小池百合子が都知事選に出馬表明

6月29日(水曜日)、夜のニュースで知ったが、小池百合子が都知事選への立候補を表明したそうだ。

意外だった。周りからは推す声があったが本人は乗り気ではないと思っていた。

このまま国政に専念し、近い将来は自民党で総裁の椅子を手に入れるつもりかと思っていた。

実際、過去には総裁選に出馬しているし。

都知事選に出馬ということは、総理総裁の椅子はきっぱりと諦めたということか。

政界渡り鳥として散々に爺を誑し込んできた手腕も都知事で最後とするのか。

 

思い出すは平成4年の参院選。

彼女はテレビ東京のアナウンサーから転身して細川護煕の立ち上げた日本新党から立候補した。

我々は野村秋介代表の下で「風の会」を立ち上げ選挙戦に挑んだ。

初日、街頭演説の定番である渋谷ハチ公前で、風の会が第一声を上げようとすると日本新党の宣伝カーがやってきた。

野村代表はマイクを持つと「10時から街宣やろと言うんで10時に来るなんて、やっぱりお殿様なんだね。僕たちはこの場所で演説するために前の晩から場所を確保しているんだよ」、と笑って語りかけていた。

小池百合子の我々に向けた視線と言うのは明らかに穢れた物に対する侮蔑的な感覚があるように思われた。これは私の個人的な見方ではあるが。

代々続く細川家の当主のもとで、クリーなイメージと共に旗揚げした日本新党であるから、手垢に塗れた自民党とは一線を画した存在である。

ましてや、無頼漢の集まりの如き風の会の面々とは距離を置きたいと言う風な表情に受け取れた。

当時、選挙カーとして使用させて頂いていた日本青年社の街宣車の他に、もう一台の街宣車がはいってくると、

「あら、もう一台街宣車があるんですか、お金持ちですねぇ」、と言った際の表情と口ぶりは明らかに皮肉めいたものであった。

ハイエースの選挙カーの屋上に上がる際にもミニスカートでリアハッチバックドアに掛けられた梯子から上がっていたが、

群がる報道陣に対しては「これ以上、近づいたらダメよ」、などと叱責していた。

 

細川政権が崩壊し日本新党も解党すると小沢一郎の新進党、保守党と渡り歩き最終的には自民党に入党し環境大臣の椅子を手中に収めた。

一般に彼女の経歴として「元防衛大臣」、というのを目にするが、実際に不祥事に引責し就任後2か月で辞職している訳であり、

さして防衛行政に精通しているとも思えない。

 

それでも所謂保守、そして民族派内にも彼女を推す声は強いようだ。

 で昨日、歌舞伎辛口評論家と称されるご老人から電話が入った。

「小池君が都知事に立候補しましたね。彼女なら英語もできるしアラビア語もわかる。政界渡り鳥なんて言われているんで難はあるが、ぜひとも彼女を応援してもらいたいんですよ、、、、、、と言うのはね、彼女が学生時代の家庭教師は私なんですよ」

「はあ、、」


鳩山邦夫についての思い出

 参院選公示の6月22日、鳩山邦夫衆院議員逝去のニュースが流れた。

小生とは一面識もないどうでもよい人物という印象しかないが、度重なる舌禍はいつも物議の対象となった。

彼に限らず御坊ちゃま育ちの二世三世議員においては人の心の痛みや琴線に触れる機会もないだろうから

後先考えないでズバズバと本音を吐露するのだろう。

 

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祖父一郎が築いた自民党を飛び出して弟・由紀夫と共に民主党を旗揚げし、平成11年の都知事選挙には無所属で立候補したが、石原慎太郎の圧倒的な人気の中で舛添・明石(自民)・柿沢・三上(共産)等と共に落選した。

