ大使館、11日(第二水曜)の南朝鮮大使館・二の橋以降、休止している。
その替わりというのではないが18日(第三水曜)は17:30から板橋区内で開催された博友会に出席、25日(第四水曜)日は18:00から永田町の星陵会館で開催された憂国忌へ参加させて頂いた。
 
日々生活の糧を得るための業務に従事している都合上、一日の全てを活動に費やすことが困難な状況をご理解頂ければ幸いです。
本来ならばこの国家革新運動を発展・成就させるためには、粉骨砕身・全身全霊を賭して活動に従事すべきところでありますが、未だその状況にはありません。
今現在の最低限の食い扶持を確保した上で地固めを行い、時が熟した時に一気に大勝負へ突入するものです。
憂国忌.jpg憂国忌にて三島由紀夫との交流を語る楯の会1期生の武井宗行氏
 
水曜日以外には定例の第三土曜日である21日は13:00から新宿駅東口で実施されている「社会の不条理を糾す会」の街頭演説会に参加、24日(火曜日)は14:00から多磨霊園の平岡家墓前にて催行された野分祭(のわきさい)に参加させて頂きました。
野分祭.jpg多磨霊園にたたずむ平岡家の墓所を前にして野分祭が営まれている

  蹶起当日の11月25日に三島由紀夫追悼の「憂国忌」が開催されているのは有名ですが、
決起前夜の心境を共有するということで行われているのが三島由紀夫・森田必勝両烈士を追悼する野分祭です。
私も過去数年に渡りこの式典の齋行を司ってきましたので思い入れとしては野分祭に対し親近感があります。
楯の会一期生であった伊藤好雄さんが実行委員長を務め、新右翼団体であった一水会の人々が主体となり会を運営してきましたが、
あくまでも野分祭実行委員会による主催でありました。
が、昨年より一水会からは完全に離れ、伊藤実行委員長の下で「三島森田事務所」が主催する野分祭となりました。
都内を離れ府中市の多磨霊園にある平岡家の墓前にて神式の追悼際を行っています

  一水会は昨年から単独で都内で「三島由紀夫・森田必勝顕彰祭」を開催しているようです。
形式を考えれば実質的にはこちらが従来の野分祭が名称を変えて継続しているようなもの、と見ることができるかもしれません。
近年における一水会の二枚看板である鈴木邦男・木村三浩両氏による右翼民族派としては看過せざる所業・発言が、命を懸けて決起した三島・森田精神に反するということで
運営主体から外れてもらったということのようす。
   ただでさえ憂国忌と野分祭という別開催であったものが更に分裂したと見られないこともない状況となりました。
ただ、憂国忌と野分祭は開催の趣旨が異なる訳ですから、分裂状態というのとは違います。
憂国忌は純然たる三島由紀夫追悼であり、著名なる文壇の文士・財界人も発起人に名を連ねるなど保守的色彩があります。
一方の野分祭は三島と共に若干25歳で命を絶った森田必勝に対する思いを強く抱き、当時一緒に活動した楯の会メンバーなど民族派学生運動に従事していた人々が主体となっています。
  両烈士の義挙から7年後の昭和52年伊藤好雄氏が隊長となり野村秋介氏等四名で営利至上主義の総本山である経団連を攻撃・占拠したことは有名です。
よって、野分祭には武闘派新右翼のイメージが付き纏います。

 「単に烈士を追悼し懐かしむものではなく、彼らが檄文の中で訴えたが成し遂げられなかった憲法の改正・自衛隊の国軍化を現実のものとして実現する。そのための原動力としてわ我々はこの野分祭を行っています」
私が司会進行を務めていた20年程前には式典の冒頭で参加者に対し開催の趣旨を説明してきたものです。
今はどうだかわかりませんが、そのような趣旨で野分祭が発足したことは間違いないでしょう。