 その年の秋頃であったろうか鳩山邦夫事務所から弊会に電話が来た。

住所を教えて欲しい、とのことなので、当時の高田馬場の住所を教えておいた。

 しばらくすると鳩山邦夫かられ冷蔵された奥久慈軍鶏肉のパックが送られてきた。

 明らかに「政経調査会」違いである。

田中角栄の金庫番と言われた越山会の女王・佐藤昭子氏の主宰する政経調査会に送るつもりで、住所が分からず104で調べ弊会に掛けて住所を聞いた結果であった。

 小生が平河町にある佐藤昭子氏の政経調査会に電話をかけて「こんな物が届いてますけど、どうしましょうか」、と聞いたところ電話に出た人は「適当に処分してください」、というので「それじゃあ、御礼状でも書いておきましょう」、と言って電話をきった。

軍鶏肉は当然、我が家の食卓に上った。

 

 小生は如何にも佐藤氏の代筆のようにして「大変結構な品を頂きありがとうございます。日頃、グルメを自認する私にも美味しく頂くことができました」、などとふざけた文章で送ってやった。

 

 その後、挨拶がてら平河町の政経調査会を訪問してみた。応対に出た事務長のA氏がどういう人かも分からずに、軍鶏肉のお礼など適当に話していた。

 その前に群青忌の記事を掲載した「政経通信」を送付していたこともあり、「野村秋介さんの系統の方なんですね」、というので

「ええ、まあ」と言葉を濁すと、「衛藤さんなんか知ってる?」というので、青年社の衛藤会長には自宅に招かれて酒食のお世話になったこともあるので、「お世話になってます」、と答える。

 「犬塚さんは知ってる?」、というので一水会の先輩であるし「いつも、お世話になってます」、と答えるしかない。

「みなさん、うちには良く来られますよ」、と言う。

 ここまでくると鈍感な小生でもだいたいの状況がわかり、「こりゃぁ、あんまりオチョっているとまずい相手ではないか」と察してきたので、身震いをしながら早々に政経調査会を後にした。

 このA氏こそが、政界を裏で仕切る佐藤昭子ママを支え、代議士をも顎で使い、日本の裏社会にも睨みをきかす、人物であると後に知ったのだ。

 昭子ママに対し、如何なる願い事があったかの知らないが、政経調査会の電話番号を104で調べるような鳩山なんてチンピラ代議士は相手にもしていなかったのだろう。

 

そして、年が明けると「鳩山邦夫自民党へ復党」のニュースが流れた。

 


朱光出版阿形充規会長の喜寿のお祝い

平成28年5月15日(日曜日)
新宿区歌舞伎町のバトウールにおいて「阿形充規先生の喜寿を祝う会」が開催され出席する。
通常は結婚披露宴に使用するであろう豪華な広間に民族派活動家のみならず各界から大勢の人が集まり盛大に喜寿の宴が開催されました。
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清水の次郎長の正体が公に


http://makiyasutomo.jugem.jp/?day=20160318
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3月18日の弊会ブログにおいて「清水の次郎長は私だ」、というタイトルで埼玉県の今澤雅一さんが閉店した魚屋に張りだした貼り紙の記事を書いたところ、事態は思わぬ方向に進展してしまった。
 ネット社会に疎い私は関心が薄かったのだが、ネット上では「この格調高く人情に厚い貼り紙をしたのは誰なんだ?」、ということで大騒ぎになっていたようだ。
 ネットユーザーが血眼になって次郎長探しに狂奔している最中、私が何気なく今澤雅一さんの存在を明らかにしてしまった。
 これをきっかけとして全国から今澤さんに一斉に注目が集まりだしたのだ。

 部数拡張に目ざとい商業マスコミが放っておくはずもなく、取材が集中しだした。
日頃の音楽活動や芸能一座・ボランティア活動家として埼玉県では著名な存在ではあったが、ここで一気に全国的に有名人となってしまった。
 人と人との繋がりが希薄な、現代の世知辛い世の中に灯してくれた一灯の人情話には称賛を送る人々から感謝のメッセージが多数寄せられていると言う。
 今澤さんは、余り大騒ぎして欲しくないと言うのが本音の様なので、弊ブログで公表してしまったことで迷惑を掛けてしまったかもしれない。
 善意は誰にも知られずにこっそりと施したい、と言うのが今澤さんの性分のようなのだが、「誰だか知りたい」「モヤモヤして眠れない」、という庶民の素朴な疑問に応えてあげるのも篤志家の務めであろう。
「ああ、これでやっと、ぐっすり眠れる」、という人々も多い事だろう。