 森田必勝辞世の
「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」
から命名されたのが野分祭です。
 今日、私は蹶起します。国の為に命を捨てる覚悟です、
  自分の想いをわかってくれるのは野分だけだろうか。
 私なりの解釈ですが、三島由紀夫・楯の会隊員と共に体験入隊した自衛隊において全速力で駆け抜けたあの富士演習場。
富士の裾野を疾風の如く駆け抜けたあの日に思いを馳せていたのではないでしょうか。
 自分の今の心境を分かってくれるのは、冬の訪れを告げて荒涼たる原野を吹き抜けていく冷たい野分だけなのか。
そう考えると悲しい句に思えるのですが、実際は違います。
 最後の「野分のみかは」というのは、野分だけだろうか。いや違う。
自分の思いは皆が分かっているはずだ。この思い・決意を現実のものとする為に後に続く人々がいるに違いない、という希望に満ちた辞世であります。
 そういった森田必勝の思いを踏みにじる訳にはいかないのです。
両烈士、とりわけ森田必勝の精神を継承するということは、この戦後体制打破という社会変革を成し遂げることでしか実現しないのです。

博友会報告@7月17日

平成27年7月17日(金曜日)午後6時からなかのゼロ・学習室で開催された博友会に出席しました。
民族革新会議議長であり、元・一水会副代表である犬塚博英氏が代表世話人を務めるする勉強会です。
マスコミ関係者の出席が多い中、右翼・民族派の活動家も多数参加して研鑽を積んでいます。
今回の講師はカメラマンの宮嶋茂樹氏

以下は、会の案内文です。
「戦後70年を考える」シリーズ第3弾!
 不肖・宮嶋でおなじみ カメラマン・ジャーナリスト宮嶋茂樹先生が登壇!
今回、ご登壇いただく宮嶋茂樹先生は、世界中を駆け巡り、戦闘・紛争地帯の取材や大災害の記録、また自衛隊の活動などを広く報じてこられました。これらを通じて見えてきた「戦後70年」とはいかなるものなのでしょうか。
『産経新聞』ほかのコラムでは、靖国神社への篤い崇敬の念や英霊に対する思いなどを多く書かれ、『正論』6月号には、連載の「不肖・宮嶋の現場」のなかで、先ごろ硫黄島で行われた「戦後70年・日米合同慰霊祭」への参列、以前にはその硫黄島の壕内で一夜を過ごされたことなども記されています。
 安保法制は、前時代的な「平和論」のまえに混沌としています。このような時に、私たちはまず、机上の空論ではない、現場で感じた生の声から学ぶことが大切なのではないでしょうか。皆様のご参加をお待ちしております。
 博友会事務局
 
 開会の冒頭、犬塚世話人から宮嶋氏に対する紹介があり、赤尾敏写真集・野村秋介写真集を出版したことに触れ、この両者を呼び捨てにできるのは日本広しと言えども宮嶋氏くらいしかいないだろうと、絶賛。
 大日本愛国党の赤尾総裁については亡くなるまでの10年間に密着して被写体として撮り続け写真集を出したが、2000部のうちの1000部は自身で買取り、車に積んで全国の右翼団体に売り歩いた。
今ではプレミアがついて古本屋で何万円もしている。
 人物の写真集を出したのは野村氏と二人だけ。
野村氏は自身の最期を見据えて宮嶋氏に撮影を依頼した。
その意図が分からないまま撮り続けたが、後味の悪いものとなってしまった。
もう二度と人物の写真集は撮らないと決めた。
 今では制服姿を撮らせたら右に出る者はいないと言われる宮嶋氏。最近では現職自衛官を被写体とした「国防男子」「国防女子」が巷に出回っている。