埼玉新聞紙面↓↓
http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/04/01/06.html
2016年4月1日(金)

ネットで大反響…閉店の魚屋に感謝の張り紙 書いたのは戸田の作曲家

「張り紙の次郎長は私です」。名乗りを上げた今沢雅一さん。後ろは次郎長一座の巡業用の車=川口市内
閉店を知らずに魚勝に買いに来た主婦、中村洋子さん(左)は「困った。今度からどこで買おうかしら」を繰り返した。右は今沢さん=川口市

 川口市西川口で2月、小さな魚屋が閉店した。店主が出した「58年間の営業を終えることになりました。ご愛顧のほどありがとうございました」という張り紙になじみの客が驚いていると、隣には“清水の次郎長”の名で「長い間の感謝を込めてありがとう」と、店主に宛てた別の張り紙が。気持ちの伝わる言葉が好感を呼んだ。インターネットにも話題は広がり、「次郎長は誰?」という声も。最近になり、「それは私です」と戸田市の大衆劇団の座長が名乗り出た。

■中身がピカイチ

 次郎長の正体は戸田市氷川町の今沢雅一さん(66)。「ずっと店のファンだった。愛想は良くない店主だったが商売の中身はピカイチ。安いしうまい。マグロなんか500円で山盛り。まさに庶民の味方。これでもうかっているのかって、心配になるほどだった」と振り返る。

 閉店した店の名は「魚勝」。高齢の夫婦で切り盛りしていた。今沢さんは刺し身を買いに来て、店主の張り紙にびっくり。この店が閉店? 心がうずいた。「そこで書いたのがあの張り紙。悲しくて、感謝の気持ちを夫婦に伝えたかった」と語る。

■演歌の調べ

 「知っていますよ刺し身の味を。100名以上並んで買った思い出も。包丁一筋半世紀。旦那が病に伏しても立ち上がり、包丁をまた握ってくださった。刺し身は私ども庶民の幸せな味でした。店が閉じられ、とても悲しいです」―。

 つづった言葉は演歌調。それもそのはず、今沢さんの本職は演歌の作曲家。歌手鏡五郎さんが歌う「清水の次郎長」を作曲した。作詞した同じ戸田市の古川ゆう子さんらとともに大衆劇団「清水の次郎長一座」を名乗り、老人ホームなどを慰問している。

 2013年に越谷で起きた竜巻災害では、一座の団員が三度笠(がさ)姿で越谷市役所に義援金20万円を届けた。演歌「清水の次郎長」の印税だった。

■中学教諭

 今沢さんは工業高校を卒業し、自衛隊を経て戸田競艇組合に24年間勤務した。「教師になろう」と一念発起し、大学の夜間部を卒業。鶴ケ島市や鳩ケ谷市(現川口市)の中学で教壇に立った。

 鳩ケ谷の中学では、生徒たちの「川がくさい」という声に、近くの川を独自に調査。工場廃水による汚染を突き止めた。鶴ケ島市の中学では自衛隊で鍛えた柔剣道を教え、今でも年に1度、教えに通う。

■反響は300万

 次郎長の張り紙は1週間後に消えた。誰かが持ち去ったようだが、インターネット上では反響が続いている。

 今沢さんが通う戸田の銭湯「サン光」の酒井善教さん(27)は「ライン、ツイッター、フェイスブックなどを合計したら(コメントなどは)300万を超えてる。かなりの数の人が注目している」と反響の大きさを指摘する。

 「こんなにたくさんの人の心を動かすとは思わなかった」と今沢さんは驚くが、鳩ケ谷の中学時代の校長だった高橋豊明さん(65)は読み手が抱いた思いを代弁する。「悪いニュースばかりだけど、こういう話題は良いね。世間も捨てたもんじゃない、ってね」


中川郁子は上村遼大君の母親と同じだ

中郁子(ゆうこ)と言うのは何の政策も展望も覚悟もない中で、周囲に担がれて衆院議員になったものです。
息子が被選挙権を持つ年齢になるまでの間、地盤を他者に渡したくなくと場つなぎに議員になったのです。
夫の遺志を継ぐといって、昭一の遺影を掲げて選挙に立候補したのです。
選挙民は亡き夫昭一の代理として投票したのであって、郁子に対する評価は無に等しい。
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対米TPP交渉が厳しい時期に上司である西川農水大臣が辞任。
後任の大臣が選ばれたばかりだというのに、外部で飲酒し、その後に同僚議員との公然卑猥行為。
説明責任を果たさずに4日には2週間の入院。
しかし、官邸からの批判を受けて10日に退院し記者会見。完全な詐病ではないですか。
議員特権で東京医大の特別室を手配させ、診察待ちもなく入院。
健康保険適用であれば、税金の詐取ではないのか。

 病室で喫煙した事を批判されると、「病院のルールに深く思いを致すことなく反省している」、と釈明しているがおかしいのではないか。
病院のルールに対し深く思いを致さなければ喫煙を思い留めることができないのか?
「病室内は禁煙」。これ常識の範囲内でしょう。つまり社会人としての常識が欠落しているのです。なぜ、そこを突かない。
追求する民主党の議員も甘いというか、国会質問事態がセレモニーとなっている。
与野党の茶番劇だ。
大体喫煙癖があること自体、国会議員として失格。
喫煙も治らないで国家の改革ができる訳がない。

お互いに議員活動費を使い、地元の帯広と角博文の地元・和歌山を行き来する。
これは公私の混同、横領である。
路上接吻の写真を見せられても当初は「自分ではない」、と平気で嘘を付く。
妻子ある7歳年下の男を誑かせてのセックス三昧。
角議員の奥さまと娘さんにお詫びしたのか。
政務官室には担当部署でない角議員が度々入室し。二人きりで1時間も部屋にいたことがあるという。
政務官室をラブホテル代わりにしていたなら言語道断。

追及すべき野党は明日は我が身。または、散々同様の事をやってきたから沈黙。
民主党は細野剛志と 山本モナ
民主党の中井蛤国家公安委員長は議員宿舎に女を連れ込み
社民党の 又一は 議員宿舎に性感マッサアージ譲
共産党 の吉良よしこも 鉄道駅で党員と接吻
男女関係に限らず、不祥事に対しては、与野党ともすべてにおいて仲間意識で隠ぺいするのです。

中川郁子は議員である前に「女」を優先させたのである。
男をマンションに連れ込んで子供の居場所を奪った上村遼太君の母親となんら変わらない。
たまたま、金銭的に裕福であり、子供が成人していただけの違いである。
こういう不埒な女が国会議員とは聞いてあきれる。
おまけに二人とも売国奴・二階俊博の派閥の人間。
角は二階と同じ和歌山県選出。故に二回とも小選挙区で落選し比例復活当選ときている。
中川は農林政務官を辞任する前に国会議員を辞任したらどうでしょうか。
自民党本部や議員会館ではなく、ご自宅か、個人事務所、またはフジテレビに抗議に伺いましょうか。
「セックス セックス セックス大好き。56歳熟女のセックス」、と威勢よく連呼してあげるとか。

松本健一先生逝去は近代思想史の喪失

松本健一先生が11月27日逝去された、との報に触れ愕然となる。
日本の近現代政治思想史における大いなる喪失である。
北一輝、二・二六事件に関しては多数の著書を持つ。北の出身地である佐渡島へは何度も足を運び幼少期からの思想形成などについて調査を行い、様々な観点からの研究の成果を発表してきた。
最近、また二二六事件に関する新たな資料が発見されたとい報道もあり、松本先生がそこらか更に掘り進め真相に迫る著作を発表されるのではないかと期待していた。