 講演では主に硫黄島における遺骨収集・慰霊について写真を映しながら語って頂いた。
20年前の初上陸から今回の上陸まで硫黄島とそれを取り巻く社会情勢の変化のなどを語って頂いた。
 講演そのものよりも質疑応答に対してもたっぷりと時間をとってあったので、会場との会話形式で興味深い話などを聞くことができた。
 兵庫県出身の宮嶋氏故、いつもの関西弁で話が聞けると思っていた人もいたのだが、
アノ女性国会議員(具体的に「辻元」とは言わない)による品のない関西弁を聞いていると関西人であることが恥ずかしくなる。
だから今は関西弁は使わないようにしている、と。
 宮嶋氏関連で検索すると、最近の女性国会議員のスキャンダル・体たらくには辟易しているご様子。
女性は政治に向いていない、と言われる状況を女性自身が作っているとも。
 家庭が裕福ではなかったので日大芸術学部写真学科への入学は大変だったそうで、父親は「頼むから地元の大学へ進学してくれ」と懇願したそうだ。
そうしていれば今の不肖宮嶋は世に出なかったことになる。
 バイトしながら学費を稼いで大学に通うよう、なんてこはできないようにシステム化されているのが、日芸の特徴。裕福な家庭の子息子女の集まりなのだ。
 写真家として独り立ちするには、まず女の紐になる。飯が食えるようになったらその女を女房にする、というのが鉄則のようです。
が、宮嶋氏は離婚再婚してますね。

 終了後は「あづさ」にて直会。何故か目の前のカウンターには「丸真正宗」の一升瓶が。
そうです、こういう底辺の酒が良いんですよ。
昌子女将は「飲んだ後に口の中に苦味が残る」とあまり高評価ではない。
なんたって北区は岩淵で作っている酒ですから。23区内に蔵元がある唯一の酒だ。
水の旨い所で良い酒が作られる、となれば荒川の下流域で旨い酒ができる訳がない。
こういう後味がすっきりしない酒を、堪えながら飲むからいいんです。
まず、飲みすぎることがない。適度に節制ができる。
二十一世紀書院の蜷川正大先輩も参加して
その後は清水橋の寿司屋にお世話になる。
慢性的な手元不如意により、いつも人様の世話になってばかりで恐縮です。
胸襟を開き本音で語らうことができ、旨い酒を頂きました。
店を出てからは記憶も確かで、タクシーを拾いしっかりと家路に着きました、
がその後の記憶がない。どうやってシャワーを浴びたんだろうか。
朝、気が付くと裸で寝ていました。

「沖縄県民は米軍駐留を望んでいる」、@博友会

 6月19日(金曜日)なかのゼロホールの会議室において博友会が開催された。
激しい雨が降る付ける日ではあったが、36名の参加者が熱心に話に耳を傾けた。
前回5月は主催者の犬塚博英氏が講師となり民族派活動家としての自らの半生を語った有意義な内容であったが、
今回は産経新聞編集委員であり、近年まで沖縄支局長を務めていた宮本雅史氏を講師に迎え、
沖縄支局長として現場で基地問題に対峙し、反対・賛成双方の県民と関わってきたというこれまた実体験に基づいた
自身の経験からくる貴重な話を聞くことができた。
 そこには産経新聞紙面における主張に直結する見方があり、朝日だけを読んでいる人間なら目から鱗と言う話が随所に盛り込まれていた。
 
 つまり、沖縄県民すべてが米軍駐留に反対しているかの如き報道は事実でないと。
8割は米軍駐留に賛成している。そして、普天間基地も移転してほしくない。
しかし、実名や写真がでてしまうと賛成とは言いづらくなる。
 米軍がいてくれれば沖縄には沖縄振興策というお金がはいってくる。
 地主には借地料がはいってくる。その土地代は自己申告である。
 土地を国が買い上げるという話が出たが地主は反対した。貸している方が毎年値上がりするから地主には有利である。
 駐留米軍が雇用の受け皿になっている、などなど。
自治体・企業・業界は国からお金をもらっても、もう使い道がない。
地主には30億円もの資産をもっている者もいる。
 
 従来、沖縄県知事が東京にやってくると関係閣僚が、その都度お詫びをする。
沖縄戦に対するお詫び。日本復帰が遅れたお詫び。多くの米軍基地があるお詫び。
大田実中将による最後の電文の末尾にある