先生は所謂保守の論客というのとは一線を画していた。
ある時は右翼からは攻撃の対象とさえなっていた。
昔は野村秋介・鈴木邦男の対談において「松本なんていうのは殺さなきゃいけない」、とさえ言われていたのである。
その反面、右翼思想においても詳しく研究していたし、我々新右翼の運動においても支援者ではなかったが、理解者ではあった。
世俗的な右翼運動そのものには興味がないようで、右も左も思想史として研究の対象として理解してくれていたようだ。

野村秋介氏が朝日新聞社で自裁した直後の平成5年11月14日に開催された一水会現代講座のパネルディスカッションに長谷川三千子・呉智英両氏と共にパネリストの一人として登壇頂いたのが小生との最初の出会いであった。
その時の模様を翌々年に発行された「右翼ナショナリズム伝説」(河出書房新書)で詳述されている。

そこでは、パネラーとして同席した阿部勉(当時一水会顧問)が児玉邸にセスナ機で突入して死を遂げた前野光保を評価している点について言及している。
大方の右翼が「あんなくだらないこと」、と吐き捨てたなかで、阿部だけは前野を擁護していた。
「天皇陛下万歳の雄叫びと、自らの死を以て決した事実をもって来島・山口・三島・森田の範疇に数えられることになると思う」、という当時の阿部の記述を引用しナショナリズムの原点に光を当てている。

一介の活動家である小生などが親しく交誼をもてる人物ではなかったが、弊会の機関紙を送付していると丹念に目を通してくれていたようで、返書で記述ミスを指摘してくれたりもした。
国歌にかかわる論争が勃発している最中、先生は「海ゆかばを国歌に」という意見を新聞に発表された。
小生が「国歌斉唱の度に泣いてしまうので困る」、と手紙で書いたところ、後日こういう意見もあったと紹介していた。
藤井厳喜氏がシナと呼称してシナ人留学生の抗議により麗澤大学を辞めさせられた際、同校学生に「これはシナ人の持つ従来からの華夷思想によるものであり、それは現代でも同じである」、と語っていたのもであり、決して保守・右翼が忌み嫌うような反日思想家ではなかった。
最近では管直人政権で内閣参与を務めていた平成23年の二・二六事件慰霊法要おける講演会でお会いした。直会の席で
上記一水会現代講座当時の話しを交わしたのが最後であった。
まさか、こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。
おそらく先生の研究を引き継じぐ人物はこの世に存在しないだろう。
二・二六事件と言う近代史における未曾有の国家改造計画の真実を解明する手掛かりは喪失したということか。


参考:平成23年2月29日のブログ記事
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=625

訃報:松本健一さん68歳=評論家 「評伝 北一輝」

毎日新聞 2014年11月28日 15時00分(最終更新 11月28日 18時24分)

 近代日本の思想史、文学研究などで活躍した評論家の松本健一(まつもと・けんいち)さんが27日、亡くなった。68歳。年明けにお別れの会を開く。喪主は妻久美子(くみこ)さん。

 群馬県生まれ。1968年、東京大経済学部卒。民間企業を経て、法政大大学院に入り近代日本文学を専攻。在学中に刊行した「若き北一輝」で単行本デビューした。右翼の巨頭のイメージが強かった北一輝の実像を実証的に明らかにした。また、現在を幕末と第二次世界大戦後に次ぐ「第三の開国」に当たるとして、日本の変革を論じた。日米関係や東アジア外交史にも詳しく、民主党政権では内閣官房参与も務めた。歴史や文学、思想史に精通し、著作や講演、テレビなどで幅広く活躍した。

 89年京都精華大教授、94年に麗沢大教授。95年に「近代アジア精神史の試み」でアジア・太平洋賞、2005年に「評伝 北一輝」で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞を受賞した。ほかの主な著作に「開国・維新」(吉田茂賞)「評伝 佐久間象山」「明治天皇という人」「三島由紀夫と司馬遼太郎」など。

 関係者によると、胃がんで闘病中だったという。


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読者からの苦言に答える

読者の方から届いたメール:

まきやすとも政経調査会広報ツイッターは槇さんがやっているのですか?
ツイッターで橋下と高田誠の対談は在特の勝利だと書いてありましたが、本当に在特の勝利だと思っているのですか?
高田誠は従来からそれなりの評価しか受けていないから、何を言っても評価は変わらないのでしょう。それなのに在特の勝利と
評価したのはどうしてですか?
10月23日
松島みどり 美形とは程遠い、奇相
小渕優子 顔が市松人形っぽい
槇さんは、いつから占い師になってしまったんですか?
何だかネット右翼っぽい。。。。

まきやすともからの回答です
 
橋下Vs在特会の桜井(高田)の対談について:
相対的に見て、従来の評価と比較して上がったか下がったかと考察した場合です。
両者を比較しての全体的な優劣ではありません。
在特は零点が零点のままで、橋下は(100点満点で)10点が零点になったと考えれば、
在特に分があるでしょう。
橋下には「選挙で選ばれたんだから俺は偉い」、と言った驕りが表れていますね。
それは、すでに反社会的団体と認定された在特会相手だからではなく、在野の団体、活動に携わる全ての人々に対する見方と、思えます。
何にせよ、マスメディアを使ったイメージ戦略を考えるならば、例え錯覚だとしても観た人を感銘させる賛同されるようなロジックや語り口を展開すべきと、思います。

 
松島みどり法務大臣:
松島は自身を良く見せようと思うあまりベタベタと厚化粧を塗りたくって、内面の醜さを外形に晒しているのです。
年甲斐もなく娼婦の如きあの真紅のルージュは如何なものでしょうか。美的感覚がありますか。
品性下劣な人間性が顔に表れているのです。
就任会見において、法の番人である法務大臣が真赤なドレスでお出ましです。
裁判官は如何なる色にも染まらない、と黒衣を着ています。
そこまで行かなくてもあの色はないでしょう。だいたい似合わない。
強姦致死傷の刑罰を強盗致死傷より重くするといった、意気込みはどうしたんですか。
この発言に期待した人もいたでしょう。辞任するに際しては、これを後任者に引き継ぐのか、無かったことにするのか、言及すべきではないですか。

法務大臣としての職責において責任感が感 じられません。

小渕優子:
父親の地盤を受け継ぎ、古手の後援者の言いなりで、選挙を進めてきたのでしょう。
政治家としての確固とした意思や展望ははないです。
操り人形でしかないのです。だから形相と相まって市松人形。
感情を表に出さずにのぺ〜とした表情で淡々とカメラの前で語る姿勢は、それなりの処世術で鍛えられた強者でもあります。




松島みどり法相は3日夜の就任記者会見で、性犯罪に対する刑罰に関し
「刑法の中で物を取るより性犯罪の方が軽く扱われている」と述べ、見直しに意欲を示した。

法相は刑法の強姦(ごうかん)致死傷罪の「無期または5年以上の懲役」に比べ、

強盗致傷罪の「無期または6年以上の懲役」の方が「最低刑が重い」と指摘し、

「これは絶対に逆転するように議論を進めてもらいたい」と語った。
 

初閣議を終え、記者会見する松島みどり法相=3日夜、首相官邸 【時事通信社】
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根上隆さん 安らかに

10月18日(土曜日)、午前11時から新宿駅東口アルタ前にて「社会の不条理を糾す会」の街宣活動に参加する。
普段は第3土曜日の午後1時から午後4時に開催。
この日だけは諸般の理由により11時から午後1時の開催となる。
弁士は小生を含めて6人。
暴力団排除条例など、現代社会の不条理を糾弾する民族派の横断的集まり。
終了後、数人で駅前の喫茶店で歓談。
 