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

の「御高配」とは今、ここで実現されていることになる。

これは他の都道府県知事と国との関係とは異なる。

沖縄はひとつの国家であり、国内でありながらまさに外交関係にある、ということになる。

 
 講演の中で近年のシナによる尖閣諸島接近の問題についても多少は触れたものの
私が聞きたかった沖縄における米軍基地集中の必要性に対する言及が乏しかったのは時間の関係上仕方なかったろう。
ただ、米軍駐留を求める沖縄県民の実態について多くを語られると、なんだ結局は金が目当てなのか、ということで安全保障への視点が遠のいてしまう。
米ソの冷戦構造化、ソビエトを仮想敵国と捉えた最中であればむしろ北海道に米軍基地が集中してしかるべきところ。
戦後一貫して沖縄が米軍の犠牲、といって言いのか集中する所となった明確なる位置づけを日本人は真剣に考えるべきであろう。

犬塚博英氏 3時間独演会@博英会

 5月26日(火曜日)、なかのゼロホールにて博友会(ばくゆうかい)が開催された。
民族革新会議の犬塚博英議長が中心となった勉強会。
 今回は外部から講師を呼ばず、犬塚議長自らが講師となり
【「我が半生を語る」〜恩師・中村武彦先生歿10年の楠公祭を終えて〜】、
と題し3時間に渡り、自らの民族派活動家としての経験や処世術を語ってくださった。
 昨年末に喉頭癌と診断されたと聞いた時は、これで日本の戦後民族派運動が終焉するのではないかとの危機感を持ったものだが、
何とか生還しされ、今も活動の第一線に立っておららることを安堵しながら講話に聴き入った。
 これほどまでに卓越した人格を備えた人物はいないといった恩師・中村武彦先生の人となりから話しは入り、
いままで培ってきた知己による幅広い交友関係について語られた。
 政治家・財界人・右翼関係者など、その世界の錚々たる人物との付き合いや、そのきっかけに渡るまで自らの処世術を惜しげもなく披瀝された。
 一般人においてはどのように感じたかわからないが、民族派運動において活動家の末端にぶらさがる小生にとっては勉強になると共に、心地よい智の吸収のひと時となった。

 当日の参加者も30人以上いたのではないか。
外部から招聘した講師の時以上に熱気に満ちた勉強会となった。

 終了後は、縣昌子女将の「あずさ」にて懇親会。
此処では4月に大吟醸だかの旨い酒を頂いて、その後の転戦を経て記憶が亡くなった経験がある。
最近はフルーティだとかワインみたいな口触りを売りにした高級な日本酒が流行っているが、
こんなものを飲んでいたひには、歯止めが効かなくなる。
「旨い酒を飲むな。苦い酒を堪えるようにして喉に流し込め」
これが小生の人生訓。
大衆酒場で1合250円位で提供しているような安い酒が今の小生には合っているようだ。


<6月度「博友会」>
【時】平成27年6月19日(金)午後6時〜9時
【所】「中野ゼロ」学習室 東京都中野区中野2-9-10 電話03(5340)5000 (JR又は東京メトロ東西線「中野駅」南口下車 徒歩8分 南口から線路沿いに新宿方面に向う、中野区役所等の公共施設群「西館」) 【講師】宮本雅史先生(産経新聞社・編集委員)
【演題】「戦後70年を考える〜沖縄そして特攻」
【会費】2千円(学生・女性・高齢者は1千円)〆

二・二六事件墓前祭

平成27年2月26日、正午から賢崇寺内の墓所にて「二・二六事件墓前祭」を挙行する。
雨は本降りとなり傘をさしたままでの開催となる。
国民儀礼・献花・そして決意文を朗読する。

決意文
 
今年は戦後七十年という節目の歳に当たり先の大戦に対する評価が改めて問われている。その中で終戦の日を前にして安倍首相が発するであろう戦後七十年談話の内容について憶測が飛び交っている。
しかしながらその内容は、日本が如何に反省し不戦の誓いを実行していくかといった平和主義の観点から表現方法に関心が集中している。
よって、安倍首相は歴代首相のとってきた反省とお詫びと言った基本的立場を踏襲するものと思われる。
これに対し所謂保守派は「侵略戦争ではなかった」「アジア解放の聖戦であった」、との立場で異論を唱えることになるのではないだろうか。
しかし我、国家革新を希求する立場からすれば、なぜ故にあのような戦争に突入せねばならなかったのか。なぜ故にあのような悲惨な形で敗戦を迎えざるを得なかったのかを検証しなければならないのである。
歴史にIF(イフ)は無いと言われるが、七十九年前の青年将校等による決起が成就し、皇道派が陸軍の主導権を確保していたならば対米融和を打出し我国の政策も大きく変わっていたと思慮される。
決起が不発に終わったが故に、統制派が主導権を握り無軌道ままにシナ戦線を拡大し、結果勝算無き対米戦争へと突入したと言えるのである。
今般、所謂保守派が戦前の日本を賛美し、大東亜戦争を聖戦と銘打って全面的に支持するが、そのような単純な図式で測れるものではない。
君側の奸と称される重臣が権勢を振るい財閥と結託し、財と労力を庶民から搾取してきたのが実態ではなかったのか。
よって東北の寒村では凶作と相まって、娘を身売りせねば一家が飢え死にする程の困窮状態にあったのが、七十九年前の我国であった。
社会福祉などという概念も持たぬ時の政府はこれを救済するでもなく、社稷を顧みることなく権勢を保持する事に執着していたのである。
この窮状から国民を救済するために私心を捨てて青年将校が民間人と共に決起したのが、七十九年前の二・二六事件であった。
これは現代でいう軽薄短小なる「右傾化」「保守化」「軍国主義」などとは全く異次元なる崇高な国家革新運動であった。
所謂ところの昭和維新運動の中核をなす歴史的決起であったのだ。
天皇の軍隊を勝手に動かしたことを逆賊視する見方があるが、正常に国体を統治できぬ政府の下で任務を遂行せねばならないのが当時の皇軍であったならば、天皇陛下の御身を案じて、この挙に奔ったと解釈することもできるであろう。
此処に眠る二十二士のなかで最年少の林八郎少尉は、栗原安秀中尉と共に首相官邸の攻撃に従事し、その中で第三小隊長として官邸西門から突入したものである。
昭和十一年三月一日の憲兵調書によれば、
「宸襟を悩まし奉りたるとはおもわざるや」、との問いに対し、
「思ひません。反って陛下の下にある重臣がより以上に宸襟を悩まし奉って居たものと思います。私は最忠最良を行ったものと思って居ります。それは陛下の大御心を悩まし奉ったものを斃したからであります」、と答えている。
これは一人林少尉の考えではなく、蹶起従事者全ての認識であったと思慮されるのである。
天皇の大御心とは、もっともかけ離れたる君側の奸が、権勢を振るい私利私欲に眼がくらみ利権争奪に奔走する姿を指弾しているのである。
翻って現代においては、福島第一原発からの放射能漏れによって福島県民が不自由な暮らしを強いられている状況は、陛下の宸襟を最も悩ませている事の一つである。
にも拘らず、政府の重臣共は利権収奪の手段として原発再稼働を推進しているのである。人類の全ての英知を結集しても一旦放射能漏れが発生すれば収束することができないと分かっている原発を我国のエネルギー政策の柱と位置付けて憚らないのが、現政権の中枢にいる重臣共である。
強制的に故郷を追われ避難生活を強いられる福島県民は、当時の身売りされた東北地方の娘と同等の立場にあると言えるのである。ならば今、重臣共を征伐することは陛下の宸襟を悩せ奉る者を排除することに通じるのである。
しかしながら、悲しいかな現在の我、国家革新勢力においては現体制を揺さぶるだけの実行力を伴ってはいない。少なくとも重臣の幾人かを直接的に征伐してその金城鉄壁なる自民党支配の国家権力体制を震撼させるだけの武力を育成することが望まれるのである。
世界的にはアメリカによる一国支配が世界基準となり、これに抵抗する勢力は圧倒的な武力の下に叩き潰されてきた。イラクのフセイン政権、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィー大佐など直接・間接的にアメリカの軍事力が介入し、アメリカの価値観に抵抗することの虚しさを印象付けるものであった。
しかし今、シリア・イラク地域においてはイスラム国なる勢力が勝手に「国家」と呼称し、アメリカも手を出せない状況にある。
持たざる者弱小と思われる者が、巨大勢力による力の支配を覆したのである。
十二年前のイラク戦争ではアメリカは開戦の宣言から三週間足らずでフセイン政権を破壊したのであるが、未だイスラム国は健在である。
勿論、我々の国民救済を目的とした国家革新運動とは無関係であるが巨大権力者の支配を打ち破るという点ではその戦略は評価に値しよう。
我国においては嘗て連合赤軍やオウム真理教などが、国家転覆を図り半ば実行に移すことで権力側に対する脅威をもたらした。
逆に言えば二・二六の決起以降は、我々とは対極にある反日極左勢力やカルト邪教集団のみが、猛々しくも反権力・反国家で潜在する威力を発揮したことになる。
我々国家革新勢力は国体を守る。そのために現在の日本の名誉を貶め、独立の精神を唾棄するが如き売国利権屋集団を排除していかなければならない。
現政権は打ち倒すが、国家転覆ではない。国体護持の為にも手垢に塗れた保守を自称する君側の奸の大掃除が必要なのである。
本日は「二・二六事件」蹶起からは七十九年。
公の法廷において蹶起の趣旨を堂々と開陳する機会も与えられぬまま、暗黒裁判の末に刑場の露と消えた二十二烈士の志を受け、これを現代に伝え国家革新運動を成就させるために奮闘努力する事を誓うものである。
平成二十七年二月二十六日
二・二六事件墓前祭実行委員会  槇 泰智
参加者有志一同