一旦帰宅後、車を運転して中浦和駅前でユカリさんとはがさんをピックアップ。はがさんは昨年、群青忌のパンフレットのデザイナー。
そのパンフレットを広げ、長谷川三千子先生の書かれた追悼文を改めて読み返してみる。
有田某という参院議員が国会で「NHK経営委員が自殺した暴力団会長を賛美している」、とか追求したようであるが、
この名文をどのように解釈慰すればそのそのような暴論に至のか。自らの無知蒙昧を晒しているに他ならない。
人間の命を捧げることができる対象は神だけである。決して朝日新聞に捧げたわけではない、というもの。
 
4時半、浦和斎場に到着。根上隆さんの遺族の出迎えを受ける。
白菊で飾られた祭壇の前には板前姿の根上さんがニッコリとほほ笑む遺影。
棺の上には普段着ていた紺色の作務衣が畳まれて置かれている。
左の方にはモンゴルの大草原で馬にまたがる根上さん。
生前の快活で優しい根上さんそのままだ。
しかし、棺に横たわる根上さんはやせ細り、眼球は落ち込み生前の活力的な姿とは程遠い。
保釈後も本人の希望で残していた白い顎鬚の印象と相まって仙人の風でもある。
悟りの境地に至った姿など根上さんには、全く似つかわしくない。
周囲に迷惑を掛けようとも大声で怒鳴りまくるハチャメチャな姿が根上さんなのだ。
 
本当に心根の優しい、面倒見の良い人であった。
自分の畑でとれた大根や柿や玄米などを大量に持ってきてくれたり、送ってくれた。
それは私だけではない。周囲の人達は皆一様に根上さんの話になると「大量に送ってこられた」、との話題になる。
また、何かにつけて車で送ってくれる。
電車で帰るからいい、と言っても無理やり自分の車に乗せて自宅まで送り届けてくれる。
兎に角、人に奉仕すること、喜んでもらうことが生甲斐もような人だった。
勿論、それを迷惑だと感じている人は少なからず存在していたろうが、お構いなしだった。
武勇伝やエピソードには事欠かない。
阿部勉さんの葬儀へ裸で乱入したり、厳粛なる群青忌で暴れたり、と界隈のお騒がせ男ではあったが、「ああ、また根上か」で終わっていた。
どんなに迷惑を掛けても憎悪されることがない不思議な存在であった。
そんな優しさも破天荒もすべてが融合しての根上隆であった。
 
野村秋介先生の出版記念パーティーが開かれた際、野村先生が「今日はアイツ来てないだろうな」、と周りを見回していた。
「ほら、根上だよ、アイツは酷いなぁ。パーティーが終わるとテーブルの上に残っている料理を全部持って帰っちゃンだよ。大きなゴミ袋広げて、肉も魚もケーキもフルーツも全部一緒に入れちゃうんだ」、と前回のパーティーの様子を語られていた。
そして、「おお、本当に今日は来てないだろうな」、と半ばおどけた様に肩を窄めて背後をキョロキョロと見回していた。
この光景を思い出して小生の中では、「この世で野村秋介をビビらせた唯一の男」、と根上さんの事を形容しているのだ。
奇怪に映る数々の行動であったが根上さんにとってはすべてに彼なりの正当な理由があった。
当時はバブル経済の名残もあり、ホテルでのビュッフェ料理は絢爛豪華であり、残ると全てが残飯として処分されてしまう。
根上さんはそれを袋に入れて持ち帰り、公園にいるホームレスに分け与えていたのだ。
  
  招待されてなくてもパーティーや会合がああれば動物的な勘で存在を嗅ぎつけていつの間にか参加していたし、主催者も受け入れたというか、拒絶し辛い不思議な存在であった。
 ただ、5月30日に行われた中野区長選挙立候補予定者の討論会においては主催した東京青年会議所中野区委員会が、根上さんだけを参加させなかった。
 これに対し抗議したことが脅迫とされ、5か月もの勾留生活を強いられ癌の治療も受けられないまま病状が悪化したのだ。
  拘置所に面会に行ったユカリさんがやせ細り車椅子に乗せられた状態を見てびっくり。親族に相談し、保釈手続きをとったが、保釈の二日後に息を引き取った。
 まさに獄死と言ってもよい。革命家としては本望といえるかもしれないが、近親者としては慙愧の念に絶えない。
私選弁護人を付けるなりして、適切な措置を講じていればもう少しなんとかなったのではなかったか。
親族に対しても連絡がなく、勾留されている事実すら長らく知らされていなかったということだ。