雨が降りしきる中、傘をさして焼香をするのだが、なかなか線香に火がつかない。
ついたと思ったら線香全体が燃え広がり、燃え盛る炎により手で持っていられなくなる。
とりあえず葉各自で焼香
一同で「昭和維新の歌」を唱和して終了。
1時から本堂で仏心会主催の法要に参加。
その後、麻布十番の蕎麦屋でささやかなる直会を催す。昼から燗酒を所望する。

 

1月7日、博友会の予定

弊会の主催ではありません。
犬塚博英氏の主催する勉強会です。
主催者からの案内文をご紹介致します。
講師の麻生幾氏ですが、通常素顔を晒すことはせず、素性も不明なところが多い謎めいた人物なのですが、
その多彩な著作における情報源はどこから来るのか興味深く、我国の危機管理における問題点に対する指摘などは
傾聴に値するところであります。
この勉強会では参加者に対し素顔を見せて、我国の国境防衛の内情を語ってくれるかと思います。
私も参加する予定でいます。ご一緒にいかがでしょうか。
槇泰智
以下、転載します。-------------------

あけましておめでとうございます。
新年松の内の間に「博友会」を開催します。ご参加頂ければ幸甚に存じます。

1月7日(水)午後6時から
「ハロー会議室・四谷」
新宿区四谷1-5三陽ビル4階(新宿通りから市ヶ谷方面・二つ目の路地、四ッ谷駅・四ッ谷口横断歩道渡り直ぐ、駅から徒歩1分)
講師・麻生幾氏(作家)
「知られざる国境防衛の真実」(『文藝春秋』短期集中連載中)
会費・3千円

講演終了後に同会場で講師を囲んで、新年懇親会を行います。
懇親会用の酒、肴の差し入れを歓迎はします。


転載終了
ウィキペディアより抜粋:
麻生幾
週刊文春の事件記者として活動していた1996年、政府の危機管理システムの欠陥を描いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を発表する。翌1997年、『文藝春秋』に「北朝鮮潜水艦敦賀湾に漂着す」を発表する。これを基に初のフィクションとなる『宣戦布告』を執筆し、映画化もされた。

メディアへの露出を避け、「北海道新聞」や「スポーツ報知」など紙メディアに限り、サングラス着用の顔写真を公開している。六角弘(本名:佐々木弘。やはり元週刊文春記者でジャーナリスト)主宰の「六角マスコミ塾」講師である。

安全保障インテリジェンス分野について執筆している。

著作[編集]

  • 『情報、官邸に達せず』 (文藝春秋、1996年 / 新潮文庫、2001年)
  • 『極秘捜査――警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 (文藝春秋、1997年 / 文春文庫、2000年)
  • 宣戦布告』 (講談社【上・下】、1998年 / 講談社文庫【上・下】、2001年)
  • 『戦慄――昭和・平成裏面史の光芒』 (新潮社、1999年)
    • 【加筆・改題】『封印されていた文書(ドシエ) 昭和・平成裏面史の光芒part1』 (新潮文庫、2002年)
  • 『ZERO』 (幻冬舎【上・下】、2001年 / 幻冬舎文庫【上・中・下】、2003年)
  • 『消されかけたファイル 昭和・平成裏面史の光芒part2』 (新潮文庫、2002年)
  • 『38℃ 北京SARS医療チーム「生と死」の100日』 (新潮社、2004年)
  • 『ケース・オフィサー』 (扶桑社【上・下】、2004年 / 幻冬舎文庫【上・下】、2009年)
  • 『瀕死のライオン』 (幻冬舎【上・下】、2006年 / 幻冬舎文庫【上・下】、2010年)
  • 『エスピオナージ』 (幻冬舎、2007年 / 幻冬舎文庫、2013年)
  • 『特命』 (幻冬舎、2008年)
  • 『ショットバー』 (幻冬舎、2009年)
  • 外事警察』 (日本放送出版協会、2009年 / 幻冬舎文庫、2012年)
  • 『奪還』 (講談社、2010年 / 講談社文庫、2013年)
  • 『前へ!――東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』 (新潮社、2011年 / 新潮文庫、2014年)
  • 『外事警察 CODE:ジャスミン』 (日本放送出版協会、2011年 / 幻冬舎文庫、2014年)

野分祭と憂国忌

11月24日(月曜日)午後2時から斉行される野分祭に参列する。
場所は府中の多磨霊園、平岡家墓所前。
従来は一水会が中心となって運営し都内で行っていたが、今年は全く別の陣容で行われた。
私が運営に携わっていたのは平成8年までだったので、野分祭は16年ぶりの参加となる。
墓前にて神道形式により斉行される。
25日に行われる憂国忌は純粋に「三島由紀夫追悼」であるが、
野分祭は三島と共に25歳で自裁した楯の会学生長であった森田必勝を含め、
「三島・森田追悼 野分祭」となる。
決起前夜の心境を共有するという意味で24日に行われている。
憂国忌は文学者であった三島に光を当てた趣があるのに対し、
野分祭は憲法改正を目指した楯の会を前面に押し出した政治的集まり、
と私は勝手に解釈している。

終了後、門前の茶屋に移り、大原康男国学院大学名誉教授による追悼講演会が行われた。
演題は不明であったが、決起当日のご自身の体験を踏まえ、三島の天皇観の変革を語って頂いた。
昭和41年の戯曲「英霊の声」では兄神である二二六の決起将校と弟神である特攻隊員の語らい。
そこに描かれた「などてスメラギは人となりたまえし」、との恨み言ともとれる会話。
43年の評論集「文化防衛論」では、文化共同体の主宰者である天皇、文化概念としての天皇を描いていた。
自決直前で未完となった「日本文学小史」では古事記・日本書紀までで終わっているが、そこには日本武尊・景行天皇との断絶といった古代の天皇についての記述があった。
大変に興味深い講話で勉強になった。