根上さん寂しいよ
この陣営では10月に他界する人が多いのだろうか、、、、
合掌
平成元年、参院選立候補時の政権放送
ユカリさんとの質疑応答形式で、あまりにも真面目すぎる内容。

根上隆さん ご逝去

根上隆さんがお亡くなりになったそうだ。
13日の朝、蜷川さんから電話でお知らせを頂いた。
野村秋介先生の秘書をしていたユカリさんから電話があったとのこと。
去年から癌に侵されていた。
それでも2月の都知事選に立候補した。
そして、今年6月8日投票の中野区長選挙に立候補するにあたり、東京青年会議所だかが主催する5月30日の公開討論会に参加する予定だったが、直前になって参加を断られた。
駐車違反に絡む公務執行妨害などで逮捕され原宿署に留置。中野区選への立候補は適わなかった。
その後6月29日の杉並区長選挙、8月10日の長野県知事選挙には留置場から立候補した。
起訴されて8月中旬に東京拘置所へ移管。

10月10日(金曜日)に保釈され、そのまま病院へ。
10月12日(日曜日)14:20逝去された

私が最後にあったのは2月の都知事選前の憲政会館での立会演説会でした。こんなことなら、もっと頻繁にあっておくべきでした。本当に純粋で優しい良い人でした。
故に、他人から騙されたり利用されたり誹謗中傷を受けるなど苦汁を舐めてきましたが、日本に革命を起こすとの強い信念の下、精力的に活動に邁進してきたのです。

 

合掌

革命家・根上隆のオフィシャルホームページ

http://negami-takashi.jimdo.com/
 


楠公祭で西村真悟衆院議員が講演

 
5月25日(日曜日)
兵庫県湊川の戦いで戦死した楠正成の命日。
乃木神社「尚武館」で開催された楠公祭に参加する。
第一部 神道儀式による祭典。
第二部 記念後援。西村真悟衆院議員
    「混迷の世に正成一人の気概を・・・」
     =大楠公精神の現代的意義=
 
講演内容については以下の↓「真悟の時事通信」をご参照願います。
 
 楠公祭に相応しい感銘を覚える内容であったと思う。
これとは別に西村氏の今までの言動においては、軽率なる舌禍により責任を問われる事複数回。
過去からの学習能力が欠如しているのかと、代議士の資質を疑うこともある。
 しかし、氏の襟元に付けられたブルーリボンには懐かしさを感じると共に氏の誠実な人柄が感じられた。
氏が平成9年に横田めぐみさん失踪を国会で質問したことで拉致問題が顕在化したた。
 それから小生も被害者家族会と共に「救う会」の立ち上げに参画。
街頭で署名活動を行うなかで、ブルーリボン運動が発案された。
署名集めを呼びかけながら手芸店で購入したブルーリボンのロールをカットして先を斜めに切り込んで
 根本を二重折りにして安全ピンを通し、署名してくれた人の胸に着けてもらった。
 その後、七宝焼きの立派なブルーリボンに変った。
 平成14年9月17日・小泉訪朝以降に拉致問題に言及し出したような代議士はこの立派なブルーリボンを
これ見よがしに付けている。
 氏の襟に付けられた旧型のペラペラのブルーリボンから見ても、武骨で粗野な反面、実直で情に厚く真摯な人柄なのだろうと思う。
 原発の是非などについては小生とは考え方も異なるが、こういった人も幾人かは今の国会には必要な人材なのだろう。
 もう少し、政治家としての自身を大事にしたら良いのにと思う。

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