25日は憂国忌。午後6時から永田町の星陵会館にて開催される。
「吉田松陰とミシマ」と題するパネルディスカッションが行われる。

参加してきました

11月15日(土曜日)
仕事の合間に色々と野暮用をこなす。
なんせ土日の朝と夜は集中的に忙しくなる。
10時から区立児童館の運営協議会。
毎月第3土曜日と決まっているので出席する。
地域で子育て・教育に関わる組織・グループから選出されてきたメンバーや公募による個人が参加。
児童館の活動やら、それぞれの団体の報告など。
まあ、児童館で放課後の子供を預かる学童などが、中心になっている訳だけど、
女性の社会進出っていうのが、それほど重要なのか。
子育てや教育とは無縁の立場にいる安倍首相は絶対的安全圏から、「女性の社会進出」を奨励し、
家で家事・子育てに専念する主婦が悪いかのような風潮を煽る。
夫の稼ぎが安定してさえいれば、家で子供とともに夫の帰りを待つ主婦、といった家庭環境は理想の姿。
結婚前の女性においても、それを望む人は多いと聞く。
が、今はそれを口にすれば男性依存、自立できない女とのレッテルを張られかねない歪な社会となっている。
急いで帰宅。昨夜の残り物で朝昼兼用の食事をかっ込む。
 
来客と事務・雑務を片づけて、少し遅れたが新宿駅アルタ前で開催されている「社会の不条理を糾す会」の街頭演説会に参加。
団体の枠を超えて、右翼民族派の活動家が第3土曜日に集い、社会大衆にこの社会の不条理を訴えていくといった世直し運動。
私も20分ほどシナ漁船の密漁・領海侵犯に対し無抵抗の我国の現状などを語らせてもらった。
http://tadasukai.com/
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地下鉄で移動。東陽町下車、江東区文化センターで開催される
民族革新会議「機関紙」創刊記念
「真姿日本を創成する会」講演会に参加する。
会場は300名収容のホールということなので、300人分の椅子を並べるのは大変だろうと早めに到着して手伝うつもりだったが、全くの杞憂だった。
実際の会場は500人以上を収容できる劇場型のホールだった。椅子は固定式だから並べたり撤去する必要はない。
犬塚博英議長による基調講演「戦後70年を迎える祖国 われらに課せられた使命」-愛国維新運動の本質的原理-、と題し
自らの生い立ちを含め、民族派運動の現状を小気味よく語って頂いた。
第二部としてパネルディスカッション
あらためて問う「天皇・神道・憲法」/国際関係における民族派のあるべき姿/わが内なる敵との戦い
パネラーは
大原康男・藤井厳喜・山田恵久各先生
テーマも多彩でそれぞれに持論を展開される著名パネラーが三人もいたことで、限られた時間内ですべてを語ってもらうのは不可能。
できるならば、別の機会にでも一人一人からじっくりとテーマごとに話を聞きたい内容だった。
広い会場に参加者は百数十人くらいで、空席ばかりが目立っていたが、まあ現状の右翼民族派の集まりとしては上出来なのであろう。
主催者のご苦労が伝わってくる。
現実を理解し受け入れるということは重要。そして次のステップへと踏み出すこと。
参加者のほとんどは右翼民族派運動の活動家か関わりのある人ばかり。
一般人においてはかなり敷居が高かった集会であろう。
俎上に上がった「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、といった言葉一つをとっても一般人には理解しがたい内容であったろうか。
しかし、こういった形で講演会・パネルディスカッションがもたれた意義は大きい。
一般社会人や主婦・学生などをも対象にした「右翼とはなんぞや」から始まるようなパネルディスカッションなんか企画してみたいものだ。 

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